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二地域暮らし概論 -コミュニティから考える二地域という暮らし方-

僕は、4年前の2015年から、長野県と三重県を行ったり来たりしながら暮らしている。いわゆる二地域居住と言われるモデル。

「二地域居住」という暮らし方がなんとなく、社会の中で広まってきているので、最近考えていることをまとめたいと思う。前半は、「二地域」という言葉のゆらぎとその中身について、後半は、二地域とコミュニティについての書きますが、それぞれに特にそれを実証するような調査はしていないので、他のご意見や考え方などがあれば教えて欲しいです。

二地域居住という言葉のゆらぎ

まず、「二地域居住」という言葉には、他にも「二拠点居住」や「二地域生活」などいくつか言い方があって、人によって採用しているものが違うゆらぎのある言葉だ。

リクルートが発表している「2019年のトレンド予想住まい領域」では、都心と田舎の生活を楽しむ二拠点生活を「デュアルライフ」、二拠点生活を楽しむ人を「デュアラー」と呼ぼう、と提案している。

https://recruit-holdings.co.jp/newsroom/pdf/20181217_11.pdf

国土交通省の定義によれば、二地域居住の定義はこんな感じ。

二地域居住とは
都市部と地方部に2つの拠点をもち、定期的に地方部でのんびり過ごしたり、仕事をしたりする新しいライフスタイルの1つです。

http://www.mlit.go.jp/common/001229920.pdf

ここで僕の暮らし方を考えると、長野県と三重県という田舎と田舎の二地域暮らしで、都心に足場がないので、国交省とリクルート、両方の定義に当てはまらない。

なので、僕は僕としての「二地域」について定義付けをしたいと思う。
まず、呼び方をどうしよう。
僕は「二拠点」よりも「二地域」の方がいいなと思っている。拠点というよりは地域(ローカル)の方がしっくりくる。二地域の後ろに来るのは居住や生活よりも「暮らし」がいい。

暮らしの方が、家やコミュニティや仕事などを包含する言葉だと思うので、僕の暮らし方には居住や生活よりも「暮らし」がしっくりくる。
僕の暮らし方を自分で名付けるなら、「二地域暮らし」になる。

次に「二地域暮らし」について意味を考える。

「二地域暮らし」とは
「複数のローカル(都会もひとつのローカルとする)のコミュニティにフィジカルに属している状態」

と考えた。

現在、世間で語られているコンテクストでの二地域と、過去から一般的に存在している別荘型や単身赴任型の2つの地域に家があるという状態を分けて考えたい。ローカルのコミュニティに属しているということに意味づけを重くしたい。

この定義に基づいて考えると「二地域暮らし」にもいくつかの型がある。
僕は5つに分類をした。

1. 生業型
2. 暮らし型
3. パラレル型
4. 出稼ぎ型
5. アトリエ型

ひとつずつ簡単に説明する。

1. 生業型
複数のローカル(都会含む)コミュニティで生業を作って暮らしている。
僕はここです。三重県で写真とデザイン事務所をやりながら、長野県では森をおもしろくする会社とまちの未来をおもしろく、という法人に属しています。

2. 暮らし型
複数のローカル(都会含む)コミュニティの中で暮らしている。
地域コミュニティのイベントや行事に頻繁に参加したり、あるいは趣味性の高い地域コミュニティへ参加したりするが仕事性は関係ない。

3. パラレル型
都会に足場を持ち、都会の企業人としてのスキルを別の地域コミュニティで活かして暮らしている。
都会の人と話していて、イメージしているのはこのケースを想定している場合が多そう。

4. 出稼ぎ型
地域コミュニティでメインの活動を行いながら、都会のコミュニティにも参加している。

5. アトリエ型
地域での仕事性は低く、暮らしは地域コミュニティ、仕事は都会のコミュニティというスタイル。
新幹線通勤をしている人など暮らしの足場は田舎にあるが、仕事は都会へ行くような人たち。

今回のカテゴリーを4象限で表すとこんな感じだと思うが、もちろんこの中でもそれぞれ振れ幅がかなり大きい。

「二地域暮らし」という1つのワードのなかにも、1〜5、もしくは別パターンも含めて、目指している風景はかなり違う。これらをまとめて語ってしまうと話がかみ合わない。

「二地域暮らしに興味がある」という人が増えていますよ、というデータが出ている。リクルート住まいカンパニーの調査で、全国20~60代の男女5万人にアンケートした結果、興味のある人の割合は14%(1100万人)にも上る。みんなめちゃくちゃ興味ある。

ただし、それぞれ人によって1〜5もしくは、別荘型やその他の可能性も含めて、かなりバラバラだろうとは思う。なので、この辺りを一緒くたにして「二地域」というキーワードで語ると齟齬が生まれる。

