ラルロッザの学園都市 - 28

第26話 「ドメスティック鬼」

「正月は普通に開催されてよかったな」

怪鳥族の大男、クヌギ・トランスの指先を掴んで歩きながら、小さな金髪の少女――吸血鬼のフィルレイン・ラインシュタインがニコニコ笑顔でうなずいた。

「そうだねえ」

身長差が一メートルほどもあるため、まともに手を繋ぐことができない状況であるがゆえ、やはりとてもカップルには見えない。
学園都市ザインフローの大通りには、新年を迎える飾りが並べられ、そして同時に各地で大道芸や屋台などが見受けられた。
さすがにクリスマスのインフルエンザショックで、活気は例年よりも少ないものの、学園の理事会が外から商人を呼び寄せ、急遽ニューイヤーの祭を開催したのだ。
もとよりウィルスの対抗魔導ワクチンはすぐに用意されたので、今では殆どの市民が全快している。
特に子供の回復力は尋常ではなく、元旦の朝早くだというのに、沢山の学生でにぎわっていた。
その中から頭一つだけ飛びぬけているクヌギは、一応サングラスとニット帽子、襟を立てたコートで顔を隠しているが、先ほどから周囲の女の子達から写真をとりまくられている。
フィルも同じようにサングラスをかけさせられてはいたが、もこもこのコートに埋もれている様はいつもと変わらない。
彼女自身は、何だか自分達を取り巻いている男達(ロリコン友の会)にやはり写真をとりまくられながらも、全く気にしていないのか、近くの屋台で足を止めた。
ふたりとも異常に周囲を気にかけない性格のため、ほぼアイドルのツーショットをパパラッチに追跡されている状態にもかかわらず、何事もないかのように正月祭を満喫している。

「何であいつらはあんなにリラックスしていられるんだ……?」

少し離れた場所で、人ごみに見付からないように隠れながら、ドラゴン族の生徒会長、センシエンタ・ノーランドが呟く。
その隣で、真ん中に彼の娘のリンフロンを、捕まえた宇宙人のようにふたりで手を引きながら、彼女である夏妖精のアルヴァロッタ・アークシーが口を開く。

「さあ……分かってないだけだと思うけど……」
「すごい報道陣の量なの」

コートに埋もれながらリンフロンが言うと、彼らの目に、一団から飛び出たカメラを持った、テレビ局の人間と思われる人がクヌギに近づくのが見えた。
それに一言二言返し、クヌギとフィルがすたすたと次の屋台に向かって歩いていく。
自然体過ぎる。

「ねえクヌギくん、これは何かな?」

フィルに聞かれ、大男は隣の屋台を覗き込んだ。
中のテキ屋の親父が、ふたりが引き連れてきた報道陣とパパラッチの量に言葉を失っている。
おびただしいフラッシュの中、彼は台の上に乗っていたコルク銃を持ち上げた。

「ああ、この地方の祭でよく見かける遊びだ。あそこに、いろいろ景品が並んでいるだろう?」

指を差した先に、段々になった五メートルほど離れた場所に、いろいろな景品が並べられている。
貴族が多い街ということもあり、ブランド品のバッグやコート、高そうなモデルガンなどもちらほら混じっていた。
コルク銃などでとれはしないのだが、まあそのへんは遊びだし、もし何かの偶然が起きて撃ち落せればもうけものだ。

「この玩具の銃で欲しいものを撃って、後ろに倒せればもらえるんだ」
「ふーん」

フィルはそういって、しげしげとコルク銃を眺めた。
クヌギが懐からコインを取り出して店のおやじに渡す。

「こうやるんだ」

震える手から五発コルク弾を受け取り、クヌギはそれを銃に詰めてから

「ふんッ!」

と気合を入れて銃に魔力を込めた。
少し離れたところから見ていたセンとロッタが、あわわわ……と青くなる。
案の定彼は、一瞬ピカーンと目を光らせ。
次いで、片手でしっかりとコルク銃を構え、魔力で補正してライフル弾ほどの威力に上昇しているその引き金を絞った。
ズキュンというコルク銃ならざる音が響き渡り、チュイン……と風を切って、弾が近くにあった、フィルほどの大きさの巨大なくまのぬいぐるみ。
その額を貫通し、向こう側の壁にバスッと突き刺さる。
煙を上げているぬいぐるみを、周囲の報道陣とパパラッチ、店の親父が静まり返って見る。
あまりに空気圧を魔力で圧縮しすぎたため、ある程度の重さがあるぬいぐるみは穴が開いただけで倒れはしなかった。
そちらの方が脅威なのだが、クヌギがふむ、と呟いて残念そうに言う。

「なかなかうまくはいかんな」
「私もやるよ!」

元気にそう言って、フィルが銃を受け取る。そしてコルクをこめ、瞳を真っ赤に発光させながら、小さな身体で銃を構えた。
その銃口に、ウィンウィンウィンウィンという、空気が圧縮される音が響きながら、ありえない量の膨大な魔力が集中されていく。

「誰かあのアホを止めろ……」

センが口元をわななかせながら呟く。
フィルは、先ほどクヌギが狙っていたぬいぐるみに銃を向けると、ためらいもなく引き金を引き。
ズバンッ! というショットガンのような音が響き渡ったのに驚いたのか

「きゃっ!」

と悲鳴を上げてしりもちをついた。
発射されたコルク弾は高速に回転していた。
それどころか、銃口から出るときの摩擦熱で、火がついている。
それは高速でぬいぐるみの頭に突き刺さると、パンッ! という軽い音を立てて、簡単にその頭を吹き飛ばした。
それでも飽き足らず、コルク弾はそのまま背後の壁を貫通し、後ろのカフェのガラスを轟音とともに打ち砕き、そのカフェのシャンデリアも貫通し、天井を突き抜けてから一直線に空のかなたに消えていった。
少し離れた場所から、ガシャンガシャンとガラスがくだけ落ちる音が聞こえる。

