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ニュートンの、義務?―杉山晋太郎

  『NEWTON‘S OBLIGE』―未だに私はこのタイトルを、どう解釈してよいのかわからない。CDのライナーにもその説明はない。何故こんなタイトルをつけたのか。本人に聞いてみたいが、無理な話である。いやひょっとしたら生前どこかで語っているかもしれない。かもしれないが、その情報を手に入れる術を私は持っていない。
 このアルバム、現在はCDもアナログも、共に廃盤であろう。一体累計でどれくらい売れたのであろうか。
 本作が最初に発売された86年の、たぶん年末ではなかったか。地元のレコード店にそれはあった。驚きであった。何故ならその店はいかにも売れ線の作品ばかりおいてあって、所謂インディーものはまず置いていなかったからである。やはりザ・スターリンの元メンバーというネームヴァリューゆえであったからのだろうか。
 しかし私はこのレコードを買うことはなかった。買いたいレコードは他に山のようにあり、しかし常に金欠状態であったから、必然的に後回しにしているうちに、いつしか店から作品は消えていた。私は今、あのレコードは誰が買ったのだろう、いや返品扱いになったのであろうか、などとくだらないことを考える。レコードのジャケットはいかにも素っ気ないデザインで、紙質も薄っぺらかった記憶がある。だからこそ、インディー~手作り感一杯に感じられ、妙に気にはなっていたのであるが。
 いつの間にか市場から姿を消し、私もすっかり忘れ去っていた本作は2007年であったか、突然CD化された。それを知ったのは、発売されてずいぶん経ってからであった。当時の私は音楽ソフトの発売状況を殆んどチェックすることはなくなっていた。買ったはいいけれど聴くことなくツンドクばかりのCDばかりが家にあり、疲れ果てて音楽など聴く気になれなくなっていた。そんなある日、たまたま会社の仕事の合間に覗いたネット情報の中に、『NEWTON‘S OBLIGE』はあったのである(紳士淑女の皆さまへ。職場での私的なネット使用はいけません)。
「・・・・出てたんだ」
 かつての私なら、すぐに店に行っていたであろう(カネがあれば、だが)。この時の私は躊躇した。またツンドクことになるのだろう、なら、という感情が脳内をぐるぐる回った。それを振り切って買うことに決めたのは、18歳の時の、妙に気になった感情を大事にしたいと思ったからである。気になったことがあるのなら聴いてやろうじゃないかと。そして手に入れたアルバムの、最初の感想は、「こんなものか」であった。特に感動はなかった。どこか、遠くの方から鳴っているような、音楽であった。そのまま、私の中で『NEWTON‘S OBLIGE』はツンドクリストの仲間入り→ゆくゆくはたたき売り、なアルバムになるはずであった。だが、気が付くと、年に何回か、棚から取り出して聴いている自分がいた。公私にへばり切り、何もしたくない時でも、時折聴いてしまったのであった。CDのライナーで渡辺正氏が「10年に一度くらい聴きたくなるアルバム」にと希望されたことを、私は実践していたのである。いや渡辺氏の願いよりおそらくは頻繁に。
 今、私は『NEWTON‘S OBLIGE』を聴く。それはやはり遠くの方から鳴っている音楽に感じる。実際の音自体が幽玄の彼方から響いてくるようなミックスがされているのだが、それ以上に、私には遠くの方から鳴っている音に思える。誤解を解いておきたいが、これは『NEWTON‘S OBLIGE』をけなしているのではない。そこにある音は確かにしっかりと、杉山晋太郎の生きていた証しとして刻み込まれていると思う。だがそれは1986年の杉山晋太郎の音、なのである。今は2023年である。鳴っている音は1986年のままなのである。音と聴いている私との間に厳然とある距離。『NEWTON‘S OBLIGE』は私にとって永遠の過去性を知らしめる。それでも私は時折聴くのである。過去があってこそ、現在があることを、私は『NEWTON‘S OBLIGE』で確認したいのかもしれない。
 杉山晋太郎。1960年3月20日生まれだから、今生きていたら63歳になる。96年に亡くなったときにはもう音楽はやっていなかったという。彼が亡くなったのを知ったのはどこで、いつであったのか、よく憶えていない。『ドール』誌上であったであろうか。
 YouTube上でザ・スターリン時代の彼の演奏シーンを断片的に見ることができるが、やはりそこでの彼も、遠くにいると思えてしまう。画像が今の時代からしてクオリティが低いからということもあるのかもしれないが。そういえばザ・スターリン絶頂期と言われるメンバー4人のうち、3人は、もうこの世にいないのだ。


『ザ・スターリン遺影集』のキャプションによると、1982年5月23日 長野 仏陀、とある