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何のために生きてるんだろ

こんにちは、インターン生のちなてぃです☺

わたしはここ2カ月ぐらい、ずっとこのことを考えています。と思ったら、なんという偶然。昨日くまちゃんが同じようなテーマで書いてましたね。

「わたしっていう存在は、生きてるだけで宇宙に貢献しているらしいよ」

それはすごい。息してるだけで宇宙のためになってるなんて。
でもわたしはこれを読んで、毎日誰かが産まれて(もちろん死んでも)いるんだから、自分ひとりが生きてなくても宇宙は存在するよなぁと思いました。くまちゃんみたいに、自分の存在が腑に落ちたらいいのだけど…

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こんな人生の永遠のテーマのようなことを毎日考えながらも、写真のオムライスを食べたときは、「あ~美味しい。幸せ。」大好きなアイドルのコンサートに行ったときは、「あ~生きててよかった。明日からがんばろう。」とすぐに幸せを感じてしまうタイプなのです…

が、「何のために」っていう理由や根拠を求め始めるとまったく見つけられないのです。

「死んだら骨になってお墓に入れられるだけ…」
「両親は自分を必要としてくれてると思うけど、年の順番で言ったら先に死んじゃうわけだから、その後もし自分を必要としてくれる人がいなかったら生きてても…」
「自分の代わりなんていくらでもいる…(例えば『生き方見本市』や『カリー寺』っていうプロジェクトの運営に今関わってるけど、別に自分じゃなくてもやれる人はいるよなぁ)」

とかとか、生きてる意味や意義について悲観的に考えてしまうのです。


一番考えるのは、ひとの「死」って、家族や近しい人にとっては悲しくなったり寂しくなったり「経験」として受け止められるけど、そのひとのことを知らない人にとってはただの「情報」であって、その情報すら知らない人の方が圧倒的に多いじゃんってこと(なんて鷲田清一先生も言ってました)。

例えば自分の家族が亡くなって、自分はすごく悲しくて、ほかのことは考えられないぐらいになってたとしても、時間は一秒一秒動いてて、夜になってまた朝が来て。外に出たら、誰かが死んだとは知らずみんな普通に生きてる。(し、自分もそのひとり。)
そして自分も、日が経つにつれてその「経験」を忘れて何かをしてる時間がどんどん増えてくる。

そう思うと、なんか「死ぬ」ってすごいむなしいなぁ。生きてたらそういう結果が待ってるのかと思うと、何のために生きてるんだろ。でも「死」は自分にとって恐怖でもあるし、いのち以上に大切なものはないと思ってるから死にたくはない。というループに陥っているのです。


そんなループの中にいたある日、たまたまTwitterで流れてきたのを読みました。


わたしもそう思う。けど他者に「与える」だけだと、じゃあわたしは他者のために生きてるのか!ってなってしまうから、自分にも何か「与え」ながら生きたいなぁと。
でも、その何かって何か?他者に/自分に与えるってどういうことか?はまだ考えれてないので、これからちょっとずつ考えたいなぁと。

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今思ってることをつらつらと書いてしまったのでまとまってませんが、もしこれを読んでくれた人で「何のために生きてるか」ちょっとでも自分の答えがある人は、是非教えてくださいな。きっとこういうテーマって、ひとりじゃ考え続けられないと思うので。


ちなてぃ 

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