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デーケン先生

「死生学」という学問を日本で初めて講義した人だと思う。

アルフォンス・デーケン

1932年ドイツ生まれ。上智大学で長年教鞭を取られていてお噂はよく伺っていた。実際にお会いしたことは一度もないけれど聞く話ではいつも「デーケン先生がね」「デーケン先生の本がね」という感じで、いつも「先生」がついていて、なんとなく今もわたしの中では「デーケン氏」というよりは「デーケン先生」である。

今まで先生の講演の一部だったり短いエッセイを読んだことはあったが、著書を読んだことがなかった。それで銀座の教文館で見かけた時、吸い寄せられるように手に取った本が、

「よく生きよく笑い良き死と出会う」

とても良かった。腑に落ちる、というか「そうそう!」と感じるところばかりでほぼ一気読み。

ドイツ人だが、ナチスに反旗を翻す父親のいる家庭で育ち、アメリカの大学で学び、そこで著作も発表しているデーケン先生がなぜ日本で教えようと思ったのか。幼い頃に読んだ日本の26聖人のひとり、ルドビコ茨木の言葉に感動したのだという。26聖人というのは豊臣秀吉の命令で1597年に長崎で処刑された26人のことで、ルドビコ茨木はその中でも最年少の12歳の少年だった。あまりにも幼いので不憫に思った役人が信仰を捨てれば自分の養子にしてあげようと、もちかけたところ
「あなたさまがキリシタンになってわたくしと一緒に天国へ来てくださるといいのですが」
と答えたという。デーケン先生はこの言葉に深い感動を覚えたという。そして「日本人は偉いなあ」と感じ入ったそうだ。

しかし70年代、先生が日本で死についての講義を開きたいと言った時、反対の声が多かったという。これはよくわかる。わたしが子どもの頃は「死」というものをみんな避けたい、というか、とにかく「縁起の悪いもの」として捉えていた。4という数字を使わないとか、飛ばして数えたり、とにかく忌避していた。

先生は言う。
「死は誰にでも確実に訪れます。
人間の死亡率は百パーセントです。
もし「死」という次元をないがしろにするなら、今日の人生、今ここに生きている人間を真に理解することも不可能」

死を考えることは今を生きるために重要である。だから「死生学」なのか、と合点がいった。

クロノスとカイロスも先生にとっては重要なテーマだったようで何度も出てくる。クロノスは目に見える時間の流れ。それに対してカイロスは永遠という時間。生きる上ではクロノスではなくカイロスを意識することが重要。これは大学の講義でも何度か聞いたが、わたしにとっても重要なテーマだ。

ユーモアについての先生の持論も良かった。どんな苦境でもユーモアの精神は大事。けれどユーモアとは誰かを貶めたり、からかったりするものではない。どちらかと言えば過去の自分の失敗談がもとになるのだと。なるほどこれなら誰も傷つけない、と感心した。

70年代は癌の告知を本人にしないことが多かった。家族にだけ告げて家族はそれを重大な秘密といて抱えながら看病した。しかしこれは自分にあとどれくらいの時間が残されているのかを知る権利を侵害しているし、その残された時間を自分らしく生きる権利をも奪ってしまっていた。これ本当に良くなかっと思う。

わたしが子どもの頃、近所で母が親しくしていた方の夫が癌で亡くなった。その方はとにかく最後まで夫に真実を告げなかった。けれど葬儀で「主人は全部知っていたと思います」と泣き崩れていたという。自分の体のことだ。きっとわかっていたけれど家族に気を遣って知らないふりをしたまま亡くなった。隠していた方もつらいし、知らないふりをする方もつらかっただろうと思う。両方が深く傷つくことになってしまった。

自殺のことを「自死」という言い方に変えたのもデーケン先生だったことも読んでいてわかった。一字だけでも変わるとずいぶん響きが柔らかくなる。それをドイツ人の先生が思いついたことには驚いた。

読み終えて本当に久しぶりに心が充足感で満たされた。その晩不思議な夢を見た。講演会かなにかの受付に行ったらデーケン先生がおられ、わたしは興奮して
「先生、少しお話がしたいのですが」
と言ったら
「仕事があるのですが少しだけならいいですよ」
と言って2人で個室に入り、わたしが先生の本に感銘を受けたことを話すと、胸に手を当てて
「それはとても嬉しい」
とにっこり微笑んだ、という夢。
目が醒めてからも本当に先生にお目にかかれたような気がして幸せな気持ちになった。

デーケン先生は2020年に88歳でお亡くなりになっている。
先生のご冥福をお祈りすると共に、死生学をこれからも真剣に学んでいこうと改めて思った。




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