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”人見知り”をポジティブに捉えることの必要性

☆はじめに・・
 前々回の記事『私たちが”向きあっている”のは誰なのだろう』では、私の姪っ子のMちゃん(当時生後5か月半)が泣いていることが多かったことについて触れました。そして周囲の大人が、泣いている赤ちゃんと対面することを通じて自らの”ネガティブなイメージ”を想起させられることが、継続的に関わることの難しさとなることについて書かせて頂きました。

 今回はその続きで、”なぜMちゃんは泣いていることが多かったのか”そして、”泣いていたことに何を見出すか”という2点について検討してみたいと思います。

☆Mちゃんはなぜ泣くことが多かったのか?
 前回、Mちゃんはなぜ泣いていることが多かったのか。私はそれはきっとMちゃんの中で”人見知り”がはじまりかけていたからだと思います。

 なぜそう思ったのかというと、私が姪っ子のMちゃんをだっこしているときに、Mちゃんの母親である私の妹がMちゃんの視界に入ると、明らかに他の人とは違う反応を見せていたからです。この時Mちゃんはすでに、実の母親に対して何か特別なもの(客観的に言うと”母親”という認識)を見出しているということは明らかでした。”母親”と”母親ではない人”の違いがわかるようになったからこそ、母親以外の人に対して”不安”な感情を抱き、結果として泣くことが多かったのではないでしょうか。

☆”もう一つ”の世界の芽生えと”人見知り”
 そしてこのことは、Mちゃんの中で”対”の関係という認識が芽生えはじめているを意味します。
 私もためしに、Mちゃんの前で両手をたたいた後で手を開くと、Mちゃんははじめに私の左手を見て、そして右手を見るというように、どちらか一方ではなく両方を捉えること(対追視)ができていました。

 前々回にMちゃんと会った生後3カ月の時は同じことをしても片方の手を見るだけで両手を見ることはなかったので、この2か月の間にMちゃんの中で”一つ”と”もう一つ”の世界という”対の関係”の認識が芽生えていたことは明らかです。だからこそ母親と母親以外の人の違いがわかるようになり、結果として”人見知り”をしはじめていたのだと思うのです。

☆”人見知り”のポジティブな側面
 このように”人見知り”で泣かれるということは、赤ちゃんに対面する私たちにとってはともかく、赤ちゃん自身にとってはポジティブな面を持ちます。
 ”対の関係”が認識できるようになり違いがわかるようになったからこそ母親に対して特別な意味を見出し、やがてそのことは母親を”安心感の基地”とすることに繋がります。そして赤ちゃんはその母親を拠点とするからこそ、母親以外の人や外の世界にあゆみをすすめることができるのです。このことは赤ちゃんの発達にとって欠かすことのできない非常に大切な側面を持っています。

 だからこそ、まわりの大人にとっては泣いている赤ちゃんを目の前にしたときに、ネガティブなイメージにとらわれるのではなく、赤ちゃんのそうしたポジティブなイメージをしっかりと認識して対応することが大切なのではないかと思うのです。

☆”余裕”を持って赤ちゃんと関わっていくために・・
 赤ちゃんは決して周囲の大人が嫌いだから泣いているわけではありません。泣いている赤ちゃんに対面する大人が「この赤ちゃん、きっと私が嫌いなんだ・・」と思い込み、赤ちゃんを遠ざけてしまうのであればそれはお互いにとっての不幸でしかありません。

 人見知りも、赤ちゃんにとっては発達に必要な大切なステップなんだという認識を、関わる大人の側が持つことが、赤ちゃんに対して余裕を持って関わるうえで大切なんだろうな・・と思います。

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