ラルロッザの学園都市 - 18

第17話 「継承権を破棄する」

生気のない瞳をした娘だと、思った。
三週間前にはじめて見かけた時にもそう思い、そして今見てみても、そう思う。
目を合わせようともしない。
美男美女が多い妖精の中でも、かなり美しい方に部類される娘なのだが、表情がガラス玉のようだ。
ボーッ、とやつれた顔で地面を見ている。
東のマフィアグループ、ノーランドファミリーの三男であるセンシエンタは、彼女が今日の晩餐会に現れてから一生懸命気を引こうとしていたが、一向に気づかれる気配がなく苛立っていた。
だだっ広い屋敷の舞踏室は、一階と、螺旋階段で仕切られたバルコニーの二階で構成されている。
一階には数十の長テーブルが並べられ、さまざまな料理が、後から後からと入れ替わっている。
少し離れた場所には、彼の父であるエルダードラゴン、タルスヘルン・ノーランドが、巨大な椅子に足を組んで座っていた。
顔面が火のような赤毛と髭でおおわれ、堀が深い目は、細い金縁の眼鏡で隠されている。
メガネレンズは薄黒い色のはずなのだが、それでもはっきりと、真っ赤に発光している不気味な眼球が見えていた。
トカゲ尻尾が二本ある。
その姿はまるで巨人を連想とさせるようで、体が大きいはずのセンが完全に子供に見えるくらい、かすむほどの体格だった。
闇色の、上着がマントのようになっているタキシードを着ている東の大魔王は、センと、そしてその隣で怯えたように小さくなり、コホンコホンと咳をしている双子の妹、ルイシエンタを一瞥もしようともしなかった。
センもルイも着飾っていたが、顔色が晴れない。単純にルイは具合が優れなく、逆にセンはタルスに、隠すことのない憎悪の目を向けていた。各界の首脳陣……マフィアだというのに、政界の幹部連中が多い。皆一様に、パーティー会場に足を踏み入れると、タルスヘルンに向かって頭を下げる。
肝心の大魔王は、それを一瞥するだけだ。周りに多数侍らせた若い女たちにしなだられかかっても、表情が変わらない。
鼻の脇をピクピクと動かしながら、センは舌打ちをして、父親からルイを守るように、その脇にずり寄った。バルコニーには、彼らの間を隔てて、階下での談笑に飽きたトップ達が上がってきて、思い思いに語りを開いている。
その声も、煩わしい。
しばらくしてメイドが、トレイに乗せた湯気の立つカクテルを二つ持ってきた。
それをセンとルイの前に置き、そっとタルスヘルンの方を手で示す。
父からだ、ということらしい。
それを完全に無視し、センは黙ってカクテルを二つ持ち上げ、父から見えるように中身をびしゃびしゃと床に開けた。そして、ハッと鼻で笑い、メイドが呆然としている前で、グラスを床に投げつける。
楽隊の演奏にかき消されたが、ルイは白い尻尾をびくつかせ、グラスが割れる音に、驚いて兄の方に顔を向けた。
慌てて片付けようとするメイドを押しのけ、足で破片を踏みにじった兄の太ももに手を置き、慌てて妹が止める。

「おやめ下さいににさま……乱暴はなりませぬ。父上さまの御前で……」
「奴をそう呼ぶな。虫唾が走る」

吐き捨て、センは大きく足を組んだ。
そしてこちらを見ようともせず、表情を変えようともしないタルスヘルンに、忌々しげに歯を噛む。
メイドが泣きそうになりながらグラスを片付けているのを見下ろし、そして彼は頭を振って自分を落ち着かせ、彼女のトレイに、ポケットから出した金貨を一掴み乗せた。

