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2022 ベトナム・タイの旅② ~福岡からハノイ~

混沌とした迷路 ~2022年8月2日 福岡からハノイ~

   ベトジェットエア

 福岡は今日も好天である。宿から地下鉄が走る大通りまでの道はビルが林立して日陰ができていたが、空から降り注ぐ日差しは早朝から相当強い。
 宿の位置は地下鉄の博多駅と祇園駅の間くらいにあるが、入口は祇園駅の方が近いのでそちらを目指した。時刻は朝の6時を少し回ったところだが、やってきた入口はシャッターが閉まっていた。注意書きを見ると開くのは7時からのようだ。この辺りはオフィス街なようだから仕方がない。反対側の入口も閉まっているので、私は博多駅から地下鉄に乗ることにして大通りを歩き始めた。地下駐輪場を兼ねた入口から下り、自転車の脇を抜けて駅に辿り着いた。
 福岡空港の交通の便はとても良い。博多駅から地下鉄に乗って6分で空港駅に到着する。時刻は6時38分。電車の車内も駅も人の姿はまだまばらだ。私は眠い頭を動かしながら、国内線の出発ターミナルとは反対方向に進んで、国際線ターミナルへの無料シャトルバスの乗り場に向かった。バス停には列ができていたが、さほど待つことなくバスはやってきた。連接車体の長いバスだ。乗客は身軽な荷物の人が多い。半数くらいは旅行者ではなく空港関係者のようだ。
 貨物ターミナルの前で関係者を降ろしたりしながら、バスは広大な空港の敷地を12分走って7時ちょうどに国際線ターミナル前に着いた。
 一階ロビーで予め買っておいたクリームパンをひとつ食べてから、二階に上がるとチェックインカウンターには長蛇の列ができていた。日本人もいるが、多くはベトナム人である。彼らは帰省だから預け荷物を大量に抱えている。その手続きで一人あたりに時間がかかっているのだろう。気長に待つことにして、様子を眺める。皆、楽しそうな表情だ。楽しそうな人を見るのは楽しい。
 列の動きは案外よく、並び始めて30分ほど経過した頃にチェックインが完了し、保安検査と出国手続きを済ませ、搭乗ゲートに向かう。福岡空港は大きな空港だが、国際線の発着便数はそれほど多くはないから国際線ターミナルは中規模な建物で、搭乗ゲートもそれほど多くはない。あまり歩くことなくベンチに腰掛け、案内開始の時間を待った。
 ベトナム人乗客はグループで固まっている人が多い。家族で日本に住んでいたのか、日本での暮らしで仲良しになった人たちなのかはわからない。賑わうロビーの様子を眺めているうちに時間となり、機内に案内された。
 これから乗るのはベトジェットエアというベトナムのLCCで、私が購入した搭乗券は二万円ほどと安い。安いのには理由があるのが世の常だが、LCCだから座席は狭い。乗り込んで座ってみると、膝が前の座席に触れそうなほど狭かった。
 定刻9時15分にVJ939便は福岡を離陸した。空は先ほどよりも更に明るさを増し、今日の福岡の暑さを窓から教えてくれているが、ベトナムはどうなのだろうか。後方の通路側の席に座る私の周囲はベトナム人ばかりで、空の明るさに負けないくらいの明るい笑顔で会話が弾んでいた。
 ベトジェットエアは男女の客室乗務員が乗務していて、いずれも赤いシャツを着ている。機体に入っている会社のマークも赤と黄色で、これはベトナムの国旗の色と同じだ。出発前に機内に明るいポップスが流れていたが、乗務員の雰囲気もさばけた感じである。
 この便は四時間半という時間をかけてベトナムの首都ハノイに向かう。到着予定時刻は現地時間で11時45分で、日本とベトナムの間には二時間の時差があるから、今の自分の体内時計としては13時45分に着く感覚である。つまり、昼食の時間を跨ぐ便という訳だ。LCCには機内食の提供はない。何か飲食をしたい人は自分でお金を払って注文する仕組みだ。昼食は着いてからにすることにして、私はワゴンを引いて通路を歩く女性乗務員からポッキーを買った。
「センエンハ、ジュウロクマンドンニナリマス。(ポッキーは)ゴマンドンナノデ、オツリハ、ジュウイチマンドンデス」
