毎日学校へ行く理由から考える幸せと無駄の関係

どうして面倒なのに毎日学校へ行くのか?
ということを考え始めたら、もしかして幸せって無駄なものなのかな、という問いと得ました。

僕が今通っている金沢大学は山の上にある大学だ。
学生の数はだいたい1万人くらいである。
略称は「きんだい」である。
よく近畿大学と間違えられるが、北陸ではきんだい=金沢大学を指すことが多い。

そんな金大生向けになにかサービスを作ろうとしたことがある。
「一体どんなことに困っているのだろうか?」
ということを周りにしれっと聞いてみたら、「登下校が面倒くさい」という人が多かった。

これは確かに僕も感じたことがある。
いかんせん金沢の郊外の山の上にある大学なので、いくら周辺に下宿しているとはいえ、徒歩の場合は山を登る必要があるし、バスの本数もそこまで多くない。

バスを逃せば歩いて学校へ行くしかなくなり、雨の日などは困ったものである。
「面倒くさい登校をしてなぜ学校へ行く必要があるのか」
ふとこんなことを思ったりする。

それに対する直接的な答えは「単位を取るため」だ。
単位を取るためには当然出席は必要だし、講義に出ないと内容が理解できないことも多い。

それでもやはり登校が面倒だし、教授も毎年同じ内容の講義をするくらいなら、リモートでもいいんじゃないかと思ったりする。

最近ではYoutubeなどでも勉強できる動画が増えてきていて、そうすると倍速もできるし、わからなかったところは繰り返し視聴もできる。

リモートだとなにか問題があるのだろうか?

そもそも、リモートとリアルの違いは一体何なのだろう。
ライブとオンラインの差。
画面上の2Dと現実の3Dの差。

細かい要素を上げればきっときりがないのだろうと思う。
その要素たちを考えればきっとどこまでも深みにハマっていきそうだ。
だから今回は、僕はどちらが好きかについて考えてみた。

僕はテックの人間なので、その立場から言うと「リモートでいいじゃん!」となるのかなと思うけれど、それでもまだリモートじゃ物足りないと思うことは多い。

あくまでも直接会うきっかけとなるとか、遠くにいて直接会うのが難しい場合の補完としてのテレイグジスタンスなのではないかと思う。

例えば、僕は実家の家族とよく電話をする。
電話で近況などは伝えられるのだけれど、それでもやっぱり直接会いたいと思う時がある。

要件を伝えたり、近況を報告するだけならば電話で済むはずなのだけれど、それでは満足しないなにかがある気がする。

なにかとは「目的外の時間の共有」なのではないかと思うのだ。
例えば会話をしなくても一緒にご飯を食べたり、家族がそれぞれ別のことをしながらも家の中にて同じ時間・場所を共有することだ。

別に一緒にいる必要はないじゃん!という合理的な考え方とは相反して、無駄な時間を共有することが幸せなのかもしれない。

特に一緒にいる必要もないし、会話もなくても、ただ一緒にいるだけで落ち着くし、安心する。
それが僕が思い浮かべる家族の幸せのイメージだ。

そうすると、もしかしたら幸せとは無駄なものなのか?
という疑問が浮かんできた。

自分でこの問いを浮かべておきながら、これはまたややこしい問題を設定してしまったような気がする。
また深みにハマってしまいそうなので、今日はこの辺にしておきたい。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます!これからもがんばります!
4

井上 周

金沢大学院修士1年。内向的で人見知りで苦労しながらも、今ではコンピュータと人間をつなぐインタフェースの研究をしています。noteでは自分の気持ちや感じたこと、日々思うことを綴っています。将来の夢は多くの人を幸せにするものづくりをすること。感じたことを、感じたままに。

日記

1つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。