ラルロッザの学園都市 - 4

第4話 「対決」

妙な唸り声が部屋に響いていた。うー、うーというそれは確かに怒気を孕んでいることにはいたが、仔猫が親の乳を兄弟に横取りされた時のような、微妙な雰囲気に包まれている。
対して唸られている方は、これまた非常に不機嫌な顔で、腕組みをし――自分の身長の三分の二以下しかない相手を見下ろしていた。
周囲の空気が凍りついている。
金髪の小さな女の子――吸血鬼と天使のハーフであるフィル・ラインシュタインは、自分では怒りに燃えて相手を威嚇しているらしい――人形のような小顔の頬を僅かに膨らませ、顔面を真っ赤にしていた。
小さな手を握り締めてプルプル震えている。
第十五生徒会員達は、今しがた全員で入ってきたエレベーターのドア付近で硬直しながら、彼女と……そして両耳の脇に虹色のトサカを揺らしている少年。ドレッドヘアーの怪鳥族、クヌギの間に視線を往復させていた。
全員が、部屋に入った途端に目に飛び込んできた光景に対し、完全にへっぴり腰だ。
しばらくすると、大男を見上げていたフィルが細い声で叫んだ。

「バカ! クヌギ君のバカ!」

彼女を中心に、一瞬木枯らしのようなつむじ風が巻き起こった。それは渦を巻いて広がり霧散したが、消える直前の風圧で、近くの窓ガラスにビシリという音とともにわずかな亀裂が走る。ここに至るまでに相当長い間口げんかをしていたらしく、怒りのあまり吸い取った魔力量が暴発しかけている。

(※天使の血が入っているフィルは、怒ると周囲の魔力を自分の中に吸収し始めます)

対するクヌギは、ピシピシと頬に当たる魔力の粒を受けても微動だにせず、冷ややかな瞳でフィルを見降ろしていた。彼のドレッドヘアーが僅かにざわめいている。彼自身がもつ強力な魔法が暴発し掛かっている。やはり、かなり怒っているらしい。

「いや、こればかりは譲れん。我儘も大概にするんだ。どれだけの人に迷惑をかけたと思っている? ほら、そこに座れ」
「やだもん! やだ! バカ! クヌギ君なんて死んじゃえ!」

潤んでいた大きな瞳からボロボロと涙がこぼれおちる。言われたことの予想外さと、ほかならぬ自分の小さな彼女が顔を真っ赤にして泣いている姿を見て、一瞬だけクヌギがひるんだ。
その途端、フィルが泣きじゃくりながらテーブルの上にあった握りこぶし大の文鎮を手に取った。かなり重いはずのそれが、彼女が吸収した魔力の補正で軽々と持ち上げられて、次いで野球ボールのようにすさまじい勢いで投げ飛ばされた。時速百五十キロは超えている。コントロールは最悪で、チュインと流れ星のように文鎮の軌跡が光り、言葉を発しあぐねていた生徒会長――壁際に立っていた、トカゲ尻尾を持つセンの頬をかすめて、背後の壁を一メートル以上も彫りぬいて、さらには貫通した後向こう側に消えた。
壁の穴を見て、生徒会員達は青くなって互いに顔を見合せた。

「……どういうつもりだフィル? お前、俺を本気で怒らせたいのか?」

クヌギの瞳が、僅かに赤く染まり始めた。それを見てフィルはビクッと体を震わせながら、一歩を踏み出した彼から慌ててテーブルの反対側に隠れ、今度は蓋が開いたままのインク瓶を持ち上げる。

「もうクヌギ君なんて知らない! 知らないんだから! 絶交だよ! こっち来ないで!」
「聞きわけのない奴だな……いい加減にしろ!」

怪鳥族の大男が吠えた。次の瞬間、彼を中心として放出された魔力が、渦を描いて天井に突き刺さった。生徒会室のシャンデリアが砕け散り、周りに細かい硝子の破片をまき散らす。膨大な量の魔力を放出し続けている二人は、それにコートのように守られていたが、周りの生徒会員達はたまったものではなかった。慌てて壁の隅まで避難する。
フィルはバタバタと髪を揺らすクヌギの魔力を浴びながら、涙でぐしゃぐしゃの顔を彼に向け。

