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水がこんなに美味しいなんて

さっき飲んだ水がこんなにも美味しいなんて思わなかった。

僕は1年くらい前から「マイボトル」を持ち歩くようにしている。
「現代人は水不足だ」という話はあらゆるところで耳にするからだ。
しかも、ジュースなんかは砂糖やカロリーがあるので少し抵抗がある。
かといって外で水を買うと意外と小銭が減っていくので、それならば、とマイボトルを始めてみたのがきっかけだったのだけれど、それが続いている。

最近は金沢も日中は気温が上がるようになって、喉が乾くことが増えた。
ただでさえ喉が乾くのに、それが今朝は特にだったのだ。

実は昨日から「朝ストレッチ」をはじめてみた。
朝に30~60分くらいのストレッチをやってみようという試みである。
まだ2日目なのだけれど、今日も朝起きて、Youtubeでヨガの動画を探して、自宅で20分のヨガをした。

ところが、僕はタイトルだけをみてなかなかハードな動画を選んでしまったらしく、10分を過ぎたくらいからじわっと汗が出てきて、体感がプルプル音を立て始めた。
それでもなんとかヨガを終えて、時計を見ると、まずい。
授業開始まであまり時間がない。
ヨガをして1日を良い気分ではじめたいのに、1限目の最初から遅刻したのでは本末転倒だ。

僕は急いで着替え、そのまま自転車に乗る。
金沢大学は山の上にある大学なので、ここでもそこそこに体力を使う。
さらに朝になりあがっていく気温が追い打ちをかけてくるし、ヨガの効果で代謝も上がっている。
もう汗びっしょりなのである。

そして僕はその瞬間に出くわすのだ。
学校についてすぐに飲んだマイボトルの水。
お金を払ったわけでも、特別な味がするわけでもない、ほんの10分前に水道からマイボトルへ移動しただけの水が、なぜこれほど美味しいのだろうか。

そう思うと同時にいろいろな考えが頭に浮かんできた。

**

自分は今なぜ水に感動しているんだろう。
ただの水に感動するなんて、なんてコスパのいい人生なんだろう。
そしてそれと同時に、ただの水に感動できるなんて、なんて幸せなんだろう。

ただの水道水に感動できる人がこの日本にどれだけいたのだろうか。
しかも、今朝水道水を飲んでここまで美味しいと感じた人は、きっとこの世界でぼくくらいなものなのではないだろうか。

ふと宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出した。
たしかあの本の中にも「朝の光とお茶があれば幸せだ」みたいなことが書かれていた気がする。
もう気分は宮沢賢治である。

けれど、こう考えると「感動っていうのは自分の状況によって変わるのかもしれないな」なんて思う。

「人によってものの見方は違う」なんていうけれど、同じ人も状況によっていろいろなものの見方をする。
そちゃ他の人とうまくやっていくのって難しいし、人間関係でこれだけの人が悩むのも無理はないな、そう思った。

そして僕は授業に遅刻したのだった。



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