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【小説】ひなた書房より②(全4話)


第一章はコチラ


第二章


「ママ起きて。ねえ卒業式に遅れちゃうよ」
分厚いカーテンのせいで部屋の中は真っ暗だ。
勢いよくカーテンを開けると、眩しいぐらいの光が差し込んだ。
何度も何度も身体を揺さぶると、ようやくママはだるそうに起き上がった。
顔を顰め頭を押さえている。

「また飲んだの?娘の卒業式に酒臭いママなんて恥ずかしいよ」
ここ数日ママはお酒の量が増えた。
「ちょっとだけだよ。眠れなくて」
また彼氏にでもふられたのだろうか。
「それより早く着替えて!本当に遅れちゃうよ」
私はトーストに勢いよくケチャップをかけてチーズを乗せて焼いた。
これが私がここにいる時の朝ごはんだ。

美幸くんはいつも朝ごはんを作ってくれる。
味は薄いが、これでもかという程たっぷりの野菜の入った味噌汁を飲むと心からほっとするのだ。

支度を終えたママがリビングに入ってきてギョッとした。
光沢のあるベルベットのゴールドのドレスを着ている。
「まさかそれで行くの?」
「そうだけど、変?」
「ちょっと派手すぎない?」
「でも似合うでしょ」
「恥ずかしいよ。やっぱり美幸くんに来て貰えばよかったよ」
ため息をつく私に
「美幸くんなんて来たら声出して号泣して、それこそ恥ずかしいよ」
笑うママにつられて私も笑った。 
「行こう!間に合わなくなっちゃう」
3月だというのに空気は冷たく、まるで真冬に取り残されたようで、卒業する実感なんて全くなかった。 

校庭で白々しく泣きながら抱き合う同級生達を横目に私は急いでママの元に向かう。
正門の前には沢山の親子がいて卒業式の看板と写真を撮るための行列が出来ている。
少し離れたコンクリートの壁によりかかっている人がママだと遠目からも分かった。
パーティーの途中で抜け出してきた人のようで明らかに浮いていた。

学校を出てそのまま病院へ向かい、白い廊下を歩き、分厚くて重い扉を開ける。
ここに来るのはいつだって憂鬱だ。

心電図のモニターにつながれ、窓から差し込む光に照らされた美幸くんは真っ白で、どこか遠くに行ってしまうのではないかと思うと胸がぎゅっとなってしばらく近づけなかった。

「来てたんだ。結花ちゃんいらっしゃい」
いつもの美幸くんの笑顔だった。 

ママが美幸くんにスマホで撮った卒業式の写真を見せると
「結花ちゃん、卒業おめでとう。千晶もこれまでお疲れ様」
そう言うと涙ぐんだ。
「ほら、やっぱり」
ママは私の顔を見て笑った。

照れ臭そうに私達を見て涙を拭いた美幸くんは
「あぁ、結花ちゃんの晴れ姿見たかったなぁ。卒業式の日に入院なんて、本当僕って間が悪いよね」
明らかにしょんぼりしている。

数日前から人一倍張り切っていたのは美幸くんだった。
クリーニングから戻ってきたスーツを着て鏡の前に立つ。
いつもゆるゆるの服ばかり着ているから気づかなかったが、美幸くんの足はすらりと長くとても格好よかった。

「成人式の為に買ったスーツだったんだけど、前日に体調崩して着れなかったんだ。ようやく日の目を浴びられる」
振り返った美幸くんはいつもと違う人みたいでドキドキした。

「美幸くん、昔から遠足の前とかさ、絶対熱出してたもんね。成人式の日も振袖でここに来たの覚えてるわ」
懐かしそうにママが言うと
「そうだね。本当僕は変わらないな」
と情けない顔で笑った。
「歳はとったけどね。お互い」
ママが茶化すと
「千晶は変わらないよ。いつだって綺麗だ」
恥ずかしげもなくそんなことを言う美幸くんをみてママと私は目を合わせて笑った。


*****


古くて重いガラス戸を開けると、お店の中から笑い声が聞こえてきた。
ひなた書房の床にはランドセルが散らばっていて、お店の片隅にあるテーブルで小学生と美幸くんがトランプをしている。

ここには美幸くんに会いにくる常連客が沢山いる。
大半は暇を持て余した子どもたちなのだが、綺麗な大学生や、仕事の途中のビジネスマンが美幸くんにお勧めの本を聞きに来るのだ。

「結花ちゃんいらっしゃい」
扉の前でぼんやりと立っている私に気づいた美幸くんは、いつもの笑顔で迎えてくれた。
急に押し掛けた私にあたりまえのようにお風呂をすすめ、ご飯をつくってくれる。