「死んじゃえ!」

そう叫んで、インク瓶を振りかぶり。とんでもない勢いで投げつけた。
先ほどの文鎮何か比較にならないほどの速度で、黒いインクを振り回すようにしながら瓶が飛ぶ。
やはりコントロールは完全に外れ、またセンの――今度はもう片方の頬に、チュインという音とともにかすめて壁に突き刺さった。
やはり鉄筋ごと貫通して向こう側に抜ける。
へたり込んだ彼を盾にするように、慌てて妖精族の少女と人魚族の少女が身をかがめた。
一拍遅れて、今度は散弾銃のようにインクの粒がセンの全身に突き刺さる。
白目をむいて崩れ落ちた生徒会長を突き飛ばし、四枚のトンボ羽を震わせた妖精――ロッタが大声を上げた。

「ストップ! ストップ! 死人が出る前に落ち着いて!」

フィルには女性たち、クヌギには男性たちがそれぞれついて、二人をなだめつつ長テーブルの対極に座らせる。泣きじゃくって訳の分からないことを言っているフィルと、怒り収まらずに貧乏ゆすりをしているクヌギを交互に見てから、テーブルの中腹に座ったセンは大きなため息をついた。
第十五生徒会室は、よく見れば無残な惨状になっていた。先ほどの窓ガラスとシャンデリア、壁の破壊以前にもなにかあったらしく、花瓶がどこをどうすればこうなるのかというか分からないくらいに粉々になっていたり、カーペットが半分以上めくれて、床にクレバスのように亀裂が走ったりしている。
ドラゴン族の生徒会長は、黙っていればタレント並みに整った顔をインクの染みと痣だらけにしていた。幽霊族の少女――体が半透明にすけて浮遊しているサラサが、薄い半気体の湿布薬を貼り付けている。

「とりあえず、一つだけ分かったことがある」

センは沈痛な面持ちで口を開いた。そしてフィルを見る。

「お前、俺のこと嫌いだろ?」
「そんなことはどうでもいいからさ」

フィルを膝の上に乗せて、赤ん坊にするようによしよしと揺らし撫でてあげながら、、ロッタが口を開いた。

「どういうことこれ? クヌギ君、あんたがここまでフィルフィルをいじめるような下衆だったとは知らなかったわ。どんな理由があれ幻滅よ。あぁよしよし怖かったね。お姉さんたちが来たからには安心だよ」
「ううー……ロッタ……」

かすれた声で泣きじゃくりながら、フィルが彼女に抱きつく。その頭をポンポンと撫でてやりながら、車椅子に乗った人魚の少女――アイカが冷たい瞳を対局側のクヌギに向けた。

「多少ロリータコンプレックスの気があろうと、わたくしはあなたを殿方として認めておりましたのよ? それが、自分よりも小さい女の子にドメステシックバイオレンスなんて……がっかり甚だしいですわ」
「まぁ、何があろうと暴力はいけませんよねぇ……」

アイカの隣に座っていた盲目のドラゴン、ルイが口を開く。そして彼女は双子の兄であるセンの方に顔を向けた。

「ににさまはああ見えても、女性にだけは暴力をふるわないというポリシーをお持ちですから。これではににさま以下ということになってしまいます」
「俺以下ってどういうことだ? おいルイ。ににさまのことをバカにしてるのか? てゆうか、この状況を見るに、器物損壊は半分以上そのバカチビの仕業だろうが!」

ドンッ、とテーブルを彼が拳で叩くと、フィルは「ひっ」と息をのんでロッタに震える体を押しつけた。彼女を強く抱いて、妖精の少女が威嚇をするように背中の羽を広げた。

「何よ? やるの? 相手になるわよ」
「いや、落ちつけよロッタ。まずは二人の言い分を聞いてからでもいいだろ、センをいじめるのは」

そこで、やんわりとクヌギをなだめていた少年が口を開いた。
牛のような角を持つ、バイシクルという種族のゼマルディだ。彼はオールバックに固めた髪を神経質そうにいじりながら息をついた。

「とりあえず、フィルがキレるのはよほどのことだとは思うけどさ。クヌギだって同じだろ」
「いや待てマルディ。俺をいじめるのは決定事項なのか?」
「お前ら、ちょっとフィルを甘やかしすぎだぞ。子供じゃねぇんだから」

