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躁とミモザ

私は三月が苦手だ。
この冬の冷たい空気に春の陽気や香りが混ざり始めるこの季節が来ると、長い冬の終わりを喜ぶとともに身構えてしまう。

そして大抵の場合は、躁状態になる。
この雰囲気に足元を掬われて流されてしまわないように、心の奥底の方のざわめきに気づかないようにするために、必要以上にハッピーで元気いっぱいで上機嫌なバージョンの自分になるのだ。

例えば、普段の私は一人で過ごす時間が必要不可欠なタイプなのだが、人と会う予定をたくさん入れる。

仕事が楽しく感じて、いつもより意欲的に働くようになる。

そしてとにかく自分の気分が沈んでしまわないように、普段より外食が増えるし新しいコスメや服を買ったりと普段よりも奔放にお金を使ってしまうようになる。

この私の冬季鬱ならぬ、三月の躁は、大抵二月の終わり頃くらいにやってきて、三月の中旬頃まで続く。

自分がこの季節に躁状態になるようになった(もしくはなっていることを自覚した)のは、ここ二、三年ほどなのだが、三月の躁が始まる前は、毎年この季節はひどく落ち込んでいた。というか、気持ちも身体も重たくて、まるでぬかるみに足を取られているかのように動けなかった。

こうなる理由については大体見当が付いている。

私の誕生日は3月11日だ。

日本全体を襲ったものから個人的なものも含めて、私の誕生日やその付近に悲しいことが起こる。

私自身も間接的には東日本大震災の影響を受けたものの、おかげさまで家族や親しい人は皆無事だった。実際に直接的な被害を受けた人のことを思うと、私が受けたダメージなど取るに足らないものだけれど、テレビでリアルタイムで流れていた被災地の映像が目に焼き付いて離れない。

それからも毎年、震災の特番を見ながら家族が用意してくれた誕生日ケーキを食べた。

私は震災のニュースが自分の精神的な状況に影響を与えていることがその時すでにわかっていたので、極力見ないようにしていたのだけれど、父親が関心を持っていたために、家族で食卓を囲むときなどは逃れられなかった。

それから数年が経ち、ある年の冬から私は鬱傾向に苦しんでいて、二月の終わりに当時勤めていた会社を辞めたばかりだった頃。

伯父が仕事中に事故に遭い、意識不明の状態で病院へ搬送された。伯父は近所で祖母と暮らしており、私たち家族とも距離が近かった。

ほぼ毎日病院へ向かい、様々な管に繋がれた伯父の姿を見ては、どうしてまともに仕事もできない私じゃなくて、ちゃんと仕事をして祖母の面倒も見てる伯父がこんな目に遭っているんだろうと考えていた。事故に遭うのが伯父ではなくて私だったらよかったのに、と。

このままずっと意識が戻らなかったら、私たち家族はどうなるんだろう。
寝不足の頭で、答えの出ない考えを巡らせるで病院の窓から見た青空と、近くを飛んでいく飛行機の音をはっきりと覚えている。

結局、意識が戻らないまま、伯父は私の誕生日の朝に旅立ってしまった。

私は何故だかそうなることがわかっていた。
一時は伯父の容体が安定したため、最寄りの病院へ転院する話も出ていたのだが、それでも私は伯父が私の誕生日に亡くなってしまうことを知っていた。

その日、いつもより遅く目を覚ましたことも覚えている。
私は夢の中で伯父の訃報を知らせる電話の音を聞いていた。

それから毎年、私は自分の誕生日には法事や墓参りに行っていた。

私は自分の誕生日を素直に喜べなくなってしまった。
泣いている祖母の姿を見て、私は彼女や伯父の弟である父親のために、家族のために幸せを運んでこなきゃいけない、なんとかして幸せにならなきゃいけないと思うようになった。

伯父が私の誕生日に亡くなった意味をずっと考えていた。

当時はどん底だったこともあり、「どうしてそこまでして私を苦しめたいの?」と伯父と、人生や神様のような存在に半ば怒りのような思いを抱いていたこともある。

私の誕生日に起きたいくつかの出来事が、私に消えない傷跡を残していることはわかっている。トラウマを抱えていることも、取り返しがつかないくらいに私自身を変えてしまったこともわかっている。

だけど悲しみに人生をコントロールされるのは、もうやめたくて。

時間が経ったこともあって、少しずつそれら悲しみと自分の幸せを分けて受け止められるようになってきた。

そして今は伯父は私の誕生日を祝いたくて、あの日まで頑張ってくれていたんだと理解するようにしているし、素直にそう感じることもある。

私はもう悲しみに遠慮しない。自分の幸せを心から喜びたい。私が幸せになることで周りの人をも幸せにしたい。

きっとその思いから、私は毎年この季節になると必要以上に幸せであろうとして、躁状態になっているのだと思う。

私はまだうまく三月と付き合えない。

だけど毎年この季節になると店先や街中に溢れる小さな黄色い花をかわいらしいと思う。ミモザの花を見ると、私の季節がやってきたと感じる。

今年の誕生日で、私は三十歳になる。
十代後半から二十代前半は悲しみや苦しみに打ちのめされてばかりいた。
二十代後半になって、ようやく自分が抱える問題に向き合い、少しずつ理解ができるようになってきた。
三十代は自分の傷を癒して、そして苦しむ誰かのことも癒せるようになりたい。
まだ方法はわからないけれど、それが私のこの先の人生の大きな目標。

ミモザが咲く、この暖かな日々を、あなたが穏やかに過ごせていますように。




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