 お釣りはベトナムの通貨ドンで返ってくるという。千円札を出した私に、彼女は聞き取りやすい日本語で説明してくれた。機内なのでレートは良くないが、そんなことに不満を持つ訳もなく、私はポッキーを受け取った。三百円以上したポッキーは2パック入りの通常の箱ではない1パック入りのハーフサイズだった。不満を持ってはいけない。ここは機内なのだ。何よりも私は空腹なのだ。
 ベトナムの空は晴れていた。ぼんやりとしているうちに飛行機は着陸態勢に入り、定刻よりも25分早い現地時間11時20分にハノイのノイバイ国際空港に到着した。着陸後、機体はゆっくりと広い構内を走行する。機内にはしんみりとしたバラードが流れている。旅の終わりにふさわしいような寂しげな曲調だが、私の旅は始まったばかりである。
 
 ノイバイ空港のイミグレーションは幸いにも混んでいなかった。受付が何カ所もあるのは当然として、一カ所だけ列が空いている所があり、多分これが外国人用だろうと推察して様子を窺っていると、やはりそのようで、私はその列に誘導されてパスポートを見せただけでベトナムに入国できた。ワクチン接種証明書もPCR陰性証明書も必要ない。それが現在のベトナムである。欧米と同じ基準といったところで、アジアでは異例の処置だろう。
 一階の到着ゲートにやってくると、ゲートの左右に大勢の出迎え人が立っていた。勿論、私の歓迎に現れた人々ではないことは言うまでもないが、人が連なる中を抜けて出口を歩いていくという体験は初めてで、ちょっとした有名人気分を味わえた。
 人の列を過ぎると、そこは到着ロビーであり、その場所にふさわしい店が並んでいる。私はベトナムドンを入手するためにATMを探そうと思ったが、その前に昼食だ。ベトナムドンは機内でポッキーを買った時にお釣りで貰っていた。ところが、一階にある飲食店はファストフードのような店しかなく、店は出発ロビーの階で探すことにして、ATMに向かって2,000,000ドンをキャッシングした。久しぶりに海外ATMでキャッシングした私は慌てていたのだろう。レシートを受け取るのを忘れ、気が付いた時には別の人が機械に向かっていた。よって、本日の日本円に対するベトナムドンのレートは不明である。
 先ほどから私が飲食店やATMを探して一階ロビーを歩いていると「リョウガエ!」と声が飛んでくる。ベトナムドンは手に入れたし、スマートフォンのSIMカードは出発前に既に買ってあるので、これ以上このフロアには用事はなさそうだった。喧騒から逃れるように、私はエスカレーターで三階に上がった。
 ノイバイ空港は首都の空港にしては小ぶりで、出発ロビーにもさほど飲食店はなかった。思案の末、私はカフェに入ってみることにした。アイスモカとクロワッサン。合わせて139,000ドンである。
 さて、ベトナムドンの桁が多いことにはもうお気づきだろう。かつてインフレが続いたことでこのような結果になっているようなのだが、日本円への換算は割と簡単だった。後ろのゼロを二つ取って残った数字を2で割る方法。或いは、後ろのゼロを三つ取って残った数字に5を掛ける方法。それによって、大体の円換算ができたのだ。過去形で語っているのは、円安の進行などでレートが大きく変動し、その計算方法が最近使えなくなってしまったからだ。
 これを書いている2022年8月14日のレートは、1ドンが0・0057円で、1,000ドンが5・7円となる。つまり、後ろのゼロを三つ取って5ではなく5・7を掛けると日本円に換算された数値となる訳だ。以前のレートならこのカフェでの代金は七百円に満たないのに、今は約八百円である。
 さて、金額もいいが味の方である。空港内の店なので大きな期待はしていなかったが、コーヒーもパンも美味しかった。それでもこの値段は高いとは思うが、空腹だから美味しければ文句などある筈もない。ただし、店員は対応こそ速かったが無表情である。この店に限った話ではない。入国審査官も係員も、周囲にいる様々なスタッフも、皆表情が硬い。空港内でくだけた雰囲気を醸し出している関係者は、私が前を通りがかる度に「リョウガエ!」と叫んでいた両替屋のおじさんくらいである。ここは社会主義の国だと思い出している。

   ハノイ駅