センの抗議を完全に無視して彼が言うと、ロッタは腕組みをして、大きな胸をそらすようにしてゼマルディを見た。

「……何言ってるの? バカなの? こんな可愛い子が悪いことをするはずがないじゃない。だとしたら悪いのは男の方よ。大概そう決まってるの」
「至極当然の理屈ですわ。おバカですわね」

頷き合った妖精と人魚を、額に手を置きながらゼマルディは見た。

「……バカはお前らだ。そんなだから、お前ら恋とか腫れたとかうまくいかねぇんだよ」
「うっさいわね! 何よ、あたしらはうまくいってるわよ! セン、何とか言ってやりなさい」

ロッタが勢いよくセンを睨む。視線を受けたドラゴンの少年は、一瞬目線を宙に泳がせ。少し躊躇った後、ひきつった笑いと共に言った。

「あ……ああ。バッチリさ!」
「お前って意外と不憫なんだな……」

ゼマルディが彼に憐れみの視線を向けている端で、アイカが黙り込んで下を向いた。

「…………マルディには関係のないことですわ…………」
「い、委員長? 何で元気なくなってんの? どしたの? お父さんとうまくいってないの?」

様子がおかしい彼女に一生懸命気を使い始めたロッタを一瞥し、ゼマルディはため息をついたセンと顔を見あわせた。

「どうするよ?」
「できることなら俺はもう寮に帰りたい」

はっきりとそう言い放って、センは続けた。

「ラインシュタインとトランスの痴話喧嘩なんて知るかよ。おい吸血鬼とその保護者達。責任もってこの部屋は修繕しておけよ。俺はこれからやることがあんだよ」
「久々に自分に負い目がないと、お前って限りなく強気になるよな……」
「薄情な男ね……ほんと、小さい男だわ」

呆れたようにロッタが呟き、肩をすくめる。

「泣いている仲間を見捨てて一人だけ逃げようとするなんて。ほんと、男の風上にもおけやしない」
「お前らがいつも俺にやってることだろうが……!」

握りこぶしを固めたセンとロッタが睨みあう。
しばらく沈黙がその場を包み、ぐすぐすと泣いているフィルを見て。クヌギが忌々しそうにロッタに言った。

「もういい。アークシー、フィルを離せ。これは俺とそいつの問題だ。お前らは関係ない」
「嫌よ。ドメスティックバイオレンスの現場を抑えて黙っていられるほどお人よしじゃないわ。どうしてもやるっていうならあたしが相手になるわよ」

ドスの利いた声でそう少女が応えると、珍しくイラついた声でクヌギは言った。

「俺がいつドメスティックをした? フィル、卑怯だぞ! 約束を破ったまま逃げるのか? 許しがたいぞ!」
「ク……クヌギ君が悪いんだよ! クヌギ君のバカ! 裏切り者!」
「裏切り者だと……? お前のためを思い、お前のために全てを動かしているこの俺に、こともあろうに裏切り者だと? それはお前のことだろう!」
「私は悪くない……悪くないもん!」
「悪くないというなら隠しているそれをとっとと出せ! 手遅れになる前に早く!」
「やだ! 絶っっっ対にや!」

精一杯の顔で怒りを表現している胸の中の少女を見降ろし、ロッタは怪訝な目で肩をいからせているクヌギを見た。

「隠してるって……何を?」
「お前たちも早くフィルからあれを取り上げろ!」
「クヌギ君の分からずや!」
「う……うるさい! フィルのバカ者めが!」
「バ……ッ……バカって言った……」

よほどショックを受けたのか、見る見るうちにフィルの目に大粒の涙が盛り上がってきた。自分でも相当気にしていたらしい。一番信用していたクヌギに言われたことで、張りつめていたものが切れてしまったらしかった。

「何度でも言ってやる! そうやって人の言うことを聞かずに我儘三昧ばかりしているから、いつまで経っても小さいままなんだ! バカ!」
「私小さくないもん!」
「いいや小さいな! 体だけでなく心までもがミニマムサイズだ! そんなだから子供って言われるんだぞ? そんなだから俺がロリータコンプレックスなどと言われるんだぞ! 恥ずかしくないのか!」

