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【日記】2023年10月②


20231021

学生時代の友人たちと夕方からテーマパークでがっつりと遊んで幸せになった。同じ思い出について語って楽しむことが出来る友人がいることが、尊いと感じた。ロクな思い出がないと信じ込んでいた学生時代の、数少ない綺麗な思い出に触れてハッとした。自分のことを不幸だと呪うセルフハンディキャップ、いますぐやめよう。

20231022

今日は朝からバターチキンカレーを作り、数日溜まった食器を洗い、これまた数日溜まった洗濯をし、不要な服や思い出の品たちの断捨離をし、来週5日間分のお弁当を作って冷凍し、確定申告を完了させ、ハリーポッターを観て、本を読んで、ハーブティーを飲んだ。盛りだくさんの週末!大して疲れずに週末を迎えると、こんなにも充実させることができるのか。

無駄なものを沢山持っているということは、必要なものや大切なものとそうでないものの区別がついていないということ、すなわち、どれが必要で大切であるかがわかっていない状態であると思う。物を捨てるということは、ものを大切にするということだ。たくさん捨てて偉い!

ピアス穴の腫れも、だんだん収まってきた。

ハリーポッター、「ほのぼの魔法ファンタジー!」というノリで観ていたら、4作目の炎のゴブレットで急にカジュアルに鬱展開がやってきてしまって情緒が無理なんですが!

20231023

何でもない日に「今年の分の誕生日プレゼントだから」と贈り物をくれた友人に、「今年の分の誕生日プレゼントだから」と何でもない日の贈り物を渡した。喜んでくれて嬉しかった!

上司たちと、仕事への向き合い方の話をした。いわゆる「仕事が好きな人」、換言すると「進んで長時間の労働をする人」には下記の2種類がいるんじゃないかと感じた。

①仕事に依存している人
→××

②数ある命の使い道の中で仕事の優先順位が高い人
→××

どっちが出世するとか優秀とか幸せとかそうでないとか、そういうことは論点ではない気がする。ただ、社会人になって人が変わっちゃう人(結構いる、まあまあいる)は①のタイプであることが多いと思う。②のタイプの人は常に自分の行動の規範が変わらないため、確かにスキルセットや考え方はアップデートされるものの人格や人柄はそう簡単に変わらない気がする。

「仕事人間!」みたいにならないためには文化に触れ続けることが必要、間断なく生活を愛することが必要、と信じ切っていたけど、時間の使い方如何の問題ではないのかもしれない。そう結論付け、安心して労働に打ち込んだ。

高い焼肉屋さんのソフトドリンクのカルピスがしっかり濃くて美味しかった、これがこの世で1番お得なドリンクなのでは?

20231024

大学受験をしていた頃くらいまでは自分の人生を自分でデザインして作り上げている感覚があったけど、大学に入って以降、周りの人のご厚意と生来の運や引きつけの良さに任せ、ズルズルと、流されるというよりむしろ引きずり回されながら今日に至っている。そんな今日の暮らしを悪くないと感じていることを不思議に感じながら、薄い霧のような後ろめたさに包まれて生きている。いつになったら楽になれるのかわからないまま、ズルズルと、あちこち引きずり回されて過ごしている。

最近、仕事中に気が散ることが減ってきた!大きな付箋に休日やりたいことや取り留めのない愚痴、食べたいものなどを書き殴ることが、ほとんどなくなった。気が散ったら気をいっそ散らしてしまえるという安心感は、かえって集中を促してくれたらしい!良かった!

19時頃に職場を出ると、同じ職場の方に「今日は早く帰れるんですね!良かったですね」と声を掛けられ、「ああ、私、今日、早く帰っているんだ……19時で、早いのか……確かにな……」としみじみした。

20231025

××という夢を見た。最悪の目覚めだ……。二度寝なんてしなきゃ良かった!

××

ダイニングテーブルの対面に座るその女性は白茶色の着物を几帳面に着こなし、私の知る彼女の姿とは異なっていたことが救いだった。彼女は<大文字の他者>として現象していただけであり、私に具体的で外的な危害を与えるものではなかった。

真っ赤になって返ってくるものと思っていた成果物たちが、ちょい赤くらいで返ってきた!そんなわけで今週は少しゆったり過ごせそうだ。

「さみしい」と「お腹空いた」は似ているって誰が最初に言ったの?食べるの大好き人間としては「暇」と「お腹空いた」も似ているんだけど、最近は忙しいのでお腹が減らない。お腹が減らないのでさみしくない。忙しいからさみしくないわけではないことに留意しなければならない。忙しさはただ時間の流れを加速させるだけであり、如何なるすき間を埋めることもない。両手になんとか抱えられるだけの愛を、ぐちゃぐちゃにすり潰して混ぜて、パテのようにし、全身に塗りたくった。その丁寧なしごとによって凹凸を無くした身体は、徐々に透明になっていった。

