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沖縄戦について学ぶ

8月に沖縄に初めて行ったアキラ。
アキラが〝今〟興味ある戦争について学ぶチャンス✨  訪れた場所は・・・

渡嘉敷島 集団自決跡地
平和祈念公園
ひめゆりの塔

この記事を書こうとして、自問自答が続きなかなか書けなかった・・・。
なぜこんなにも多くの人たちが自決をしたのか・・・???


1941年、東條英機による訓令「戦陣訓」。有名な一文として、
「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」

「戦陣訓詳解」(同年2月発行)の通釈によると、「死すべき時に死なずして、生き残って捕虜としての恥辱を受けてはならぬ。又、死後に罪人の汚れた名を残してはならぬ。」

兵士にこの戦陣訓が告示されたそうだが、一般住人にはどのぐらい浸透していたのだろうか。集団自決に至った心理や経緯を調べたり考えたりしていると頭がグルグルして、なかなかnoteが書けなかったヾ(。>﹏<。)ノ。

(最近アキラが読んだ本↑)

<沖縄の悲惨な歴史>
1879年 琉球処分。日本政府は琉球に沖縄県を強引に設置。
1945年 沖縄戦。第二次世界大戦末期、日本 vs アメリカの戦い。
1951年 サンフランシスコ平和条約で、沖縄をアメリカの支配下に。
1972年 日本に沖縄返還。

日本に占領され、戦場に使われ、アメリカに占領され、琉球独自の言葉や文化を失っていく。沖縄戦で県民の1/4が命を落とし、その後、米軍基地が次々と建てられる。

美しい琉球がたらい回しにされたようで、そりゃぁ、琉球の血を受け継ぐ人たちからすると日本のことを良くは思わないよね。複雑な心境です(涙)。


前置きがかなーり長かったのですが、まず、『渡嘉敷島 集団自決跡地』

入口の説明書きでは、アメリカのプロパガンダを感じます。

石碑の奥に集団自決をした場所が。森の奥へ奥へと入っていけるのですが、アキラは怯えるような顔で「行きたくない!!」とのこと。(何かを感じたようです)

その丘から下を見下ろすと、爽やかに澄んだ色の美しい海が見渡せる。

「僕、戦闘機をカッコいいと思ってたけど、嫌いになった! ここに来て嫌な気持ちなったけど、その後、海見ると気持ちがすっきり良くなったよ!!海のパワーって凄いね💗




そして『沖縄県沖縄平和祈念公園』へ。

沖縄戦の歴史を詳しく学ぶことができる大きな資料館に行きました。

やっぱり戦闘機が気になる↓。

歴史がつらつらと書かれているけど、理解できてるかな?

かなりエグい写真が並んでいたお部屋。怖いので、お姉ちゃんの後ろに付いて遠目がちに。

写真や映像から戦争の残酷さや悲惨さがかなり伝わったようで「僕、戦争きらい!」と何度も何度も言ってました。戦争は絶対起こしたくないよね!!


次に訪問したのが『ひめゆりの塔』

資料館では、沖縄県立第一高等女学校の女学生が戦争に巻き込まれて行く様を学ぶことができます。看護の他に、水汲み、飯炊き、下の世話、死体埋葬まで行っていたそうです。

米軍の勢力が押し寄せる敗戦直前、女子学徒隊に突然「解放命令」が出されました。避難していたガマ(洞窟)が米軍のガス弾攻撃を受け、多くの命を失いました。

生き残った人たちの証言本を読むことができるお部屋。大量にある中、5つぐらいの証言を選んでアキラと一緒に読みました。戦争で精神が蝕まれていく様は凄まじいです。

亡くなった学徒隊や先生方200名余りの写真が壁に収められており、アキラがまた怖くなったのか「早く出よ!」と言い出しました。
資料館の出口にはたくさんの千羽鶴が↓

天皇万歳!と何度も唱えさせられたけど、死ぬ時はみんな天皇ではなくお母さんのことを思い出す。

証言本の中でママの心に残った一文です↑。

アキラは今でも時々戦争のことを話すことがあります。

どうしてそんなに戦争が気になるの?という質問に
人間が人間を殺そうとする心(精神状態)がよく分からないから気になる!のだそうです。

「あんなにたくさんの人が戦争で亡くなって、生き残った人たちが命を繋いでくれて、このアキラ君がいるから、戦争で生き残ってくれた人たちに感謝しないとね!!
ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、
そしてパパとママがいて、アキラ君が生まれたんだよ!!
アキラ君の魂が入っているアキラ君の体と心に感謝しなきゃね!!」

・・・というと

アキラ君の体の中にはアキラ君の神様が入っているの!? アキラ君の神様、ありがとう!!

と両手を合わせてお祈りのポーズ!

ご先祖様たち、心からありがとう(* ̄▽ ̄*)

(アキラの描いた沖縄戦の絵↑)

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