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人間はもっと泣いていい

 こんにちは、あまです。

突然ですが、あなたが最後に泣いたのはいつですか?ちなみに私は昨日です。理由は小川洋子さんの「博士が愛した数式」を読んで感動したから。

いい作品なのでぜひ読んでみてください。面白いです。

 自分はよく泣き虫だと言われます。そして、それを自身でも認めています。
私の場合、泣く理由は必ずしも悲しいからではありません。全ての感情が涙腺に直結していると表現した方が適切でしょう。嬉しい時も、悔しい時も、びっくりした時も、程度の差はあるものの、涙が出ます。

そんな「泣くスペシャリスト」である私ですが、日本社会は泣くことに対しての寛容性があまりないな...と感じることが多いです。様々な要因があげられると思うのですが、自分が思いつく限りでは以下の通りです。

・基本的に大人(特に男性)は泣いてはいけないという価値観がある
・「泣くのは負け/弱い」という言説が信じられている
・「被害者ぶっている」と思われる
・幼い頃から「泣くな」、「早く泣き止め」と躾けられている

 こうやって見ると、「男性は強くあるべき、マイナスの感情(悲しみ, 嘆き)を表面に出してはいけない」というジェンダー的規範が強く反映されています。一般的に男性の自殺率が女性と比較して高いのは、「泣いてはいけない」「痛がってはいけない」といった非人間的な性的役割規範の重圧が原因の一つであるといわれています。

そして、「泣く」=「弱い者がすること」というイメージを持っている人が非常に多い。
それでも考えてみてください。私は怒鳴り散らしたり物を壊すといった行為のほうが、よっぽど弱い人がすることだと思います。このような形態の暴力の標的になるのは、大抵自分より弱い立場にある人です。自分より弱い相手にしか強く当たれないことがすでに弱さの証明です。何よりダサくないですか?

近年は笑うことに対して、積極的な意味づけがされています。寿命が長くなるだとか、病気が治りやすくなるだとか。しかし泣くことはどうでしょうか。あまり重視されている印象はありません。

 私は泣くことこそが、一番平和で合理的なストレス発散方法だと思っています。誰も傷つけないからです。一人でしくしくやっていたら、感情の波は自然と落ち着いてきます。そして泣くという行為自体にも、実はかなりのエネルギーを消費します。そのため、人間は、何時間も泣き続けることはできません。頑張って2~3時間が限度です。2時間程度の短い時間で、人を傷つけることなく、気持ちが整理できる。個人的にはいいことずくめだと思います。

 この話をすると、ある友人から「でも泣いてばかりいると、感情的で、話し合いができない人だと思われる」という指摘を受けました。それはごもっとも。それでも、私は泣きたい。相手の言ったことに対する私のリアクションは、泣くことでしか表現できないからです。指を切れば血が出るように、お腹が空けばぐーぐーと鳴るように、反射的に涙が出るからです。
議論は後で存分でやるから、ちょっとだけ泣かしてくれ。ほんの少しだけ待ってほしいのです。

 しかしこれに対する理解が、なかなか得られない。私は高校生の時、アルバイト先で厳しく叱責されて反射的に泣いてしまったことがあります。その際に上司に言われたのが「泣いて甘ったれてんじゃねえよ、いい加減にしろ」でした。私が甘ったれ高校生だったのは事実です。しかし、アルバイトが嫌だから泣いていたのではない。言われたことを自分なりに真摯に受け止めて、自分の行動を振り返った上で悔しくて泣いているのです。

泣く理由にも様々です。できたら、もう少しだけ泣いている人に対して寛容になってほしい。そして、「泣くこと」をもうちょっとでいいから、一般的な行為にしたいというのが私の願いです。できれば、男女関係なく、もっと泣くことを大事にするカルチャーが生まれてほしい。それが回り回って、「自分を労わる」「自分を愛する」という文化へと変容できる可能性を秘めているのではないでしょうか。

まとめます。

・「泣くこと」は人を傷つけず、短い時間でできる効果的なストレス解消法
・泣くことに対して寛容な文化が生まれてもいいんじゃないか

皆さんも是非、泣いてみませんか。感動的なドラマや映画を見て泣くのもありです。需要がありそうなら、私のお勧めをリストアップしてnote記事にしようと思います。

それでは!


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