 空港からハノイの中心部までは30キロほど離れている。滑走路から山並みが見える空港なので、結構郊外にある空港だなというのは到着した時点で窺い知れるのだが、いかにも街が遠い。旅行者が空港から街に出るにはバスかタクシーが一般的で、多くの人はタクシーで街に向かう。一階に下りて外に出ると、たちまちタクシーの客引きが寄ってきた。こういう人たちに安易についていってはいけない。日本でも同じだが、客引きをするような商売には理由があるものだ。
 ベトナムには安心会計なタクシー会社も当然存在している。社名を覚えるのは手間であるなら、緑か白か銀色と覚えるといいようだ。確かに、その色のタクシーが何台も停まっている。だが、私はタクシーの相場の十分の一ほどの値段で市街に行ける路線バスを選択した。
 空港の出口を出るとタクシー乗り場や一般車の待機場がある。道路をひとつ渡り、そこを左に向かった先にバス停はあった。大きな表示はないし、時刻表も掲示されていないが、系統番号を示す「86」と書かれてあるのが目印だ。
 時刻表がないのでいつ来るのかわからないまま、じっと待っているとオレンジ色のバスがやってきて、13時55分に発車した。車内には車掌が乗務していて、乗客のところに運賃の回収にやってくる。私は「ハノイ・ステーション」と行先を告げて、運賃の45,000ドンを支払って切符を受け取った。二百五十円くらいだから十分安い。ハノイ駅までは50分ほどの所要時間である。
 バスは空港の敷地を出ると高速道路に入り、平原をひた走った。どうということのない景色だが、時折聞こえてくる乗客の会話に異国に来たことを実感している。バスは路線バス仕様の内装だが、冷房が効いていて割と快適である。
 人家の少ない郊外を走っていたバスはソンホン川という川幅のある大きな川を渡ったあたりから市街地に入っていった。どこをどう走っているかのルートを確認することはできないでいる。出発前にインターネット通販で四百円で購入したベトナム国内用のSIMカードが通信できないでいる。空港のカフェでSIMカードを挿入してからこの状態だ。バスを降りてから再確認してみることにする。
 空港を出て30分が経過しようかという頃、バスはハノイの市街地に入っていった。木造の古びた建物が多いが、それに交ってフランス植民地時代に建てられたと思われるルネッサンス調の建物も点在している。ここはハノイの旧市街と言われる古くからの市街地だ。今夜予約している宿もこのエリアにある。旧市街に入ると乗客は次々と降りていった。私も降りてもよかったのだが、せっかくなので申告通りに終点のハノイ駅まで行く。

 旧市街をぐるりと周るようにバスは街を時計回りに走って、旧市街の西にあるハノイ駅に着いた。空港からの所要時間はちょうど50分だった。
 ハノイ駅に用事がある訳でもないが、ちょうどホームに列車が停車しているので改札の所に来て列車を眺める。白をベースとした車体に青と赤のラインが入った客車が停まっている。ベトナム統一鉄道と呼ばれるこの鉄道は、ハノイから1700キロ南にあるベトナム最大の人口を誇る都市ホーチミンシティまで線路は伸び、ハノイの北は中国国境を越えて中国と線路が繋がっている。
 フランス植民地時代の1902年に開業したという駅舎は白いルネッサンス調で、中に入ると高い天井に壁の高い位置に大きな採光窓が並んでいる。決して大きな駅舎ではないのは、ベトナムでは鉄道は交通の主役ではないことを意味している。だが、風格は十分過ぎるほど感じる。歴史の重さ、そんな言葉が浮かんでくる。
 トイレに入ってみた。建物に比して古びた造りで、臭いもあったが、その古さも駅の雰囲気で許せてしまう説得力がある。一通り見て回ったあと、駅舎の出入口脇に並んでいる外のベンチに座り、SIMカードの設定をして無事に通信ができるようになった。
 列車の本数は多くないので駅には列車を待つ人はそれほど居ない。そんな駅に学生の団体がやってきて静かだった駅の雰囲気が一変した頃、私はホテルに向かうことにした。タクシーで行く距離だったが、旧市街の空気を感じてみたい私は、徒歩で街中に入っていった。
 今日私が泊まるホテルは、旧市街の中にあるハノイ大教会(聖ヨゼフ大聖堂)の近くにある。ハノイ駅から市街を歩き、30分くらいの距離だろうか。通信可能となったスマホを取り出し、道だけ確認する。表示されている所要時間は当てにはならないだろう。そう思える理由は道路にある。
