2021/7/25~8/1

今読んでいる本

消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神

今のいわゆる物を持たない生活をしている人、ミニマリストこそがSDGSとか脱資本主義に繋がる生活スタイルなんだ、という論調。

でもミニマリストってそんなに脱消費的なんだろうか。その割に本を出したりyoutubeチャンネルで自分の生活をアピールしていて、SNSでいわゆるインフルエンサーとして振る舞っている。それってとても顕示欲が強いし、まさに消費社会のプレイヤーとして振る舞っているように思える。本当に彼らは脱個性、脱消費、脱資本主義的なんだろうか。

でも、これまでの消費社会に対するアンチパターンの例を色々と提示してくれているので、そこは参考になる。


ワクチン摂取予約

自分の住んでいる区の40代以上のワクチン接種予約がはじまり、朝9時からスタンバイする。

摂取日は8/9以降なのだが、いざ予約サイトに入って「一回目の接種」を選択して日程を確定する段になると、「一回目摂取の人は7/30以前を選択してください」とエラーを吐かれてしまう。

おいおい7/30って今日だぞ、8/9以降の予約をしてるのになんだこのエラー、と思っているうちに目の前の予約可能日がどんどん埋まっていく。何度やっても同じエラーを吐くので電話予約に切り替えるもまったく繋がらず、30分たったところで諦める。

twitterを見ると自分と同様のエラーで予約できなかったという人が複数見受けられ、中には1回目接種でも2回目と選択すると予約できたという人がいた。1回目摂取と正直に申告した人は延々エラーで弾かれ、偽って2回目を選択した人から予約できるってなんて状況だよ、と朝からヘイトを貯めてしまう。

だが、仕方なく出社中にもう一度だけチャレンジしてみると、たまたま残っていた枠があり、そこで一回目摂取と選択すると今度はすんなり予約が取れてしまった。

区から今回のサイト不具合について正式なアナウンスが出たが、システム不具合で弾かれ予約できなかった人が接種できるようになったわけではない。

職域接種の範囲にも被らない40代のワクチン接種状況なんてまだまだ争奪戦で、追い打ちをかけるようにこんな仕打ちを受けるのである。厳しいものがある。

とりあえず2回目接種が終わって免疫獲得する目安まで考えると、9月下旬まではできるだけ蟄居したいが、出社はしないといけないからなあ。

オリンピック

五輪に出場する選手はピュアにスポーツをやっているんだ、頑張って感動を与えているんだと言ったところで、その感動をありがとうが政治家から国民の不満のガス抜き的に利用されているわけで、そんなに単純な話ではない。ましてSNS上ではヘイトの矛先が彼らに向くのだから、彼らもこの状況の被害者になっていることを忘れてはいけない。

とはいえサッカーと柔道は一通り見ている。政治とスポーツを完全に切り離せるとは思わないが、スポーツと我々の繋がりを断絶しないために妥協も必要である。

男子サッカーの準々決勝、日本代表対NZ代表戦を見たのだが、スコアレスとはいえボールを保持してチャンスを生んでいた日本代表が、延長と同時にその中核を担っていた田中碧と旗手を交代して自らのストロングポイントを放棄し、攻撃が不全になりペースを手放したままPK戦まで引きずり込まれてしまった。

交代の失敗というよりむしろ、久保と堂安、あるいはこれまで機能させられていない三苫ら個人に攻撃の責任を負わせ、信頼しているのはオーバーエイジの守備陣のみ。最悪失点しなければPK戦で五分で勝ちが転がってくる(もちろん負けの目が出るのも五分だが)だろうという確信犯の策だったのではないかと思う。

攻撃の主体性を放棄して勝負を運に委ねてしまう姿がW杯のポーランド戦を思わせ、これが日本サッカー協会が標榜する日本らしいサッカーの姿勢なのか、とハリルホジッチの事を思い出したりした。

森保監督の交代策は失策だったという点である程度コンセンサスができていると思ったのだが、そういう声に対してネット上を見てみると勝ったのだからいいだろう、勝利に水を差すな、という声が多数見受けられた。勝ったら感動をありがとう、でまっとうな競技としての批評も通じなくなるのだから、そりゃスポーツも単純にガス抜きとして機能してしまうよな、と思う。競技に対する批評性と政治への眼差しも、全く別次元で存在しているわけではないのだ。

無くした携帯電話

先日、伊東に行く途中で無くした携帯電話を大宮警察署で預かっているという連絡が届いた。おそらく横浜駅で無くしたはずの携帯がなぜ大宮に、あの日京浜東北線とは無縁なはずだったのに。今のこの状況では大宮まで一時間近くかけて行くのも憚られる。保管期限は当分先なので慌てる必要はないんだけど。







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