アリス・イン・ザ・マサクル - 50

第6話 「赤の女王」⑧

ガタン、ゴトン、という電車の音が聞こえた。
アリスは目を開いた。
頭が沼にでも落ち込んだように淀んでいて、視界が薄ぼんやりとしている。

「…………」

頭を押さえて起き上がる。
見覚えある列車の一室だった。
その角のベッドに寝かされている。
靄がかかった思考を無理やり集中させ、前後のことを思い出そうとする。
そこでアリスは、電撃に撃たれたようにジャックのことを思い出し、毛布をはねのけて立ち上がろうとした。
しかし電車の揺れに足を取られ、ふらついてその場にへたり込んでしまう。
体に力が入らなかった。

――ジャックさんだ。

彼が、自分に何かをしたのは明白だった。
眠り薬でも注射されたのだろうか。
今は、あの話をした時からどのくらい経った?
一日? 二日? 一週間……?
心に冷水を浴びせられたかのように青ざめて硬直する。
ジャックさんはどうしたんだろう?
ナイトメアに殺されてしまったんだろうか。
壁に寄りかかって、這うようにして立ち上がる。

「行かないと……」

自分を鼓舞するように呟いて、列車室の扉に近づく。

「助けに……行かないと……」

しかしまた揺れに足を取られ、アリスは盛大にその場に倒れ込んだ。
頭を床にぶつけ、しばらく痛みに呻きながらうずくまる。
そして彼女は、そのままの姿勢ですすり泣いた。
……辛かった。
苦しかった。
もう、訳が分からなかった。
戦ったとしても、この世界はもうじき消える。
そうしたら、自分達、実体を持たない「データ」はどうなってしまうんだろう。
一緒に……もろとも消えてなくなるのだろうか。
それは何よりも恐ろしく。
何よりも残酷なことだった。
勝っても負けても、いずれ自分は消えてなくなる。
守っても守らなくても……。
顔を覆って子供のように泣く。
声を上げて震えているところで、列車の扉が開いて、フィルレインが顔を出した。
そしてうずくまっているアリスに慌てて駆け寄り、しゃがみ込む。

「アリス様……!」

フィルレインにしがみついて、アリスは言葉を絞り出した。

「フィル……! ジャックさんは……」
「…………」
「ジャックさんはどうなったの!」

耳元で叫ばれ、フィルレインは歯を噛んで、アリスの肩を掴んだ。
そしてまっすぐ彼女の目を見て口を開く。

「アリス様、よく聞いてください」
「…………」
「ジャック様とイベリス様は、あなたを逃がすためにシェルターに残ったそうです。数時間前に別れて、この列車は出ました」

絶句したアリスに、彼女は続けた。

「既に数百キロは離れています」
「嘘……嘘よ……」

アリスはガクガクと震えながら、フィルレインの服を掴んだ。

「ジャックさん……死んじゃうよ……? どうして……? 私……」
「落ち着いてください」

しかしフィルレインは静かにそう言うと、アリスの目を見つめた。

「ジャック様達は、あなたに希望を託しました。あなたが先に進み、敵を斃すための未来を作りました」
「…………」
「立ちましょう、アリス様。あなたは、前に進むべきです」

アリスはしばらく唇を噛んで黙り込んでいた。
そしてフィルレインの服から手を離し、俯く。

「……みんな勝手だよ……」

寂しそうな呟き声が、空中に紛れて消えた。
彼女は歯を噛んで拳を握ると、フィルレインに向かって叫んだ。

「勝手だよ……! ジャックさんも……ラフィも……あなただって! 結局は私を戦わせたいんだ。そうなんだ!」
「アリス様」

そこでフィルレインは口を挟んだ。
その顔が悲痛に歪んでいるのを見て、アリスは口をつぐんだ。

「……ジャック様は、そう仰っていましたか?」

静かに言われ、アリスは停止した。
その目からボロボロと涙が流れ落ちる。
彼女は顔を手で覆い、大声で泣き喚いた。
そのアリスの頭を抱き、フィルレインは優しく撫でた。
しばらくしてアリスが嗚咽して歯を噛み締めたのを見て、フィルレインは口を開いた。

「……向かっているシェルターには、もう一人、天使様がいらっしゃいます」
「え……?」
「その天使様には、特別な力があると聞きます。もしかしたら、力になってくださるかもしれません……」

自信なさげに、フィルレインの声が尻すぼみになって消える。
アリスは彼女の顔を見上げて口を開いた。

「どのくらいで……」
「…………」
「どのくらいでそこに着くの……?」
「……あと五時間は……」

壁の時計を見上げ、アリスは歯噛みした。

――私のせいだ。

私が一人で苦しんで、周りを拒絶したからだ。
心の中にドス黒い絶望が湧いてきたが、アリスはそれを無理矢理に飲み込んだ。

「ジャックさん達と連絡は……?」
「これだけ離れれば、無線も使えません。列車を止めるわけにもいきません。市民が大勢……ですから、目的地に向かう以外の選択肢は……」

アリスは小さく息を吸って、吐いた。
助けなければ。
一刻も早く。
だが、その手段は今はない。
自分一人では、どうしようもない

「……フィル、私……間違ってた……」

アリスは小さな声で、呟くように言った。

「アリス様……」
「私は、戦わなきゃいけないんだ」

彼女に掴まって、アリスは歯ぎしりしながら立ち上がった。

「私はジャックさんと……イベリスさんを助けなきゃいけない。だからすぐに戻らないといけない……」
「…………」
「誰に言われたわけでもない……私は、私の意思で二人を助けたい。だから……」

アリスはフィルレインの肩を掴んで、悲痛な声を絞り出した。

「私を『助け』て、フィル……!」

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天寧霧佳

【長編ホラー小説】アリス・イン・ザ・マサクル 【連載中】

記憶喪失の少女が目覚めたのは、血と錆と暗闇が支配する悪夢の国。 彼女を「アリス」と呼ぶ異形の者達が次々に襲いかかる。 訳も分からず戦う事になった少女。 彼女は、覚めない悪夢の中をもがき続ける。
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