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正論と気持ち

母が亡くなった。

前の晩は夕食も全部食べて変わりなかったようだが、明け方に急変。呼吸が弱くなり、病院から弟に連絡がいったが、上の弟はたまたま高熱で、下の弟が病院は向かうも連絡直後に心停止。誰も最後には立ち会えなかった。

去年の暮れに余命宣告があり、覚悟はしていたのでそれほど大きな衝撃はなく、淡々と荷造りをして新幹線に飛び乗った。昼過ぎに駅に着き弟の車で実家へ。遺体は既に家の中に運ばれていてリビングに横たえられていた。

実家には猫がいるので本当はドアが閉まる個室がよかったのだが、一階にはそういう部屋がなく、2階に上げるのは今の状態なら可能だが死後硬直が進むと階段途中のカーブが曲がりきれなくなる恐れがあるとのことでやむなくリビングにマットレスを敷いて寝かせたとのこと。

こういうことも含めて葬儀屋さんでなければわからないことや手続きがたくさんあるんだなあと思った。実は母は生前、葬儀代がもったいないから火葬場に直行でいい、と盛んに言っていたが、その火葬場も葬儀屋さんが問い合わせると1週間後までいっぱいだという。この場合に個人で火葬しようとすると遺体が腐敗しないようにドライアイスなどで管理しなければならず、そんなことは素人では難しいと思う。改めて葬儀屋さんを手配して良かったと思う。

家について母と対面したが、紫色の死斑が顔中に出ていてちょっとびっくりした。弟によれば死後、急に出てきたとのこと。また悪性リンパ腫だったので手足がパンパンに浮腫んでいて、体内の液体はもう出ることはないので、ずっとその状態なのだという。ただ表情は眠っているように安らかでホッとした。

「良かったね。やっと楽になったね」

という言葉が自然に出た。

途中で買ったシウマイ弁当を弟と一緒に食べ色々話しているうちに葬儀屋さんが打ち合わせに来る。

家族葬にするので1番安い料金でいいと思ったのだが、提示された金額を見てギョッとした。(霊柩車も全部入れて80万円越えだった)でもCMとかでやっている「小さなお葬式」の会社ではなく、母の所属していた教会の葬儀屋さんにお願いしたので仕方がない。

キリスト教の葬儀になるので故人のロザリオとベール、着替えの服、靴下と靴を用意するよう言われる。服はなんでもいいらしい。ただ母の体には浮腫があるのでサイズは大きめがいいでしょうと言われる。最後に母の枕元に十字架と蝋燭の載った祭壇を用意してお祈りをして終了。

キリスト教の祭壇

弟と相談して上は母の好きだったブラウスに決めたが、下の服が困った。母の箪笥を探したがズボンしかなく、これだと履かせにくい。靴下もなかなか良いものが見つからないので、スカートと靴下は買うことにした。

母は生前、死んだら連絡してほしい人リストを残していて、それに沿って近所のひと、親戚に連絡。連絡だけなら自分もできると上の弟が言うので何人かは任せた。

今日になってその上の弟から、リストにはなかった親戚と連絡をとったとLINEが来た。その親戚は母と金銭をめぐるトラブルがあり、もう20年以上も音信不通だった。せめて連絡を取る前に相談してほしかったなと思ったが、向こうの様子もわかり、遠いから葬儀には来ない、というのである意味ほっとした。

ところが今日になってその親戚の長男がちょうど近くに住んでいるので葬儀後に一家を代表してお参りに来たいと言ってきた。正直めんどくさかった。上の弟は「親の世代の確執を子どもの世代に持ち込むのは違うだろう」と言う。ぐうの音も出ないほどの正論である。

でもやっぱり引っかかるのだ。

できれば会いたくない。

どんなに正しいことだとしても今の自分の気持ちがまだ整っていないのは事実だ。母が亡くなったばかりで今、無理をする必要はないんじゃないのか。そう思ったので上の弟に気持ちを話すと「わかった。俺が対応する」と言ってくれたので正直ホッとした。

キリスト教の教義の根幹は「赦し」である。少し前のわたしなら「ゆるさなければいけない」とか頭でっかちに考えて自分を無理やり納得させようとしただろう。でもグリーフケアを学んだ今、自分の心が今、どういう状態かを観察することが1番大切だとわかっているので素直に話せた。今はこんがらがっている心の糸もきっといつかはほぐれて真っ直ぐになるだろう。だから今は無理をしないで心が望むことに従おうと思った。ゆるせないのに「ゆるさなければ!」と思ったところでそれは真の赦しではないのだから。

人がひとり死ぬとそれまでは表にでていなかったことが次々に浮かび上がってくるという。これもそのうちのひとつなんだろう。これからもあるかもしれないけれど、そのたびに自分の心を観察するようにしていきたい。「いい人」を演じることだけは避けたいなと思っている。

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