ひっく、と大きくしゃっくりを上げ、フィルは愕然と目を見開いた。

「……ひどい……」

そして両手で顔を覆って、押し殺した声を上げてまた泣き出した。

「……ひどすぎるよぉ……」
「泣いて許されると思うな。聞き分けていい加減それを離せ。今度という今度は、飼うことは許さないからな! 絶対に処分するからな!」

怒鳴るように叫んだクヌギの言葉を聞いて。
その場の全員が硬直した。
少し停止して、生徒会員達の顔がみるみるうちに青くなる。
フィルの頭を撫でていたアイカが、そろりそろりと車椅子を離して、さりげなく部屋の隅に避難を始める。
ゼマルディも立ちあがって、無言でルイの手を引き、センと共にアイカの方に移動し始めた。
サラサは一瞬消えて、誰よりも遠い場所にテレポートしている。
周りを見回し、そして青くなったロッタも立ち上がろうとして。
しかしグズっているフィルを見捨てることができずに、ひきつった声を発した。

「ね……ねぇフィルフィル?」
「……」
「何か、持ってるの? お姉さんにちょっと……見せてくれないかな?」

よほどクヌギの言葉にショックを受けたらしく、目を覆いながらフィルはフルフルと首を振った。

「構うなアークシー。よし、印が成功した!」

そこで小さく声を上げ、クヌギが立ち上がった。そして、テーブルの下で動かしていた右手を開き、何やら短く呪文を唱える。
彼の手の甲には、左手の指先を齧り切ったのか、そこから流れ出した血で何重にも魔法円が書いてあった。
生徒会の面々が仲裁に入っている隙をついて書きこんだらしい。
血でできた魔法円が鈍い金色の光を発しはじめ、彼は大股にフィルに向かって歩き出した。

「お前らが来なかったら、こいつに邪魔されて封印結界を作ることもできなかった。そのままフィルを抑えてろ。呪祖ごと封じてやる!」
「え? 何? どゆこと? あたしさっぱり状況がつかめないんだけど」
「後で説明する、とりあえずアークシー。絶対にフィルを離すな!」

そこまで言って、クヌギは呪文の単語を唱えながら、右手に力を込め始めた。その手の平が徐々に黒い光を発しはじめ。
指の間からそれを見たフィルが、怯えた悲鳴を上げて、ロッタの手の中で身をよじらせた。

「やだよ……やだよ! 殺さないで!」
「ダメだ! そんなのを野放しにしていたら……」
「やだ!」

クヌギがフィルの頭をその光る手で捕まえようとして。
そこで、小さな吸血鬼の瞳が、一瞬真っ赤に染まった。
彼女は短く拒絶の言葉を叫んで、覆いかぶさっていた大男の腕をはねのけた。そして右手で思い切り、その胸を突き飛ばす。
歯を食いしばった……彼女よりもはるかに大きい怪鳥族の体が、数メートルも浮いて。
そして、重機にでも殴りつけられたかのように吹き飛び、対局側に避難していたセンを壁に叩きつけながら、実に十数メートルも空中を浮いてから着地した。
クヌギを受け止めたセンが、壁とサンドイッチにされてまたもや白目をむき、ズルリと崩れ落ちる。

「クヌギさん!」

アイカが青くなって悲鳴を上げるも、大男は右手を光らせながら何とか立ち上がった。

「くそ……っ、また失敗か……!」
「何度目なんですのこれ……」
「既に第三体育館から三十七回失敗している。そろそろ俺の魔力もなくなってしまいそうだ」
「な……何か、フィルちゃんが隠し持っているんですの……?」

聞かれ。
そこで初めて、クヌギはアイカに向けて怒鳴った。

「……あれの子供だ!」
「ロッタ! わたくしたち想像以上にマズいですわよ!」

詳細を瞬間的に推し量って、アイカが震える声を張り上げる。
しかしその目に映ったのは。
瞳を血色に光らせ、こちらを爛々とした目で睨みつけているフィルと。
彼女の制服の内ポケットから出てきた大量の何かだった。
ロッタは既に、そのあまりの光景に泡のようなものを吹いて気絶している。恐怖と驚きに、悲鳴を上げる暇もなかったようだ。
うぞぞぞぞぞ……とミミズの群れを連想とさせる動きで、外に漏れ出していたそれらが、フィルの体に巻きつき、それぞれピンク色の舌を出す。
十……二十。いや、三十匹を遥かに超える、クヌギの人差し指大のトカゲのような生き物。
真っ白な鱗に、四足。そして四つの蝙蝠羽をした――。
ミニサイズの、石化の魔獣――カフカグルンスルザの群れだった。
その場にいたクヌギ以外の全員が絶叫して、我さきに逃げようと背後の壁に向かって走り出す。
アイカに至っては、倒れてぐったりしているセンを無理やり引き起こして自分の盾にしていた。
壁をすり抜けてサラサが消えていく。
ゼマルディがその部分を手で叩きながら叫ぶ。

