Jリーグ第29節 川崎フロンターレvsベガルタ仙台 池内明彦主審の是非

 はじめまして。ハイジです。

 昨日の川崎vs仙台の試合はすごかったですね。川崎サポーターにはたまらない試合となりましたね。一方、仙台サポーターにとっては悔しい結果だったかと思います。

 さて、その試合で主審を務めた池内明彦主審のジャッジが物議を醸しました。川崎側からはブーイングが飛び交い、仙台のサポーターからもジャッジに対する疑問が飛び出すほどでした。

 結論から言うと、この試合での池内主審のレフェリングは、お世辞にもトッププロリーグに値するとは言い難いものでした。特に誤審はなかったかと思いますが、判定基準に一貫性がなく、選手やチームスタッフ、観客、その他関係者にとってフラストレーションが溜まるものとなってしまいました。

 そこで、1人のレフェリーとして、以下3点についてコメントさせていただきたいと思います。

①サッカー審判員が試合を担当する上で目指すべきこと、判定基準が一環であることの重要性。
②試合のキーポイントと言える家長選手の退場は妥当だったか。
③池内主審の判がこれほどまでに物議を醸してしまったのはなぜか。池内主審のレフェリーとしての資質の有無。

少々長くなりますが、読んでいただければ幸いです。


①サッカー審判員が試合を担当する上で目指すべきこと。判定基準が一環であることの重要性。

レフェリーは「判定を下す」という仕事を担う立場上、「偉そう」「間違いを認めない」といったイメージを持たれることが多いかと思います。「レフェリーは他人を裁くことで快感を覚えている」といったものもあるかもしれません。(実は、レフェリーを始める前の私がそう思っていました。笑)

しかし、実際はそんなことはありません。レフェリーは常に次のことを意識すべきだと教育されます。

“選手・チームスタッフ・観客・家族・その他すべての関係者が、熱中し、歓喜あるいは落胆し、純粋にサッカーを楽しんでもらえる、そういった試合を実現するために適切で円滑な試合運営を行うことが、レフェリーの最大の目標である。”

 これは非常に重要な観点で、全ての人にサッカーを楽しんでほしいというのがレフェリーの根底になければなりません。サッカーの試合を楽しんでもらえるものにする手段のひとつとして、「ずるい」「危ない」と思われるプレーに対して罰則を与える審判がいるのです。ですから、「審判員をリスペクトしよう」というメッセージが広がる裏で、レフェリーは「自分がいることが全く気に留められない試合」を理想として試合に臨みます。

そのためには、1つの試合における判定基準は一貫にしておく必要があります。そして、その判定基準づくりは最初の10分で決まります。最初の10分での反則のとり方で基準が明確になり、選手やチームスタッフや観客にもそれがインプットされます。そうすると、残りの80分はその基準に基づいた反則が取られるのですが、それは既に皆インプット済みなのでストレスなく試合に集中できるのです。そういう意味で、判定基準の一貫性は非常に重要なポイントになります。


②試合のキーポイントと言える家長選手の退場は妥当だったか。

 この試合、川崎フロンターレの家長選手の退場がターニングポイントの1つとなったことは間違いありません。これにより川崎は前半終盤から10人での戦いを強いられました。私はスタジアムで観戦していましたが、現地は「え?イエロー?なんで?」といった雰囲気で、納得がいっていない様子が伝わってきました。ブーイングや不満が出始めたのはこのあたりだったと感じています。

しかし映像を見返すと、この退場の判定、つまり2枚のイエローカードは妥当だったと言わざるを得ません。

 まず1枚目のイエローは、家長選手がペナルティーエリア内で倒れた際にシミュレーションと判断され出されたものでした。これは実際に映像を見返してみると、たしかに家長選手は相手選手との接触がないまま倒れ込んでおり、確実にシミュレーションでした。

 2枚目のイエローは、相手ペナルティーエリア付近で相手選手に体を入れられボールを保持された際に、家長選手が後ろから相手選手を押し倒したものに対し無謀なチャージと判断されて出されたものでした。いや正確には、無謀なチャージと判断されて出されたもの「だと大半のサポーターが感じた」ものでした。映像を見ると、プッシングで相手選手が倒れた後、彼をまたいで越える際に、家長選手は相手選手にキックを入れてしまっています。しかも意図的に見えるものでした。実際に意図的であったかどうかは争点ではなく、意図的に見える形で相手選手を蹴ってしまった、ということに対してはイエローカードを出さざるを得ません。

