自殺してほしくない

 前回書いたnoteの続きのようなもので、どこかに吐き出したいのでここに書く。
 もう何年になるかわからないが、現在に至るまでずっと希死念慮が抑えられない。実際に死のうとしたことも何度かあるし、うち一回は病院へ運ばれて周りの人に大きな迷惑を掛けた。
 自分で何度か試してみたが、薬をODして死ぬのはなかなか難しい気がする。手近なところでいえば、首吊りが一番楽である。そんなことはどうでもいいが。

 昨年、友人が自殺した。仮にAとする。俺より結構年下で、まだとても若かったが自殺した。しばらく疎遠になっていて、「便りがないのはいい便り」なんて思っていたら、友人Bから自殺したという知らせが入った。
 案外驚きはしなかったし、訃報に涙するようなことはなかった。人だから死ぬよな、くらいのことを考えていた気がする。Aのことは学生時代から知っている。努力家で自信家、才能は豊かだが才気走ったところがあったから、社会に出てからは苦労するだろうなと思って見ていた。実際学校を出てからの自分の境遇には不満そうというか、生きづらそうな感じはしていた。でも死ぬとは思ってなかった。だから多少はびっくりしたが。

 自殺の理由は分からない。遺書があったらしく、B はAの両親と仲が良かったから写しを貰ったらしい。「よかったら読むか」と言われたが、もう死んじまったんだし読んでも仕方ないだろうと思って、読まなかった。今思えば読んでおけばよかったと思う。そのあと、AのことについてBといろいろ話したが、なんか呆然としてしまっていて、なにを話したかはよく覚えていない。自殺を知らせてくれたBは俺よりAと親しかったから「あんまり落ち込むなよ」みたいな話をした気がする。この時は余裕があった。

 訃報の一週間くらいあとで、またBと会いカラオケに行った。ふと自殺したAのこと、以前フジファブリックの「若者のすべて」を一緒に歌ったことを思い出し、軽く悼むくらいの気持ちでマイクを取った。
 そうしたら、一気に彼のことが思い出されてきた。声が出なくなって、涙が止まらなくなってしまった。そういえば一緒に花火をしたっけ、もう二度と彼と一緒に火を囲むことはないのだ、彼の日々は、未来はもう存在しないのだ、そう思うと辛くて堪らなくなった。その後の歌も、歌詞のちょっとした部分につけて彼の顔が思い出されてしまい、まともに歌えなかった。メソメソしながら家に帰ろうとしたが、一人になるのがなんとなく嫌で、近所の喫茶店で泣きながら妻の帰りを待っていた。

 一概に「自殺は悪だ」とは言えない。今でも時々死にたくなるし、生きていてもしょうがないんじゃないか、死んだほうがマシだ、そう思うことは頻繁にある。具体的になにとは言わないが、死んだほうが幸せ、死んだほうが楽な境遇というのも、たしかにあると思う。
 外野から「死ぬな」というのは簡単だけど、とても空疎で意味がない。悩みを解決してやるわけでもない、先の人生に責任を持ってやるわけでもない、そんな立場で一般論的に「自殺はよくない」と言っても、なんの説得力もない。
 難しい。身近な人が自殺したらとても辛いと思う。実際とても辛かった。疎遠になってた友人の死ですらすごく辛かった。じゃあもし俺が彼と親密さを保っていて、彼の死を予感できていたら? 彼の死を止められたか? 多分無理だったと思う。自分の意志で死を決めたのだ、止める権利なんて無いだろう。彼には彼の人生があって、俺が知りえない部分がたくさんあって、そしてその中に耐え難いことがあって、だから死を選んだのだと思う。