 ベトナムの道路には信号が非常に少ない。それは予備知識として持っていた。現にハノイ駅の前を横切る道路を渡るのに信号による横断歩道はない。そして、ベトナムの道路には大量のバイクが走行していることも予備知識として持っていた。駅前のタクシー乗り場の脇に立っている私の眼前を次々とバイクが通過していく。これを避けながら道路を渡るのである。距離で歩行時間など割り出せよう筈がない。
 まずは駅舎の脇から北の方に向かって歩き始めた。道路を渡るのは後でもいいという訳だ。三本目の道を右に曲がる。地図はそうなっている。
 歩道はあった。歩道には街路樹が並んでいる。だが、歩道は駐車中のバイクや、店先の営業スペースに使用されていて、まっすぐ歩くのはなかなか困難である。バイクを避け、テーブルを避け、椅子を避ける。そればかりではない。路面のコンクリートがめくれている箇所もあったりする。周囲に注意しながら足元もよく見ていかなくてはならない。
 三本目の道が現れた。道幅は広くないので、意を決して横断しようと思う。ベトナムに来て初めての道路横断である。横断に際してのコツは先人たちによる解説をネットで見聞きしていた。このような感じだ。
 ・一気に渡ろうとせず、手前からゆっくりと一台ずつやり過ごす。
 ・少し間が開いた時が前進するチャンス。一台分前進したら、次も同じように少し間が開くのを待ってから前進する。
 ・立っていればバイクは避けてくれる。ただし、バイクが迫ってくる直前に前に出ない。
 ・微妙な車間距離の場合は相手の速度を計り、手を上げるなど大きく意思表示をして、慌てず渡る。
 つまり、とにかく冷静にバイクや車をよく見て渡る。急いで渡るのは厳禁。そういうことなようだ。実際、車やバイクの流れはゆるやかだ。飛ばしてくる人は居ない。私は首を何度も左右に振りながら、ゆっくりと道路を渡っていった。一度できれば何となくコツが掴めた気になった。毎回油断をせずに行動すれば、道路横断はどうにかなりそうに思えた。こうして少しずつベトナムの空気に染まっていくという訳だ。それは楽しさと直結している。
 道路横断に成功してからは細い道を歩く行程となったが、細い道だからと油断してはいけない。後ろから来るバイクや、細い道同士の交差点も注意しながら歩くことになる。とにかくバイクの量が多いのである。歩行者よりバイクの方が多いと言っても言い過ぎではないだろう。大きい道を渡る以上に、こういう細い道の交差が要注意地点に思えた。
 予想どおりに30分ほどでホテルの近くまでやってきた。ハノイ大教会が現れたのだ。柵で仕切られていて近づけないが、大きな建物だ。見上げると、左右の二つの塔の間に十字架が乗った時計台がある。ゴシック・リバイバル様式という造りだそうで、1886年に完成したカトリック教会である。調べてみると、フランスがインドシナ半島に設けた植民地政府によって造られた最初の建造物であるという。
 フランスによる植民地支配という負の歴史は、反面ベトナムに他の東南アジアとは一味違う文化をもたらした。食文化に於けるバインミー(揚げたフランスパンに肉や野菜を挟んだベトナム名物)やコーヒーなどもその一例だが、この大教会に代表されるようなゴシック、ルネッサンス建築の建物もそうだと言える。フランス文化の影響はぺトナムの人にどう受け止められているのだろう。私は答えが見つからないまま立ち止まって、この美しく厳かな建物をただ見つめるしかできなかった。
 大教会の周囲は狭い路地のよぅな道が並ぶエリアだった。建物の雑多な並び具合と、その隙間に延びる細々とした路地。古びた建物は雑居ビルを思わせ、階下には何かしらの商店が入っている。空がとても狭い。
 予約したホテルの道もそんな一角にあった。出掛けた際に迷わずにまっすぐ帰ってくる自信はない。近隣の一階で営業している床屋やマッサージ屋のように、このホテルのフロントもガラス張りの玄関で、入ってみると小さなソファが置かれた、ちょっとしたロビーの横に低いカウンターがあり、そこがフロントだった。
