わたしたちが”向きあっている”のは誰なのだろう・・

☆GWに入って・・
 先月末からGWに入り、今回もまた妹一家が遊びに来てくれました。昨年生まれた姪っ子(以後Mちゃん)もあと1週間で6カ月になろうとしています。前回会ってからは1か月程しか経っていなかったのですが、 そんな短い間会わなかっただけでもその間に目に見える成長を遂げており、子どもの成長の速さには驚かされるばかりです。

☆今回、笑顔が少なく泣くことが多かったMちゃん
 ただ、今回Mちゃんは前回と比較して笑顔が少なく泣いたりぐずったりする回数がとても多かったというのが私が感じた印象でした。1か月前は、ぐずりだした時は”たかいたかい”をして気をそらせれば大抵の場合すぐに泣きやんでいたので特に対応に困ることはなかったのですが、今回は”たかいたかい”をしても一時泣きやむだけで、またすぐに泣きだしてしまうので結構対応に苦慮させられました。

☆”泣いている赤ちゃん”から想起させられる”ネガティブ”なイメージ
 と、今回Mちゃんの機嫌がよくないことが多かったので、父はあまり関わろうとはせず、祖母もすぐに泣いてしまうMちゃんを持て余しすぐに妹夫婦に預けてしまうような様子でした。

 思えばなぜ私たちは泣いている赤ちゃんに対して距離をとったり、すぐに泣きやまないと自らあやすことをあきらめ手放そうとするのか。それはきっと”赤ちゃんが泣いている”ということを通じて『自分は嫌われている』などのネガティブなイメージを連想し、自分自身の存在が揺るがされるような”錯覚”にとらわれるからではないでしょうか。

☆ 赤ちゃんが『泣くこと』=『悪いこと』?
 前の段落ではあえて”錯覚”という言葉をつかいましたが、赤ちゃんがあやそうとしているわたしたちを『嫌っている』というのはまさしく錯覚であって、虐待でもしていない限りはまだ半年にもならない赤ちゃんが目前の対象に明らかな嫌悪感を示すということは基本的にはありえないことだと思います。

 それではなぜわたしたちは泣いている赤ちゃんを目前にしたときに『嫌われている』というようなネガティブなイメージを連想してしまうのか。その理由の一つには、赤ちゃんが『泣いていること』=『悪いこと』という無意識的なバイアスが私たちの認識の中に存在するからだと思います。

 そもそも泣いたり笑ったりしながら自分の情動を周囲に伝えようとすることは、人として発達していくうえで必要不可欠な大切な行為です。もし逆にこのくらいの赤ちゃんが全く泣かないということになれば、何か発達上の障害などが疑われます。
 だからこそ私たちは赤ちゃんが ”泣くこと”に対して『悪いこと』、具体的には”発達上の問題があるのでは?”というようなネガティブなイメージだけではなく、泣くことは発達するうえで必要不可欠な行為なのだ、といったポジティブなイメージも同時に持つ必要があるのではないでしょうか。

☆真に向き合っているのは自身の無力感
 そしてもう一つ泣いている赤ちゃんを目前にして抱くネガティブなイメージは、『自分が嫌われている』という感覚だけではなく、赤ちゃんをうまくあやせないという事実を通じて、自分自身の無能感・無力感というものに向き合わされるから、という要因もあるのではないかと思います。

 誰しも、ネガティブなセルフイメージというものは大小はあれど持っているものだと思います。恒常的にネガティブなセルフイメージが強い人ほど、泣いている赤ちゃんを上手くあやせないことで引き出されるネガティブなイメージも比例して大きくなり、その結果、自らの心に対する”防衛行動”としてやむなく赤ちゃんに対して距離をおいたり、最後まであやそうとすることを早々に断念してしまうという行動につながってしまうのではないかと思うのです。
 
 つまり、私たちは表面的には泣いている赤ちゃんに向かっているように見えますが、同時に泣いている赤ちゃんを通じて自分自身の心の深淵たる部分に向きあわされているのだと思うのです。

☆”赤ちゃん、そして自分自身が悪い”という認知を含めて受けとめてくれる他者の存在の必要性
 上記で述べたように、泣いている赤ちゃんを目前にしたときに私たちが連想するネガティブなイメージというものは、
①『泣く』ということに対する意味の捉えなおし
②自分自身のネガティブなセルフイメージ
という2つのことが要因となっており、言い換えれば”赤ちゃん自身、もしくは自分自身に問題がある”と認知してしまっていることが問題なのだと思うのです。

 こう考えた時に、私たちが泣いている赤ちゃんを目前にして連想を強いられるネガティブなイメージを乗り越えて、赤ちゃんに継続的に関わっていくためには、こうした認知を含めて受けとめてくれるような他者の存在こそが必要なのではないでしょうか。

☆葛藤する親がひと呼吸つけるような懐の深い受けとめを
 格差や貧困、孤立が深刻化する現代において、子育ての環境が悪化の一途をたどる中で子育てのノウハウを誰から教えてもらえるわけでもなかったり、親自身が様々な経済的・社会的・精神的なハンデを抱えることもある中で、子育てを通じてネガティブなイメージを募らせる圧力は一層高まっているように思います。

 根本的には子育てをめぐる社会環境を一刻も早く改善することが求められます。ただ、私たちが明日にでも実践できる一策として、これまで年配の方を中心に共有していた感覚を今一度若い世代の中でも共有できないかと思うのです。具体的には、大きな声で泣くこどもを目前にして『元気な子じゃないか』『これだけ大きな声で泣くのだから将来大物になるよ』という懐を深くして受けとめるような姿勢です。
 泣く子を前にして葛藤する親にとって、こうした一言をかけてもらえるだけで、ひと呼吸おいて赤ちゃん、そして自分自身にしっかり向き合えるきっかけとなるかもしれません。

 私たちにとって今一番必要なのは、泣いている赤ちゃんを目前に葛藤する親に対する非難ではなく、このようなひと呼吸おけるような他者としての姿勢なのではないでしょうか。

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