「悲しむ人がいるから」自殺はやめろ、というのもおかしい。たとえば俺が自殺したら悲しむ人がいる、いるかもしれない、いるとして、その人が悲しむことと、俺が苦しんで死を目指すこととは概ね別の問題だ。
「親しい人を悲しませたくないから」自殺を思い止まる人も、世の中にはいるのかもしれない。でもそれは決定的な抑止力にはならない、絶対にならない。だって自分が死んでしまえば、残された家族や友人が悲しもうが泣こうが後を追おうが関係ないじゃん。それに、自分は「今」死ぬほど苦しんでるのに、他人の「将来の」悲しみに配慮しろって残酷すぎるだろ。「残された人が悲しむから自殺は止めろ」論はもっともらしいが、自殺を思い止まらせるには弱すぎる。

 でもやっぱり自殺は嫌だ。善い悪いではなく嫌だ。俺は彼に死んでほしくなかった。
 よく言われる話だけど、死んだらすべておしまいだ。死んだ時点で生活は終わる。明日は来ない。食事もできないし酒も飲めないし煙草も吸えないし人にも会えない。仕事はどうでもいい。自殺で唯一評価すべき点は二度と仕事へ行かなくても済むこと。
 極めてわがままな言い方だけど、俺は、俺達はもう二度と彼に会えない、その一点がどうしようもなく悲しい。彼が生きてさえいてくれれば、いつかは、あるいはいつでも会える。そういう可能性が綺麗に消え失せてしまった。それが悲しい。

「生きていれば、いつかたのしいことがある」なんてことはとても言えない。経験上、今までが碌でもない人生だったなら、これからも碌でもない人生になる可能性が高い。嫌なことばかりの人生だったなら、これからもっと嫌なことが起こる可能性が高い。想像するとゲンナリしてくる。
 だいたい俺はもう精神障害者だし、人生というマラソンにおいて手枷足枷をつけられてるようなもんだ。しかも自殺未遂やらなんやらで途中何度も転倒負傷してるし、今も体調不良による失職で救護室送りになっている。これから巻き返す方法を考えなきゃならないが、もう宝くじ一等に当選するか、実家の庭から油田が見つかるくらいしか思いつかない。というかもう走りたくない。
 同じように病気や怪我を負っている人、あとは謂れもない借金を負わされた人、仕事や家庭が上手くいっていない人、生活になにかしらままならない部分を抱えた人、辛いと思うし、落ち込むこともあるでしょう。

 それでも生きていてほしいと思うし、生きていたいと思う。何故かを説明するのは難しいが、人が生きていくというのはいかなる形であっても素晴らしいことだし、美しいものだと思う。

 前も書いたけど、カウンセリングを受けるために、自分の人生、最近は特に上京してからのことを文章にまとめている。上京する時点で、もう双極性障害ではあった、上京後ももれなく障害に振り回されている感じはするんだけど、『人生最後の旅に出る』のときのように破滅的なシナリオを選ぶことは無くなったような気がする。
 まあ当時とは環境も違うし、今もばっちりアル中の疑いが出たりしてるんだけど、障害と多少上手く付き合えるようになった、生活が前向きに改善されたものだと信じたい。
 あと、自分の生活に目を凝らして見てみると、案外いろんなことが起きている。ケンカした、仲直りした、買い物へ行った、帰ってきた、喫茶店に入った、出た、風呂に入った、出た、とか、まあその程度のことで、日常の範囲で行ったり来たりしてるだけなんだけど。
 進学したとか、就職したとか、なんか賞を貰ったとか、起業したとか、そういう人生を動かすビッグイベントじゃない。些細なことなんだけど、こういうことの積み重ねが毎日の生活で、自分の中にストックされていってるんだなと思うと、なんか愛おしい。
「私は頑張って生きてます! みんなも頑張って生きましょう」なんて言うつもりは毛頭無い、というか微塵も頑張っていないので言う資格すら無いのだが、少なくとも十年越しくらいでマシにはなってきてると思いたい。俺の場合はだけど。あと、いろいろあったがまだなんとか生きてる。これは強調したい。

