「こうして、僕は起業を目指した」:出版社営業部編
これは今から5-8年ほど前、大学卒業後に入社した地元の出版社(兼教科書販売会社)での出来事。
就職氷河期の当時、給料は少ないけれど「地元では安定している」と言われる部類の会社で勤務していた。
パートのおばさん×2名、5歳年下の同じ高校出身の女の子(先輩)、70歳超えの嘱託のおじいさん、そして、僕を入れて5名の小さな営業所。
土日祝日は休みなので、地元のカードショップで遊ぶのが趣味らしい趣味。
「たぶん僕はこのまま一生を地元で過ごして終えるんだろうな」と諦めにも近い感情を抱きつつも、現状に満足している自分。
ただ、他の営業が明らかに顧客のためにならない商品を販売しているのには不満だった。それでも売上を上げている人たちだったので何も言えない。
ある日、営業部で「とある文房具」を売る企画が決定。
「これなら顧客の役に立つ!」そう思った僕はこの企画で1位になることを目指した。
営業部は全員で20人ほど。
その中で一番社歴が短いのが僕だった。
けれど、倍率で考えると決して勝てない人数でもない。
学校の先生を相手した仕事だったので、営業のチャンスはせいぜい先生が休み時間に職員室に戻る10-15分の間。
本社の営業や同僚の営業が担当する学校に比べると、僕が担当する学校は規模も小さい学校ばかり。さらに、偏狭の地域担当なので学校と学校を移動するのにも時間がかかる。
「このまま他の営業と同じ1対1の泣きの営業をしていたら絶対に勝てない」
そう考えた僕がとった行動は…
「チラシを作って配布する」
だった。
自分の担当校の規模は小さく人数も少ない。
このまま他と同じことをしていても結果は見えていた。
だったら、「1対1で営業をするというあり方」から変えなくてはいけない。
1対10で営業するような方法へと。
当時、PhotoshopもIllustratorも使えなかったのでWordでチラシを作った。
キャッチコピーやボディコピーも初めて書いた。
大量に自宅のプリンターで印刷したチラシを営業車に積んで、学校の職員室に配っては次の学校に向かった。
この方法なら休み時間の制約はない。
次から次へと学校をまわるなかで、その日の移動中に注文の連絡が来て効果を実感。あとはひたすらチラシを撒き続けた。
蓋を開けて見ると、他の営業に圧倒的な差を付けてぶっちぎりの1位。
2位の営業にすら10倍の差がついていた…。
しかし、初めての1位に喜びも束の間。
この企画で1位になって以来、「いじめ」が始まったのだ。
最初は気付かない振りをしていたが日に日にいじめはエスカレート。
業務連絡を僕だけ共有されないなど、明らかに業務に支障が出始めたので本社の社長に直訴するも「自分で何とかするように」とのこと。
そしてついに、学校に納品するものが隠されて学校に迷惑がかかってしまった…。
最後は、パートのおばさん×2と5歳年下の女の子(先輩)3人に向かって怒鳴り散らして帰った。
上司にも「こういう職場ならもういられない」そう言って帰宅した。
家に着くと、声をあげて泣いた。
社会に出てから、他人を怒鳴ったのも、声をあげて泣いたのも、初めてのことだった。
悔しかった…。
ただ、ひたすらに悔しかった…。
真面目に仕事してきたつもりだったので、全てに裏切られた気がした。
「安定」が「安定ではない」ことを、僕は身を持って知ったのだった。
その後、すぐに僕はその会社を退職した。
『こんな思いをするぐらいだったら、一人で仕事した方が良い』
こうして、僕は起業を目指した。
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