「それはもういい。ルイシエンタに温かいものを」
「……こ、こんなにいただけません……」
「いいから隠せ。他の娘どもにも色々くれてやれ」

メイドの背中を手で押して厨房の方に押し出し、センは眼下に視線を落とした。
そこで、あの娘を見つけたのだった。
左右を固めるのは、財界のSPたちだ。娘の手をひいて、小太りの男が歩いてくる。
それを見て、またセンは舌打ちをした。
基本的にマフィアの世界は政界、財界とつながりが深い。
それはノーランドファミリーもご多分にもれずそうだったし、何より、タルスヘルンにはそれを可能にする強さと、畏怖感があった。
SPに周りを固めさせている男は、アークシー一族という、いわゆるこの大陸政府の、財務大臣摂政に当たる家系だった。
かれこれ、三百年以上も摂政を行っている。
つまり、直接の大臣なのではなく、その大臣を影からコントロールする立場の家系だ。
いうなれば、大陸の金の流通を制御する、黒幕だ。
悪い言葉を使えば……。
別にそれに対して、センはどうこういう感情も持ち合わせてはいなかったが。
連れてきた娘の、疲れきって諦めきった顔を見ると、さらにいらだちが募った。
首筋から胸元にかけて開いた形のドレスを着ている。
女性がマフィアの会合に出席するときのルールだ。
スカートも、あまり広がったものはいけないし、ある程度透けているものを着用しなければならないと暗黙のルールで決められている。
武器を隠している可能性があるからだ。
しかし、少女の首筋から胸元にかけて、露出している部分がやけに白い。かなり分厚くおしろいが塗られているらしい。
それで隠し切れていない服の隙間から、何だか青痣のような、みみずばれのようなものが、センのドラゴンの視力に映り込んだ。
何かで殴られた痕だ。夏妖精特有の四枚のトンボ羽も、綺麗に装飾されているが、元気がない。
取り繕って治したのか、センから見ると明らかに破れていたと思われる治癒個所があった。
妙におどおどしながら、しかし優雅な風体で歩いてくる彼女に、周囲の視線が集まっているのが分かる。
センはまた舌打ちをした。
自分が今日のパーティーにいるというのは、一方的にだが再三知らせてあるはずだ。だが、肝心の彼女が顔を上げようとしないため、目を合わせることができない。
しばらくすると、彼女に、政界の見覚えがある男がちかづいていくのがみえた。
知っている。
確か法制大臣の一人息子だ。
うろ覚えだが今年で三十五、六。
おいおいマジかよ……。
と思っていると、小太りの男が、娘を、モノのようにひょい、法制大臣の息子に手渡すのが見えた。
そいつの人格までは知らないが、何だかニヤニヤしている顔がいやらしい。
少女は、俯いたまま硬直して相手の顔を見ようとしていない。
一人盛り上がっているのは、小太りの親……アークシー一族総統だけだ。
一人息子に手を引かれ、少女が引っ張られる。
踊ろうということらしい。
ルイなどは確実にわかってはいないだろうが、このような会合で親が男に娘を渡すというのは、ほぼ内組みで縁談が組まれているということだ。
なぜならば、人が見える場所で、ある程度名を連ねた者が、一族の者を他の一族に紹介するというその行為自体。
それは、部外者が想像することよりもはるかに強大な威力を持つ。
力の弱い者は強い者に取り込もうと必死だし、ひとえに一族を支える男性は、より力のある一族の女性を妻に娶りたいと考えるのは当然である。
普段、女にはなに不自由していない者でも、こういう会談の場では目の色が変わって、群がるものだ。
それが財界の摂政、その娘となればなおさらだった。
センの記憶の中では、今までに彼が娘を連れてきたのは初めてのことだった。
いや、それよりも、パーティーに娘を連れてきて引き渡すというその行為を、こんなに堂々と見るのは初めてのことだ。
つまり、周りに見せているのだ。
案の定、遠巻きに少女を見ていた他の男たちが、最初の男などを完全に無視し、次々にアークシー総統に挨拶を始めた。
娘を連れていかせるつもりだった流れが断ち切られ、周りに少女の紹介が始まる。これを見越していたのかもしれない。
注目を集めたことにより、タルスヘルンの目が向いたからだ。
センには、公になっている婚約者の立場である少女が一人いた。
だからタルスヘルンの第三子に向けてのアピールは、全く想定していないはずだ。
だが、存在を大魔王に見止められるということは大きい。
娘ならば、ひょっとしたら大魔王の気まぐれで一晩連れて行かれることもあるやもしれない。
そうなれば、より強固なつながりが出来る。
もうけもの、といったレベルの話ではない。
青天の霹靂が実際に起こせるかもしれないのだ。
やつれてはいたが、綺麗な娘だった。
上流貴族には違いないだろうが、どこか素朴さを感じさせるところが人の目に留まる。おどおどしている仕草や、伏し目がちな視線も、世間に疎い財界、政界の御曹司たちには新鮮に映るのだろう。
肩をすぼめて、完全に委縮している娘を無理やり前に押し出し、にこやかに笑いながら、総統が周囲に紹介している。
少し意識を集中すると、十メートル以上離れているそこの話し声が、センの耳に、はっきりと聞こえてきた。

「しかしこんな綺麗な娘様がおらっしゃったとは。存じませんで、御挨拶にも行けませんで……誠に心苦しいところです」

ありきたりな文句を並べ立てて、別の男が膝をつき挨拶をしている。
少女の肩を引き寄せ、総統が大声で笑いながら言った。

「今年で十五になりますでな。そろそろどこぞの良い人にでもくれてやろうかと思いまして。全く、粗雑な娘でお恥ずかしい限りですが」
「いやいやこれは素晴らしい。是非共この後、舞踏の御相手を御願いさせていただきたいところです」
「はっはっは。いやいや由緒あるニーヂェル家の方々とではつりあいがとれませぬよ。これの母親に似て、不出来なものでして。しかしこの歳になって初めて、私のために役に立ちたいと言い出しましてな。まあ、今日のところはその下見と勉強に連れてきたわけです」

肩にポン、と手を置かれ、少女が僅かにビクッと怯えた色を顔に浮かべる。
それを手に力を込めることで押さえこみ、総統がまた笑顔を周囲に向ける。
謙遜しているのではない。
あれがあの男の手口だ。
決して傲慢ではなく、しかし言葉の端々に重い威圧感を含ませる。
威張り散らすより、そちらの方が何十倍も、他人に畏怖を与えられる。
疑心を抱かせるのだ。
しかし、愛人の娘だと、この場でここまで大っぴらに宣伝するか?
胸が悪くなり、センは軽く視線を外した。
少女はほとんど泣きそうなのを、唇を歯を噛みしめることでなんとか耐えているような状況だった。
うつむいているので、周りはよく分からないらしい。
よほど彼女の家系に恨みでもあるのか、もしくはこの子は『使い捨てだから気楽に寄ってこい』という宣伝なのか。
おそらく、両方だ。
使い捨てだろうと、アークシー一族はアークシー一族だ。
その血をひいているというのは限りないアドバンテージであり、総統は総統で、家に置いていても名実ともに徳がない娘をどこかに出すことで、新たなるパイプの確立と、力関係の誇示もできる。
まあ、合理的な考え方だ。
器量があまり良くなければここまでうまくはいかないのだろうが、傍から見ても彼女の器量は相当なものだった。
何せ、センが三週間前に。
一目惚れをしたほどだったのだ。
ここに来ている大部分の貴族は知らないだろうが、三週間前に開かれた狩猟会に、あの子も来ていたのだ。
だたその時は、総統に手を引かれるということもなく、ただ単なる召使いとしての参加だった。センだって、話をするまでその子が貴族だということが分からなかったほどだ。
普通の平民服を身につけて、真冬の寒い中、木の陰で体育座りになっていた彼女を、偶然見つけたのだった。

狩猟会というのは、その名の通り貴族が行う大規模な狩り会のことだ。
一定区域の森を借り切り、そこの中を馬で移動して獲物を仕留める。
最も、仕留められる獲物は大概のところ野生ではない。事前に召使いが放った動物がほとんどだ。
御曹司連中はそれを知らないが、召使いやメイドと仲がいいセンは、小さいころからそのからくりを知っていた。
そもそも、真冬に行われる狩猟会でキジや兎がドサドサとれるのがおかしい。
大概の屋敷のメイドとは遊んだり付き合ったりしたことがあるセンは、今回もそれを知っていたため、むしろ一人離れて、さりげなく獲物をおいたててエリア外に出す作業に没頭していた。
別に殺される動物がかわいそうとかそう言うことではなく(どちらにせよ、食肉用の飼育された動物です)殺すよりも逃がす方が難しいからである。
何匹目かの兎を山に追い立てて、少し離れた場所で馬を駆っている兎族(耳が長い動物族です)を呆れた顔で彼は見た。
同族の動物を、よくもまあポンポン殺せるよなと少し呆れる。
そこで、膝を抱えて白い息を吐いていた彼女を見つけたのだった。
女の子がいるということも驚いたが、銃を持っているくせに馬に乗っていない。
それに防寒着も来ていない。
アホか……? それともはぐれたメイドか……? と思って近づいたところ、整った顔とやつれた頬が目に入ったのだった。
愛馬の手綱を引いたまま自分に見とれているセンに気付いたのか、少女は怯えたような顔を上げて、口を開いた。

