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父に合わせた接し方をしつつ、自分の感情にも気づけるのが理想

今まで抑え込んできた父への苛立ちを解放したことで、以前とはちがう意味で父をひとりの人間として見られるようになった気がします。

適切な距離もわかってきて、最近はイライラすることが随分減りました。

ただそれとは別に、父が転職をして、大変そうだから接し方が変わっているという側面もあって。

この変化から見えてきた私の傾向をまとめてみようと思います。




父が大変そうだと、私の態度は大人になる

今がまさにその状態で、父が転職するなどして大変な時期は、私はとても優しくなります。

見るからにいつもより元気がないし、「こんな感じで大変なんだ」と聞かされると、せめて家にいる時間は安らげるように…と思い、接し方が変わります。

大人の対応というか、父が心地よく話せるように相槌をし、感謝や労わりの気持ちを伝えます。そこでの主役は完全に父で、私は引き立て役に徹する感覚です。

それは同時に、自分自身の優先順位を下げることにもなります。「自分がしたい振る舞い」ではなく、「父にとって最善の振る舞い」をする。

今でこそある程度意識的・自覚的に接し方を切り替えられますが、以前は無意識レベルでそれをしていたので、自分の気持ちを押し殺していることに気づかないまま父のための振る舞いに徹していたのだと思います。

なぜそうするかと考えれば、
・父の大変さを自分ごとのように捉え、求められている接し方を想像するから
・大変そうな姿を見ているのがつらい→少しでも楽になってほしいから
などがありそうです。

もっというと、優しくしていないと、自分の身に危険が及ぶかもしれないと思っている…?

暴力を心配しているわけではありませんが、不機嫌になるなど空気が悪くなることを恐れているのかもしれません。

親に対して大人な対応をするのは、子どもの頃からあったように思います。顔色を見て、空気を読んで、最適解を探していたのでしょう。


父が平気そうだと、苛立ちを感じる

裏を返すと、私が苛立ちを感じるのは、父に余裕があるときかもしれません。「今は優しくしなくて平気そう」と思えると、自分の気持ちを押し殺さず感知できる…?

または、父は余裕があるとうざくなるという可能性もあるなと。

どういうことかというと、父は調子がいいとすぐギャグを言って笑わせようとしたり、ずっとなにかを口ずさんでいたり、動きがやたらうるさかったり…

楽しそうなのはいいのですが、度を越えるとこちらとしてはイライラしてしまいます。

父の振る舞いが変わるうえに、「優しくしなきゃ」と思わない状況だから、イライラが湧き出てくる。そう思うと、ここで感じる苛立ちはとても自然な反応に思えてきました。

イライラすること(苛立ちを感じること)自体は悪くなくて、それを無理やり抑え込んだり、反対に変な形で相手にぶつけてしまうのは考えた方がいいよね、ということかもなぁ。


理想は “父に合わせた接し方をしつつ、自分の感情にも気づける状態”

これまでの話をまとめると、以前の私は相手に余裕がないと、自分の感情を殺して尽くしていたと言えそうです。

このやり方は、一時的には効果があったと思います。

実際、私が共感的な反応を示しながら話し相手になっていると、父の中でなにかが癒えていく感覚がありました。

適当にあしらわれた場合と丁寧に話を聞いてもらった場合では、父としてはきっと後者の方が「明日もがんばるか」と思えるはずです。

ただ、私としては無理があった。自分を犠牲にして優しく接したところで、それは持続可能な優しさではない


じゃあどうすればいいのか?と考えると、答えは自分を犠牲にしないだと思います。

ここでいう犠牲とは、自分の気持ちを無視したり、押し殺すこと。

相手に伝えるかどうかは別にして、「今自分はこう感じているな」と自覚しながら、相手に合わせた接し方をするのが理想です。

「ちょっと疲れてるから、今日は少し話を聞いたら切り上げよう」
「今は余裕がないから、話し相手はお母さんに任せよう」

こんな感じで、自分にとっても相手にとってもマイナスがない振る舞いをしていけたらいいなと思っています。

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