 予約の際にホテルからサイト経由で英文メッセージが送られてきた。日本語対応可という触れ込みであったので、宿泊に関してのメッセージを送ってきた女性名の担当者が日本語の話せるスタッフだと想像していたが、実態はそうではなかった。
 周囲と同様に細い雑居ビルのような風貌のこのホテルは、フロントというより喫茶店のレジのような場所が受付で、受付をしてくれたのは青年であり、英語しか通じなかった。更に、予約サイトでは二千円弱の宿泊料だったが、予約確定画面には宿泊ではなく「休憩」として予約されてあった。そこが引っ掛かっていたが、やはり予約確定画面の表記のとおりが正解で、青年は200,000ドンを追加しないと一泊できないと説明した。先に払った額が安すぎるのであって、日本円で千円と少しばかり追加するだけのことだから、快く了解して無事に泊まりで投宿となった。ただ、メッセージにあった私の担当者Aさんの姿は見当たらない。メッセージには彼女が対応と相談に乗ると書いてあったのだが。

   ハノイ旧市街

 空港に着いた時に二時間戻していた時計の針は午後4時を回っていた。移動の疲れを若干感じていた私は、荷物を部屋に置いてから窓際の椅子に腰掛けて休憩した。部屋は割と広い。昨夜の福岡の数倍の広さで、外装は随分と古びた建物だが内装はそこまででもない。水回りもそれなりに清潔感があった。
 窓の外は向かいの雑居ビルで、下の店の住人なのか、生活感のあるベランダが見えている。つまり、洗濯物が干されている。向こうからもこちらが丸見えだろうが、今は部屋に誰もいないようだった。こういう風景は嫌いではない。
 少し休んで5時を回った頃、散歩に出かけた。ハノイの旧市街を散策しようという訳だ。すぐ近くにホアンキエム湖というハノイの名所があり、そこを散歩するのも悪くない。湖と言っても街中にあるので大きな池のような景観だが、水辺にはベンチが並び、屋台なども出ているようだ。コンビニがあったので立ち寄り、そこで散歩のお供として缶のハノイビールを買った。16,000ドン。とても安い。
 夕方の旧市街は帰宅ラッシュが始まっていた。先ほどハノイ駅前で見たバイク群以上に激しい渋滞が起きている。ホアンキエム湖へは少し大きな道を渡らなくてはいけない。少し大きな道だからどこかに信号があるかもしれない。私は勝手な推測の下、迂回しながら湖の方へ歩いていった。そして、方角はあさっての方へ向かっていく。
 旧市街の道は地図上で見ると斜めに向いている道が少なくない。東に向かったつもりが北東となり、地図など見ないで歩いているうちに統一鉄道の踏切にやってきた。それは湖から遠ざかり、ホテルから北西に至ったことを意味した。
 この線路はハノイから中国国境方面に向かう線路だ。線路の両脇に家や店が迫り、列車を間近に見ながら飲食ができる店がいくつもあったようだが、最近営業中止となったらしい。列車すれすれに人が飲み食いしていたのだから危険といえば危険ではある。その方向を見ると、踏切から線路内に入っていけないようにワイヤーが渡され、線路脇も閑散としていた。
 ここで引き返せばよかったのだが、私は踏切を渡って更に歩いていった。心なしか先ほどまでよりも交通量が減り、いつしか沿道から店の姿も減ってきた。気づくと公園のような場所に出ている。
 旧市街と比べて歩道から物が消えて歩きやすくなったので、勢いづいた私は太い木々の並ぶこの公園の横のような場所をひたすら歩いた。やがて空は暗くなり始めた。
 さすがに地図を確認しようと思った私は、ようやくスマホを取り出して確認した。旧市街からは随分と遠ざかっていた。もうすぐ午後7時である。夜になってしまえば方向感覚はますます怪しくなってくる。覚悟を決める必要があった。
 東南アジアには「Grab(グラブ)」という配車アプリが存在している。出発前にインストールしておいたのだが、ユーザー登録はサービス提供地域、つまり現地からでないとできない仕様になっていて、登録をまだしていなかった。ハノイ駅で通信可能状態としてから、まだこのGrabの登録をやっていなかったのだった。
 急いで登録を済ませ、早速車を呼び出してみる。車の大きさの種類を選び、目的地を入力すると、近くにいる車でこちらの目的地を了解してくれたドライバーからレスポンスが返ってくる。そして、そのドライバーの車のナンバーがスマホの画面に表示されるので、それを目印に待つ。そういう流れだ。