「……何?」

そこでやっと、センはハッとして馬から飛び降りた。
そして尻尾を揺らしながら彼女に近づく。
遭遇した人が、よりにもよってエルダードラゴンの息子だったことに気がついたのか、少女は視線を伏せて、地面に目を向けた。
小さく震えている。疲れて動けないらしい。
それはそうだ。ここは標高五百はある。馬にも乗らさせずに歩いてこさせたのなら、この娘の家がやっているのは、ほぼ虐待だ。

「や、ずいぶんかわいい子が野垂れ死にそうになってると思ってさ。どこのメイド? 馬に逃げられでもした?」

フランクに呼びかけてみるが、反応が薄い。
隣にしゃがみこんでみると、彼女のスカートから覗いた足が、少し紫色になっているのが分かった。
というか、そもそもスカートでこの勾配の山を、馬に乗ってこられるとは思えない。
ふと、そこで思い出す。
メイドの子が噂をしていたのだ。
確か、急な手伝いで派遣された屋敷先で、貴族なのに召使いのように働かされている子がいると言ったものだった。
噂話だったので本気にしてはいなかったのだが、いわゆる愛人の子が囲われている屋敷を、手伝いもいない中で一人で切り盛りさせられているらしい。
ワンテリオンの屋敷に、普通召使は七人体制でつく。
その屋敷はスリーテリオンだったらしい。
小さいが、それでも一人で管理するのは、ほぼ拷問に近いだろう。
何とも不憫な境遇の子がいるもんだ、とその時はそれくらいにしか思ってはいなかったが。
随分良くしてもらったというメイドの子が、話してくれた特徴に一致する。
腰まで届くほどの長く茶色い髪に、夏妖精特有の、四枚のトンボ羽。体は小さいが、抜群のプロポーションをしていたとのことだった。
それどころではないのか。青い顔で震えている彼女を見て、少し戸惑う。
どういう状況なのか判断がつけがたかったのだ。
問い詰めることもできたし、反応がないならほうっておくことだってできたが。
少し考え、センは愛馬を呼び寄せて、鞍に積んでいた予備の防寒着を抜き出した。そして彼女の頭からかけてみる。
いらない、と拒否の姿勢を示した少女に、あきれた声でセンは言った。

「いーよ別にそれくらい。てゆうか、狩りは明日の昼まで続くから。割とリアルに死ぬぞ?」

とりあえず風がしのげそうな大木の脇に移動し、携帯のセットでたき火を起こす。その辺はちゃっかりしているらしく、少女は火の前で手と足を擦り合わせていた。センの防寒着もさりげなく拝借している。
しばらく彼女が落ち着くのを待ってから、センは水筒に入れてきたスープを注いで渡した。たちまちそれも口に流し込んで、彼女が息をつく。

「……死ぬかと思ったわ……」

ボソリと呟いた少女に、センは頭をボリボリ掻きながら言った。

「サバイバルすんのにも限度ってもんがあるだろ……何? お前何? 野生児?」
「失礼ね……あたしが野生児にでも見えるっての?」
「全力で体現してんじゃねえか……」
「うるさいよ……ノーランドのおぼっちゃまじゃない。あたしになんて、何の用?」

けんか腰に言われ、しかしセンは息をついてから頭を掻いた。

「まあ特に用はないけど……何? ほっといた方が良かった?」
「いいわけないでしょバカじゃないの……うぅ゛ぅ……寒っ……」

ずずっ、と鼻をすすって、少女は防寒着の下で自分の肩を強く抱いた。
黙って焚き火に込めている火の魔法を強くしてやると、だんだん震えが治まっていくのが見える。

「何だよ、他の奴らも気づいてただろうによ。放置されてたのお前? 今日の朝から? てゆうかそれで登ってきたの? バカなの?」
「……」

黙り込んで、少女は火を見つめた。そしてパッ、と切り替えたかのように、自分の服からサイフを取り出す。

「お金払う。いくら?」
「いいよ別に」
「今持ち合わせが五十ヘリオンしかないから。後で足りない分は屋敷に送るわ」

聞いていないのか、無理矢理センの手に、サイフの中身の金貨を全部握らせて、彼女はまた息をついた。

「いらねーよこんなはした金」
「そう? あたしにとっては結構な金額なんだけどね」

またけんか腰に返して、彼女はセンの方を見ずに続けた。

「何よ、笑い物にでもしたいの? お金は今それしかないから、とっととそれ持って消えて。火と服の代金くらいにはなるでしょ」
「正直言うと全然足りねえよバーカ。何だ可愛げのねえ女だな。顔はいいのにな」

真正面からそう言われ、青白い少女が戸惑った顔でセンを見た。

「あたしは助けてくれって言った覚えはないけど」
「だからやるって言ってんだろ。めんどくせー女だな……」
「あんたたち貴族に借り作りたくないの」
「……あーそう。じゃあいいんだな。コートは返してもらうぞ」

そう言って立ち上がったセンから、少女はずりずりと後ずさって距離を開けた。
一歩近付くと、焚き火を中心に円を描いて一歩下がる。
何度かその攻防を繰り返して、ドラゴンは呆れた声を発した。

「…………返すんなら返せよ…………」
「かっ……返すわよ! ちょ、ちょっとそこでもうちょっと温まるまで待ってなさいよ!」
「維持をはるな、素直になれ」
「うるっさいわね返せばいいんでしょ! お金がなければ返せばいいんでしょ!?」