「ちょっと! おまっ……見捨てるな!」
「ぞ……増援を呼んできますから、頑張って生き伸びてくださいー!」

サラサの声が小さくなって遠くに消えていく。
ルイを守るようにして振り返った牛男の目に、三十匹以上のカフカグルンスルザの子供に囲まれたフィルが、じりじりと近づこうとするクヌギからエレベーターの方に向かって逃げ出そうとしているのが映った。

東の生徒会搭を囲むようにして、黒スーツを着たホスト集団が現れたのは、十五階の壁から文鎮とインク瓶がものすごい勢いで突き抜け飛んできてから少し経ってのことだった。クヌギの屋敷で働くホストマン達だが、全員サングラス型のゴーグルをつけ、手には麻酔銃に改造した小型ライフルを装備している。
催涙弾を持った男たちが、エレベーターの周囲に腰をかがめ。
そして、先頭の一人が、周りを取り巻いている野次馬の少年少女を他のホストマンが遠ざけたのを確認し、突撃の手信号を上げる。
しかし、エレベーターのドアを開くためにボタンを押した一人が、怪訝な表情を浮かべた。
既にエレベーターは『開く』の操作をされていたのだ。
周りがどうしたものかと一瞬迷った途端。何の予兆もなく、エレベーターのドアが開いた。慌てて黒服の皆さんが麻酔銃を一斉に構える。
中から駈け出て来たフィルは、周囲でクヌギの部下たちが自分を狙っているのを見ると、青くなってその場に立ち止まった。
彼女が止まったのを見て、リーダー格らしいホストマンが小動物に喋りかけるように、静かに近づく。

「ラインシュタイン様。どうか落ち着いてください。私達は、あなた様を傷つけようとしているのではありません。あなたがお持ちのそれは、危険なものなのです。どうか、怒りをお納めいただけませんでしょうか?」

二回り以上も小さな少女に礼儀正しく言って、頭を下げる。同時に周囲の皆さんも、ザッと一礼をした。
フィルは、自分の体をうぞうぞと蠢いている白ヘビの子供を庇うようにして、いやいやと首を振った。

「お聞き分けください。このままでは駆除隊が出動して大騒ぎになりますよ。それを迅速に結集しようとしいるおぼっちゃまのお気持ちもお考えください」

フィルは一様に、クヌギの屋敷にいるホストマンと仲が良かった。泣いている彼女を見てつらそうに、しかしリーダー格の青年は、主のために意を決して足を踏み出し。
そこで、まるで少年音楽団のユニゾンのように、一斉にこちらを見て瞳を光らせた、石化の魔獣と目を合わせてしまった。

一面動く者は誰もいない。クヌギとゼマルディは頭を抱えたくなる気持ちを抑えながら、塔脇の街路樹の陰に座り込んで泣いているフィルに近づきあぐねていた。

「酷いな……」

呟いたゼマルディに、クヌギが頷く。彼は脇に、気絶したセンを抱えている。

「バスケットボールの試合が終わってな。フィルがいつものように待っていてくれたんだが、様子がおかしかったんだ……」
「トランス、何であの白ヘビが増えてるんだよ……?」
「俺が聞きたい。流石に仰天した。慌てて捕獲しようとしたんだが、母性が芽生えたんだか何だか、死んでもあいつらを離そうとしないんだ」
「一匹ならまだしも、あれだけの数はさすがに魔獣駆除委員会が出動するぞ!」
「だから封印しようとしてたんだ!」

周囲の、ホストマン達。それに僅かに残っていた野次馬の子供たちが皆、衣服に至るまで全てが石になって停止している。

「……親は?」
「流石に捕まえて、俺の部屋に放り込んできた。それがフィルの逆鱗に触れたらしい」
「てゆうか、あれメスだったのかよ……親の方は、服まで石にする力はなかったじゃないか」
「多分子供の力は微弱だが、集まることによって呪いが倍化してるんだ」

