挫折・困難を経験したから考えられる本当の幸せの姿について

来年留学に行こうか、そんなことを考えている。

「なぜ留学に興味があるのか」というような話はまた後日にでも書くとして、今は留学先を決めている最中だ。
いろんな海外の大学を調べるなんてこれまでになかったことだし、なんとなく自分の頭の中にあった「留学」というものが具体的に想像できるようになってきた。

とはいえ、海外の大学に留学を受け入れてもらうには当然審査がある。
英語力、学力、また今までに書いた論文などを提出する必要がある。

「今までに自分がどんなことをやってきたのか」
これを一度ふりかえって見ると、困ったことにあまり成果が出ていないのでは?
という疑問を持った。

さらに、一番心に刺さったのは国内での面接対策の質問の1つにあった、「今までにあった本気の挑戦は何ですか?」という質問だった。

ぼくは今まで「とりあえずやってみる」ことが挑戦だと思っていた。
だから参加したプログラムやプロジェクトの数はそこそこにある。
でも、はたして本当にどれも本気で取り組んでいたのだろうか?

あれもこれも手を出して、中途半端になっていないだろうか?

そんなことを考え始めてしまった。
思えば「注意の分散」や「飽き性」というのはぼくの1つの特徴なようだ。

注意の散漫で失敗したのは、大学入試である。
高校2年生までは部活と勉強の両方に終われながらも必死にくらいつき、成績もそこそこ良かった。

でも、部活を引退して勉強に集中できるようになると、なぜかこれが続かなかったのだ。
だんだんと「本当に大学に行きたいのかな」のようなことを考え始めて、夏休みが終わったくらいで勉強のやる気がなくなってしまった。

これも、もしも受験に本気を出せていれば、持久力で勝負できたのかもしれない。

でも、こんなときにぼくは前向きにも捉えるようにしている。
果たして、本気で生きることだけがすべてなのだろうか、と。

仕事がすごくできる人や社会で活躍している人をみると、とても熱い雰囲気があって「熱狂」「主体性」「成長」みたいな熱いフレーズを掲げている。
もちろんぼくにも「本気になりたい」という思いがあるので、これらの気持もすごくわかるし、憧れもする。

だけれど、どうしてもぼくがそこに入りきれない理由に、祖母が生前残してくれた言葉があるのだ。
それは、「ほどほどに生きなさい。そんなに頑張らなくてもいいのよ。」という言葉だ。

この言葉が今でもぼくの中心になってくれている。

ぼく自身、大学入試のときは頑張りすぎて潰れてしまった部分があったのだと思う。
「勉強をしなくちゃいけない」
でも、あまりやる気が出ない。
それがなんとも苦しくて、けれども勉強をしたいという気持ちも起きなくて、自分を攻めたり、自暴自棄になったりもした。

言い訳っぽくなってしまうのだけれど、このときの挫折がけっこう僕の中でトラウマになっていて、1つのことに集中しすぎて、本気になって、潰れてしまうのが怖いから、今のように本気になれていないのだ、と思う。

こんなぼくが敢えて言うのは、はたして全力投球するだけが幸せか、ということである。

「成功する」「上昇する」「成功する」
もちろんぼくにもこうした意欲がある、というのは前提として、その上で果たしてそのさきに幸せや僕らが求める理想の人生というか、生活があるのかなというのは最近思うことである。

ぼくは実際にまだ成功したいとも思っていないし、そんなぼくが想像でこんなことを書くのはおこがましいな、と思いながらもそれでも留学や今後のキャリアを考える上で、ふと自分の幸せについて考えたことを書いてみた。

最後にちょっとカッコつけたことを書いて締める。

もしかしたら、自分にとっての本当の幸せを見つけることが人生なのかもしれない。


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井上 周

金沢大学博士前期課程1年。コンピュータと人間をつなぐヒューマンインタフェースの研究をしています。noteでは自分の気持ちや感じたこと、日々思うことを綴っています。将来の夢は多くの人を幸せにするものづくりをすること。感じたことを、感じたままに。

日記

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