「ふぁ……いたい……」
「大丈夫かフィル?」

何事もなかったかのようにフィルをたすけおこし、クヌギが彼女のコートをパンパンと叩いてやる。

「びっくりしたよ」
「ふむ。力を入れすぎだ。でも初めてにしては上出来だぞ。見ろ、ちゃんと落ちてる」

くいっと親指で彼が店の中を指す。
頭部がきれいに消滅したくまのぬいぐるみが床に転がっていた。

「わあ! やったよー!」
「よし、次はあっちのぬいぐるみを狙うぞ。吹き飛ばしたら、もって帰ることはできない。その辺の力加減が難しいな」
「うん! 頑張って!」

ヒートアップしているカップルをよそに、初めてそこで我に返ったのか、パパラッチと報道陣の一団が悲鳴を上げて散りぢりに退避を始める。

「ママさま、あれやりたいの」

彼らの方を指さして言ったリンフロンをひょい、と抱き上げてセンがものすごい量の汗をたらしながら逆の方向を向いた。
ロッタが絶妙なタイミングで、もっていたカバンの中から

「リン、これ飲んでいいわよ」

と言ってピルクルを取り出す。

「マジなの!?」
「お正月だからもう一本あるわよ」
「もらうの!」

そのままリンを抱っこして、足早に夫妻が商店街を抜けていく。
ものすごい量の汗をかきながら、ロッタがセンに耳打ちした。

「危険よ。あのバカ二人はマルディに連絡してどうにかさせるわ」
「まさか寮を出て、二十分でピルクルを使う羽目になるとはな……」
「どうすんのよ……あたしら、テレビ行かなきゃ……こんなに早くリンフロンの集中力が切れるとは思わなかったわ」
「収録を遅らせるわけにはいかないのか……?」
「だめだっつってんでしょバカ! 生放送どうやって遅らせんのよ!? 最悪でも三時間前にスタジオに入らなきゃ……」
「でもリンに何とかして正月を体験させなきゃ何が起こるか……」
「もういっそこの子スタジオに連れて行くのは……?」
「やめてくれ……全国放送だぞ。今度こそ本当に戦争が起こる……」
「でもあのバカ二人をどうにかできるのはマルディくらいよ……」
「リンをどうにかできるのもマルディくらいだ」
「どうすんのよ!? あいつ引き裂いて二つにする!?」
「……いやそれは、やっぱり衝動的にやっちゃったら死ぬんじゃないかな……」
「それ以外にあたしたちにどういう選択肢が残されてるのよ!?」
「マロンにその件はちゃんと相談したから……」
「あの人魚何の役にも立たないじゃない! 帰省したわよあいつ我先にと!」
「やめろ俺に八つ当たりすんな……」

ガッと頭を掴まれ、センがプルプルしながら続ける。

「とにかく、お前は、いいからマルディに連絡して即刻来させろ……それとトランスの実家のアレ、ほら、アレだ。あのバカホストどもに来てもらって。頼むから。奴らを回収して。頼むから」

また背後でドゴンという爆発音が聞こえる。
その方向を向こうとしたリンの頭をくいっと前に向け、ロッタがもう一本ピルクルを取り出して渡す。

「ありがとうなの!」

元気に言って二本目を幸せそうに飲みだした娘を見てから、ロッタが無言でセンの尻尾をひねり上げた。

「急ぎなさい……一本目が切れたわ。とりあえず最終手段よ。封印してきて。幸運を祈るわ」
「分かった。任せろ」

そう言って、悶絶している夫を置いて、彼女はさりげなくわき道の家と家の隙間に入り込んだ。そしてしゃがんで携帯を取り出し、耳に当てる。
なるべくリンに気づかれないように、センはスタスタスタとものすごい速度で寮に向かって戻り始めた。
彼らは、新年のバラエティー番組に、ザインフロー学園代表生徒ということで出演が決定している。
年末のごたごたで、その間リンをどうするか、その打ち合わせをすることができなかったのだ。
そうこうしているうちに年が明けてしまい、バカな人たちを残して、他の生徒が帰省してしまった。
気づいた時には、リンが正月を満喫したいと騒ぎ出し、かといってテレビに出すわけにもいかず、にっちもさっちもいかなくなっていたのだ。
寮を破壊される前に外に連れ出してきて今に至る。
実の娘を、テレビに出演している間だけでも静かにしてもらいたく。
夫婦が選んだ最後の手段は、封印だった。
リンは何気に魔力の含有総量が天文学的な単位になっているので、気絶薬が効かない。
とりあえず人気がない場所に移動して、さりげなく封印しよう……。
できるかな……。
不安な目でセンが、手の中でピルクルを飲んでいるリンを見下ろす。
最悪、ロッタ一人でテレビに出てもらうか……。
抵抗されたら大変なことになる……。
深いため息をついた父を見上げ、ハーフの子が首をかしげる。

「パパさま、方向が逆なの。おまつりに行くの」

気づかれたか……。
青い顔で彼は、無理やり笑顔を作って答えた。

「なあリン、相談なんだけど……」
「嫌なの」
「まだ何も言ってねえ……」
「パパさまとママさまは、今日は私と一緒にお祭に行くの。異論はいっさいみとめないの」
「異論とか、お前難しい言葉知ってるな……」
「そういえばママさまがいないの」
「気のせいさ。それよりリン、相談なんだが……」
「もう一本ピルクルがほしいの」

空になった二本の五百ミリペットボトルを父に渡し、大きな目を細めて笑う。

「お正月なの!」
「話を聞け……」
「クリスマスが中止になったから、お正月は遊ぶって約束なの」
「くそ……そんな約束をしたな……ああしたさ……」
「じゃ戻るの。ターンライトなの」
「あ、リンあれ何だ!?」
「え?」

そこでセンが、突然大声を上げて彼女の背後を指差した。
古典的な手に引っかかり、伝説の魔獣がぐるんと振り返る。
その隙に、センは目を光らせ、ポケットから封印瓶を取り出して振りかぶった。

「悪く思うなよ」

ニヤリと笑った彼の手の中で、しかしリンはパッと顔を輝かせた。

「あ! えーと……えーと……えー……うさぎ! うさぎー!」

意味不明な単語を口走り、彼女は自分を抱いている父を、ネコがやるように後ろ足で踏み台にして、ぴょんと地面に降り立った。
不意のその行動にも魔力がこもっていたのか、センが石畳の地面に轟音を立てて後頭部から突き刺さる。
頭を抑え、ごろごろとその場をころがっている父を見捨て、リンがピヨピヨと子供用靴を鳴らしながら走り出す。
封印瓶は衝突の瞬間に砕けたのか、その場に粉々になって散らばっていた。