「今度はどんな彼氏なの?」
私の制服のシャツに几帳面にアイロンをかけていた美幸くんに聞かれてドキリとした。
彼氏ができた事はまだ言っていないはずだ
「もう会ったんでしょ。千晶の新しい彼氏」
「あぁママの彼氏…なんか社長だって」
少し声が裏返ってしまった。
不自然だったかな…そんな風に気にしていると
「社長か。いいね。いい人だといいな」 
美幸くんはのんきな声を出した。 

1枚のシャツにどれだけ時間をかけるのだろう。
裏返したり角度を変えたりと美幸くんは真剣だ。
「なんか偉そうで嫌な感じの人だったよ。たぬきみたいな顔してた」
「たぬきって結花ちゃん酷いな」
「今日また家に来るって言うから逃げてきたんだよ」
「なるほどね。たぬき親父のお陰で僕は結花ちゃんと一緒に過ごせるということか。たぬき親父に感謝だな」
美幸くんは綺麗にアイロンのかかったシャツを満足そうに眺めている。

「ねえ。前から思ってたんだけどさ、美幸くんはママのこと好きなのに、なんでママが他の人と付き合っても平気なの?」 
美幸くんは少しの間考えて
「幸せになって欲しいからね」
と呟いた。その顔は少し悲しそうにも見えた。
「千晶にはさぁ。いっぱい助けてもらったからね。幸せになってもらいたいんだよ。千晶は僕のヒーローだからね」
「ヒーロー?」
「ほら、僕こどもの頃から身体が弱かったから、ろくに学校も行けなくてさ、友だちもいないし、結構いじめられてたんだ。そんな時、いつも千晶が庇ってくれてた。ものすごい剣幕でさ。それはそれは怖かったんだよ」
「想像つくわ」
「千晶にありがとうってお礼いったらさ、男のくせに泣くんじゃない!って次は僕に毎回説教だよ」
「それも想像できる。でもさ、美幸くんは美幸くんの人生を謳歌しなきゃ!ママの言いなりの人生でいいの?」
「言いなりって…なんか嫌だな」
「ほら、別の人と恋愛したり」
私は美幸くんの顔を覗き込んだ
「美幸くん、顔だけはいいと思うんだけどな」
「顔だけって、酷いなぁ」
「モテたりしないの?」
「僕がモテてるところ見たことある?」
「うーん…ないな。何でだろう」
美幸くんのモテない理由を考えてみる。
優しいけどちょっとズレているところだろうか。
「僕はいいんだよ。このままで」
美幸くんは真っ直ぐに私をみた
「それにさ、僕が人生を謳歌しだしたら、結花ちゃんにもこんな風に会えなくなるだろ。こんなに可愛い結花ちゃんに会えなくなるぐらいなら、千晶の言いなりとして生きて行く人生を僕は選ぶね!」
また恥ずかし気もなくこんな事を言う。
美幸くんの言葉が嬉しくて、くすぐったかった。
「可愛い?私もう高校生だよ。気持ち悪い」
でもつい照れ臭くて悪態をついてしまう。
「そうだよな。気持ち悪いよな。こんなだからモテないんだよな、僕」
美幸くんは頭をポリポリと掻いて頼りなく笑った。



*****


高校3年になってすぐ生徒会に入った。
立候補制度はやめた方がいい。
誰かが手をあげるのを待つあの空気、息をひそめて目立たないように俯いて生贄を待つ。
そんな空気に耐えられず顔をあげると、すでに立候補している男子と目が合い、人懐っこい彼の口車に乗せられて結局入ることになったのだ。

2週間後にはその人と付き合うことになった。
「結花さ。彼氏いるの?」
いつのまに結花呼びになったのだろう。
「いないけど」
「じゃあ俺の彼女になってよ」
そういうと人懐っこい顔で笑った。
「でも私…」
いくらなんでも早すぎる。
私が断る理由を考えていると
「俺のこと嫌いなの?」
こちらを覗き込んで甘えた声を出す。
「嫌いとかじゃないよ、天野くんのことは好きだけど…」
焦って好きとか口走ってしまった事を後悔していると
「好きって言ったよね。好きならいいよね」
と言って生徒会室に入りみんなの前で
「俺たち付き合うことになったから」
と堂々と公言した。
祝福の空気に負けて私はヘヘヘと笑った。 

私たちが付き合っている噂はすぐに広がった。
同じクラスで友達を作る前に彼氏ができたもんだから、なんとなく周りの女子と仲良くなるタイミングを逃して、私はいつも天野君と過ごした。
天野君は明るくて頭も良くていわゆるクラスの人気者だ。
これが愛とか恋というものなのかはよくわからなかったけれど、天野君と笑い合ったりふざけ合う時間はなかなか良いものだった。


*****


彼氏ができたことをママや美幸くんには内緒にしていた。
ママは大騒ぎして愛だの恋だのを語ってきそうだし、美幸くんにいたってはどんな反応をするのか想像がつかなくて怖かった。

