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その手の重み~自立概念の問い直し~

☆はじめに~祖母の歩行介助の際に~
 先日、祖母を内科の定期受診に連れて行ったときのこと。
祖母は普段家の中では歩行器移動なので、自宅の玄関から車までは足元が悪いため、私が両手を持って歩行介助するのが通例となっています。
 今回もいつも通り祖母の両手をとり車まで歩行介助したわけですが、最近になって祖母の手から私の手にかかる重みが徐々に軽くなってきていることに気付きました。

☆『もう一生寝たきりかな・・』
1年半前にベッドの前で転倒し左大腿骨を骨折した祖母ですが、当時すでに94歳という高齢だったこともあり、私自身もう祖母が一生”寝たきり”だろうと覚悟しました。
 しかし、祖母はその後の3カ月の入院中の間のリハビリを懸命に頑張り、退院時には問題なく歩行器歩行が可能な状態にまで回復することができました。

☆1年半の入院・入所と、感じた回復への限界 
 ただし、そうはいってもまだまだ自宅で過ごすには不安要素が多いため、退院後は老健(老人保健施設)に入所。その後は引き続き住宅型有料老人ホームに引っ越しました。両施設には合わせて1年程入所したいたのですが、月に1度程、自宅に一時帰宅をしていました。
 一時帰宅の際には、やはり車から玄関まではわたしが歩行介助していたのですが、その1年程の間は祖母の手から私の手にかかる重みは比較的重く、1年の間にほとんど軽くなることもなかったので、私自身祖母の回復は『これが限界かな・・』と考えていました。

 そして骨折から1年3カ月が経ち、介護認定の結果の都合で在宅に戻ることになり、現在在宅にもどってから3カ月になりました。

☆在宅生活に戻ったことで見せた祖母の急激な回復
 この3カ月の間の祖母はというと私自身、全く予想をしていなかった程の快復を見せてくれました。3カ月の間に、外で花の世話をするようになり、塗り絵は1週間に1冊のペースで塗り終わり、ほぼ一人でシャワーを浴び、自宅の中では歩行器を使わず、壁のつたい歩きで移動することが増えました。血液検査はTP(たんぱく)、Cr(クレアチニン)、Hb(ヘモグロビン)等々すべて正常値で、体重も3kg程増えました。

 ふくらはぎの筋肉も目に見えて太くなり、結果的に『もうこれが限界かな・・』と考えていた私の予想は大きく裏切られ、歩行介助の際にかかるその手の重みは、驚く程軽くなったのでした。

☆いったい何が祖母を激的な回復に向かわせたのか?
 それにしても1年もの間、ほとんど変わることのなかった祖母の手の重み、そして回復の度合いがなぜこの3カ月程の間に劇的に変化をみせたのでしょうか。それはきっと”自らが長年すごした自宅に戻ってきたから”ということに他ならないのだと思います。

☆『施設』=『家族からの見放され』を意味していた祖母の認識
 施設でなく在宅を選択したことが、祖母本人にとってここまで劇的な変化をもたらすとは本当に私にとって想定外のことでした。

 もともと祖母が介護保険を利用しデイサービスに通いはじめたのは5-6年程前のことだったと思いますが、当時祖母は家族が『デイを勧めること』⇒『やっかい払い』と思い込んでいる節があってなかなか納得しませんでした。しぶしぶ通うようになってからも自分で勝手になにかしらの理由をつけてお休みするということが度々でした。

 こんな風に祖母にとっては『施設』の利用=『家族から見放された』という思いこんでいる節があり、この間の1年半の入所中も本人の中でそうした想いを募らせていたのではないかと思うのです。『自分は家族から見放されている』『もう2度と家には戻れない』という本人の想いが本人の持っていた回復への力をはく奪してしまっていたことが、入所期間中に目に見える回復が見られなかった原因だったのだろうと思うのです。

☆”なりたい自分”と”現状の自分”との間に存在する矛盾
 人の発達というのは子ども、そして大人であっても”現状の自分”と”なりたい自分”との間に矛盾が存在する時にはじめて可能になるものだと思います。
 そしてなにより、”なりたい自分”への要求が当事者の中で意識されること、そしてそこへの歩みも含めて、そのいずれも可能にせしめるためには、当事者の周囲にいる他者の存在であったり、取り巻いている社会の支えが必要なのだと思います。

 きっと祖母が入所中に目に見える回復を見せなかったのは、『二度と自宅には戻れない』『自分は家族から見放されている』というあきらめの気持ちが先立ち、”なりたい自分”という要求が祖母の中で芽生えることがなかったことが原因だったのではないかと思います。
 しかし、実際には在宅に戻ることができたことで、施設中に抱いていた自分や他者への不信感・あきらめの気持ちが取り除かれ、本人の心の中に『花の世話をしたい』『家族のために役立ちたい』というような”なりたい自分”の要求がうまれ、それが結果的に激的な変化をうみだすことになったのではないでしょうか。

 つまり入所中に祖母が目に見える回復を見せなかったのは、本当は祖母の中にもともと内在していた回復への”要求”とそれを実現せしめる力を、私をはじめとする家族が見出すことができなかった、また信じることができなかったということが根本的な原因だったのだと思います。

☆自立概念の問い直し
 こうした文字通り祖母はいまでは自分の力で歩行できる、いわゆる”自立”することを再び実現できたのです。
 今回の祖母の変化を通じて、改めて私自身、”自立”とは何かということについて考えさせられました。人間というものが社会的な存在である以上、”自立”というものを実現するためには、他者や社会に適度の支えが必要であることは間違いないでしょう。

 もしかしたら皆さんの身の周りでも、祖母のように自分の力で歩くことができなかったり、ともすれば甘えてたり、依存しているように見えるような人がいるかもしれません。もしそうした人がいるのであれば、わたしたちはその人の中に存在する”要求”や”発達する力”が見えていないだけかもしれません。
 もし私たちがその人に対して適切な信頼や支えを提供するだけでその人にとっての変化が生まれるかもしれません。
 そうしたいわゆる人にとっての『自立の概念の問い直し』こそがあらゆる場において求められているのではないかと思うのです。

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