20231026

最近はそこそこ忙しく仕事をしている一方で、ひとりで出来ることや任せてもらえることの少なさが歯がゆい日々。「本当は出来るのに全然任せてもらえない!」みたいなことじゃなくて、本当にわからない・出来ないことが多すぎてつらい!わかるようになりたい、出来るようになりたい、、、。

20231027

「ひとりでやらせてもらえることが少ない、、、」と嘆いていたら早速お仕事任せてもらえて嬉しくなった!わあい

明日食べ過ぎる予定があるから今日のお昼は具沢山のお味噌汁450mlにしたんだけど、全然お腹空かないから炭水化物って意外と少なくていいのかもしれない。

帰り道の電車が止まって帰れなくなって、タクシーを使ってもいいし、ギリギリ歩いて帰ることもできるし、ホームに佇んで本を読み続けてもいいし、これが自由というものだろうと無理矢理に納得し、立ち尽くしている。

気合いを入れて食事制限をしているので、久しぶりに大好きな冷凍の汁なし担々麵を食べた。170円でこんなに幸せになれるなんて、良い時代だ……。感謝でいっぱい。ちゃんとお腹空いてんじゃん。

20231028

論理的な正当性以外に寄る辺のない自我は、無意識をもはや意図的に抑圧し、我が物顔で身体を用い行為する。職業上の倫理観や、あるいはプライドを<大文字の他者>と措定し、その正しさに確信がある様子だ。確かにその容姿はいかにも美しく、依拠するに足る説得力を持っている。そういえば、顔の良い人の言葉にはうっかり納得させられてしまうことがある。

「このようにするのが規範的だ」と言わんばかりに、自分じゃない他人が自分のことを動かしているような感覚になるときがある。朝起きて、お腹が減ってもいないのに豆乳をコップ1杯注いで胃に流し込んでるときとか、ほんとうは大して気の毒と思っていない他人のことを神妙な顔して慰めてるときとか、たぶん他にもあるだろう。自分の生活を形作る<法>は、自分で決める。

20231029

××という夢をみた。××。あまりにも夢見が悪い。

「ひとりで大丈夫って思えるのは、ひとりじゃないってわかったとき」っていうセリフがとても身に染みた、ひとりで過ごす日曜の昼下がり。先週の日曜に引き続き、今日もチーズナンを作る。生地の発酵中にドラマ観ながら片付けをして、ゆったりとした時間の流れを味わっている。チーズナンを作って食べて余った生地を冷凍した。

「人がどういうことでどれくらい傷ついちゃうかって、本人しかわからないからね」というセリフもめちゃくちゃ良い。ドラマって良いセリフめちゃくちゃあるな。

TOEICも受けたし、今週も部屋から45Lゴミ袋いっぱいのゴミを排出したし、要らない靴も3足捨てた。偉すぎ!

明日は早く帰れるかな。早く帰ろうと思えば早く帰れるだろうけど、早く帰っても明後日が怖いからしっかり働かないとな。祝日は確かに嬉しいけど、5営業日でやらなきゃいけない仕事を4営業日でやらないといけないから、普通に残業時間がかさむだけのことが多い気がするんだよな。気のせいかな。

「帰ります!」って言ったら全然帰れるし、帰りたい日は全然帰れる。私がやらなかった仕事は先輩方がサクサクと片付けてしまうし、そうすると私は成長しないままになってしまうから、自分の負荷ぎりぎりを見極めて自分に厳しく働かないといけない。でも、どれだけ働いても自分のことを楽しませることだけは怠らずにいたい。仕事でもワクワクできるよう成長の実感や人の役に立つ喜びにも意識的に目を向けたい。

20231030

寝起きにふと鏡をみたら、すっぴんパジャマの自分の顔があまりにもかわいくて驚いた。あまりにもかわいかったのでこれ以上余計な塗装をするのが勿体なく感じ、すっぴんのまま出勤した。

自分の顔を心からかわいいって思えるような人間に育ててくれて、ありがとう。

安定感のある面白い読み物を求めて自分の過去のツイートを読み返した。やはり面白かった。偉い!

20231031

父と母とドブ川を泳ぐ夢をみた。おそらく氾濫した多摩川。こともなげに泳ぐ父と母に対し、私だけは溺れないように必死だった。私はひとり、足がつく場所を見つけ、川から上がった。川から上がるように2人に呼びかけるも、私の声を聞いてか聞かずか、2人は泳ぎ続けた。

消化管を闊歩するマクドナルドに身体中の血液を持っていかれ、遠のいていく意識でつぶやいたツイートが気に入った。

「感情がy軸方向にゆれなくなった代わりにz軸が追加されて、(感情の)座標が上手く身動きとれなくなった感じがある」

ドカ食い気絶は救済!!!


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