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今日は月が綺麗ですね。

今日は出先で驚くほど調子が悪くなってしまって。帰りにふと空を見上げたら眩しいくらいに輝いてる満月と遭遇した。

「月が綺麗ですね」といえば、夏目漱石(敬称略)の逸話が有名だ。最近では、その返しは「〇〇〇〇〇〇〇〇」が良い、断るときはこの表現を使いましょう!などの記事もあるみたい。

私は覚えきれないので、ここには書かないことにする。気になる人はぜひ調べてみてほしい。

それが果たして一体どのくらいの人までに、日常会話、告白として通用するのか。熱狂的な「夏目漱石オタク」の人がいるなら意見を聞いてみたいし、もし返事の一覧みたいなのを流行らせるなら、もっと大々的にみんなでやってみたら面白いのにな、などと思った。

人生で初めて読んだ夏目漱石作品は「こゝろ」。高校生の時に一部を授業で読んで、なんとなく全部読みたいなと思って購入したら、不覚にも「先生」の気持ちも「K」の気持ちも分かるような気がして、その名の通り、ものすごく"心"に刺さる作品だった。

「先生」の気持ちがわかる、はまだしも「K」の気持ちがわかる、というのは言い過ぎなのではないかと言われても仕方がないとは思うけれど、本当に、ホントによくわかる気がする。

当時、わたしも大事なモノをたくさん沢山なくした。何も信じられなくなったけど、残ったのは好きだった時間と心だけだった。そして今は信じられる心もある。

まだ読んだことのない人はぜひ手にとって読んでほしい。この作品はもしかしたら、心に刺さらない方が幸せなのかもしれない、そんな風にも思う。この気持ちが分かるのは、あまりにも辛すぎる。どうせなら分からないままでいて欲しい。

人生には「こゝろ」のように、どうにもならないことがいくつもあったりする。本当に多すぎるってくらい。けれども、生きていれば必ず「喜び」はある。そんな風に思いたい。

少なくとも、今日は学びがあった。見た目を変えて、自身の脳に錯覚させること。それが何より自分の意識を前向きに変えるのに役立つのだと知った。

視覚からの錯覚を利用して自身の心を変えるなんてとは思うけれど、自分の弱さに打ち勝つ方法の一つなのかもしれない。

それに以前、同じようなことを学生時代のボランティア先で、NPO法人の団体の方から聞いたことがあった。身なりを整えることで貧しさを感じさせないような工夫をしている、そんな感じの内容だった。

もう10年も近く前の話になるので、言葉は曖昧だが、似たようなことを言っていたというように感じる。そして、それが周り回ってその子達を助けるのだとも聞いた。

点と点が線になった瞬間は、10年近く経った今、自分ごとして浮上する。

自分を喜ばせるために、楽しむために。身なりを整えて活かしていく。肌に液体や色を付けていく行為は、意識を変えるのに大切な行為だ。

昨今のルッキズムがどうとかじゃなくて、自分の心のために必要な栄養素を取り入れる行為なのだろうと思う。

今日は月が綺麗ですね。といえば、どんなにめげそうな時も、何もない日も。何でもある素敵な日に変えられるのと一緒だ。

少なくとも私は、コトバを栄養素やプレゼントのように、相手を喜ばせる為に使えるような人でありたいなと改めて思った。

今日は月が綺麗ですね。どんな日々でも。月を見て綺麗だと思うような瞬間が、少しでもみなさんにもありますように。

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