サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ-

ポスターを見かけて気になったので少し前に観てきました。

※ネタバレあり

メタルバンドのドラマー、ルーベンがある日突然難聴になり、聞こえなくなったことへの戸惑いや葛藤、その後の生き方について描かれている作品。

ルーベンが聞いている音の変化の表現がとても素晴らしかったので映画館か高性能なイヤホンで見ることをおすすめします。(一時的に難聴になったことがある私にとっては少し恐ろしくもありました)

耳が聞こえなくなって程なくして、ルーベンは恋人の勧めでグループケア施設に入るのですが、その代表ジョーとのやり取りが印象的でした。

施設で暮らし始めた頃、自主的に建物の修理をしていたルーベンを見つけたジョー。すぐにそれをやめるように言います。そして別の課題を与えます。

君のために部屋を用意しておく。
毎朝同じ時間にコーヒーを入れて、ひとりでただ座ること。
もし心に何か湧いてきたら用意してある紙に書くこと。そしてそれは誰も見ない、と。

施設で暮らす人たちはみんな自分の役割を持っているけど、入ったばかりのルーベンに仕事は割り当てられず、まずはここでの暮らしになれるよう言われる。だから彼は多分、手持ち無沙汰でなにか自分ができることをやろうとしたのだと思います。
ジョーがそれを止めたのは、なんだか落ち着かないという理由でする行動は逃避だと判断したからかなと思いました。

何もせずにいること、ただ座るというのは、精神的にすごく大変なことです。
人の心の中はいつも情報や感情の処理に忙しく止まる時間がない。退屈や虚しさを感じたり心がざわついても、気晴らしにどこかへ出かけたりネットで動画を見たり外側からの刺激ですぐにかき消すことができてしまう。

多分みんな心がざわつく原因や答えは自分の外側ではなく内側にあるとわかっているけど、自分と向き合うことは楽ではない、どころか苦しいし見たくない。だから外側に意識が行ってしまう(=逃避)のかなと思う。

瞑想をした経験があるのですが、静寂の中座って自分の呼吸を見つめていると内側から何かが吹き出しそうになってきます。
心の中には水や砂やその他いろんなものが入っていてそれがずーっとシェイクされている。普段の自分はそんな状態だったんだと気がつきました。
ただ静かに座っていると、砂が沈み、水が透き通ってきて、そこにあるものが少しずつ見えるようになってくる。

数分前のこと、数時間前のこと、昨日のこと、数ヶ月前、数年前、幼い頃のこと。
嬉しかったこと。悲しかったこと。恥ずかしかったこと。
もう終わった受け入れたと思っていたことが実はそうではなかったこと。

見たくないものもたくさん見えてきます。

ルーベンの座っていた時間の苦しさはそういうものだったのかなと想像しました。

自分と向き合いながら、少しずつ新しい暮らしや聞こえない自分に慣れていき、周りの人たちと助け合いながら穏やかな時間を過ごす場面はすごくよかったです。
(それでストーリーが終わるわけがないので嵐の前の静けさも感じつつ…)

その後、ルーベンは元の聞こえる生活を求めます。大切なものを売払い、高額な手術代を工面し、施設のルールを破って手術を受けに行きます。
手術は成功しますが、元通り聞こえるようにはなりませんでした。久しぶりに再会した恋人との間に流れる空気も以前とは違っていました。
重大なルール違反によりケア施設も追い出されてしまいます。最後のジョーとルーベンのやり取りは胸に迫るものがありました。

手術を受ければすべてが元通りになると信じていたのにそうではなかった。

何もかもが変わってしまった。

そうして、訪れる静寂のラストシーン。
この場面がとても美しかったです。

終わり方は人によって解釈が変わると思いますが、ルーベンが心の静けさを感じありのままの自分を受け入れていく兆しが少し見えた気がして私は好きでした。

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