 私は目的地をわかりやすくするためにハノイ駅を選択した。画面には今いる場所が地図表示され、ドライバーが接近してくることを示している。だが、すぐ近くにいる筈の車が見つからない。地図はある程度大雑把な表示となっているようだ。私はT字路の近くに居たので、道路を渡って、向かいに分岐していた道に出た。そこに二台ほど車が停まっている。だが、ナンバーが異なっていた。
 困り果てながら周囲を見回していると、向こうから一台の車が接近してきた。画面に表示されているナンバーの車だった。
 ドライバーは口数の少ない人で、歩き疲れている私にはそれが有り難くもあった。乗り込むと「GA HANOI?」と一言確認し、私が「ガーハノイ」だと答えると、後は無言で東に向かって走り出した。GAはベトナム語で駅を意味する。
 乗ってしまえば10分とかからずに夕方に一度見たハノイ駅前に到着した。Grabアプリは料金も表示されるが、駅までは37,000ドン。約二百十円だからとても安い。
 
 すっかり夜になったハノイ駅前から、夕方歩いた道とは違うルートで旧市街を往く。駅の前から延びる道はすぐに歩道が途切れ、注意しながら車道を歩く。再び歩道が現れ、そちらに歩を移すと何かが足に当たった。縁石のような小さな突起物だ。道が数センチ陥没している箇所もある。暗がりの歩道はバイクだけでなく足元も注意が必要だった。
 ハノイの名物料理にブンチャーというものがある。春雨のような形をした米麺を、豚肉やつくねなどを煮込んだつゆに入れて食べるつけ麺で、そのブンチャーの有名店にやってきた。有名なだけあって混んでいる。店はローカル食堂の体裁で、ベトナムでよくある店内だけでなく路上にもテーブルを出している構えだった。
 ドアなどの類はなく開け放たれた店内から一段低い店頭の路上に置かれたテーブルに案内された私は、プラスチック製の鮮やかな原色の椅子に座った。この椅子がとても低い。風呂屋の椅子のような低さだ。テーブルの高さもそれに合わせてある。これはベトナムの路上飲食の標準形式で、周囲の店も皆そのようになっている。
 さんざん歩いたので喉が乾いた私はハノイビールとブンチャーを注文した。待つほどなくテーブルに瓶ビールが置かれ、麺や香菜の入ったボールと煮えたつゆの入った容器がやってきた。ビール瓶をラッパ飲みして喉の渇きを癒したあと、春雨のような米麺をつゆに入れる。つゆは甘く、ほんのりと辛みがある。それにしても肉の量が多い。麺の量も想像より多く、とても食べきれそうにない。香菜が乗ったボールからミントなどをつまんでつゆに入れて甘い味を調整しながら食べるらしい。初めて食べるブンチャーは好みの味にできないまま、肉を全て食べたところで箸を置いた。
 お腹はいっぱいである。もう何かする気もせず、買う気も起きないまま、私はホテルに向かった。店からホテルは歩いて10分もかからない距離にある。だが、近いがゆえに地図の確認が疎かになった。夕方の教訓で駅からここまではスマホの地図アプリを確認しながら歩いたのに、店からホテルは始めに道を確認しただけでスマホを仕舞い込んだ。
 ハノイの夜は賑やかだった。迷ってもどうにかなるだろう。そんな気分もあった。そして、私は案の定立ち尽くした。
 ようやくスマホを取り出した私に緑の上着を着た男が近づいてくる。これはGrabの制服だ。この男は先ほど私に声を掛けてきた。また会ったということは同じ場所に戻ってきたのだろう。面倒な気分になってきたのと、Grabの運転手なら下手なことはしないだろうという安心感で、私は男の二度目の誘いに乗ることにした。彼が用意しているのがバイクという点も乗る気になった理由だ。バイクタクシーは当然車のタクシーより安い。ベトナムに来たのなら一度乗ってみたくもあった。
 彼はどこに行きたいのかと訊ねた。ベトナム語だが、多分そう言っている。私はスマホの画面に表示されている文字を見せた。ハノイ大教会を示す文字だ。ホテルまでの道を調べるのに目印として大教会を選択していたのだ。勿論画面は日本語であるし、ハノイ大教会という文字に併記されているのは英語である。男は少し首を捻ったが、理解したように頷き、後ろに乗るようにと指示した。