唐突に逆ギレして、少女は立ち上がってコートを脱ぎ、バサリと地面に叩きつけようとして。

「うわっ寒っ」

と呟き、瞬く間に再度装着した。

「……短い決心だったな……」
「うるっさい! 文句があるならこのコート、五十ヘリオンで売りなさいよ!」
「もうわけ分かんねえよ……ああ、じゃあそれでいいよ……」

頭痛がしてきたので頭を押さえ、センはその場に腰を下ろした。

「顔はいいのにな……」

ボソリと呟くと、少女はまたガタガタと震えながら、少し動いたことで体力を消耗したのか……火を見つめて、言った。

「うるさい…………バカ貴族の……バカ息子で…………ドラ息子……」
「アークシー一族だなお前? あのな、メイドみてえなかっこして、そんな口俺以外に聞いたら、どんな目にあわされるか分かったもんじゃねーぞ。何そんなサバイバリックな人生送ろうとしてんの?」
「好きでこんなところにくるわけないじゃない……バカじゃないの……?」

ボソボソと抵抗して、彼女は息を吐いた。

「何……? ドM? 男なら怒りなさいよ……ちゃんとついてるの?」
「ごめん俺ってば割と罵られるの好きだから、できるならもっと口汚くお願いしたい。生温い」
「勘弁して……ド変態じゃない……」

膝に頭をうずめ、深く息を吐く。

「じゃあ、元気になったら存分に罵ってあげなくもないから、今のところはあたしをそっとしておいてあげてくれないかしら……」
「そっとしてるだろ……何これ? 俺、命を一つ助けたのに何この緊迫感……? 俺の方が下なの……?」
「…………変な男…………」

ため息とともに呟いて、少女はしばらくの間火を見つめていた。
パチパチと枝が爆ぜる音が何度か続いた後、温まってきたのか、呼吸が整ってきているのが分かった。

「……ね、何であたしを助けたの? あんた貴族でしょ?」
「お前も貴族だろ?」

しばらく後、ボソリとした問いかけに答えると、少女はバカにするように口の端をゆがめた。

「貴族に見える……?」

その問いの重苦しさに、センは口をつぐんだ。何か、それには茶化すことや、一朝一夕で答えることができるわけではない、低い含みを感じたのだった。
意外にも答えが返ってこなかったのを怪訝に思ったのか、彼女はなにか毒づこうとして、言葉を飲み込み口をつぐんだ。
また、スープを注いで差し出す。

「ほら」

黙って受け取り、少女はちびちびと飲み始めた。
うっすらと目に涙が浮かんでいるのを見て、センが少し戸惑った後、ポケットからだしたハンカチを差し出す。

「泣いてないわよ゛!」

ハンカチをむしり取って目に当てた彼女を、ポカンとしてセンは見つめた。

「まだ何も言ってねえ……」
「うるさいよ! 調子乗ってんじゃないわよ!」
「乗ってません……あの、よく分かんないけどごめんなさい……」
「え? あ……ああ、分かればいいのよ……」

意味不明なやりとりを経て、ぐし……と目元をぬぐってから、何度かしゃっくりを上げた。一度泣いてしまったことでタガが外れたのか、今度はボロボロボロと目から次々に涙があふれてくる。
慌ててセンに背を向けて、ハンカチで目を覆う。
しばらく、ひっく、ひっくという泣き声を聞いてセンは途方に暮れて頭を掻いた。
ここまで、どうすればいいのかさっぱり分からない子も、珍しい。
大分経って日が落ちかけてきた頃、彼女が泣きやんだ。目の周りを真っ赤にしながら、猟銃を抱いて肩を震わせている。

「わかんねぇ女だ……いいからテントに行くぞ。凍死したいのか?」
「行けば……?」
「行けば、じゃねぇーよ。ほんとに死にたいのか? それともお前、誰かに命令されてんのか? だとしたら、ずいぶんとサディスティックな家族がいるんだな」

少し息をのむのが分かった。
図星だったらしい。強がっているのだが、この子は顔にすぐ出るというのが、このわずかな時間観察していただけでよく分かる。

「……」

しばらく押し黙って、彼女はポツリと言った。

「服と焚き火ありがとう……あたしやることあるから……」

それを聞いて、センは初めて安心したように軽く笑った。
そして少女の頭に手を置き、ぐりぐりと髪をなでる。

「なにすんのよ……」

力なく振りはらわれて、彼は肩をすくめた。

「いや、初めてお礼言ったから、いい子いい子してやろうと思って」
「バカじゃないの……?」
「まあまあ。頭寒いだろ」

またぐりぐりと撫でつけられ、「ハゲる……」と僅かにもがく彼女の頭をなでてやる。
意外にもほとんど抵抗せずに、体を縮めて撫でられるがままになっている。
少しして殆ど日も落ちた頃、センは「よし行くか」と言って、しっかりと少女の手を握って立ち上がった。
立ちあがる直前、少しめくれたうなじのあたりに、無数についた赤いみみず腫れの痕が見えたが、センは見ないふりをしていた。
それを隠そうとしているようだ。
形からして、多分乗馬用の鞭で殴られたんだろう。

「暗くなっちゃったじゃない……」
「俺はよく見えるからいいんだよ」

そう言って馬に飛び乗り、彼は愛馬の首筋をポンポンと叩いた。

「こいつもな」
「……」
「何だ一言足りなくない? 乗せてくださいだろ?」

意地悪くニヤニヤ笑ってみせた彼を、少女はやつれた目で睨みつけた。

「……」
「……」
「泣いて頼むんなら……乗せてもらってあげなくもないわよ……?」
「何それ……おまっ、この状況で…………負けを認めろよ…………」
「……」

一歩も引かずに仁王立ちになっている痩せた妖精をしばらく見つめ、センはやがて頭を掻いてから言った。

「……分かったよ。ほら、お乗り下さい姫」
「分かればいいのよ」

尊大に頷いて、少女が足を踏み出す。
そして馬の轡に足をかけようとして、何度かぴょんぴょんと跳ねる。
届かないらしい。
数回チャレンジして、地面に尻もちをつき。
彼女は土を忌々しげに握りこぶしでたたいてから言った。

「手伝いなさいよ!」
「さすがだな……そこで逆ギレんのか……」

馬の上から手を伸ばそうとしたセンの耳のそこで近づいてくる二つの、馬の駆け音が聞こえてきた。
少女も気づいたのか、ハッと後ろを振り向き。
そこで硬直した。
慌ててセンから離れ、何歩か遠い場所にうつむいて立つ。
近づいてきたのは、センも知っている……アークシー一族本家の御曹司たちだった。
完全に暗くなっているために、ランタンの火だけではセンがいることが分からなかったらしい。
二人はニヤニヤと、先ほどセンが浮かべた笑みとは正反対のいやらしい顔をしながら、少女のことを見下ろした。

