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私が私になるまでの物語〜社会人編〜はじめての就職〜

思い立って書き始めた私の生い立ち。

振り返ると地味に色々あった学生時代。


過去の生い立ちコラムはこちらのマガジンに


そんな私も社会人となった。

ここからは社会の荒波に揉まれることなく漂った私のお仕事人生のはなし。

高2の頃、将来について考えた私には3つの夢があった。

看護師
保育士
バスガイド

いや…最後だけ毛色が違うよね。
結果私が選んだのは…
ご想像の通り?バスガイドでした。

理由は簡単です。
進学しなくてもいいから!
とにかく早く勉強する人生から逃げたかった。

うろ覚えだが、当時私はエレベーターガールのものまねが得意だった(気がする)

エレベーターガールになろう!そんな風に考えた事もあったのだが、エレベーターだとずっと箱の中にいることになる。

似たような仕事あったな…山田邦子さんが真似してたよね…そうだ!バスガイド!
これなら色んな景色が見れるじゃ〜ん!

そんな閃きで決めた私の進路
(基本人生の重大な選択をするときは適当なタイプです)


学生時代にテレビでみたお立ち台に立つきらびやかな女性たち。

そんな大人に私もなるんだ!
キラキラした服を着て踊るのよ!
羽だらけの扇子を振り回すの!

そんな夢を抱いていた学生時代。

卒業してすぐにやってきたのは高校生ブーム(ガン黒とかね…)

あら?私の時代は?

個人的な見解だが私はちょうど大学生ブームと高校生ブームの狭間でなんの波にも乗れずに埋もれてきた世代の申し子だと思っている。

ブームに向かって進んできたらいつのまにブームが後ろにあるんだもの。

笑っちゃうけどそれも私らしい。
(同じ年の皆様すみません)

バスガイドになる為の面接では歌を歌う審査があった。

校歌を歌えば落ちるなどの噂があり、私は石川ひとみさんの「まちぶせ」を振りつきで歌った。

筆記テストには芸能人の出身地を答えるような質問があり「いや!学校で習ってないよ〜」なんて思ったりした。

好き嫌いを聞かれて「らっきょう」と答えたが今では大好物である。


就職氷河期の最中、私は同級生の中でかなり早く合格通知を手に入れて、晴れてバスガイドとなった。


生まれてはじめて家を出て寮生活が始まったのだ。


ここから書くことはもう随分昔の話で今は絶対そんな事ないよ。
バブルの名残の時代のお話だよ。
若い子は真似しちゃダメよ。

そんな前置きをしてから先に進みたいと思う。
本当…いまとは時代が違うからね!

ガイドになる為には数ヶ月の研修期間があった。

研修担当の先生から初めに教わったのは運転手さんの攻略法だった(気がする)

運転手は全員既婚者でガイドと不倫に発展することもある。

不倫で人生崩壊した人の話を語ってくれた先生も略奪愛の末結婚したという経験の持ち主だった。

泊まりの仕事もあるが絶対にパジャマを着てはいけない。
色気のないジャージを着ること!

運転手さんの部屋には遊びに行かないことなどを強く教えられた。

ガイドとして働いた数年間。
確かに不倫の現場を何度も見たし、人生崩壊しかけた人も見た。
酔っ払って絡んでくる運転手もいたし、絵に描いたようなセクハラもあった。

運転手がカップラーメンを手に取ったら率先してお湯を入れる。
お釣りは必ず両手で受け取る。
泊まり先のホテルでは先輩の靴を並べ、ハンガーを渡すなど。

なんだか色んな大人の常識?を教えられた。
いま思えばなかなかに貴重な経験である。

お土産屋に行けば蟹や甘エビをもらい、泊まった旅館の部屋の冷蔵庫に入ったお酒は飲み放題のところもあった。
温泉にも入り放題で、朝から豪華な旅館の朝食を食べてお客様から寸志をもらう。

お立ち台に立つ夢は叶わなかったけれど、あの頃はなんともバブリーな時代だった。
門限ありの寮暮らしで仕事の日は遊ぶ暇なんて無いからとにかくお金が貯まった。

ガイドや運転手はお客を泊められないようなお化けの出る部屋をあてがえられる事もあると聞いたので1人の時は怖かったけれど、豪華な旅館やホテルの部屋に泊まれる事はなかなか幸せだった。

本気で私に恋をしてきた可愛い小学生や「ブスガイド」と呼んでからかってくるちょっぴり生意気な中学生。

ゲームで盛り上がったりカラオケを歌ったり、運転手さんの無茶振りで最初から最後まで名前を「広末○子」と嘘をつき名乗り続けた事もあったし、運転手さんの悪戯で海に落ちた事も…

一体どれぐらいの人の集合写真に私は写っているのだろうか。

もちろん仕事はなかなか過酷で、色んな嫌なこともあったけれど、むしろ大変な事の方が多かったけれど、人生経験としてやって良かった仕事のひとつではある。

しかしながら私はこの仕事を3年足らずで辞める事となった。

その頃には10名以上いた同期も3人になっていたので同期のなかでは長く続いた方である。

辞めた理由はあまり覚えていないのだが、背中を押した出来事は。

まさかの…

まさかの…

ノストラダムスの大予言。

「人類滅亡するならやりたい事やっちゃえ〜」

そんな気持ちもありました。

まさに脳内バブリー女である。


そんなこんなで仕事を辞めた私は人類が滅亡すると言われていた1999年7月。

同じ会社を退社した同期と共に海辺の街にいた。

なぜ海に?

まさかの…

まさかの…

当時夢中になって見ていたドラマ


「ビーチボーイズ」

1997年7月7日から9月22日まで毎週月曜21時 - 21時54分に、フジテレビ系の「月9」枠で放送された日本のテレビドラマ。反町隆史と竹野内豊のダブル主演作。

Wikipediaより


まさか…と思うよね。


ついつい影響受けちゃって海辺の旅館で住み込みバイトしておりました。

ここまできたらもう脳内ビッグウェーブ女である。

広末○子みたいにキュンキュンした時間を過ごすつもりが…
何を間違ったのか若者なんて、てんで来ない旅館に住み込んじゃったもんだから…

従業員も私と友達以外に旅館の旦那と女将と娘さんしかいないから…

Forever love は生まれないし、結局恐怖の大王も現れなかったんだけどね。

私も人類のみなさんも死ぬ事なくキチンと生き残ったあの夏も終わり、目的もやる事も無くなった私は、その後真面目な人生を送ったのでしょうか??

私の職遍歴はもう少し続く。

続きはまたいつか。

#創作大賞2023

雨音









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