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ずっと片思いをしている

2022年2月にリリースされた宇多田ヒカルのアルバム”BAD MODE”に収録されている”Find Love”のサビの歌詞にこんな一節がある。

So I gotta watch out 
Who I share my affections with
私の愛情を誰に分け与えるべきか、注意して見極めないと
Until I find love
愛を見つけるまでは
‘Cause I’m way too affectionate
だって私は愛情深すぎるから

この一節を聞いた時に、「これ私のことだ」と思った。
今までなんとなく自分の内側に感じながらも言語ができなかった部分が、この歌詞で説明された気がした。

ということで、“Affectionate”という単語の意味を改めて調べてみると、
おおよそ「愛情の深い」「愛情のこもった」「優しい」などという訳が出てくる。

だけど私が自分やこの歌詞に対して感じる”affectionate”であることと、「愛情深い」という訳には少しズレがあるように思う。

「愛情深い」という言葉から連想されるのは、誰かのことを深く愛するとか大切に思いやるという、文字通りの愛の「深さ」だ。

一方で自分が”way too affectionate”と感じるのは、私は誰かを好きになりやすすぎることと、一旦好きになるとその愛情が深すぎるということからだ。

この「好きになりやすすぎる」というのは何も恋愛に限ったことではなくて、というよりもむしろ恋愛的な意味では私は本当に誰かを好きになるまでにものすごく時間が掛かるタイプなのだが、もっと広範囲の「好き」だ。

例えば友人だったり職場の上司や同僚だったり通っているヘアサロンの美容師だったり行きつけのカフェの店員だったり……、なんらかのポイントで自分と継続的に関わりを持つ相手に対して、私は「好き」だとか「お気に入り」だとか「大切」だという感情を持ちやすい。

そして一旦その「好き」の枠の中に入れた(もしくは入った)相手に対しては、おそらく人一倍、愛情を注いでしまう。

その結果なにが起きるかというと、私が相手に対して抱いているほどの愛情や親しみを相手は私に対して持っていない、もしくは少なくとも持っているように感じないというズレだ。

例えば、高校時代には友人として大好きだったクラスメイトの女の子に誕生日プレゼントを渡したけれど彼女は私の誕生日すら忘れていたり、またあるクリスマスにはぎっしりとメッセージを書いたカードを友人たちに渡したけれど、彼らからはカードが貰えなかったり、貰えても”Merry Christmas”の一言だけだったり。

これは物が絡んでいるので分かりやすい例だけれど、私は自分の「愛情深さ」「好きになりやすさ」に基づく行動を見返りを求めてやっているわけではない。あくまでもやりたくてやっているのだ。

彼らが私が無意識のうちに望んでいたような見返りをくれないと、やっぱり少しがっかりする。というか、悲しくなる。
だけどそこには彼らを責める気持ちはなくて、「やっぱりそうだよね」と自分のやややり過ぎな傾向を認めるだけだ。

言い換えると、私はずっと小さな失恋を繰り返しながら誰かに片思いをし続けている。

私は人を嫌いになることが苦手だ。
「嫌い」ではなくてなんとか「苦手」の範囲に収めようとしてしまう。
どんなに嫌な人に出会っても、どこかで良いところや好きになれる部分を探し続けたり、なんとか好かれようとしてしまってエネルギーや時間をそこに注ぎ込んでしまう。

自分が社会的に繋がりを持った相手を全員愛そうとしてしまう。
それは私の長所でもあると思う。
人からは「優しい」とか「フレンドリー」だとか「誰とでも仲良くなるよね」とかと言われることも多い。

だから私はこれからも”affectionate”でいることをやめたいとは思わない。
だけど、まさにこの”Find Love”の歌詞の通り、愛情を分け与えたり注ぐ相手を見極めていかなきゃいけないとは思う。

人を大切にするためにはまずは自分を一番に大切にしなければいけないし、全ての人から愛されることなんて不可能だ。
私がこれから学ばなくてはいけないことは、相手から愛されるために自分を無理やり抑えたり変えたりしないこと、
そして私から去っていく相手に縋りつかない勇気だと思う。

誰かが自分の人生から出ていくというのは、私にとってはどうしようもなく痛くて辛いことだ。
どうしても離れていってほしくなくて、繋ぎ止めるためにまた愛情やパワーを注ぎ過ぎてしまう。もうどうにもならないのに。

だけど別れは、自分か相手か、もしくは両者が変わったから起きるもので、
それは成長や次の出会いに繋がるものだと信じて、ただその痛みや辛さを受け入れる強さが今の私には必要だと感じる。

私は人を嫌いになるのが苦手だ。
だからおそらく、これからも私が誰かの元を去るより誰かが私の元を去っていくことの方が多いと思う。
私はそうしてこれからも小さな失恋をたくさん経験しながら、それでもずっと片思いをし続けていくのだろう。
どこかで同じように私のことを思ってくれる人と出会えることを期待しながら。




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