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結果が出なければ、なにかを変えないと。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新21日目※

結果が出ない。生きていれば、とくに仕事をしていれば、だれもが一度はぶつかるこの壁。一生懸命がんばってるのに、望んだ成果を手に入れられない。売っても響かない。うまくいかない。

わたしはいま絶賛この状態で、気合い入れて書いた記事がぜんぜん読まれなかったり、「これいいぞ! 読んでもらえるはず!」と自信があった記事が空回りしたり、ちょっとさみしい感じになってる。

もちろん、記事なんてなにが読まれるかだれもわからないから、多少なりとも「運」は影響するわけだけど、やっぱり「読まれる」ための努力を、もっとしなきゃいけなかったんじゃないかなぁと反省する。

でもその一方で、「いままでの努力でこの壁を乗り越えられるのかな?」とも思う。

いままでと同じやり方で、それをさらに一生懸命やれば、解決するのかな? 多くの人に読んでもらえるのかな?

直感だけど、これ、たぶんちがうと思う。

うまくいかなかったら、考えるべきは努力の量よりも、努力の方向性だ。最近読まれなかった記事と、読まれた記事を比較して、どういう傾向が好かれるのか、なにを求められているのか、そういうのを考えてみるほうが大事。そしてそれに適合させていく「努力」のほうが、たぶん絶対、結果がでる。

まちがった努力、という言い方は好きじゃないけど、まちがった方向に対して「まだまだがんばるぞ!」とズンズン進んでも、ゴールは近づかない。むしろ遠のくことだってある。

うまくいかなかったときこそ、「がむしゃら」になっちゃダメ。がむしゃらに前に進んでも、いいことが待っているとは限らないから。

うまくいかなかったら、立ち止まって、どっちの方向に進むのが正しいのかよく考える。いろんな方向をちょっとずつ見て回って、一番いい道をさがす。これがトライ&エラー。

「あ、この道、ゴールに続いてるっぽくない?」という道を見つけたら、その道をそれこそがむしゃらに、一生懸命進んでいけばいい。

わたしにいま必要なのは、「どうやったらいまの記事がおもしろくなるのか」というよりも、その記事を書くのをやめて、「どんな記事を書いていくべきか」と考えること。

読まれない記事がダメ、読まれる記事に価値がある、という二元的な考え方をしてるわけじゃないけど、お金をいただいている以上、やっぱり「読まれる」は最低限クリアすべき要素だから。ちゃんと向き合わなきゃいけない。

わたしはもともと「読ませる」という意思があまり強くなくて、「自分の想いがだれかに届いたらいいな」派なんだけど、やっぱり甘いよね……。それだけじゃ今後、続けていけない。自分の想いを届けることは大前提だけど、受け取ってくれる人まで届かなきゃ意味がない。

もっと、もっと、いい文章を書きたい。書いていきたい。書けるようになりたい。うまくいかないいまだからこそ、そう思う。だからきっと、ちょうどいいんだ。進むべき方向がどっちなのかを考えるタイミングとして。

ゆっくり考えて、多くの人に「いい記事」だと思ってもらうように、がんばろ。

じゃあ、またあしたね。

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