「どうだアルヴァロッタ。獲物は仕留めたのか?」

呼びかけられ、アルヴァロッタと呼ばれた彼女は、俯いて、ぐっと唇をかんだ。

「何だまさか一匹ってことはないよなあ?」
「だから女には無理だって言ったのにさ」

完全にセンには気づいていない。
二人がいる場所が大木の影だったということもあったが、それが結果的にはいい方向に働いてはいた。
仮に、ノーランドファミリーの息子が、アークシー一派の娘と二人きりでいる時間があったと、そう噂を立てられでもしたら大変だ。
それを分かっていたセンは、さりげなく後方の木の影に、馬ごと身を隠していた。

「ほら何とか言えよ」

ドン、と銃座でアルヴァロッタが小突かれ、その場に崩れ落ちる。何が面白いのかゲラゲラと笑いながら、二人は下卑たものを見るかのような視線で彼女を見下ろした。

「あれぇ? もしかして一匹もとれてない?」
「困ったなあ。これじゃ、今月のお前の屋敷への配分、やっぱ五割減ってことで」
「怠け者には過ぎた金額だったんだよ、なあ?」

土を強く掴んで、少女が声を絞り出す。

「と……獲るから。獲ってくるからもうちょっと待って……」
「気長に待ってやってた俺たちに、さらに待てって言うの? 分家(愛人の子)のくせに俺たちにまだ要求するんだ?」
「獲ってくるって言ってるでしょ!」

声を張り上げた彼女のその叫びも、ゲラゲラという笑い声にかき消された。
やがて二人は馬に乗ったまま、少女の周りをぐるぐると回り始めた。
そして互いに銃座で小突きながら、低い声を発する。

「なあ無理なら無理って言えよ? 強情な女はモテないぜ?」
「無理なら無理なりに、何かで払わなきゃいけないんじゃない?」
「だよな。遊郭の娘なりになぁ?」
「や……やだ……」

腕で体を隠すようにして逃げようとした彼女を、また小突いて円の中に押し戻す。
遂には、調子に乗ったゲラゲラ笑いに耐えきれなくなったのか。
アルヴァロッタは耳を抑えてその場にうずくまってしまった。
そこで、時間が止まった。

顔を上げたアルヴァロッタの目に、両の瞳をカメラのフラッシュのように、真っ赤に発光させたセンが見えた。
馬の上から、アークシーの本家二人を睨みつけている。
ざわざわ、と風で木が鳴った。
夜になったはずなのに、少し離れた場所から、鳥が叫び声をあげて飛び立つのが分かる。
あたりの空気が、やけに冷たかった。
ここは、大陸のノーランドファミリーが管轄している自治区だ。
魔法の使用は、制限されていない。
ノーランドに限っては、だ。
彼女を取り囲んだまま、二人は馬ごと、まるで氷になったかのように停止していた。
センは悠々と馬を進めてくると、彼らがロッタにしたと同じように、銃座でその頭を、思い切り殴りつけた。
堅いわけではないらしく、停止している二人の体は全く揺らがなかったが。
衝撃が吸収されていく感覚が、何故かアルヴァロッタにも分かった。
センは馬の上から、ずり落ちそうなくらいに身をかがめ、片手で彼女の腕を掴むと、ひょい、と抱き上げた。
そして自分の前に寄りかからせるようにして乗せる。
涙でぐしゃぐしゃになった彼女の頭を撫でてから、センはテントの方に馬を向けた。
そして軽く後ろを指ししめす。
鞍に、一応最初に仕留めたらしいキジが数羽くくりつけられていた。

「鶏肉好きじゃねえから持ってけよ」
「…………うるさい…………」

しばらく進んだところで、彼女が声を絞り出す。

「お金…………ない…………」

目を何度も手で擦って呟く。
センは軽く息をつき、そしてパチンと指を鳴らした。彼の目の発光が消え、途端、今しがた頭を思い切り殴られたかのように。
背後の二人が、もんどりうって馬から吹き飛ばされた。
絶叫にビクリとして、アルヴァロッタが後ろを振り向く。
その瞬間。
センは、いきなり彼女の小さな頭を掴んで、自分の方に向けた。
そして軽く、唇と唇を合わせる。
すぐに顔は離れたが、少女はしばらくポカーンとして彼を見上げていた。