舌打ちをして、クヌギはフィルに気づかれないように塔の影に体を滑り込ませた。そこでは、何やら地面にクレヨンで魔法陣を書き。その中央に座り込んで、ブツブツと呪文を唱えているアイカがいた。

「マロン、どうだ?」

クヌギが聞くと、人魚の少女はニヤリと笑って親指を立てた。

「いけそうですわ。早くノーランドさんをこちらに」

促され、アイカの脇に気絶しているセンを横たえる。少女はその額にクレヨンで奇妙な紋様を描き、そしてポケットから携帯端末の受信装置のようなものを取り出して、勢いよくドラゴンの脳天に突き刺した。

「ハァッ!」

気合注入と言わんばかりに声を上げると、頭に刺さっているアンテナを感じていないのか、カッとセンが目を見開く。しばらく彼は視線を宙に泳がせていたが、やがてロボットのように機械的な動作で立ち上がった。

「人権無視ですけれど、ノートランドさんですから大丈夫ですわ。戦術ゾンビ洗脳用の魔法円を勉強しておいて良かった……」
「……お前本当に悪魔だな……」

ゼマルディがボソリと呟く。

「じゃあ、わたくしがこのリモコンで、ゾンビノーランドさんを操作して援護しますので、クヌギさん。騒ぎがこれ以上拡大する前に、とりあえずフィルちゃんをこれで眠らせてくださいまし」

そう言って、カバンの中からラジコンのリモコンのようなものを取り出し、内ポケットから『超速効』と書かれた瓶を抜いて大男に渡す人魚。

「恩に着る」
「いや着るなよ。持ってるのおかしいとか思えよ」
「黙れクラウン。今は使えるものは何だって使う。よし、行くぞマロン!」
「ええ! 行きなさい生贄ドラゴン!」

心の底から楽しそうに、アイカがリモコンを操作する。すると工場のロボットを連想とさせる動きで、センが走り出した。少し離れたところで気絶したままのロッタの脇で、壁に寄りかかって眠っているルイを見ながら……いいのかなぁ、とひとひらの善意を心の中で呟きつつ、ゼマルディがクヌギと走り出す。
その目に、普段のセンからは想像もできないほどの勇気あふれる、何者をも恐れないダイナミックな動きでフィルに近づいた彼――操られているその体が、石化魔獣の子供たち、その眼光の一斉掃射を受けて、服や吐き出していた息までもがガッチリと岩になるのが見えた。

「今だ!」

友を犠牲にした事実を一切振り返ることもせず、クヌギが地面を蹴り、飛びあがる。
慌てて上を見上げたフィルは、必死の形相で飛びかかってくる彼氏を見て一瞬ためらいの表情を浮かべた。その隙を逃さず、クヌギはアイカにもらった瓶の蓋を口で噛み開け、中身をフィルに振り飛ばした。

それから三十分ほど時が経ち。やっとアイカは額の汗をぬぐって息をついた。

「ふぃー。こんなこともあろうかと、フィルちゃんの唾液を解析しておいて良かったですわ。でも、これで解石剤はなくなってしまいましたので、また作らねばなりません」

言いながらポケットに、試験管入りのアンプルをしまう彼女を、唖然とした顔でゼマルディが見ていた。

「……何でお前、フィルの唾なんて持ってるんだ……?」

アイカに薬を振りかけられた、石にされて固まっていたホストマンや生徒達が時間差で目を覚ます。どうやら前後の記憶があいまいになるようで、フィルを背負ったクヌギが、部下たちに早く撤収するようにと促していた。彼の手には、ビチビチと蠢いているカフカグルンスルザの子供が入ったバスケットが握られている。
寝息を立てている金髪の吸血鬼を呆れた顔で一瞥してから、クヌギは街路樹の脇に腰を下ろした。そして膝の上にフィルを座らせる。
ボロボロになって撃ち捨てられているセンを尻目に、ゼマルディは息をついてルイの手を引いた。

「……何かよく分からんけど、俺帰るわ。行こうぜルイ」
「先ほどからににさまの声がしませんけど」
「どこか遠い場所に行ったんだよ、お前のににさまは……いつかきっと、もっと強くなって帰ってくるさ……」