「うさぎー!」

大声で呼ばれ、振袖を着ていた兎耳の獣人が立ち止まって振り返った。
周りがざわざわとして、種族の外見を呼びながら走ってきたドラゴンの娘と、呼ばれたらしい兎娘を目で追っている。
普通衆人環境の中で種族の名前を呼ぶことはしない。差別に繋がることもあるからだ。
案の定、兎耳の娘の周りに取り巻きのようになっていた、ガラの悪そうな女の子達が、顔をしかめてリンを見た。
息を切らせて前でとまったドラゴンハーフの娘を見て、兎耳の娘だけは、少し離れた場所でころがっている学園のアイドルらしき人物に気づいたらしかった。

「うさぎ! 久しぶりなの!」

名前を忘れているらしい。
口の周りをピルクルでベトベトにしながら、小さな子供が親しげに話しかけている。
取り巻きの女の子の一人が、鼻の脇をピクリと歪ませてからリンの前にしゃがみ込み、威嚇をするようにその顔を覗きこんだ。

「何? このガキ?」
「邪魔なの」

出足払いの要領で、小さな子供が、自分よりもはるかに大きな鳥羽の子の腰をおし、足を払って脇に放り投げた。
ズバンと地面に転がった彼女が目を回してその場に崩れ落ちる。

「ん何だこの子供おお!」
「ナメてんのかああ!?」
「誰の子だこれはあ!」

ガラの悪い女の子達が、一人視線が泳いでいる兎耳の子の前に進み出る。
そのうちの一人に、着ていた振袖の襟元を掴みかけられ、しかしリンは下駄で起用にくるりと回ってから、今度はその手を掴んで、片手でひょい、と背中越しに投げ飛ばした。
続いて、ポカンとした残りの二人にすり足で接近し、目を光らせた後に、パンパンと、その顎に掌底を叩き込む。
白目をむいて女の子達が崩れ落ちた。
手の平の埃を払い、リンは呆然としている周りの人たちを見回し。
振袖服の裾を摘んで、ちょい、とポーズをとってみせた。
何らかのアトラクションだと思われたらしく、一人がパチパチパチパチと拍手をし始め、次いでその場を歓声とクラッピングの音が包み込む。
地面に死屍累々となった友人達を見下ろし、兎耳の娘、テュテは頭を押さえて深いため息をついた。

「何だこの状況……」
「久しぶりなの、うさぎ」
「うさぎっつうな。また出たよ変な子供……」
「うさぎ、ピルクル持ってないの? ヤクルトでもこの際いいの」
「持ってること前提!? 持ってきてるわけねーだろ!」
「じゃあ買いに行くの。どこに売ってるか、案内して欲しいの。パパさまは頼りにならないの」
「てめー……パシらせるつもり全開だな。いや、まあいいや……お前そこ動くな。分かったか? 分かったら返事」
「じゃあ一分だけ待ってあげるの」
「随分立場が上だな!? ま、まあいいから絶対そこ動くなよ!」

言い残し、慌ててテュテは目を回している仲間達を揺り起こし、ボソボソと状況を説明し始めた。
車座になっていたガラの悪い子たちが、一拍後、目を丸くしてリンを見る。

「ちょ、どうすんのリーダー?」
「てか何でそんなのがこんなところにいるわけ? 超意味わかんないんですけど」
「おれだって意味わかんねーよ! とにかく、ここで騒ぎを起こすのは不味いわ。あんたらは先に教会にいきな。おれはあのチビどうにかするわ。何か気に入られて、わけわかんねーんだよ」
「確かあれって、三年に何故かいるアレでしょ……?」
「そうそう。あの淫乱妖精の……」
「ああ、あの乳の……」
「乳がでけーならせめてバカであれってな……」
「マジ!? 超しんじらんないんですけど? 子持ち!?」
「うるっせーな早く行きなっつってんだよ!」

女の子達を手で追い散らしたテュテを見上げ、自分の脈拍を測っていたリンが、口を開いた。

「一分経ったの」
「恐ろしい測り方してんじゃねーよ! ほんと突っ込みどころしかねーなお前!」
「うさぎは突っ込んでくれるからいいの。ママさまたちは放置するから、正直つらいの」
「放置とかおまえ難しい言葉知ってるな……」
「ほら、いいからとりまきはさっさと散りなさいなの。チャラチャラチャラチャラめざわりなの」

さりげなくひどいことを言い放ち、天使のような笑顔でリンがテュテの手を引いた。

「リーダー、この小さいの、一発ぶん殴ってっていいですか?」

仲間に言われ、テュテはまたため息をついて、ひらひらと手を振って彼女達を脇に押し出した。

「耐えな。あとでセンシエンタ様からサインもらってきてやんよ」
「聞かなかったことにするの」
「だから何でお前そんなに強気なの!?」

ぶつくさ言っている仲間達を見送り、テュテは野次馬に囲まれている、いまだに後頭部を押さえてころがっているセンを一瞥した。
誰もあの無様な姿が、学園のアイドルだとは思わないだろう。

現にしゃがみ込んで「救急馬車(救急車のようなものです)! 早く!」
とか叫んでいる野次馬も、全く気づいていない。
地面に放射状に五、六メートルほどひびが入っている。中心部にはべっとり血がついていた。

「お前、正月早々パパさまに何したんだ……」

テュテにボソリと聞かれ、そこで初めてリンは父が瀕死になっていることに気づいたらしかった。

「……」
「唖然とすんな。お前以外アレができる奴はいねーだろ」
「リアルな話、私は今とても動揺しているの」
「動揺してんのか……難しい言葉知ってるんだな……」
「非常事態だから、ちょっとママさまを呼ぶの」

下げていたポーチから、卵形のお子様携帯を取り出し。
五歳児ほどの彼女が、冷静に耳に当てる。

「慣れてんなお前……」
「ママさま? あのね、パパさまが今にも死にそうなの」

電話の向こうから、悲鳴が聞こえた。

脳の大事な部分が傷ついたらしく、なかなか復活しないセンが救急馬車に詰め込まれていく。
青白い顔をしながら、ロッタが深く重いため息をついた。
そして野次馬の中でピルクルを飲んでいるリンの頭をガッと掴んで、恐ろしい目で覗き込む。
当のリンは頭蓋骨をミシミシ言わせながら、両手でピルクルの瓶をつかんだ姿勢で硬直していた。