 さっき人生をマラソンに喩えたけど、一部不正確なところがある。人生はマラソンと違って単線的な競争じゃないし、ゴールまでの道は一本じゃないし、ゴールも人によって異なるし、そもそもゴールなんてものがるのかどうか怪しい。それぞれの道をそれぞれがどう進んでいくか、その過程が人生の価値なんじゃないかと思う。
 人生はマラソンと違って競技じゃないんだから、疲れたらその場に座って休憩したり、コースアウトして遊んだり、そのへんで寝たり、ふざけて逆走してみたりすればいいんだよ。走り切るのが難しくなったからって、リタイヤして終わりにする必要なんて無い。たしかに審判めいた人から「ちゃんとやれ!」って言われることもあるが、公式競技じゃないんだから無視すればいいんだよ。
 汗水流している姿も美しいし、サボって遊んでいる姿も美しいし、疲れて蹲ってる姿も美しい、そういうもんなんじゃないのか。

 死んだ彼のことは残念だけど、仕方ないと思う。すごくストイックで真面目だった。思い返せば、昔の自分もそうだった。コースアウトは許せなかったし、人より先へ先へ進むことだけに腐心していたし、レースから降りた先輩上司のことは心の何処かでバカにしていた。毎日が勝負で、勝ちか負け、一〇〇か〇かでしか人生を見ていなかったし、そういう選択肢しか無かった。

 昔の自分、すごく惜しいことをしてたなあと思う。人間そう都合よく勝ちを重ねられるわけは無い、たまに勝ってたまには負けるだろう。「自分は勝つ続けていける」という自信、とても危険だと思う。新卒の頃の自分にまず敗北を念頭に置けと伝えてあげたい。多分ロクに聞かないだろうけど。
 負けたら負けたで、別にそれですべてが終わるわけじゃないんだ。新卒で入った会社、そこそこ大きな会社だったけど、とんでもない失敗をした社員でもクビになることは稀だった。さすがに刑事事件はクビになっていたが。うつ病で休職する社員なんてゴロゴロいた。
「現代日本は失敗に不寛容」とか言うけど、まあクビにならなければいいじゃない。お給金が頂けて飯は食っていけるわけで。あと社内での失敗なら、転職してしまえば消えます。

 話が逸れた。結局自殺が善いか悪いかは知らない。俺も「死にたい」と思うことは頻繁にある。時にはうつの発作で、時には将来への不安で「死にたい」と思う。
 反面、常に「生きていたい」とも思っている。自分の人生を振り返って、身を持ち崩してから一〇年近く経ってしまって、いまだドン底かもしれないけど、良くなる兆しが見えてきてる。「もしかしたら、もっといいことがあるかもしれない」というさもしい希望が捨て切れない。
 自分の何気ない毎日が愛おしいしありがたい。明日も起きてご飯を食べたい、コーヒーを淹れて飲みたい、熱いシャワーを浴びたい、ウトウトしてそのまま眠りたい。
 先にも書いたけど「明日はもっといい日になる」保証なんてなんにもない。でもそもそも「いい日」ってなんだ? 今日「最悪だ」と思った体験が、何年後かには自分にとっての大きな糧に、あるいは笑い話の鉄板ネタになってることはよくある。逆に今日「楽しい」と思ったことでも後々悪いことになることもあるな、酒とか。自分にとっての「いい」「悪い」を現在だけで判断するな、多少寝かせてみろ。そのためには時間が必要だから、死を急ぐな。

 死んだ彼の人生でこれから先になにが起こっていくのか、彼がどう変わっていくのかを見たかったし、知りたかった。彼の才能が開花結実するところが見たかった。彼の人生がどういうふうに広がっていくのか、彼の生活がどう変遷してどこへ落ち着いていくのか、彼が毎日なにを見てなにを感じているのか、彼の口からそれを聞くことができないのが、彼を失ってしまったことがとても悲しいし、辛い。彼も辛かったのだと思う、耐えられないほど辛かったのだと思う。でもやっぱり死んでほしくはなかった。