 まとめると、家長選手の退場は妥当なものでしたし、いずれのイエローカードも池内主審はよく見えていたし、良いジャッジを下した、と言うほかありません。


③池内主審の判がこれほどまでに物議を醸してしまったのはなぜか。池内主審のレフェリーとしての資質の有無。

 家長選手の退場は妥当なものでした。また、冒頭でも述べたように誤審と呼べるような判定はありませんでした。しかし、池内主審の判定一つ一つは多くの不満を生み、ブーイングを生むこととなってしまいました。間違った判定はしていないのに、一体なぜ、このような事態になってしまったのでしょうか。

この理由を論じる上で重要なのが、①で述べた「判定基準の一貫性」です。

先に述べたように、判定基準づくりはだいたい最初の10分で決まります。主審は試合が始まってから約10分間の間にどういうファウルをどれくらいの厳しさで取るか、という判定基準を選手やチームスタッフ、観客に提示しなければなりません。選手はもちろんその基準に則ってプレーすることになります。でないと自分たちにとって損になってしまうからです。

しかし、例えば10分毎に判定基準が変わってしまったらどうでしょうか。どうせ10分後には急に他の基準に変わってしまうのであれば、その基準を守る意味は見いだせなくなってしまいます。つまり最初の10分で判定基準について審判と選手で合意をとり、残りの時間は両者ともそれを守る、という信頼関係がなければなりません。

主審「今日はこういう基準で判定するからそれに基づいて試合してね。」
選手「了解。その基準に従うから、主審も基準は維持してね。」
と言った具合です。

 そういう意味では、昨日の池内主審は判定基準が一貫していたとは言えません。「さっきのプレーはファウルだったのに、今の同じようなプレーはファウル取らないのか!」といったことが多々生じてしまっていたような印象を受けます。

 こうなってしまうと、選手やチームスタッフは想定外の判定が相次ぐことにより試合に集中できなくなってしまいます。観客も想定外のフラストレーションが溜まるでしょう。ここでのキーポイントは「想定外」です。一般的に、予測していない出来事が多発すると人は自然とフラストレーションが溜まります。その「想定外」が戦いの場でもある試合で多発してしまうと、余計にフラストレーションが溜まってしまうのは仕方のないことと言えます。

 もちろん、選手側、観客側の立場では「審判に目くじら立てずに勝利のために何ができるか考えるべきだ!」という発想があるといいのでしょうが、レフェリーの立場からすればこのような感情を抱かせてしまうようでは、先に述べた「サッカーに熱中してもらえる試合にする」という目標を達成できていないという点で看過できるものではありません。

 もうひとつ、やはり言及しなければならないのは判定の偏りでしょうか。私自身がフロンターレサポーターである手前、説得力が弱くなってしまうかもしれませんが、やはり客観的に見ても公平なジャッジとは言えなかったかと思います。川崎側の反則の方がいくばくか厳し目に取られていたような印象を受けたのはフロンターレサポーターだけではないのではないでしょうか。

Wikipediaの池内主審のページ(https://goo.gl/s8X9Ln)を見てみると「ホームチームに不利なジャッジをする傾向が強い」といった記載があります。このページの信憑性がどうかは分かりませんが、もし仮に正しいとすれば、これは許されるべきことではありません。主審も人間ですから感情を全く排除することはできませんが、ホームを贔屓しない傾向が強すぎることで、逆にホームに不利なジャッジをしてはいけません。こちらもレフェリーの目標を達成できているとは言えません。

 サッカーの主役は選手であり、それを支えるチームスタッフであり、サポーターです。レフェリーは、彼らが精一杯戦えるよう、また、サッカーを愛し、楽しんでもらえるような場を提供する補助役に過ぎません。その点からすると、昨日の試合に限っていえば池内主審はトッププロリーグであるJ1審判員にふさわしいとは言い難いのかもしれません。


 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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