「状況を説明しなさい……」
「未失の故意なの………………」
「難しい言葉でごまかそうとするんじゃないわよ……」
「…………正直ごめんなさいなの…………」
「素直に謝れるようになったわね……パパさまは脆いから気をつけるようにって、あれほど言ってるじゃない……」
「つい、こう力が入ったの……」
「お正月から何やってんのよ……!!」
「頭が…………!」

プルプルしているリンとロッタを交互に見て、テュテが控えめに口を開いた。

「あー……ええと……アルヴァロッタさん?」
「部外者は黙っててください。今ちょっと教育の途中ですから」
「いや、馬車行っちまいますけど……」

指差された方向の、センが詰め込まれた馬車が走り出そうとしているのを見て、ロッタは慌てて

「ちょ、待ってください! あたし親族です!」

と庶民感溢れる声を張り上げた。
そしてリンから手を離し、頭を押さえてしばらくその場をぐるぐると歩き回る。

「あーもう。これ以上ママの胃には穴が開く部分がないわよ! もういい! そんなにわがまま言いたいなら、一人で勝手に遊んでなさい!」

叱り飛ばされて、リンがビクッとして縮こまる。
その目に少しずつ涙が盛り上がり、彼女はぐっ、と息を詰まらせた。

「私も行くの……」
「お尻ひっぱたかれないだけましだと思いなさい。ママはほとほと呆れ返ったわ。お金ならほら、渡すから、勝手に遊んで勝手に帰ってきなさい。もう知らないから」

結論は見事なまでの放置だった。
リンの手にカードを押し込み、ロッタはパタパタと馬車に走っていってしまった。
突っ込むこともできずに、テュテとリンが取り残される。
馬車がガラガラと音を立てて走り出す。
俯いて、ハーフの子がしゃっくりを上げる。
その頭をポン、と撫でてテュテがため息をついた。

「まあ、後で謝れよお前……ついに置き捨てられたか……」
「どうしてこんなことに……」
「全力で自分の責任じゃね!? 理解してないよこの子! 何かもう不憫すぎてあの妖精に何もいえなかったじゃねーかよ! 畜生!」
「家族で遊ぶのお゛おぉ゛……」

去っていく馬車を見ながら、ボロボロとリンが泣き出す。
それを慌てて脇のほうに引っ張っていき、兎娘はハンカチで顔を拭いてやりながらあきれた声を発した。

「家族でって……一人消したの自分だろ……」
「うあ゛ぁ゛あぁぁ゛……」
「泣くな。分かった。何だかよくわかんねーけど分かったことにしてやる。パパさまは死にゃしねーよ」
「びぃぃ゛ぃぃ……」
「泣くなっつーの。うっ゛! 何かここ重力が……おも……っ゛!」

ズンッ! とリンを中心にして半径三メートルほどの地面が、綺麗に、五十センチほどの深さに、円形に陥没した。
周囲の家の窓ガラスが、パンパンパンパンパンと次々に粉々に割れていく。
次いで周囲を津波のような空気の微振動が包み込んだ。
ガラスや金属類に、周囲五百メートル半径ほどのエリアすべてヒビが走り始める。
野次馬全体が、鼓膜を振るわせる高周波のような音に気づいたらしく、おのおの悲鳴を上げて耳をふさぎ始めた。
音密度が凄まじいことになっている中、テュテがリンの魔力により地面にめり込んでいく。

「ちょっ……し、しぬ……」

慌てて兎娘は、プルプルしながら這っていき。
そして、泣いているリンの足をガッと掴んだ。

「おちつけ……お、おれ……おれが一緒に回ってや……やるから………………」

ひっくひっくとしゃっくりを上げながら、リンがテュテを見下ろす。

「…………」
「ま…………まつりいくぞ…………だ、だから泣くな…………」
「うさ゛ぎぃ゛……」

フッ、と重力の力場が消えた。
リンがしゃがみ込んで兎娘の首に抱きつく。
はー……はー……と息をつきながら、真っ赤な目でとりあえず。
テュテは、倒れている通行人達の間を縫って、リンを抱き上げ、急ぎ路地向こうへと駆け出した。

数分後、ピンピンしているリンの手を引き、げっそりとしたテュテが、遠くで鳴り響いている救急馬車のサイレンを聞きながら天を仰いだ。

「あー……不吉な正月だ……」
「とりあえずヤクルトの屋台を探すの」
「どんだけ乳酸菌に餓えてんだてめー! もう乳酸菌そのまま水に溶かして摂れよ!」
「……あなたは何を言っているの? 乳酸菌はヤクルトじゃない。それはただの乳酸汁よ……」
「いやそもそもヤクルトって………………あれ? ちょ、今おまっ、あれ!? 何か今、標準語が聞こえたんだけど!?」
「何も言っていないのなのー」
「可愛い顔でごまかしてんじゃねーぞ! 何だァその目はァ! 憐れみを込めんな!」
「うさぎ、知ってる? ママさまはよくテレビに出てるけどね、写真集の握手会とかの後には、必ず手を洗ってアルコールで除菌してるの。一時間くらい」
「聞いてねえし聞きたくねえーよそんな裏話! 話すり替えてんじゃねーぞ!」
「あと、実は家の中ではジャージでね、基本的に上半身は着な」
「やめろおお! おまっ、信憑性のない情報で世間を混乱させるつもりか!? 家族をもっと大事にしろよ!」

激しく突っ込んでから、テュテは考える人のようなポーズで、ベンチに腰を下ろした。

「ちょ、タンマ……まだ正直オレ、体治ってないんだよ……酸欠……お前にだけは言うけど、実は俺病弱なんだよ……」
「若いのにだらしないの」
「てめーさっきまでの一連の流れ、微塵も反省してねーだろ!?」
「みじんとか、難しい言葉を使われると、正直私ムカッとする」
「時たま標準語に戻るのやめてくんない!?」

