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現代を生きる私たちの中で継続する”戦争と後遺症”(2)

☆祖父の人格形成と戦争体験
 わたし自身、祖父から戦争体験をしっかりと聞いたことはなかったわけですが、こうして振り返ってみるだけでも、これだけ激動の時代の中で、生死と隣り合わせの青年期を10年以上も送ってきたわけですから、その経験が祖父の人格形成において負の遺産を残したであろうことは明白です。

 森田ゆり氏は先述の投稿者の父に対して『(戦争体験における)怖い、悔しい、つらいなどの弱い感情を、戦後を決して認めることはできなかった。怖がる仮面の裏側にあるものを、怖くて見つめられなかったのでしょう。』と指摘していましたが、私の祖父についても、自身が経験してきた戦争体験そのものがあまりにも苛烈なものであったがためにそれを受け入れることができず、結果として戦後、祖母や母に対して攻撃的・支配的な態度をとることに繋がっていってしまったのではないかと今では思います。

☆戦争体験の負の遺産とわたしたち
 世界各国で、戦争の帰還兵の自殺率や犯罪率が一般市民と比較して高いということは既に周知の事実ですが、私の祖父の場合も、祖母や母に対してDV・虐待ともいえるふるまいをとってきたのは、祖父の個人的な人格によるものというよりは、戦争体験こそが根本的な原因だったのだと思います。

 そして今私がもっとも懸念していることというのは、戦争体験をきっかけに祖父が祖母や母に対してDVや虐待ともいえるふるまいをしてきたことが、もしかすると、現在でもかたちを変えてその次の世代である私や妹、そしてその次の世代に対してまで悪影響を及ぼしているのではないかということです。
 
 話は変わりますが、近年子どもの虐待に関する理解が深まるにつれて、『面前DV』(子どもの前でDVをすることも、心理的虐待になる)という言葉が不幸にも世間的に定着してきていますが、祖父のふるまいに関してその理解を当てはめた時に、戦争体験に端を発する祖父の家族へのDVや虐待は、祖母や母に対して大きな傷を負わせ、その傷は、その傷を与える様を見た私や妹に対しても心理的に大きな傷となってしまっているのではないかと言えます。そしてその傷はまたその次の世代に対しても無視できない悪い影響を及ぼしてはいないと誰が断言できるでしょうか。

 私や妹、そしてその次の世代の子たちが今現在抱えている”生きづらさ”が戦争体験に端を発する祖父のふるまいのせいではないと、いったい誰が断言できるでしょうか。
 
 そう、74年前の戦争というものは、私たち自身にとっても決して過去のものではなく私たち自身に関わる問題であり、いまもなお現在進行形で私たちの心を蝕んでいるのかもしれません。

☆戦争による”心の傷”の存在を認めて来なかった国と社会
 もし祖父が、自身が戦争体験において被った傷を早いうちに癒すことが出来ていれば、祖父をはじめとする私たち家族ももっと違った人生を送ることができたのかもしれません。

 しかし、祖父が戦争体験において被った傷について、日本の政治や社会において全くケアや補償しようとはしてきませんでした。

 そもそも世界的にみても、戦争体験者の心の傷というものの存在を公的に認めてからの歴史は浅いのです。
 第一次世界大戦が終了した際に、世間的には戦争の心の傷というものの存在を否定することが不可能であったにも関わらず、『医学界の論争は、患者のモラルの在り方に集中した。~外傷神経症を発症する兵士はたかだか軍人の資質の劣った人間であり、最低の場合には詐病者、臆病者である。当時の医学文献をみると、患者たちのことを「道徳的退廃兵」と呼んでいる。』(『心的外傷と回復』ジュディス・L・ハーマン/みすず書房 P26)ということからもわかるように、戦争体験による兵士の心の傷というものは、全て本人のモラルの問題として捉えられていました。

 その後、『戦争による心理的外傷が、戦争による長期的で不可避的な後遺症であるという認識が可能になったの、1980年、史上初めて心理学的外傷に特徴的な症候群が”現実の”診断名となる(アメリカ精神学会が”外傷後ストレス障害”=PTSDという新しいカテゴリーを加える)まで待たなければならなかった』(『心的外傷と回復』ジュディス・L・ハーマン/みすず書房P37)のです。

 また、日本政府が戦後から現在にいたるまで、断固として太平洋戦争が侵略戦争と認めず、多くの戦争の加害責任も否認している立場をとっていることも、戦争から帰還した元兵士の方々が自らの加害行為を受け入れ、その傷を癒すための大きな障害となっているのではないでしょうか。

 そしてそのために戦争体験をした兵士の心の傷が、社会的にケアされることもなく放置され、その結果次々と生まれてくる新しい世代にかたちを変え、その負の遺産として悪影響を現在でも及ぼしてしまっていることに繋がっているのではないかと思うのです。

 
☆現代を生きる私たちの”戦争”に対する向き合いかた
 このように考えると、やはり74年前の戦争は、現代を生きる私たちにとっても決して過去のものではなく、いわゆる”後遺症”とも言えるかたちで、いまなお継続しているのだと思うのです。

 そして繰り返しになりますが、その後遺症が継続しているのは、74年前の戦争の加害責任について日本政府があいまいにしてきたこと。そのために戦争体験者の心の傷に対して公的にケアや補償がなかったことが、根本的な原因として存在するのではないでしょうか。

 いま私たちにできること。その一つとして戦争体験者の方々からの聞き取りはもちろん必須の事業です。
 そしてそれと同時にここで私が切に訴えたいのは、現代を生きる戦争を直接体験していない私たちの中にも、虐待などのかたちで戦争体験に由来する”後遺症”とも言えるものが現在進行形で私たち自身の”生きづらさ”を形成しているかもしれないという認識の必要性についてです。

戦後74年が経過し、日本で戦争を体験した世代は少数となっています。確かに若い私たちにとって戦争というものは ”未体験”のものではありますが、だからといって決して”無関係”ではないのです。
 
 74年前の戦争の”過去”と”現在”、その両面の傷を見据えたうえで、日本政府に公的な加害責任を認めさせ、そして二度と戦争を起こすことのない社会を築いていくこと。それこそが現代を生きる私たちに求められる責務なのではないでしょうか。

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