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千里の道も、やっぱり一歩から。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新17日目※

昨日、新しいマットレスとセットで買った、マットレスの下に置く木の板?みたいなのが届いた。なんて名前かわからないけれど、とにかく快適だ。朝起きて、腰が痛くない。ふたりで感動して、彼なんて「ああ、まるで天空を浮遊しているようだ!」って言い始めた。詩人か。

それはさておき、この10分エッセイも、毎日更新してもう17日目になる。たかが17日、されど17日。所感をまとめるほどまだ多くの経験を積んだわけではないけれど、ひとついえるのは、千里の道もやっぱり一歩からはじまるんだなぁ、ということ。

わたしは自分に激甘な言い訳マンだし、面倒くさがりだし、毎日更新なんて謳ってもすぐ負担になるんじゃないかなって思ってた。

まぁ時間的余裕があるっていうのもそうだけれど、実際のところ、全然負担にはなってない。無理なく続けられている。

それはたぶん、これがたった10分のものだから。

10分なんて、いつでもどこでもひねり出せる時間だよね。ちょっとツイッター見るのやめて、アニメのエンディング飛ばして、パスタソース煮込んでる間にでも時間はつくれるんだから。

ものすごく忙しい人だっているだろうけれど、さすがに10分はつくれると思う。もしつくれないならそれ多分限界直前だから心配だよ。

たった10分。それだけだけど、「毎日やる」という習慣があるのは、なんか安心だ。こうやって1日がはじまる、という合図みたいなもの。これをこなせば次は朝ごはん、と生活サイクルのなかにきちっと収まってる。朝のタスクのなかに無理なく行儀よく座っているものだから、まったく負担にならない。

実際、10分間でエッセイを書くことで学ぶことって、そこまでないのかもしれない。まだ17日だから、わからない。

でも時間制限をもうけて書くというのは新鮮だし、おもしろくなくとも丁寧に感情豊かに、というのを心がけて書くのはおもしろい。

これを積み重ねてなにになるのかはわからないけど、それはきっと、なにかがカタチになったときに初めて悟るんだと思う。「ああ、10分エッセイ書いててよかったな。あれがここに活きてるんだな」って。

だから、すぐに結果を求めず、かといって毎日10時間自分を追い込んでまでやるわけでもなく、淡々と丁寧に、少しずつ、それでも毎日、ひとつぶひとつぶ集めて、重ねていきたい。この作業がわたしは結構好きで、ブログもそんな感じでやってきた。

きっと、なんでもそう。なんでも同じ。このままじゃダメだ、なにか変わりたい、これを達成したい。そう思ったら、まずは10分でいいんだ。でも、ちゃんと毎日やる。何時間もできるならそのほうがいいんだろうけど、それは実際むずかしい。まずはちょっとでいい。ただし、継続する。単発で何時間も詰め込むよりきっといい。だって、生活のなかにその行動がきちんと収まるから。違和感なくできるから。

毎日10分タスク、もうひとつ追加しようかな、なんて考え中。

ちなみにこの話の元ツイートはこれ。

じゃあ、またあしたね。

※公開設定にするの忘れてたのでちょっと遅めの更新になりました。

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