僕が動き続ける理由:僕には才能がないので、努力するしかない

こんにちは、あまねです。

最近考えていることの1つに「努力」という言葉があります。
小さい頃に、よく父親から「努力しなさい」と言われ続けました。
これが原因で昔から僕の頭の中には「努力」という言葉がインストールされてしまったみたいです。

それ以来僕は努力をしてきたのですが、そうしていると周りから「意識が高い」とか「すごいね」とか言われる機会もあったりします。
そんなときに僕が思うのは「そんなことないのにな」ということです。
なので今日はそんな人たちに伝えたい僕の気持ちを書いてみようと思います。

僕には才能がない

まず最初の前提として、僕には才能があまりないのです。
小さいころから運動は苦手でどんくさいほうだったし、頭も対してよくない。
習い事を始めてもすぐに飽きるし、得意なことがあるわけでもない。

「上手にできたね!」と褒められたりしたことってあまりないような気がしています。
むしろ、人並み以下なんです。

小さいころはそれでも良かったのですが、小学校に入学すると「人並みにすること」が求められますよね。
宿題は出さなくちゃいけなかったり、次の日に忘れ物をしてはだめだったり。
僕は勉強もあまり得意ではなかったので、みんなと同じことをするのに時間がかかったりしたような気がしています。

だから、僕は努力してみんなに追いつこうとします。
人と同じことをするのにも人より時間がかかるから、たくさんの時間を使って同じ作業をする。
すると他人からはそれがたくさんの量をこなしているように見えるのか、「すごいね」と言われたりします。

でも、別にすごくないんです。

努力をしないと簡単に置いていかれる

僕は不器用な人間だから、そうしないと周りに取り残されてしまうんです。
僕は全然すごくもないし、本当に凡人です。
だからこそ努力して周りに必死に追いつくしかなかったんです。
僕よりももっとすごい人は世の中にごマンといるし、僕にはできないことがまだまだたくさんあります。

それでも、だんだんとそんな努力を重ねていると、いつのまにかできることが増えたり、自分なりの方法を見つけたりして、今では人よりできることもちょっとずつですが増えています。
でも、何度も言いますが僕はすごく不器用な人間だと思うのです。
努力をやめると器用な人に簡単に抜かされてしまう。
だから僕は動き続けるし、努力をやめないのです。

もちろん、これ以外にも「将来成功したい」みたいな思いもありそうですが、最初に「どうして努力するの?」と考えたときにぱっと浮かんだ答えがこれでした。

だから、僕が伝えたいのは「表面上の評価をしないでほしい」ということです。
こんな僕にでも「すごいね!」と言ってくれるのは本当にありがたいことです。
でも、僕はべつにすごいわけではないと思っています。

僕がすごいのではなく、ただ単に努力を積み上げてきた結果が今の自分なのです。


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