頭を抑えてしばらく息をつき、彼女は眼尻を指で押した。

「お前のママ様の苦労が分かるよ……オレ、絶対子供つくんねえ」
「あんな鬼ババはもうママさまじゃないの。カードはこっちにあるんだから、あとはやり放題なの」
「さっきから聞き違いかな……? 何か聞いちゃいけないセリフがポンポン出てきてないか、お前の口?」
「世の中お金なの。これで私は夢の一人暮らしに乗り出せるの」
「うわあ最低だこの子! どっちに似たんだこいつ!?」
「うわさによると、パパさまのお爺ちゃんの生まれ変わりだって言われてるの」
「そこ答えなくていいから! お前まさかそれ言い訳にしてんじゃねーだろうな!?」
「でもその噂は間違いなの。パパさまのおじいちゃんは、今私の背後で絶賛背後霊家業中なの」

くいっと親指で後ろを指したリンから体を離し、テュテは本格的に突っ込み酸欠に陥ったのか、背中を丸めてバタバタと手を振った。

「とめろよじじい! ひ孫が暴走してるぞ!」
「日々の抑圧された私のふくしゅうが今始まるの。あの鬼ババに目にものみせてくれるの」
「苦労してんだなお前……何かもうどうでもよくなってきた……」
「ふふふ。カードを渡したのが運の尽きなの。とりあえずあの屋台を買うの」
「屋台ごと!?」
「おじさん、屋台を買うの!」

意味不明な言葉を口走りながら、リンがピヨピヨと、近くのチョコバナナの店に近づく。

「あーもう気が済むまで行っておいでー……」

テュテに手を振り、得意げな顔で五歳児が屋台のおやじと交渉している。
しばらくして、なぜか一本だけチョコバナナを持って、リンはトボトボとテュテの元に戻ってきた。

「おかえり」
「屋台ではカードは使えないって言われたよ……」
「だろうな……」
「あの鬼ババ分かってて渡したなぁあ!」

パシーンとゴールドカードを地面に叩きつけ、癇癪を起こしたリンの周囲、半径三十センチほどの地面が、ボコンと円形に陥没する。

「まあ、祭ってそういうもんだよ……良かったじゃないか。また一つ大人に近づいたぞ」

ペリペリと地面に張り付いたクレジットカードをはがして埃を払ってから、テュテはしょんぼりと脇に座ったリンの頭に手を置いた。

「また持ち上げてから落とされたの……」
「お前、全ての面においてママさまの手の平の上で踊ってるよ……」

カードの使用期限が切れている。
そこは言わないでおいてあげてから、テュテはそれを懐にしまった。

「うさぎ……希望をちらつかせてから落とされるのって、想像以上に心にくるの……」
「うさぎっつうな。負けを認めろよ。素直に病院行って謝ってきな」
「病院に行ったら殺されるの。本能というか、後ろのひいおじいちゃんがそう言ってたの」
「ひ孫をそそのかすなじじいぃぃ! 正しい道に導いてやれよおお!」
「日ごろ苦労してる私のお正月の成果が、ピルクル三本とチョコバナナ一本っていうのは、何というか人生的に割に合わないの…………」

アンニュイなため息をついたリンに、テュテは腰の痛みをしばらく堪えてから、息を吐いて言った。

「しゃーねえなあー。金なら出してやんよ。満足したらママさまに謝りに行けよ」
「いいのなの!?」
「別にいいよそれくらい。何をやりたいんだよ」
「とりあえずあのチョコバナナの屋台をもらいうけるの」
「屋台から離れろ。お前がゲットできるのは商品までだ。まずそこから理解しないと正月はやってこねえ」
「え~……」
「何で不満げ? 大体お前、チョコバナナの店なんて手に入れてどうするつもりなんだよ」
「これにチョコをかけるの」

そう言って、リンは先ほどテュテが買ってきてくれたピルクルの蓋をキュポンと開いた。
そして、さりげなくたいらげていたらしいチョコバナナの串をそっと中に差し込む。
何をしているのかと首をかしげたテュテの前で、リンは
「ふっ!」
と串に魔力を込めた。
そして一拍後。
「この前できるようになったの」
と言いながら、ずるんと、中身のピルクルを引きずり出した。
魔力による空間制御の超・高等魔術だった。
本人は気付いていないのだろうが、にゃんこ先生が反物質を形成した時の魔法に酷似している。
それだけで特許が出願できる程の巧みな魔力コントロールで、液体を、まるでプリンのように空間に固着させていた。
つまるところ、ピルクルのゼリーのようになっている。
ぶるん、と串の先に突き刺さったピルクルをテュテに向け、唖然としている彼女にリンは言った。

「私が手を離したら、元のピルクルに戻るの」
「……えぇぇぇえ!? 何これ!? 何でこんなんになってんの!?」

素っ頓狂な声をあげ、兎娘がつんつんとピルクルプリンをつつく。

「うわっはー! すっげええー! おもしれえー!」
「特に疑問を抱かないうさぎは、ほんとにいい友人なの。みんなみんなスルーするから、自信がなくなってたところなの」
「いや、何かもうあらゆる全てが疑問だらけだ。一周回ってどうでもよくなってきた」
「何故かピルクルとヤクルト以外じゃできないの」
「おめーの集中力が問題なんじゃねーの?」
「それはあるかもしれないの」

うん、と頷いたリンを見て、テュテは少し考え込んだ。

「説明して相手が理解するかどうか分かんねーけど、それくらいなら頼んでみりゃいいんじゃね?」
「第三女子寮カフェのコックさんには鼻で笑われたの。あれほどの屈辱を鬼ババ以外から受けたことは、いまだかつてなかったことだったの……」
「めんどくせーなーお前ら第一貴族はもー」

ぶつくさ言いながら、テュテがリンの手をひいて先ほどの屋台に近づいた。
そして一言二言話をし、あっさりとピルクル(?)をチョコにくぐらせる交渉を済ませてから、リンを抱えあげる。
チョコバナナ屋のおやじは、ノリがいい人らしく、固まったピルクルを見て爆笑していた。

「ほら、とっととくぐらせな」

溶けたチョコバナナ用のチョコレートがぐつぐついっている寸胴の中を覗きこんで、リンが青い顔でテュテの方を振り向いた。

「何か知らないけどうさぎが交渉したら一瞬で夢がかなったの……」
「お前はもう少し自分を客観的に見た方がいいな」
「しっかしおもしれー特技持ってるなー変な嬢ちゃん。テレビに出れるんじゃねーか?」