 私がシートに跨ると男は後部座席用の折り畳みステップを出してくれ、私はそこに足を掛けた。ヘルメットは渡されていない。彼もノーヘルだった。
 ハノイの街は夜が更けてきても交通量は多かった。どのバイクも前方に誰かが現れる度にクラクションを鳴らし、バイクは器用に隙間をすり抜けていく。速度はさほどではないので恐怖感はないが、ノーヘルだから転んだら大変なことになる。それだけが気がかりだが、夜風は気持ちよかった。男は何度か片言の英語を私に向ける。日本人かと聞かれたので「そうだ」とも答えた。やがて景色は街はずれとなった。
 道に迷っていたとはいえ、いくらなんでも走行時間が長い。バイクなら大教会まですぐだろう。乗る前におおよその料金を訊いたら「スリーサウザンド」と言っていた。3,000ドンなら格安だが、店からホテルまでの距離で考えるとそのくらいでも不思議はない。
 少し明かりが暗くなってきた場所でバイクは停まった。ピンク色の看板の飲み屋の前だ。嫌な予感がしていた私はバイクから降りずに大きく手を振って「ここではない」と拒否した。男は何度も店を勧めてきたが、私はこのような店に行くつもりはまったくない。もうホテルに帰って横になりたいのだ。
 私は改めてスマホの画面を見せて、ハノイ大教会に行きたいと告げたが、やはり通じないようだ。どうやら英語は読めないらしい。困った。ここで降りて、別なタクシーを探すしかないが、随分と街はずれに連れて来られたので料金も心許ない。
 その時、私は思い当たった。先ほどハノイ大教会の前にいた時、私は写真を撮ってあったのだ。写真を見せると、男は「なんだ、そこか」という顔を見せ、苦笑いのようなものを浮かべながら「OK」と言うと、何度か頷きアクセルを吹かした。
 バイクは再び夜のハノイの街を走っていく。ホアンキエム湖が見えた。
「ホアンキエム」
 そう呟いた私に彼も同じ言葉を返した。
 バイクは無事にハノイ大教会の前に到着した。付近は夜風に当たっている若者がちらほらいる。バイクを降りて精算となった時、男は私の財布を覗きこみ、中の500,000ドン札を指してきた。ベトナム通貨で一番大きい札で、日本円にすれば二千八百円ほどである。冗談ではない。車で回ったとしてもこの距離でその金額にはならない。私は高過ぎると断固拒否し、日本語で「お兄さんが勝手に違う所に連れていったのだから」と諭した。
 彼にも気まずさがあったのだろう。わかったという表情を見せ、今度は300,000ドンだと言った。まだ高い。先ほど乗った車のGrabは37,000ドンだったのだ。彼が最初に3,000という数字を出していたことを思い出した私は、試しに10,000ドン札を出してみた。彼はとんでもないという顔を見せた。
 まあ、そうだろうと私も頷き、50,000ドン札を出した。これが適性料金だと言いたかった訳だ。いや、実際の走行距離とバイクであることを考えても、これでも大盤振る舞いのつもりだ。だが、彼は納得してくれなかった。
 適性料金、一体どのくらいを払えば適性なのだろうか。彼にも生活がかかっている。遊びではない。対して、私は好んでこの街にやってきた只の旅人だ。しかも、夜のハノイの街をバイクで走ってもらうという、ある種の遊覧ともいえることをしてもらったのだ。
 私は100,000ドンでは駄目かと確認した。彼の寂しそうな顔を一度確認してから、200,000ドンを出した。一瞬だけ100,000ドン札をもう一枚という素振りを見せた彼だったが、もう十分だと思ってくれたのだろう。実際、日本円で千円以上を払っているというのは結構なチップといえた。
 彼は悪びれる様子は見せず、「バーイ」と手を上げた。私もそれに応えて手を上げた。海外初日から楽しい夜ではないか。そう内心では思いながら、少し薄暗い路地に向かっている。案の定、どの路地か迷いかけ、小さな食料品店のような店頭に座っていた少年にホテルの名を告げた。道は合っていた。ホテルは路地の突き当たりのような場所にある。夜になるとこの辺りは驚くほど薄暗い場所だった。

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