ふらふらしながら二人が避難していく。これ以上のヘビ騒動はごめんだと体全体で体現していた。
並んで気絶しているセンとロッタを見てから、アイカは息をついた。

「しかし分かりませんわね……どうしてあのキメラは子供なんて産んだんでしょう? 単一生殖するのでしたら、さすがにあれは……」
「やめてくれ……フィルが発狂する」

手を顔の前で、疲れたように振ってからクヌギは息をついた。

「あなたも大変ですね……」
「しかし気になる所ではあるな。こいつらはうちの者に処分させるとして、お前、フィルの記憶を一日くらい丸ごと消す魔術使えないか?」
「あぁそれならノープロブレム極りありません。先ほどクヌギさんが使った薬は、そもそもそういう薬でして。目覚めた頃には、気を失う二日前後の記憶はすっきりさっぱり消えていますわ。何をしても都合よく忘れてくれるという、とてもファンタスティックなお薬なんですの」

グッと握りこぶしを作った人魚を僅かに引きながら見て、そしてクヌギは背後の木に背を預けた。

「……良かった……カッとなってつい酷いことを言ってしまったからな」
「あなた方が離縁の危機かと、一瞬とても冷や冷やしましたわ」
「するわけないだろう。しかしこう……フィルの悪食はどうにかならんのか。今回はさすがに死ぬかと思った……どうしてこう、奇妙なものを見ると目の色が変わるんだ。それ以外はいい子なんだが……」

いつになく気弱にぼやいたクヌギの目に、その時、まるで忍者のように音もなく駆け寄ってきた一人のホストマンが映った。器用に生徒を避けながら、彼はある時の前に膝をつき。
そして、懐に手を入れて、風呂敷包みにした何かを取り出した。

「ぼっちゃま。ラインシュタイン様のお部屋にこんなものが」
「何だこれは……」
「冷蔵庫に隠されておりました」
「まさか……」

呟いてそれを受け取り、開いて覗きこんだクヌギとアイカは、ゲッ……と顔をしかめた。
ウズラのもの大の真っ白い卵が、ぎっしりと詰まっていた。

「これは……」
「もしかしなくても、アレの卵ですわね……」
「何で受精卵を送ってくるんだ……」
「お机の上に、こんなお手紙が」

部下が差し出した手紙をとり、二人が覗きこむ。
それは、フィルの父である西の魔王からのものだった。
どうやら、またカフカグルンスルザが卵を産んだので、クール便で送るから茹でて食べなさいということらしい。
ため息をついたアイカの脇で、手紙をくしゃりとクヌギが握る。

「誰か……西の魔王を止めてくれ……」

その声は、哀しいほどきれいな夕焼けの空に反響して消えた。

夕焼けが沈みこむ寸前の頃。気絶から目覚めたロッタは、生徒会室の片隅で膝を抱えて壁を見つめているセンに、一生懸命話しかけていた。既に他の生徒会員は逃げるように部屋に帰ってしまっている。
アイカの薬のせいか、全く大ごとにならずにことは済んだらしい。
センの頭に刺さっているアンテナを極力気にしないようにしながら、ロッタは努めて明るい声で言った。

「こ……今回はさ。あんた、頑張ったね。あたし話に聞いただけだけど、今日くらいは、その……」
「……」
「褒めてあげても、いいかな……なんてさ。ね? ほら……」
「……」

フッ、とアンニュイで自嘲気味な笑みを発し、センはボソリと呟いた。

「……俺って必要かな……」
「な……何言ってんのよ。バカなあんたらしくないじゃない。元気出しなって。あたしまでなんか悲しくなってくるじゃない……」
「うん……」

ぐす、と鼻を鳴らしてから目をぬぐって、ボロボロの恰好のままセンは立ち上がった。そしてチラチラと頭のアンテナを見ているロッタの表情に気づかず、ニッと笑ってみせる。

「ま、俺がいなきゃ解決しないからな。お前らバカだから」
「え? あ……あぁ、まぁ……そうね……」

頷いて、ロッタはひきつった笑顔のままセンの手を引き。
そしてアンテナを見ないようにして

「気を落とさないでね。好きなのおごってあげるから……」

と、言った。

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天寧霧佳

【長編ギャグ小説】ラルロッザの学園都市【連載中】

魔法学園都市ザインフロー。 そこに暮らす一癖も二癖もある魔族達。 今日も今日とて彼らは往く。 この奇妙な日常を! 天使と大魔王の娘、フィルレイン・ラインシュタインを中心として……。 魔族の生徒会員達が大暴れ!! 波乱と、そして恋の行方は……!?
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