おやじに話しかけられ、リンはテュテに抱かれた姿勢のまま尊大に頷いてみせた。

「パパさまとママさまはもう出てるから、私も近いうちにデビューするの。印税とかなんとかでウハウハだってひいおじいちゃんが言ってるの。そしたら、よくあつされた生活から抜け出て羽ばたく予定なの。その時老後のしんぱいをしても無駄だってこの前言ったら、腕ひしぎ四の地固めをキメられたの。あれはどう考えてもいたいけな子供に対する虐待なの」
「どぅあっはっは! 妹さんおもしれーなあ! 印税とか難しい言葉知ってるじゃねーか!」

バンバンとおやじに背中を叩かれ、テュテは三白眼のような目で

「はあ……まあ……」

と、一連の台詞に突っ込み切れず、曖昧に頷いた。
姉だと思われている。母親だと思われなくて良かった……と息を吐いた彼女の手の中で、リンはピルクル(?)をずぼっ、と鍋に入れた。
おやじが手を貸し、くるくると回させてから引きあげる。
ここに、奇跡のチョコ包みのピルクルが誕生した。
爆笑しているおやじを背後に、リンは手を震わせながら、ぶよんぶよんしている何だかよく分からない物体を、唖然と口を開けて見つめていた。

「お前どうすんだよそれ。食うの? 飲むの?」

テュテに聞かれ、リンは

「こうするの」

と答え、手に魔力を集中させた。
プリン型だったピルクルが、うにょーんと伸びてバナナの形に変わる。
周囲の視線を意に介さず、五歳児はサクッ、とそれを噛んだ。
その目が一瞬真っ赤に輝き、彼女は弾かれたようにテュテを見上げた。

「…………イケる…………!!」
「もうどこから突っ込んでいいやら分かんねーよ」

こぼれないらしい。
何かもう、それならそれでいいや、と。
テュテは、おもしろかったから金はいいと言い親指を立てているおやじに親指を立て返し、屋台を離れた。

「もう満足か? ほら病院に行くぞ。おれはもう満足だ」
「病院には行かないの。どうせパパさまたちは、もう病院になんていないの」

ぷくうと頬を膨らませ、彼女は歩きながら続けた。

「一回、後ろのひいおじいちゃんに教えてもらって、パパさまに、爆裂キャットフィンガーを放ったことがあったの。体表の八十パーセントが黒焦げになってたけど、パパさまは十五分で蘇生したの。あのくらいの出血で死にはしないの。鬼ババがヒステリっただけなの」
「ひ孫に何教えてんだじじいい! てゆうか何!? ほんとにいるのそこに!?」
「普段は見えないけど、夢の中とか白昼夢とかで時たま出てくる」
「とりあえずそいつをどうにかしないと、お前は将来ひねくれた大人になるとおれは思う……」

早口でそういって、テュテは再びベンチに腰を下ろした。

「…………疲れた…………」
「わかいのにだらしないの」
「もうそれでいいよ……少し休ませてくれ……」

元々テュテは教会に行ったらすぐに帰る予定だった。
冗談ではなく、あまり体の調子がおもわしくないのだ。
考える人のようなポーズになった兎娘の隣に腰を下ろし、リンはチョコピルクルをかじりながら言った。

「そろそろ限界なの?」
「マジな話、ちょっと、しばらくの間ボケないでくれ……短時間に何回も突っ込みすぎた……」
「牛おじさんも時たまそういう状態になるけど、うさぎほどつらそうじゃないの」
「牛おじさん?」
「おじいちゃんみたいな立ち位置の人なの」
「お前を取り巻く環境はどうなってんだよ……だめだぞー……世の中危険なおじさんもたらふくいっかんな」
「ぶっちゃけた話、その点ではパパ様が一番危険だと思うの」
「やめてくれ……これ以上おれの中のアイドル像に踏み込まないでくれ……」 

聞きたくないと拒否して頭を押さえたテュテを、心配そうにリンが覗きこんだ。

「うさぎ、顔が青いの……そろそろ寿命なの?」
「頼むから、もうしばらくボケないでくれ……おれ、肝臓と、生まれつき肺が弱いから、長時間の突っ込みには耐えられない体なんだよ……」
「ずいぶんと不憫な体に生まれたの……」
「おめーに言われたかねーよ……」
「何か飲むものを買ってきてあげるの。だからお金を頂戴」
「気を遣ってくれんのか……そのセリフにはすごい違和感を感じるけどな……まあいいや。じゃ……薬飲むから、俺には温かい飲みもの買ってこい。お前はピルクルでも何でも買ってくるがいいさ……」

懐からコインを出してリンに渡す。
五歳児は「はいなの」と言い残し、ピヨピヨとジュースを売っている屋台まで走って行った。
それくらいのことはできるだろ……と傍観しているテュテの目に、屋台のお姉さんと小さい子供が、しばらくの間何事かを交渉しているのが映った。
遅いな……と思いながら呼吸を整える。
よし、安定したと気合を入れ直したところで、ピヨピヨとリンが戻ってきた。

「買ってきたの」
「あーはいはい……ありが熱っ゛!」

渡されたガラス瓶を慌てて脇に置き、テュテはそれを見て素っ頓狂な声を上げた。

「ピルクルじゃねーか!!!」
「特別に温めてもらってきたの」
「薬飲むって言わなかった!? ばかやろー!! 乳酸菌死滅してるだろこれ!!」
「ピルクルでもお薬は飲めるの」
「お前と一緒にすんじゃねえよ! お前の中の飲み物は乳酸菌一択しかな……う゛っ……腰が……」
「つ、冷たいピルクルもあるの!」
「…………ピルクルから離れろよ…………」

ぜー、ぜーと息をついてから、とりあえずテュテは温かいピルクルの蓋をあけ、バッグから取り出した薬と一緒にのどに流し込んだ。

「何かすっぱいんだけどよ……」
「だろうね……」
「分かっててやったのか……嫌がらせ以外のなにものでもねーな……」
「それはいいけど、うさぎ、具合が悪いなら馬車呼ぶ?」
「もういい余計なことすんな……」

リンの言葉を遮って、テュテはまた息をついた。

「とりあえず、教会で一緒にミサは受けてやっけど、その後は、おめーを家まで送るからな。別に正月は今日だけじゃねーんだから、ちゃんとママさまとパパさまに謝って、明日明後日にもう一回来な」

