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そういうことが歌いたい

先日、私がやっているオンラインゲーム「FF14」内のユーザーイベントで、あるVTuberのことを知った。

花譜(かふ)さんという、十五、六歳ほどの女の子のようだ。
何とはなしにその子が歌うカバー曲を、後ほど何曲か聴いてみた。

まず驚いたのは、あいみょんの曲。
「生きていたんだよな」のカバー。

ショッキングな内容な歌だ。
「死ぬ」という言葉を一切使わず、「死んだ」という苦しみを歌っている。
物凄い作品だと思う。

とても、とても難しい歌だ。
歌をうたうというのは、感情を乗せなければいけない。
でなければ歌の力は聞き手に届かない。
それは音楽も同じだと私は思う。

このあいみょんの「生きていたんだよな」
感情を乗せて歌うには、この歌の意味を理解していなければいけない。
理解して自分のものにして、初めてカバーとしての歌唱になる。

花譜さんの歌唱はこちらだ。
台詞の部分で、声が震えている。
息が詰まっているところもある。
「完璧」なメロディラインの再現ではない。
でも、それは感情の揺らぎによるものだということがはっきりと分かる。

彼女は、この舌足らずな声の年齢で、この歌を理解して歌唱している。
「生きる」歌ではなく「死んだ」歌だということも。

生と死の概念を理解して、昏い心も包み込んで飲み込んで。
そして歌っている。
だから、声が震えるのだ。



はっきりそれが分かるのが、「命に嫌われている。」のカバーだ。
カンザキイオリさんのボーカロイドソングで、沢山の歌い手がカバー。
有名な曲だ。

こちらもショッキングな内容だ。
絶望を自覚している中で、それでも生きるという苦しみが歌われている。

代表的な方だと、まふまふさんの歌唱が挙げられる。

こちらは激情のまま、最後は絶叫で締めている。
花譜さんのバージョンは、カンザキイオリさんの新アレンジのようだ。

感情の揺らぎ、動き、苦しみがこれでもかと言うほど伝わってくる。
このような歌い方も一つの正解。
ただ、それ以上に表現されている「苦しみ」があまりにも深く。
そして真に迫っている感情だと、私は感じた。

この子にどのようなバックボーンがあり、どんなことが起きたのか。
そしてこの幼い年齢で、何故こんな歌唱が出来るのか。
それは分からないが、「素晴らしい」ことは確かだ。

歌はエネルギーである。
そこに表現されるのは歌い手の気持ち、心。
それがダイレクトにぶつかるのが「歌唱」だ。

分かるだろうか。
「嘘」は、すぐ判るのだ。

私は、昔好きだったアイドルグループがあった。
最初は希望に満ちた歌を歌っていたが、段々と方向転換。

画面を睨みつけ、吐き捨てるように絶望の歌ばかり歌うようになった。

私はそれがとても嫌だった。
昏い歌は嫌いではない。
嫌いだったのは、彼女達は「歌わされている」と判ってしまうこと。
言霊に真実味がないのだ。

当たり前だ。
年端もいかない少女達が、大人が書いた難しい絶望を理解できる訳がない。
経験もしていないだろうし、想像もできないだろう。

だから光り輝く希望の歌は美しかったのだ。
私は、彼女達の希望の歌が好きだった。

いつしか曲も買わなくなってしまった。
聴かなくなった。
私が聴きたかったのは、心であって。
彼女達の「嘘」ではなかったからだった。



ここまで書いたことには書いたが。
所詮クリエイトの分野なんて、受け手によって千差万別の内容になる。
だから、私の考えとは異なる印象を持つ方も多いだろう。

ただ、花譜さんの揺らいだこの歌唱を聴いた時。
私は、彼女の言霊を受けた気がした。
それはおそらく、きっと。
「花譜さん」という存在が伝えたかった言霊。
歌のエネルギーなのではないかと、私は思う。

どういう人かは分からない。
会ったこともない人だが。
私は彼女の昏い歌を「美しい」と、そう思った。

花譜|(Twitter)|(Instagram)|(YouTube

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