甘茶書店

広島県呉市阿賀町にある小さな本屋、甘茶書店。2016年4月に住宅兼shopとしてオープ…

甘茶書店

広島県呉市阿賀町にある小さな本屋、甘茶書店。2016年4月に住宅兼shopとしてオープンした本屋です。約8年の運営をへて、2024年3月23日土曜日で、実店舗は閉店します。その後は、イベントや通販で運営を続けていきます。

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  • 編集者の本屋

    編集者歴約30年。そして、3年前から自宅ショップで本屋さんを運営しているこの道のことをあれやこれやつづります。

最近の記事

2024年の春

 ここをはじめてもう5周年らしいです。しかし、ほとんど放置していたので、noteから教えてもらった状態です。  タイトルに大きく「甘茶書店」と入れておりますが、その実店舗「甘茶書店」はこの3月23日土曜日で閉店します。  2016年4月からはじめて、約8年運営してきました。8年たって世の中の状況も、私たちの状況もいろいろ変わってきて、年も重ね。もうこの辺で実店舗は終わりかな、と決めました。  イベントには参加しますし、販売の形態は通信販売のみになってしまいますが、「本」にかか

    • 2020年10月

       いつもぼーっとしていると時は流れる。もう10月。前回から6か月が過ぎっている。2016年からはじめた住宅兼ショップの本屋「甘茶書店」もなんとか続いている。しかし、9月からはこれまでより休みを1日多くして、3日間営業とした。  やはり、来客は少ないので、あけているより、ほかに時間を使った方がいい、と判断したためだ。  お店というのは待つ時間が多い。この場所で、この時間帯にお客様を待つ。だけど、お客様にもご都合があるので、私たちの都合とあうことも少ない。ましてや日曜日には空

      • 2020年4月

         昨年、2019年には以前の寄稿を残すためにも少しnoteを書いていたけれど、あっというまに時は流れもう2020年。それも4月。  今、世の中は未曾有のパンデミックで、外出自粛とお店の休業があいついでいる。今年のはじめくらいからにわかに新型コロナウイルスは国内で流行りはじめ、3月くらいから私たちが住んでいる広島県でも感染者が出てきた。先日は呉市内でも。  そんな時期なので、当店(甘茶書店)も4月15日から臨時休業となっている。世の中の自粛がゴールデンウィーク明けの5月6日

        • 2019年の緑地帯5

           前回、書いたように編集部に在籍していたとき、私はミスター・チルドレンを担当していた。「すぐ人気者になるだろう」と業界での彼らの評判は高く、私もライブには足を運んでいたが、初めて桜井さんに会ったのは4枚目のシングル「クロス ロード」の発売前(1993年10月ころ)。他のミュージシャンへのコメントをもらうために事務所にうかがい、そこで取材させていただいた。  それが縁で連載エッセイを担当することになったのが1994年当初。しかし、数カ月後に発売された「イノセント・ワールド」は

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          13本

        記事

          2019年の緑地帯4

           編集部にいたころの一日のスケジュールはだいたい11時頃に出社。そこでお昼をすませて午後から取材や打ち合わせ。それが終わって編集部に帰ると夕方から原稿受け取りや入稿作業。そして、深夜まで校正などの作業をして終電に間に合わない場合はタクシーチケットをもらってタクシーで帰宅する、という感じだった。  もっとも本が発売日に書店に並ぶ頃には11時に出社、19時に退社という普通のOLのような勤務体制も月の3分の1くらいはあった。  19時には退社できるときや夕方編集部で校正などの作

          2019年の緑地帯4

          2019年の緑地帯3

           私は上京して3年め、1989年頃に26歳で総合文芸誌でアルバイトをすることになった。編集部にくる郵便物をまとめたり、愛読者カードを読んだり、原稿を受けとるなど細々とした仕事がメインだった。そして、読者ページをつくることをスタートに、その後特集記事を数ページつくり、総力特集のページやアーティスト、作家の担当になり、というふうにビシビシと鍛えられていった。  まだ80年代の終わり、パソコンも普及しておらず、ほとんど手書き生原稿、ファクスや宅配便での受け取りの時代だった。 「

          2019年の緑地帯3

          2019年の緑地帯2

           23、4歳で上京した私は、憧れの東京でのひとり暮らしというだけで最初は満足していた。専門学校に通うために上京したのでそれなりに友達もできた。だけど、学校の次のステップ、就職という段階へはたやすくいけなかった。大変苦労した。当初は広島に戻る、と言って上京したけれど東京に行って、「編集」という仕事は大手の出版社だけでなく、編集プロダクションという規模の小さな会社でもできることを知ったり、また「音楽業界」にも興味があったので、音楽関係の事務所がたくさんあることも知り、東京での可能

          2019年の緑地帯2

          2019年の緑地帯

           ということで、2009年の新聞連載を転載しました。それから10年。ここからは10年たった、2019年の「マイペースに編集の道をゆく」を8回にわたり書いていきたいと思っています。  幼いころは引っ込み思案で人前が苦手だったので、文字を書いたり、本を読んだりもしていた。もう今となっては何がきっかけだったのか、あまり覚えていないが、小学生で詩集を作っていた。ただ紙に詩らしきものを書いて紐でとじただけのものだったけど、それをつくったことは異常にうれしかったのを覚えている。  そ

