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贅沢な寺子屋の机

子供に教えることを生業として長い年月が経つ。何百人という生徒たちが私を先生と呼んできたことに時に、震えがくるほどシンドくなる。私って先生と呼ばれるような人間ではないし、人との付き合い苦手だし、勉強だって好きではないし、と。でも、やはり好きなんだなあ、子供が、そして、教えることが。嗚呼、なんて矛盾。

この小さな机、私の大好きなギャラリーONOさんのところからもう10年以上も前にお越しいただきました。小野さんが笑顔でウチまで持ってきてくださった物。江戸時代の後期のものだそうですが、その作りがとてもしっかりしていて、町民の子が使っていた物にしては兎に角良すぎるほど、美しいのです。可愛らしいサイズのくせにしっかりとした存在感。使い古されて黒光りがしていて、何とも言えない美しさです。寺子屋の机は一時期たくさん出回っていたらしく、どれもやはり作りがしっかりしていたそうです。

それは、江戸時代の職人さんの腕が良かったこともあるのでしょうが。私は考えるのです、子供たちに対しての大人の意識が高かったのではないかと。何もなく、将来もわからない貧しい町人でも、自分の子供にはきちんとした教育をさせてやりたい、そして、できれば自分より良い生き方をしてほしい。そんな思いがこの机にはいっぱい詰まっているように感じるのです。机にそっと手を置いてそんなことを考えるのが好きです。

我が子への思いは今も昔も変わることはないのでしょうが、モノへの愛情というのでしょうか、小さな物でも大切にする、そんな心は消えつつあるように思います。そして、それは本当に残念なこと。落し物の中に丸く小さな消しゴムを時々見かけます。そして、生徒に声をかけても持ち主が見つからないとき、そっとウチへ連れてかえってしまうのです。お疲れ様って声をかけたくなる消しゴムへ。モノには命があるのではないかと時々思うのですが、特に文房具やこういった机には子供の生命力というか、何かちょっと違う力が宿っているのではと思うことがあります。

江戸時代の子供達がどんな顔で勉強していたのか、そっと見られるものなら見てみたいです。やはり机に落書きをする子や傷をつけて遊ぶ子もいたのかもしれません。筆や硯をどんなふうに扱っていたのでしょう。いろんな子供達の勉強を支えてきたこの机が何とも愛おしい。そして、私のイマジネーションは止まりません。

が、この机、小さいし高さも子供の正座に合わせているのでしょう。何とも低くて、私の今の家具たちとの相性が良くないのです。というよりこの狭いマンションではどうにもならない、、。いつか庭のあるところへ引っ越せたら、必ず居場所をご用意しますから、それまでお待ちくださいませ。

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