 人生は美しいものだと思う、俺は俺の人生を美しいものにしたい。だからこれからも死なずにちゃんと生活して、日々の生活を重ねて、最後に「これが俺の人生だ」と胸を張って言えるものにしたい。
 自分の人生が無意味だなんて思いたくない。飯を食って寝てるだけでも、少なくとも俺にとっては意味がある。世のため人のためとか、なにかでっかいことをとかは考えなくてもいい。ただ毎日起きて少し身体を動かして食事をして薬を飲んで寝る、それだけでいい。とりあえず生きていればいい。たしかに周りからはいろいろ言われるが、今はこれしかできないんだから、これでいいと思うしかない。
 生きてさえいれば日々は続いていく。周りから見ればなにもないような俺の生活でも、俺の目から見たらとても美しい生活だから、できればずっと眺めていたい。生きるために生きている、それでいいと思う。

 同じように、すべての人の人生も美しいものであってほしいと思う。死んだら終わりだ。人生をもっと美しいものにしてほしい。

 自殺してほしくない。

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よき生活者でありたい。既婚。双極性障害で発達障害。禁酒中で禁煙中。✉️amanatsu_tri@icloud.com Blog: http://tristestemperee.blog.jp/

メンタルヘルスのこと

病気・障害とともに暮らしていくこと
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コメント7件

他の文章も読ませていただきました。

先輩ぶって余計なこと言ってしまってごめんなさい。不眠や仮眠もあるんですね。寝られないのは辛いですよね。
運動もされてるんですね。

全く同じじゃないけどあなたの辛い気持ちょっとはわかるんですよ。

どんな状況におられるのか正確にはわからないのでいい加減なことは言えないですけど、私の場合は「このまま病人で一生終わるのは嫌だ!どうせ死ぬならやりたいこと全部やってから死んでやる!」って決めたらいろんな事がうまく進み出しました。

だから自分で自分を諦めないでください。

気がつけば話のネタには困らない人生になってます😄
>ピョルさん
コメントありがとうございます。
仕事をやめたり、アルコールに奔ったりしましたが、最近ようやく少し前向きになることができて、運動したり生活を整えたりに取り組ようになれました。
不眠過眠がひどく、なかなか思うようにはいきませんが、少しでもよく生きられるように努めているところです。
ピョルさんも同じような境遇だったのでしょうか、お心遣い本当に嬉しいです。
これからも無理のない範囲でやっていて、早く生活を立て直せられればと思います。
お互い身体を第一にやっていけるとよいですね😽
私の20代30代に感じていたことがそのまま文章になってるみたいで、思わずいっぱい書いてしまいました。

私も18歳まで自分のことイケてるって思ってたので😋なんで自分が?っていう気持ち良くわかります。

今、40代になって良い意味で諦めがつきました。諦めとは明らかに見るということらしいです。自分には何ができて、何が得意なのかがわかってくるとすごく楽になると思います。なんか最近、人生これからっていう気がするんですよ。

だから自分のことおじさんとか言わないでください。まず、自分の悪口言ったりしないで欲しいんです。あなたは逃げずに自分としっかり向き合ってますよね。
それは仕事をするよりすごいことだと思います。

今では自分を障害者ではなくて人より気分の波が大きい人間だと思ってます。

病気になってよかったとは思えませんが、失った分得たものもたくさんあったと思います。

テキトーな感じに聞こえたら申し訳ないんだけど、大丈夫なんとかなるんですよ。

あんま自分を追い詰めないでくださいね。
私も自殺を企てた事があります。
その時に思い出しました。近所のお家の話しを。だからそれ以降はしなかった。
自分の大事な人の運命が狂います。
私の妹は自殺未遂から三度目に成功してしまいました。
大事な人の為に自死しないでください。あなたが誰かの大事な人になってください。大事な人の側で大事な人が笑顔でいるのが、1番の幸せだと思うから。
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