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『死にがいを求めていきているの』という本を読んだら僕の悩みの正体が明らかになったかもしれない

もしも今、

「最近の悩みは何ですか?」

と聞かれたら、僕は「キャリアについて悩んでいます」と答えている。

ぼくが大学院を卒業するのはまだあと1年半先だ。
けれど、意外と卒業までは時間がなくて、もし進学するなら試験は1年後くらいにあるし、就職するならもうサマーインターンの締切はほとんど終わっっているし、入学したと思ったらもうすぐに進路のことを考えているような気がする。

思えば、中学3年生のときに「普通科の高校に進学するか高専に進学するか」という悩みを持ってから、自分はずっと「将来なにになりたいのだろう?」と悩みながらここまで来たような気がする。

先日、研究室の先輩からの薦めで朝井リョウさんの『死にがいをもとめているの』という本を読んだ。

まさに僕と同い年の大学院生が主人公のオムニバス形式での小説だった。
確かに先輩がおすすめしていたとおりものすごく面白くて実は昨日夜更かししてまで一気に読み切ってしまった。

朝井リョウさんといえば以前にも『桐島、部活やめるってよ』とか『何者』みたいな作品でちょうどぼくたちみたいな世代のことを書いている作家さんだ。
それが今回も見事だった。

まさに自分たちの世代とか、あるいはぼくのことを言い当てられているような気がしてなんだか恥ずかしいというか、図星なことを指摘されて決まりが悪いときのような感覚だった。

これを読んでから「生きがい」という言葉がなんだか頭の中から消えない。

そして再び自分の悩みに帰ってくる。
思えば自分の将来の悩みも、なにか生きがいを探しているのではないかと思う。

・自分の将来やりたいことが決まって充実した毎日を送っている自分
・目標に向かって毎日進んでいる自分

そんな自分を作るために、この先のキャリアをどうしよう、そんなふうに悩んでいる、あるいは悩んでいるふりをしてるのではないか、そう思うようになった。

すると、悩みの正体に気づく。
もしかしたら、僕の悩みの正体は進路の迷いじゃなくて「不安」だったのかもな。

この先が見えない不安感を、進路について悩んでいるだけで、前に進まず泊まっていることで安心している。
答えを出すことが目的じゃなくて、悩むことでなにか安心することが目的になってしまっている、そうかもしれない。

自分に自身がないのは当たり前だ。未来のことはわからない。
でも、過去に自分がやってきたことは変えられるのだと思う。

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