「まあ、じゃあこれでいいよ」

また少し経ち。
一秒、二秒と彼女の頬と耳が赤くなっていき。
スバン、と音をたてて鋭く頬を張られ、センの視界がぐるりと暗転した。

眼下の舞踏会場で、うつむいてじっと耐えているアルヴァロッタを見下ろし、センは深いため息をついた。

「何であんなに我慢するかねえ……」

一つ、ポツリと呟く。
遂には群がる他の男どもに苛立ったのか、最初の男が、アルヴァロッタの手を掴んで、無理矢理輪から引きずり出したのが見えた、女慣れしていないようだ。
エスコートもへったくれもあったものではない。少女は小さな叫び声を上げたが、傍らの父親に一瞬だけ、ものすごい目で睨まれた途端、ビクッとして委縮した。
完全に怯えている。
そこで空気を読んだのか、楽隊が音楽を変えた。
舞踏用のテンポがゆったりとしたものが流れはじめ、少女が中央に引きずり出される。
しっかりとした教育は受けているらしく、足さばきや服の運び方などは優雅なものだった。しかし生気がない。
キスする直前まで顔を近づけられても、目を合わせようとしていない。
それは抵抗ではなく、どこか諦めきった表情だった。
周囲の視線を娘が集めているのに満足げな表情を浮かべている総統を、冷たい目で見下ろし。
センは頭をボリボリと掻いた。
踊りは綺麗なものだが、相手の男がなっていない。
完全にアルヴァロッタの体を触ることに集中しすぎていて、ステップもへったくれもない。
男として分からなくもないのだが、このような社交場でそう言った行為にいそしむのは、マナー違反以外の何事でもなかった。
腰や尻などを抱えあげるように持ち上げられたり、明らかに胸を掴まれている風もある。最初は戸惑いがちだったのだが、アルヴァロッタが何の抵抗もしないのと、総統が止めないことで意味を察したらしい。
SPさえも止めようとしていない。
周りの男たちはニヤニヤと薄笑いを浮かべはじめた。
総統がちらちらと大魔王を見ている。
踊っている相手の男が、彼に近づいた時にそっと耳打ちをした。
おそらく、「よいのですか?」などと聞いているのだろう。
事前に聞かされていたようだ。
唇の動きで、総統が「構わんよ。どうせ娼婦の娘だ」と答えたのがわかる。
その途端、男がアルヴァロッタが首にかけていたストールを抜き取った。
長い髪がほどけて、バラバラと周囲に広がる。
服を抑えていたらしく、胸元があらわになった。
驚きの表情で顔を上げ、整った目鼻立ちが照明に照らされる。
悲鳴を上げて胸を隠しそうになり、しかしそこでアルヴァロッタは、やはり父親の視線を受けて青くなった。ビクビクしながら、必死にまたステップを踏む。
センからしてみれば一目瞭然なのだが、虐待の痕は、薄暗い照明で、近くにいる者ほど分かりづらいようだ。
男たちの視線は釘づけになっていたが、女性達の目は冷たいものだった。
バカにしているのだろう。クスクスと笑っている連中もいる。
これでは舞踏ではない。ストリップだ。
マフィアのパーティーでは、、そのような官能ショーも時たま開かれる。
だから珍しい事でも何でもないのだが、自分の娘を使って遊んでいるという、その下卑た笑いと、その真意に気づかず欲情を向けている男たちの視線が、センの神経を逆なでさせた。
基本的に、分家の人間は本家の人間に逆らうことはできない。
それは絶対的なルールであるし、何より『家系』という一つの社会の中で、それを破ると生きていくことなどできようはずもない。
それは、他ならぬセンも身にしみて分かっていることだった。
十五といえば体は大人だが、心はまだまだ子供だ。
子供は、その絶対的な力に対してどうすることもできない。
抵抗することさえも、許されず、仮に逆らったとしても、待っているのは暗い結果だけだ。
身にしみて、センはそれを分かっていた。
おそらくあの総統は、女遊びでつくった子供を方々で囲っているのだろう。
たまたま器量が良く、また、不遇なことに異様に勝ち気で、責任感が強いであろう……つまり、一生懸命耐えようとする性格の彼女を、たまたま利用価値のある玩具として抜擢しただけの感覚に違いない。
あの様子だと、ひょっとするともう身売りの算段……いや、すでにさせられている可能性だって高い。
狩猟会で、ちらりと耳にした言葉を思い出す。金を減らすぞと脅されていた。生活費なのだろう。自分だけではない、他の分家の子供たちも含めて。
そこまで彼が考えた時、周囲から非難がましい含みを孕んだ声と、まばらな拍手が起こった。
一応一曲終わった時分に、締めのポーズのまま男がアルヴァロッタに唇を重ねていたのだった。
そのままたっぷり十数秒は停止してから、口を離す。
彼女はよろめいたが、ふらつきながらまた、必死に立ち上がった。
今まで踊っていた男が引っ込み、また別の男が足を踏み出す。
クマの浮いた顔で一生懸命笑い顔を作ろうとしている妖精を見て、センは少し頭を押さえた。
こめかみに徐々に青筋が浮いてくる。
兄の不穏な空気を感じ取ったのか、事情を知っているルイシエンタが、そっと手を伸ばした。そして彼の手を軽く握る。

「なりませぬににさま。御父上が見ておられます」

その言葉を聞いて、センは、横目で大魔王の方を見た。
相変わらず彼は自分たちの方を向いてはいなかったが。
眼下の女遊びを見下ろしたその口元が、センには僅かに笑っているように見えた。
二度目の舞踏が終わった。
またキスで締めくくられ、ほとんど半裸になっているアルヴァロッタが、軽く床に膝をついてしまう。
そこで総統がもっていた杖で、ドン、と床を突いた。
その音に過剰なほど反応し、少女は口元をぬぐうこともできずに、また必死に立ち上がった。五分刻みのハイテンポダンスを、立て続けに三人目だ。
それに、周囲すべてに視姦されている気分だろう。
三人目が終わり、荒く息を吐きながら、アルヴァロッタは男から糸が引いた口を離した。
その目が一瞬だけ、ここに入ってから初めて。
助けを求めるように、一瞬だけ二階バルコニーに座っているセンの方を見上げた。
すぐに四人目に覆い隠されたが、それは以前狩猟会で見た気の強い様子を微塵も含んでいない、今にも壊れそうなほどの弱弱しい視線だった。
センはもう一度、父を見た。
大魔王はすでに興味を失っているらしく、明後日の方向を向いて、傍らに侍らせた女性達と何事かを喋っていた。
四人目のダンスが終わる。
曲の終了間際に、タルスヘルンは眼下のダンスショーにチラリと目を向けた。
まるで、ゴミを見るかのような冷たい目だった。
それを見て、センは息をついた。
そして傍らの、双子の妹の手を一回、ぎゅっと握ってから。
手を離し、ゆたりと立ち上がった。
止めようとする妹の前で、彼の目が一瞬真っ赤に光った。

ルイシエンタがハッとした時には、もう既に遅かった。
傍らの兄の姿が消え、一拍も置かずに、一階から絶叫が上がったのだ。
センシエスタの魔力は、時間を止めることができた。
どこからどこまでもの範囲か、何を止めるのか、それは彼の意思にそぐった自由なものだった。
その力は圧倒的で、それゆえに、いや、そのために。
第三子の立場であるセンが、重病を抱えているルイと共に、大魔王の近くに置いておかれる、ただ一つの絶対的な理由だった。
周りの時間を止めている間に移動したのか、センは、予備動作も何もなく吹き飛び、床に崩れ落ちた……アルヴァロッタのダンス相手の頭を踏みつけ、そしてふらりと倒れかけた妖精の少女を、腕でキャッチした。
パチン、と指を鳴らすと、彫像のように停止していた彼女の親……。
その、アークシー総統が。
財界の裏首相である、政治の一任者が。
時を止めている間に、思い切り殴りつけられたのか、床に勢いよく叩きつけられた。
センは唖然としている周囲に目を留めることもなく、手の中のアルヴァロッタの口に自分の口を重ねた。
妖精の目が見開かれ、驚愕と疑念と、そしてどうしていいのか分からない、混乱しきった顔が彼と、地面に転がって呻いている父を往復する。
一拍遅れて、まだ口を離そうとしないセンに、総統のSP達が一斉に、懐から出した小銃を構えた。バラバラと蟻の子のように散り、慣れた様子で、たちまち包囲の陣形を組む。
センは全ての銃口が自分の方を向いたのを確認し、そこでやっと、アルヴァロッタの口から、自分の口を離した。
そしてバルコニーを殺気のこもった目で睨み上げる。
鉄のような目をして、大魔王タルスヘルンが息子の凶行を見下ろしていた。
数秒間父子が睨みあい。
センは、ためらいもなく、呆然としているアルヴァロッタの腕をひねりあげ、片手で羽交い締めにした。
悲鳴を上げた少女の首に肘を絡ませ、彼は怒鳴り声を上げた。