いつものように夜ご飯を食べていると
「彼氏とはうまくいってる?」
肉じゃがを口に頬張って、美幸くんが聞いてきた。
「あぁ。珍しく長く続いてるよ。高そうなバックとか洋服とか買ってもらって、あれは金目当てだね」
「千晶のことじゃなくて結花ちゃんの話しだよ」
思わず口に含んだほうじ茶を吐き出しそうになった
「知ってたの?いつから?」
「分かるよ。結花ちゃんさ…思ってるより顔に出やすいタイプだから気を付けたほうがいいよ」
美幸くんは意地悪そうな顔をしてニヤニヤとしている。 

「え??いつ??いつ顔に出てた???」
バレないように気を付けていたはずだ。
それに美幸くんは超鈍感男だと思っていたのでびっくりした。

「嬉しそうにしたり、急に考え込んだりさ、毎日表情が変わるから、手に取るように分かるよ。何年一緒に過ごしてると思ってるの?」

いつもぼんやりしている美幸くんにずっと見透かされていたかと思うと顔が熱くなった。
「当てようか?」
「なにを?」
「今は上手くいってないんでしょ」 
図星だった。
数日前から私たちはぎくしゃくしている。
きっかけは私の嫉妬。
クラスでちょっと浮いている篠原さんという女子と体育館で話している天野君をみてしまったのだ。
私は子供のころからどちらかというと落ち着いていて、怒ったり笑ったりが苦手なタイプだったから、自分が嫉妬していることに驚いた。 
天野君は何でもないというが、胸の中がドロドロとして上手く笑えなくなっていた。
そんな空気を察してか、天野君もバツが悪そうに放課後に何かと予定をいれて私を避けた。

「結花ちゃん暗いし、大好きなお笑い番組一緒にみても全然笑ってくれないし、ずっと気になってたけど、ごめんね。そんな時に何て声をかければいいのかも分からないし、ぼく恋愛経験とかあまりないからアドバイスとかできないし、しばらく見て見ぬふりしてた。本当にごめん」 

何故か物凄い反省している美幸くんは
「あのさ、よかったらこれ読んで」
一冊の小説を差し出した。
「僕さ、恋愛経験はないけど、恋愛小説なら山ほど読んでるだろ。だからこの小説がきっと優花ちゃんを救ってくれるって思うんだ」 
小説を渡すと美幸くんはキッチンに行き、洗い物をはじめた。
「小さな頃から本に沢山救われた」
とよく美幸くんは言っていた。


*****

ひなた書房はママと美幸くんが生まれる前からここにある古本屋だ。
日陰さんというおじいさんのお店で、古本とコーヒー豆を売っていたらしい。

子どもの頃、美幸くんに聞いたことがある。
「ねえ美幸くんは何でこの店をはじめたの?」
「はじめたというか、残されたというか…」
「残された?」
「僕はさ、子どものころから泣き虫でさ、泣いてる僕をいつも日蔭さんは店に入れてくれたんだ」
美幸くんは生まれつき身体が悪くて入退院を繰り返し、学校になじめずいじめられていたとママからも聞いたことがある。
小さい頃の美幸くんの事を考えると胸が痛んだ。

「日蔭さんは静かで無口な人でさ、あまり話はしないんだけどいつも僕に本を貸してくれたんだ」美幸くんは何かを思い出しているようだった。
「明るい本だったり、難しい小説だったり、ギャグ漫画だったり色んな本なんだけど、その本たちが僕を救ってくれたんだよ」
「いいおじさんだね」
「高校を出た後も、身体のせいで仕事が続かなくて、そんな僕をアルバイトとして日蔭さんは雇ってくれて」
「そこからずっと美幸くんはここで働いてるの?」
「うん。僕がここにきて暫くして日蔭さんは病気になってすぐに逝っちゃったんだけどさ」
美幸くんは淡々と語った。

「遺言にさ…この店は美幸にやる。って書いてあったんだ」
「それでこの店は美幸くんのものになったんだ。そんなことってあるんだね」
ドラマみたいな話だと思った。
「大変だったよ。急に店主になって、本の売れないこの時代に古本屋なんて流行らないし、僕って店主ってがらじゃないしね」

ひなた書房は今では人気の古本屋だ。
有名雑誌に取材をうけたことも何度かある。
店舗以外にネットショップもやっていて、私は時々梱包や発送の手伝いをしている。 
美幸くんは本を買ってくれた人に手紙を送る。
薄くて丸い字でギッシリとお勧めの本や感謝の気持ちを書いて送る。
封筒に『ひなた書房』と書かれた花と猫のスタンプを押すのが私の仕事で、その手紙が遠くの誰かに届くと思うとワクワクした。
「頑張ったんだね」
「うん。この店に助けられたからね」
会った事もない日蔭さんを想像した。 

「日蔭さんなのにひなた書房って面白いね」
「うん。日陰書房じゃちょっと暗いだろって言ってた」
「確かに…ひなたがいいね」
お日様みたいに温かい美幸くんにピッタリの名前だ。


↓3話へ続く


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