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バーチャル人格に魂を喰われた人間の話【VRの心理効果】

私は1年と数ヶ月前、バーチャル上に「あまいおかし」名で女性として生を受けた。元々はリアルに肉体と魂を持つ男性だった。

バーチャルという理想郷

バーチャル上の私は、理想的な容姿でとても美しい。鏡を眺めているだけで頬が緩むほどに。その美しさを理解するのは自身だけではない、周囲も理解してそんな反応をする。普段決して言われることはない「かわいい」という言葉が降りかかる。それが私にとってのバーチャル世界の日常だ。

「バーチャル世界は最高に幸せな空間だ」


バーチャル比重の拡大

バーチャル容姿の心地良さも相まって人との交流も増え始めた。バーチャルコミュニケーションは、容姿のコンプレックスを全く意識する必要がない。リアルより気軽で、ネットより濃密な関係を築ける。その為、どんどんとバーチャルでの人間関係が深まっていった。次第に人間関係のバーチャルの比重が大きくなり、対してリアルが小さくなっていった。

「段々と生活がバーチャルに寄っていく」


リアルへの違和感

そうして時間が経つと、知らない内に私の一人称は「僕」から「私」へと変異していった。同時に思考も女性性が強くなっていった。(バ美肉による性に対する考え方の変化【VRの弊害】)ある時、私はふと現状を理解した。私は役を演じていたはずなのに、いつしか私は役になっていた。

「私の魂はバーチャル人格に喰われたのだ」


肉体的制約からの性格形成

以下はあくまで憶測の話である。
性格は、生まれ持った肉体(性別や容姿)の影響を大きく受けるのではないか。例えば容姿端麗だったり、体格が大きいことで後天的に自信家になるのかもしれない。肉体に対する自己の認識と外部の反応により性格(思考)が変容していくと予想する。

「では、肉体的制約のないバーチャル世界ではどうか?」


在るべき魂への帰結

女性性が強い私は女性の肉体を得たことで、性格(魂)が女性に寄った。つまりそれは、元々の在りたかった魂に、バーチャル上で肉体的も成れたからこそ得られた変化なのではないだろうか。

例えば、犬になりたい魂を持った人間が実際に犬の肉体を得ることはできない。だが、バーチャル上で犬になれる。それを実現した時、その人の魂は人間のままでいるだろうか。あくまでこれは極端な話で、男らしくや女らしくというレベルが標準値だろう。もっとカッコよくとか、もっと可愛らしくとか、ヒーローに近づきたいとか。その程度ならどんな人間でも多少は持っている欲求だ。

何にせよ、人は肉体に制約を受けて生活をしている。バーチャルはその物理的な肉体の制約を受けることはない。つまりバーチャルは「なりたい姿で、なりたい魂で生きてく」を実現できるのだ。

「つまり、私は魂を喰われたのではない。後天的に在るべき魂になっただけである。」


バーチャルとリアルの乖離の苦悩

私はこの話をハッピーエンドで終わりたかった。だが、この話にはひとつ大きな穴がある。なりたい姿で生きていけるのは「バーチャル世界」だけの話である。今はまだ、全ての生活をバーチャル上に持ち込むことはできない。我々はバーチャルで得た魂でリアルを過ごさなければいけない。つまり私の場合、バーチャルで変容した女性性の強い性格で会社に行き、友達や家族に会う必要がある。

このリアルとバーチャルの乖離から起きる問題は、VRが一般化した未来がぶち当たる大きな社会問題だと思っている。皆、好きな魂を獲得した世界でリアルを快適に過ごせるのだろうか。この問題に悩む人間は今後増えてゆくだろう。

最後に

ただ、上記につらつらと書いたバーチャルとリアルの乖離問題を解決する方法が一つある。



それは…



「VRで完結する世の中を作り上げること」



そしたらみんなリアルに帰ってくる必要なんてない本当の理想郷が完成する。そんな世界を実現する為に、みんなでxRを盛り上げていこう!


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