日記 2023.11.8

こんばんは。アーリーです。

貰っていた睡眠導入剤が切れてしまって、昨日は全然眠れなかった。
朝、体調不良だと電話をして、逃げるようにまた横になる。
体調は心身ともに凪だし、病院にも行ってないし、熱だって測ってない。だが、もはや逡巡すらなく口はスラスラと出まかせを吐いていた。
だから、またずる休みだ。どこも悪くない。繰り返し繰り返し繰り返し。

自分は本当に不安なのか、本当に死にたいのか、もうよくわからない。
不安なのだ死にたいのだと(自分自身に)表明していないと、自身の不能さに納得ができないのだと思う。
頭の中にうぞうぞと蠢く穴が空いているような気がする。
逃げ出したい。何もしたくない。ここにいたくない。楽になりたい。

今日こそは死ねる気がした。とても冷静だったし、天気がよかった。
それに、昨日読んだ小説には偶然、飛び込みをしようとする人物が登場していた。未遂に終わったが。
同時に、どうせ死なないだろうとも思っている。繰り返し繰り返し繰り返し。
干していた洗濯物はあえて残したまま出ることにした。
最寄りから各駅停車に乗って行ける、小さな駅だ。快速急行が止まらない。繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し。

停まり、過ぎ、停まり、過ぎ、停まり、過ぎる。
どこかに出かける老夫婦や、親子連れがちらほらと訪れて去っていく。彼らにトラウマを与えることになるのは忍びないな、と考えながら、足は座ったまま動かない。
西陽が照らし、暑くなる。上着を脱いで鞄と一緒に横のベンチへ丸めて置いた。

過ぎ、停まり、過ぎ、停まり、過ぎ、停まり、過ぎる。
近くの踏み切りのけたたましい音がやって来る合図だ。行け、行かないのか、と脳が足に、もしくは足が脳に問う。繰り返し繰り返し繰り返し。

陽が傾いて、また肌寒くなってきた。人が増えてきた。腹が減ってきた。まただめなんだ。わかってはいたが。
次のか、次の次のに乗って戻ろう、と思いながら、一体どうすれば救われるのか、容量の足りない頭が考える。
たとえば、突然大金持ちが現れて自分を拐いケージに閉じ込めてくれるとか、不慮の事故に遭遇して一瞬でこの世を去れるとか、ただならぬ勇気が湧いてとうとう線路に飛び出せるとか、不思議な力で急に全部が大丈夫になって将来を設計しだすとか。どれも望みは薄そうに思えた。

どうしようもない。楽しみなことリストも読みかけの本も、どうでもよく思えてしまう。
自分の脳が考えることは全部間違っているような気がする。自分以外の誰もが、自分より優れている。これは当然だ。自分は生きていない。

もう嫌だな。どうしたらいいんだろう。本当に。

こんなことを書き記しても、不定形の苦しみを無闇に沈着させる結果以外なんの意味もないだろうことはわかっている。
ただの堪え性のない幼稚な人間だ。もう嫌だ。目を瞑りたい。

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