「全員動くな! この女を捻り殺すぞ!!」

ざわつきが部屋の中に広がった。
バルコニーでは、ルイが口元をわななかせながら真っ青になっている。
センは、それでも立ち上がろうとしない父親に向けて、口の端をゆがめて笑って見せた。

「あんたにはほとほと愛想が尽きた。これをもって俺は、ノーランドファミリーの家督継承権を破棄させてもらう。屋敷内で死人を出したくなければ、俺たちを黙って行かせろ」
「ににさまなりませぬ!」

絶叫して一階に駆け下りようとしたルイを、周りのメイド達が慌てて抑えつけて止める。

「……どうして……」

そこで、聞こえるか、聞こえないかの声で。
アルヴァロッタが、ポツリと呟いた。
肩を震わせ、手を目で覆う。

「やめてよ……頼んでないよ……」
「……」
「あたしは……あたしは……」
「……」
「あたしは一人でやれるよ……頑張れるよ……頑張ってたのに……」
「……」
「何するのよ…………」

最後の方は、声にならなかった。しゃっくりを上げ、気が抜けたのか、ボロボロと涙をこぼし始める。
言葉とは裏腹に、アルヴァロッタは、絞りあげられながら、センの服を、片方の手で固く握っていた。
彼女の泣き声を遮るように、センは周囲に目を向けてから声を発した。

「……ルイシエンタ、こっちに来い」

声をかけられた白いドラゴンが、メイドに抑えられながら必死に首を振る。

「お前の兄が来いと言っているんだ!」

大声を発したセンの耳に。そこで。
何十年ぶりかの、低く重苦しい声が聞こえた。
その場全ての、時が止まった。
何を言われたのか、センには、はっきりと分からなかった。
それ以前に、その音がタルスヘルンの口から発せられたと認識するまでに、たっぷり十数秒の時間がかかった。
それほど目に映った光景が非現実味を帯びており。
にわかには理解しがたいものだったからだった。
その場全ての者が、息を止めて、ゆっくりと立ち上がったドラゴンの巨体。
大魔王タルスヘルンの様相に、息を止めた。
何かひとこと、ボソリと呟き、彼は、既に腰を抜かして周囲に平伏している女性達を押しのけ、そして猫背の姿勢のまま、ゆらりともう一度センを見た。
彼の周りにたゆたっている空気が、パチ……パチ……と静電気のような音を立てていた。
火のように燃える色だった髪と髭に、程なくしてメラ……と空気が歪む音と共に、火がついた。顔面に炎をふらめかせながら、大魔王は眼鏡を外し、カシャーン……と乾いた音をたてて床に放り捨てた。
瞳が金色に発光していた。
ズン、と巨体の足を一歩踏み出す。
途端、彼の座っていた大きなソファーに、青白い炎が上がった。
ズン、ともう一度足を踏み出すと、今度は彼を取り囲むように……絨毯に、円形に炎が走った。
軽く唸り声をあげ、タルスヘルンは鼻の脇の筋肉を少しだけ上げた。
それは、侮蔑とも満足げともとれる、実に微妙な、歪んだ笑顔だった。
彼は唖然として停止しているアークシー家のSP達と、鼻からダラダラと血を垂れ流した総統と。
慌てて周囲に習って平伏した、その場の全員を、ゴミでも見るかのように一瞥した。
そして依然変わらず自分を睨みつけている息子と、彼が組み伏せている少女をしばらくの間見つめ。
鼻を鳴らし、一言。
地獄の底から響くような、くぐもった重低音の声を発した。

「私の禁呪五号を一部継承した程度で、調子に乗るなよ……」

目の裏が真っ赤に染まる直前に。
センは、妹が何かを絶叫している声を聞いた気がした。

「返してもらうぞ、ナンナもの(馬鹿者)めが……」

衝撃も何も、感じることができなかった。
その場の全員が、何が起こったのか理解することができなかった。
ただ、血。
それが噴きあがって舞い上がったことだけしか、アルヴァロッタにさえそれしか分からなかった。
一番分からなかったのはセンだった。
確かに組み伏せていたはずの少女から、いつの間にか腕を離し。
彼は、何が起こったのかもわからないまま、おびただしい量の赤黒い血液を吐き出しながら、数十メートル離れた床に、ドズン、と落下した。
それでも尚勢いは止まらず、血のりを床に引きながら床を転がり、壁に勢いよく激突して、やっと止まる。
動かなくなった息子を、大魔王タルスヘルンは。
いつの間に移動したのか、今まで彼が立っていた場所に悠々と立ちながら。
アルヴァロッタを、その大きな腕で抱き寄せつつ一瞥した。