読んでいる方で、もしご自身が「二地域」に興味がある、という方がおりましたら、自分はどの分類なのか、もしくは別荘が欲しいのか、もっと別の暮らし方を考えているのかを考えて言語化できていると、一歩目のアクションの取り方が明確になってくるだろうし、ローカル側は、どんな人を求めているか言語化できているととるアプローチも変わってくる。

とまずは二地域暮らしの中に含まれる意味の多様性についてでした。

二地域暮らしとコミュニティ

後編では、なぜ二地域暮らしをニーズが高まっているか、を僕の実感ベースで書いていきたい。

なぜ、僕が二地域暮らしを、「複数のローカル(都心含む)コミュニティにフィジカルに属している状態」と定義づけたか、というのがそのまま結論。

「二地域暮らし」という時代の要請は、コミュニティの変遷から生まれてきたものなのではないか、と考えているからだ。 

その契機がどこにあったかというと、もちろん兆しはそれ以前にあったのだろうけれど、2011年の東日本大震災からの動きが大きいように思う。

東日本大震災を経験した日本は、ローカル回帰の動きとコミュニティの再編が起こった。コミュニティ再編というよりは、コミュニティってやっぱり大事だよね、という文脈が共有された。

2012年初旬に「前橋〇〇部」というコミュニティ活動が開始された。この取り組みは、2015年には、グッドデザイン賞も受賞しているが、ローカルにおいて〇〇が「好き」という共通の趣味性においてコミュニティを作ろう!というこれまでにありそうでなかった動きだと思う。
この動きを加速させたのは、実名性の高いSNS「Facebook」のユーザー数の増加。
「前橋〇〇部」の動きと、時を同じくして各地域で多様なコミュニティ再編の動きが起こった、と推測している。

そして、同じ年にオンラインサロンプラットフォームのシナプスが登場(現在はDMMの子会社化して、DMMオンラインサロンに移行)。
これも1つのコミュニティ再編の1つかもしれないと思う。前橋〇〇部などが「趣味性」をコミュニティにしているとすれば、オンラインサロン は「人性」をhubにしたコミュニティだ。

コミュニティの再編が起こると同時に、幸せの価値観や個人のモノサシなどの多様化(もともと多様ではあったはずだが、それの見える化)によって、考え方、暮らし方の指標が多用になったことも影響しているのかもしれない。

小説家の平野啓一郎さんが、2012年8月に「私とは何か「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)」という本を出版し、その中で、分人主義というのものを提唱し、話題となった。

「分人」とは、対人関係ごとに生じる様々な自分のことだ。一人の人間は、複数のネットワークでできており、「本当の自分」という中心はない。私は、近代的な「個人」という考え方の限界を越えるために、「分人」の概念を発想した

平野啓一郎「自由のこれから」ベスト新書

2012年はそういう意味では、ローカル回帰やコミュニティ再編、個人というものの再定など様々な価値観がガラガラと変わっていった年だったのかもしれない。

話が長くなってきたので、そろそろまとめたい。

僕が考えているのは、こうした一連の動きとFacebookなどのSNSの一般化が連動して、コミュニティが変遷する中で、現在の二地域や関係人口というものが出てきているのではないか、と考えている、ということだ。

つまり「場所性」をhubにしたコミュニティ。

Facebookの日本国内のユーザー数は、2010年に208万人だったのが、2012年3月に1000万人を超え、2013年には2100万、2014年には2400万人となり、現在は2900万人ほどとなっている。2011年〜2014年の3年間でユーザー数が10倍になった。

2011年からローカル回帰とコミュニティ再編が起こり、そこにFacebookのユーザー数が激増したことで、「フィジカルなコミュニティ」と「バーチャルなコミュニティ」が融合することで、複数のローカルに属することが容易になった。

片方のコミュニティで暮らしているときであっても、別のコミュニティの情報やイベントなどの情報に「受動的にアクセスできる」という状態が生み出した、新しいコミュニティ参加の形だ。

これから「二地域暮らし」というライフスタイルを活発にするには、そういった人を受け入れる「コミュニティ」をローカル側に作っていくということ。

海外における二地域居住などの事例なども探しているが、英語力の無さからなかなか見つけられないし、二地域居住というワードの英語翻訳も定まったものが見つからない。

二地域居住もオンラインサロンも分人主義も海外ではほとんどないとしたら、やはり2011年の震災を出発点として、そこにSNSの発展が連動する形で現在の二地域や関係人口への動きが活発化しているできているのではないだろうか。

最後に、これからのコミュニティがどうなっていくか、というのはとても気になる話。現在の10代はFacebookを全然やっていない、らしい。

コミュニティ再編からの揺り戻しで、今の10歳前後の子どもたちが大人になる頃には、またコミュニティから個人への時代になるのかもしれないし、また別の形でコミュニティの作り方が生まれているのかもしれない。VRや5Gなどテクノロジーの発達で生まれるコミュニティが出てくる可能性も高いとは思うけれど、どちらにせよ暮らし方は時代に合わせて変えていける方がいい。

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