          2019年の緑地帯

          「マイペースに編集の道をゆく」⑧

           東京で約20年間編集者・ライターの経験をつみ、5年半前故郷広島に戻ってきた。そんな私は昨年6月からフリーペーパー「甘茶手帖」を作っている。  一番身近な地元の呉市をテーマに、好奇心の向くまま、気になる人、お祭り、お店を取材して、姉と2人で制作している。  1年間で6号まで制作し、思いや理想を持って活動したり、店舗経営している方々と出会い、街に住んでいる人の顔はよく見えてきた。1年間続け、手応えを感じ始めたころ出合ったのが「一箱古本市」の広島版。 「一箱古本市」はライタ

          「マイペースに編集の道をゆく」⑧

          「マイペースに編集の道をゆく」⑦

           ひと口に「編集者」といっても、週刊誌と月刊誌、雑誌や書籍、新聞などの制作するものによって仕事内容や作業は異なる。  私は5日発売の月刊誌の編集部に在籍していたので、時間の余裕のある月末はOLの生活と変わりがなかった。月が替わるとカラーの入稿が始まり、10日までに取材を行い、15〜25日の間でライターやカメラマンに原稿や写真をもらい、ゲラを作り、校正をして版下へと完成させる。後半になるにつれて作業は遅れ、早朝に終わる日々。だけど、そんなドロドロの状況でも、当時の子ども番組「

          「マイペースに編集の道をゆく」⑦

          「マイペースに編集の道をゆく」⑥

           「月刊カドカワ」の表紙をめくると出てくる、観音折りの目次の裏には「色付き壁新聞」と題したミュージシャン矢野顕子の連載があった。今読み返しても約400ページの一冊の中に特集や連載がぎっしり詰まっている。  総力特集のつくりとしては、”スピリチュアル・メッセージ”と題したミュージシャンやアーティストの内面を掘りさげた記事を中心に、作品解説や作家対ミュージシャンのように分野が違う創り手同士の対談、特集のための創作など、”表現者の核”がよりよく伝わるように構成されていた。  1

          「マイペースに編集の道をゆく」⑥

          「マイペースに編集の道をゆく」⑤

           ミスター・チルドレンの桜井和寿さんの連載を担当したのは1994年当初。それから数カ月後、「イノセント・ワールド」はミリオンセラーを記録し、”ミスチル現象”という言葉を生むまでになった。  その勢いにのって事務所は、彼らのドキュメンタリー映画「es」の製作を始め、並行して「es」の単行本制作も企画した。連載を担当した縁から、95年発売の「『es』ミスター・チルドレン370デイズ」で、私は初めて単行本編集に携わった。  信藤三雄さんがデザイナーを務めた208ページ、オールカ

          「マイペースに編集の道をゆく」⑤

          「マイペースに編集の道をゆく」④

           編集部にいた時は仕事に関するコンサート、演劇、映画などに招待され、足を運ぶことが日常だった。  そんな中、デビューライブに招待されたのがバンドのスピッツ。デビューライブのバンドのたたずまいや歌詞、メロディーに感性が震えて、「連載、やりたいです!」と編集長に直談判。翌年初めて、ボーカルの草野マサムネさんの連載エッセーを担当した。  連載前の打ち合わせで、地図・旅好きの草野さんに「旅」をテーマにつづってもらうことに決めた。  手書き原稿を都内ならば練習スタジオやイベント会

          「マイペースに編集の道をゆく」④

          「マイペースに編集の道をゆく」③

           私が在籍していた文芸誌「月刊カドカワ」は連載小説、エッセーなどの読み物と特集記事で構成されていた。表紙からの総力特集は一(人・組)アーティストを50ページというボリュームで取り上げていた。  辞書に「編集=いろいろな材料をあつめ、一定の意図のもとに整えて、新聞・雑誌・書物をつくること」とあるように、総力特集の担当になると、まず”一定の意図”、つまり総力特集のテーマやタイトルを決めることから始まる。編集者の一番の仕事は「企画を立てること」。「月カド」のほとんどの企画は、コピ

          「マイペースに編集の道をゆく」③

          「マイペースに編集の道をゆく」②

          「月刊カドカワ」は1983年、角川書店が創刊したA5判サイズの文芸誌だ。当初は小説中心のオーッソドックスな内容だったが、私が在籍した89年ころは表紙をミュージシャンが飾り、ミュージシャン、漫画家、タレントを書き手に起用した総合文芸誌に変わっていた。  編集部内には毎日事件が起き、終始緊張の糸が張り詰めていた。  新人のころの担当は読者投稿欄や情報欄。編集部に届く愛読者カードを一番に読むのは編集長。だから、チェックも厳しい。ほっこりしたなごやかな読者ページを作ろうものなら、

          「マイペースに編集の道をゆく」②

          緑地帯「マイペースに編集の道をゆく」①

           小学4年生の時はクラス内のひとり文芸部に所属し、文集制作、卒業時には卒業文集の編集委員をしていた。なぜか私は幼いころから編集という分野に興味があった。  10代になり、音楽やライブを好きになってからは音楽仲間と佐野元春のミニコミ誌を作っていた。もちろん1970、80年代の洋邦楽の音楽誌も読みあさり、作文家と名乗る音楽ライター吉見佑子さんの詩的な音楽評論にあこがれていた。  そんなころ「スナップショット オフコースその夏まで」という音楽ライター藤沢映子さんの単行本を読んだ

          緑地帯「マイペースに編集の道をゆく」①