言われて、リンは初めて一瞬止まった。
そして、手の中のピルクルを弄りながら、目線をそらす。

「私は今日からうさぎの娘になるの。だからうさぎの家に帰るの」

唐突に重要なことをさらりと言われ、テュテは突っ込もうとして失敗し、激しく咳込んだ。
しばらくして呼吸を整えてから頭を抑える。

「お前なー。ちょっと怒られたくらいで拗ねるなよ」
「毎日怒ってばっかいる鬼ババはもう嫌なの。うさぎも私のことうざい?」

聞かれ、テュテは人ごみに視線を移し、しばらくしてからボソリと言った。

「……ちょびっと……うざい……」
「何パーくらい?」
「ギリで四十パーくらいかな……」
「それくらいなら大丈夫。まだイケるの。うさぎは強い子だから」
「ひるまないどころか上から目線だよこの子!! くっそー……どこがターニングポイントだったんだ……変な子供に気に入られちまった……」
「ママさまはきっと、私のことなんていない方がいいと思ってるの。そろそろ臨界点を超えると思ってたけど、今日ついに超えたの……」

ため息をついて、リンはボソ、と言った。

「パパさまも最近、すきあらば封印しようとするし、きっと私のことなんかもう要らないの。ごはんも一人で食べに行くことがおおくなったの」

テュテは少し押し黙ってから、五歳児の頭に手を置いて口を開いた。

「まあ確かに、ママさま若いから色々あるんだろうけどなー。お前が要らないなら、もっと早くに捨ててると思うぞ、おれは。少なくともお前みたいな子供なら、おれはそうする」
「もっと早くも何も、私はまだ産まれてから一年も経ってないの」
「何言ってんだ? ちょっと、ほら落ちつけ。意味分かんねーこと言ってるぞ。おめーをとり残して帰ったりしねーよ。絶対死人が出る……」
「げんにまだパパさまもママさまも私を探しに来ないの」
「うーん……」

そうだなあ、と心の中で頷いて、兎娘は流れる人ゴミを見つめた。

「みんな私を怖がるの。怖がらないのはママさまとうさぎくらいなの。怒るのはママさまくらいなの」
「お前を怒ってくれる人がいるってのは貴重だと思うぞー」

何気なく、ぼんやりとテュテが言った。

「怒ってもらえるうちが華だぜ? 人間、大きくなっても忘れねえのは、褒めてもらったことよりも、怒ってもらったことだかんなー。大きくなって、褒めてもらうのは簡単だけどよ、親に怒ってもらいたいと思った時には遅いことだってずいぶんあるぞ」
「……でもどっちかというとドメスティックバイオレンスに近いの……」
「てゆうかお前にドメスティックできる人間がいるっていうことの方が、おれには驚きだったよ」
「自分でも、何であの鬼ババに勝てないのか不思議なの……」
「そんなに強いのかあの人……」
「私の攻撃が届くことはほとんどないの。胸力の差だと思うの」
「あー……」

言葉を濁し、テュテは五歳児のなだらかな胸を上から下まで見た。

「ドンマイ。将来的にも勝ち目ねーよお前」
「うるさいの。うさぎに言われたくないの」
「おめーよりはあんよ。もめるくらいはあんよ」
「あわれみの目で見ないで欲しいの」
「乳酸菌より牛乳飲め牛乳。乳でかくなんだろあれ?」
「てゆうか乳に執着しない人を始めて見たの」

驚愕の顔で見上げられ、テュテはどうでもよさそうに胸をそらして見せた。

「まあ、でかいほうがいいっちゃいいけどよ。そのへんは持ちつ持たれつじゃね? 相手と自分の価値観というかさ」
「パパさまは圧倒的に巨乳派なの」
「絞め殺すぞてめえ!」

急にキレたテュテにガッと頭を掴まれ、プルプルしながらリンは言った。

「ごめんなの……さすがにいまのはちょっと失言だったと思うの……」
「次はないぞ……」
「やっぱり気にしてるみたいなの……」
「ちげーよ! 負けを認めたくねえだけなんだよ!」

ドンとベンチを手で叩いて、しかし突っ込みすぎの喘息のようになり、テュテは深く息をついた。

「まーいいや。何か疲れた。薬も飲んだし、礼拝して帰るぞ。そんなにママさまと戦争したいんなら、今日はうちに泊まってもいいぞ」
「マジなの!?」
「正月なのに誰もいねーけどな。郊外にでなきゃなんねーからめんどくせーぞ」
「安心するの。これから私も住むから」
「言っとくけど、お前の家には連絡するからな。誘拐犯になるじゃねーか」

そう言って兎娘はリンの手を引いて立ち上がった。そして教会に向けて歩き出す。
人ごみは立ちくらみがするからと、少し離れた道の端を歩く。
外見は完全にギャルなのだが、実のところ、本当に体が弱いらしい。
無理して歩いているのを感じ取ったのか、リンは少ししたところで足を止めた。
そしてきょとんとしたテュテを見上げる。

「何だ? はよ行くぞ」
「……」

少し迷ってから、口を開きかけたところで、パタパタという足音が聞こえた。
聞き覚えのあるその音に、条件反射的にビクッとしてリンが振り返る。

「ちょっと! 待ちなさい! 待てっつってるでしょおお!!」

甲高い声が聞こえる。
周囲の視線を跳ね返す勢いで、着物を翻しながら小さな妖精がすっ飛んできた。
背中の四枚のトンボ羽が高速で動いて、半分くらい宙に浮いている。
撮影の合間を縫って抜け出してきたのだろうか。
髪の毛なども完全にセットはされていたが、汗で乱れきっていた。
彼女は硬直しているリンの前で急停止すると、少しの間ゼー、ゼー、と息をついた。
そのだいぶ遠くの方から

「アークシー! アークシー!?」

と彼女を見失ったのか、聞き覚えのある声……生徒会の牛男、ゼマルディの声が、人ごみの中に埋もれてかすかに聞こえる。

「や……やっと見つけたわ……」
「ゆ………………油断してたの……………………」

顔を上げた母と目を合わせて、リンはプルプル震えだした。
殴られると思ったらしく、テュテの脇に慌てて隠れる。
その様子をあきれたように見て、そこで始めてロッタは兎娘の存在に気づいたらしかった。
少しの間きょとんとしてから、軽く首を傾げてみせる。

