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GO AHEAD KUMAMOTO 2019(旅立ちの朝)

日が昇るより前に起き庭に出ると、この秋初めての薔薇が咲いていた。

昨夜から蕾はもう膨らんでいたけれど、もう少しかかると思っていたのに、短い命を惜しげもなく、彼女は咲き誇っていた。
旅立つ僕への花向けのように。

その儚い命の灯火をすくいとり、酒を転がしながら愛でるうちに日の出を迎える。
沸かしてあったお湯でコーヒーを淹れて一息ついてから、僕は家を出た。

Früh drei Uhr stahl ich mich aus Karlsbad, weil man mich sonst nicht fortgelassen hätte.
9月3日の朝3時に、私はこっそりとカールスバートを抜け出した。そうでもしなければ、とても旅には出られそうもなかったので。
ゲーテ『イタリア紀行(上)』p19(相良守峯訳 岩波文庫)

ゲーテのイタリアへの「逃避行」の書き出しの部分が、昔から好きだった。
訳文で「こっそりと抜け出した」となっている原文は直訳だと「私が私自身を盗み出す」で、ドイツでの様々なしがらみにからめとられ、留まろうとする「私」を、南方イタリアに憧れ、旅立とうする「私」が無理矢理に引き剥がして連れ去るような、力強いイメージだ。
この半ば暴力的なまでの力強さは郵便馬車に乗り込むシーンでも活きていて、下記のような表現になる。

Ich warf mich ganz allein, […] in eine Postchaise...
ただひとり郵便馬車に乗り込み、…
上掲書p19

原文では、「私が私自身を郵便馬車に投げ入れる」と書いていて、後ろ髪引かれ戸惑う「私」を、早く旅立とうとする「私」が急かすという二面性が現れている。

今回の僕の旅立ちも、これに似た想いだった。
生まれ育った関東圏と、そこで培ったいろいろな人間関係に取り込まれ身動き出来ず、また馴染んでもいる「僕」と、新しい世界を見たい「僕」。
その葛藤の中、僕は旅立ちを選んだ。
「今」に固着する「僕」を「盗み出し」、南方への飛行機に「投げ入れた」のだ。

そう、今回はまさに「投げ入れる」という感じだった。
あと10分、いや5分遅かったら旅立てなかったかもしれない。
というのも、搭乗手続きに随分手間取ったのだ。

飛行機に乗るのは随分久しぶりで、成田空港はあまりに広かった。空港内を駆け回りながら、今度仕事で荷主に貨物の搬入場所を間違えたと泣きつかれたら、優しく対応しようと反省した。
※船会社の輸出カスタマーサービスの仕事をしています

チェックインのクローズ直前にカウンターに到着し、急いで手続き。歩きながら金属探知機に引っ掛かりそうなものをポケットから鞄に移し、搭乗検査をパス。ターミナルの端の搭乗口まで走る。
構内アナウンスに搭乗を急かされ、時間ギリギリで搭乗口に到着。


シャトルバスで飛行機の前まで運ばれ、暴れる心臓を押さえながら飛行機に乗り込む。

『Zガンダム』で、爆破直前のジャブローから避難するジェリド・メサのシーンを思い出した。
乗り込もうと殺到する兵士達と、オーバーロードで早く出発したい飛行艇。あと少しで乗れるという時に、飛行艇は動き始める。足を踏み外し落ちようとするジェリドの手をつかんだのは、緑の髪の不思議な少女だった…

マウアー・ファラオ(みたいなスチュワーデス)に案内され、窓際の席に着く。
間もなく離陸。
地球の重力に魂を引かれた僕らは、そこから巣立つ時、最も強くその力を感じる。
背中を座席に押し付けられ、窓から見える景色が素早く移り、母なる大地の鳥瞰にまで変わっていくのを眺めながら、随分遠くまで来たな、と感じた。

「僕」は「僕」自身を盗み出して。
いや、取り戻して。

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