「別に……死人の一人二人ぐらい、どうということはあるまい……」

小さな妖精の口から悲鳴が上がる。
彼らを中心に、床の絨毯が円形に燃え盛り始めたのだ。
遠慮も解釈もない火に、半狂乱になってアルヴァロッタが泣き叫び始める。
それを無表情で抑えつけている父を、わけもわからないままに霞がかった視界を無理やり広げ、センは見上げた。
そしてグラグラと足を揺らしながら、何とか立ち上がる。
しかしまた崩れ落ちた。
タルスヘルンは、それを淡白な目で見下ろし、そしてアルヴァロッタをひきずったまま歩きだした。
周りの者達が平伏しながら道を開けていく。
そして大魔王は、ほどなくして痙攣している息子の前に立つと、大きな腕を伸ばして、その頭を掴んだ。そして、獲物を捌くかのような軽い調子で、そのまま振り回し、壁、床、壁とところ構わず打ちつける。
それは折檻でも何でもなく。
ただ、単なる暴力だった。
一撃が入るたびに、屋敷が轟音を立てて揺れる。
しばらくして、ボロ雑巾のようになったセンの額に、タルスヘルンは指を当てた。それが、まるで水の中に突っ込むかのように、ズブズブと音を立ててめり込んでいく。
白目を剥きながらも抵抗しているセンの、頭をえぐっているわけではないらしい。
指を引き抜いた時には、大魔王のそこには赤黒い、宝石のような小さな石がついていた。糸を引いているそれをセンの頭からちぎり取った途端、彼が絶叫して頭を押さえる。
目の裏が完全に真っ黒になるほどの、脳をちぎられる激痛だった。
その玉を口に入れて飲み込んでから、大魔王は鼻で笑った。

「どうした? 継承権を破棄するんじゃなかったのか……? その前に死にそうだな……」

もう一度……と、彼の頭に指をつける。
口を震わせ、何とか父を睨みつけてはいるものの、センは既に体を動かすことができないようだった。
言葉を発しようとして何度かドロドロした血を吐き出し、えづいてから、彼はかすれた声を発した。

「こうやってころしたのか……母さんをよ……」

大魔王の動きが、止まった。
代わりに、センの頭を掴んでいる手に徐々に力がこめられていく。
今にも卵のように握りつぶさんとするばかりの力だった。
そして、彼は躊躇なくそれを実行しようとしていた。
しかし、やはり寸前で大魔王は腕に込めていた力を止めた。
組み伏せていた小さな、自分の身長の二分の一にも満たない妖精が。
彼の体から発せられる火の粉に髪や服、肌を焼かれながらも、震える手を伸ばし。
必死に、その太い腕を、両手で握り締めていたのだった。
瞳が真っ赤に発光している。
鋼鉄を遥かに超える硬度を持つとも言われる、大魔王の腕に、くぼみが浮くほどの、ものすごい魔力の放出だった。
痛くもかゆくもなかったが、驚きがタルスヘルンの腕を止めたのだった。
彼は、しかし一拍後。虫けらを払うかのような何でもない調子で、アルヴァロッタに向けてもう片方の手を伸ばし。

「おやめください御父様。私も、ここを去ります」

燃え広がり始めた絨毯の、炎の向こうに、彼の娘、その声を聞いた。
盲目の彼女……ルイシエンタが、両拳を握りしめながら、バルコニーに仁王立ちになっていた。
父と、そして瀕死の兄を交互に見て。
そしてルイは、息を吸ってから静かに言い放った。

「その二人をお離し下さい。どうしても否と申されるのでしたら、私が御相手つかまつりましょう。私をお殺しなさい!」

言葉を聞いて一瞬言葉を止めたが、しかしタルスヘルンは、アルヴァロッタの頭を掴み、そのまま小さな妖精を脇に放り投げた。
かなりの力で床にたたきつけられたらしく、頭を打ったのか、彼女がうめき声を発して動かなくなる。
彼はもう一度バルコニー上の娘を見上げ、しかしセンの頭を掴んだ手に力を込めた。そのまま、ルイに向かって歩き出す。
完全に、殺すつもりだ。
それはその場にいたもの全員が、本能で察するほどの圧倒的な殺気だった。
啖呵を切ったはずのルイが、数メートル接近されただけで、失禁しそうなほど足を震わせ始めたほどだった。
それでも気力で父を睨みつける娘に向けて、開いたもう片方の手を広げて、向ける。
そこで。
センが、血の塊を吐き出して。先ほどロッタがくぼみをつけた大魔王の腕、その部分を両手で握り締めた。一瞬だったが真っ黒い彼の魔力が指先に集まり、その重圧で、ベコリと音をたててタルスヘルンの腕が歪む。
大魔王は腕に感じた違和感に足を止め。
肉の一部がちぎり取られ、血が溢れ出しているのを見て、ルイに向けた腕を下ろした。代わりにセンを掴んで、十メートル以上離れた壁に向かって投げつける。
奇妙な音をたてて背中から衝突し、ドラゴンの息子は、今度こそ完全に動かなくなった。
大魔王は静まり返った屋敷内を、目だけを動かして見まわした。
そしてバルコニー上で、未だ仁王立ちの姿勢でこちらを睨みつけているルイを一瞥する。
その視線が動かないセンと、アルヴァロッタにとまり。
次いで、血を垂れ流している自分の腕にとまった。
ふん、と鼻を鳴らして彼は興味を失ったかのように息をつき。
そしてルイに背中を向けて、一人、足音も重く出口の方に歩き出した。

頭を抑えて、センはベッドの上に上半身を起こしていた。
時折眉間のあたりが、焼けつくように痛むことがある。
小さく呻きながら頭を振る。
ザインフローの生徒会室には、一応泊まれるだけの設備が整っている。
となりに仮眠室もある。
今日は寮に戻るのが面倒だったので、そこで作業をしつつ寝てしまったようだ。
時計を見ると、夜の十一時を指していた。
面倒だからもう明日やろうと思い、シャワーでも浴びようと立ち上がる。そして生徒会室へと向かうドアを開けたところで、彼は足を止めた。
長テーブルの端にうつ伏せになって、ロッタが寝息を立てていた。夢でも見ているのか、背中のトンボ羽がピクピク動いている。
近づいてみると、彼が途中まで作成した資料が、すべて埋められている。
続きを作ってくれたらしい。
となりにセンがいるということに気づかなかったようだ。
軽く笑って彼女の頭をいい子いい子と撫でてやり、彼はその隣に腰を下ろした。
暖房がついていない部屋は、どことなく寒かった。
ああ、今年で三年目か。
寒いな、と思ったその次に、彼は何とはなしにそう考えた。

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天寧霧佳

【長編ギャグ小説】ラルロッザの学園都市【連載中】

魔法学園都市ザインフロー。 そこに暮らす一癖も二癖もある魔族達。 今日も今日とて彼らは往く。 この奇妙な日常を! 天使と大魔王の娘、フィルレイン・ラインシュタインを中心として……。 魔族の生徒会員達が大暴れ!! 波乱と、そして恋の行方は……!?
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