「あなたどこかでお会いしましたっけ……?」

聞かれ、慌ててテュテはブンブンと手を振った。

「い、いえお初です」
「あら……そうですか。ゴルァ! リン! 何やってんのあんた!」

学園代表のほぼアイドルとは思えない凄みのある声で怒鳴られ、リンが大粒の涙を目に浮かべながら、歯をガチガチと鳴らしつつ言った。

「ママさま何しにきたの……?」
「パパさまをテレビ局に置いてきてから、ずっとあんたのこと探してたのよ! マルディとクヌギ君家のホスト達も総動員してたのよ!? 何あんた携帯の電源切ってんのよ!? 魔力も感じなかったし、何このステルス性!?」

撮影には彼女だけは行っていなかったらしい。
リンは不満げな顔をしながら、おどおどしつつ母に言った。

「携帯も魔力も消してたんだよ…………」
「どおりで見つけることさえできないわけだわ……」
「だってママさまは勝手にしてなさいって……」
「素直に家に帰るかと思ったのよ。それを一秒でも期待してしまったあたしがアホだったわ……」

額を押さえて首を振り、彼女はテュテに深く頭を下げた。

「何だかよく分かりませんけど、どうせうちのがご迷惑をおかけしていたと思います。まことすみませんことです」
「あー……なんかもう、どうでもよくなってきましたんで、気にしないでください……途中で迷ってたみたいなんで拾っただけですから」
「ご親切に……すぐ関係者に回収させるように指示はしたんですけど、見失ったようで。やっと見つけましたわ」

同じ高校生とは思えない。
完全に母親化している。

「ほら、リン。いまのところパパさまに全部やってもらってるから、とりあえずマルディたちと合流するわよ」

呼ばれ、おどおどと五歳児は母を見上げた。
その背中をぐい、とテュテが押し出す。

「ママさまは、私がうざいんじゃないの?」

聞かれ、ロッタは深くあきれたようなため息をついて

「何言ってんのほら早くしなさい。ママはこれからテレビ局にもどるから、一時間だけちょっとマルディといて。あ、申し訳ありません、ちょっと所用がありまして。これあたしの名刺です。後ほどご連絡をいただけますか? きちんと御礼をさせていただきますから……」

ポカンとしているテュテに慌てて名刺を渡し、ロッタはごそごそと懐からお守りのような飾りがついた小袋を取り出した。
それをリンに持たせ

「あたしも怒りすぎたわ。年賀のお守り買ってきてあげたから。今日はどうしてもはずせないの。マルディを呼び戻したから、後のことはあいつから話を聞いて」
「ママさまこれくれるの?」
「パパとママからよ。ちょ、ごめんマジで時間ない」

そこでロッタの姿を見つけたのか、テレビ局のスタッフらしき人たちが、汗だくになって十数人駆け寄ってきた。

「今行きますううう゛!」

半泣きになりながらそれに答えたところで、ゼマルディが到着した。

「や……やっと見つけた……」

コートも羽織らない私服だ。
実家から、おそらく強制召還の魔法で、無理やり時空を超えて引きずり出されたのだろう。酷いことをするものだ。
そのマルディのみぞおちに

「遅い!」

と叫んで拳をめり込ませ、ロッタはリンの頭を一つポン、と叩いてからスタッフに引きずられて人ごみに消えていった。
呆然としていたテュテが、大分経ってから立ち直り

「……全部お前が悪いんじゃね?」

とボソリと呟いた。
母が持ってきてくれたお守りを手に持ちながら、五歳児がしばらく停止した後、おもむろにカバンに手をいれ、子供携帯を取り出し電源を入れた。
その履歴を見て青くなる。着信履歴が三百件を超えている。

「まったく……正月から何やってんだよ……癇癪起こしてお前を置き去りにするアークシーもアークシーだけどさ……何であの二人にはこう、子育ての才能がないのかな……」

つかれきった顔で、悶絶していた牛男が立ち上がる。
その顔を見て、テュテがポカンと口をあけた。

「あれ……? クラウンじゃん。何やってんのあんた?」

聞かれて、牛男も兎娘を見て動きを止めた。

「ああー久しぶりだなー。一瞬わかんなかった。お前、テュテじゃん。何だお前、まだザインフローにいたの?」
「普通に学生やってんだけど……」
「え? 何? 二人とも知り合いなの?」

聞かれ、ゼマルディは肩をすくめて言った。

「初等部から中等部が一緒だったんだ。その後こいつ、学園の南区に行っちまったから、接点はないんだけどな。何だ? お前がリンを保護してくれてたのか」
「まさか牛おじさんってあんた……?」
「牛おじさん?」

聞かれ、リンはコクリとうなずいた。

「なの」
「まあ否定はしないけど……」
「ねえ……てことは、この変な子供、もしかして西区の生徒会で育ててたりすんのかよ?」
「ああ。まあ色々な事情があってさ……」
「何で校内で子育てしてんだよ……」
「いや、誰もが勘違いするんだけど、リンはセンとロッタがつくったんじゃないんだ。父親はセンだけど、そのへんもまあ色々あってさ。変なうわさ流さないでくれよ」

耳打ちされ、テュテは一拍ポカンとした後、次いであんぐりと口を開けた。

「母親は誰だよ!?」
「うっ……寒っ! まあいいや、とりあえずリン、帰るぞ。俺そろそろ限界だ」
「うさぎ、何か私捨てられたんじゃなかったみたいだから、おうちに帰るなの。うさぎも途中まで馬車に乗っていくがいいの」

切り替えが早い。
その子供に手を引かれ

「あ……ああ……」

と答え。
兎娘は、何とか許容しようとしていたセンシエスタとアルヴァロッタの子供がこいつだという認識がガラガラ崩れていくのを感じ。
正月に何度目かの、意識が遠くなる感覚に襲われた。

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天寧霧佳

【長編ギャグ小説】ラルロッザの学園都市【連載中】

魔法学園都市ザインフロー。 そこに暮らす一癖も二癖もある魔族達。 今日も今日とて彼らは往く。 この奇妙な日常を! 天使と大魔王の娘、フィルレイン・ラインシュタインを中心として……。 魔族の生徒会員達が大暴れ!! 波乱と、そして恋の行方は……!?
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