ドラコニス - 5

第5話 「離宮」

それからは、別段特筆することも起きずに、ナキたちを乗せた馬車は、帝国サバルカンダに足を踏み入れた。
ラッシュが魔女とか呼んでいた、あの気味の悪い生き物達も、もう現れることはなかった。
リスタルに少しだけ聞いてみたが、君には関係ないと跳ね除けられてしまった。
その割には、生まれなどをしつこく聞いてきたりと、何かが気になる様子だった。
正直に話したが、むしろ自分がどこの生まれで、どうして奴隷になったのかは、ナキ自身が知りたいことではあった。
彼女がそれを告げると、リスタルは少し考え込んでから言った。

「分かった。今はそれで納得しよう。しかし、やはりいい顔はされないだろうし、噂ですぐばれてしまうだろうが、自分から、元は奴隷でしたなどと、たわけたことは吹聴しないように。私たちも、それは心の中にだけ秘めておく。いいな、お前達」

周りの兵士達に問いかけると、全員視線を前に向けたまま口を揃えて、了解であります、と返事をした。
貴族の人のことはよく分からなかったので、そういうルールなのだろうと頷いておく。
そしてナキは、リスタルに促され、騒がしい外に目を向けた。
窓の向こう側には、シルフの村にいた頃には想像もつかなかった、背の高い、レンガ造りの建物が立ち並んでいた。
森の妖精たちは、殆どが木と茅葺で小屋のような家を作るのだが、その性質上高い建物をどうしても作りづらい。
それでも、バーノンおばさん達の家は屋根裏があるという、ナキにとっては大きな家だった。
しかしどうだろう。
目の前に広がる帝国の城下町には、シルフたちの家など、比べ物にならないほどの巨大な建物が立ち並んでいた。
一階二階というどころの話ではない。
ナキにはその認識がなかったことだったのだが、ここは人口も多く、大概が集合住宅なのが基本だ。
街の人たちは、ラッシュ達の馬車や紅蓮騎士団の行進を見ると、シルフのように頭を下げたりはせずに、手に手に花束や造花のより集めを持って振っている。
おびただしい数の人だった。
歓声が聞こえる。
ちょっとしたパレードになっていた。
その光景に圧倒されて、あんぐりと口を開く、リスタルはナキによく見えるようにと馬車のカーテンを開けてくれていたが、ラッシュの乗っている馬車は締め切れられたままだった。
しかし人々は、それでも気になるらしく、口々にラッシュの名前を呼んでいる。
紅蓮騎士団の騎馬隊に阻まれていたが、馬に乗った男たちが、行進を取り囲むようにしてしつこくまとわりつき、何とか馬車に近づこうとしていた。
地方新聞の記者達だと、うんざりした声でリスタルが言う。
そこで、その記者の何人かがこちらに来たので、彼はお仕舞い、とばかりにカーテンを閉めた。
先ほど、天も突くような城門を越えて入ってきたときとは、打って変わったお祭りのような騒ぎだった。
サバルカンダは、帝国と言われるほど、軍事が進んでいる国家だった。
正確にはこの城下町と、王宮だけが国なのではない。
周りの、ナキが住んでいたフェルンクロスト地方や、東西南北の地域全てが、王族であるアルノーの管轄だ。
この王宮を取り囲んだ、半径二十キロほどの土地は、丸く城砦で囲まれている。
騎士団が馬車を中に乗り入れるだけでも、三度の関所検査があった。
ナキは身分をしつこく問いかけられたが、リスタル達が何かの書類を見せてくれたことで、何とか通過してここにいる。
街の地面には、石畳が敷き詰められていて、馬車の振動が収まり、幾分か快適になってきていた。
集合住宅のブロックが規則正しく並んでいた。
どれも一階部分は食堂だったり、何かの店だったりと、商売がなされている。
人々が暮らしているのは二階より上の部分だ。
周りの騒ぎに、口を半開きにしたまま、ナキはぼんやりとカーテンを見た。
なにが起こっているのかよく分からなかった。
リスタルはカーテンの隙間から外を見て、記者が追い払われたことを確認してから、ナキを引き寄せた。
促されて外を見た彼女は、そこで息を呑んだ。
巨大な道がまっすぐ続いている。
その両脇には建物があったが、馬車が十台も横に並んからといって渋滞を起こさないような、広々とした道のド真ん中を、彼女達は走っていた。
建物の周りには、行列を一目見ようと、城下町の人たちが詰め掛けている。
彼らを押し戻す柵のように、銀色の鎧を着た兵士達が、槍を天に向けて立ち並んでいた。
少し進むと噴水が所々に設置されている場所に出る。
いたるところに草木が植えられていた。
真冬なので殆どが茶色く萎れていたが、雪の中に埋もれながら、ナキが見たこともない、彼女の頭ほどもある大きな花が並んでいる光景も見える。
しかし、何よりナキを驚愕させたのはそんなことではなかった。
道の向こうに、真っ黒い、巨大な城砦門が見えた。
その奥に……何か、地平線を覆いつくすような威圧感のある、一際広大な建物が見えたのだ。
半球状の特徴的な屋根をした、円塔のようなものが沢山くっついている。
そして、中央の一際高い塔の頂点には、この位置からでも分かる大きさの金色の鐘と、竜のモチーフが織り込まれている旗が立っていた。
そのあまりの大きさに、目を点にする。
この広さに比べたら、シルフの村なんで、爪の先ほどのものだった。
また少し進むと、兵士達が規則正しく整列している場所に出た。
そのまま馬車が進んで行き、やがて王宮の城砦門が、鋼鉄の擦れる音を立てながらゆっくりと開いた。
ラッシュたちが到着するというのは事前に知らされていたらしく、沢山の女中達が頭を下げ、馬車と騎士団の入場を待っている。
少しすると、大理石らしい、光を反射している長い階段の前で馬車は停止した。
そこは円形の広場になっており、外だというのに、赤い絨毯が敷き詰められていた。
階段の中央付近にも、赤い色が見える。
カーテンの隙間から覗いていると、ラッシュの乗っている馬車のドアが開き、彼が、ポケットに手を突っ込んだだらしない姿勢で出てくるのが見えた。
覇気がなく、周りで頭を下げている、きらびやかな格好をした女中達など目にも入っていないようだ。
髪の毛を綺麗に結い、黒いドレスを着込んでいる彼女達は見とれるほど美しかったが、全く興味がないらしい。
少しすると、階段の下で待っていた男性……と思われる人が、両手を広げてラッシュに歩み寄るのが見えた。
ここからだと遠くて、顔までは分からない。しかし、彼と同じ赤毛だった。
分厚い毛皮のコートを着ていて、頭には金銀様々な色に光り輝く髪飾りをつけている。
その人は何事かを言いながらラッシュに抱きつこうとしたが、彼は、乱暴にその手を振り払った。
そして、この位置からでも分かる、冷たい……まるで、ここに来る途中で襲ってきた魔女に対して話しかけるような冷酷な目で、よろめいた相手を見てから、一言、二言口を開く。
城砦門の中……つまり王宮の敷地内には一般市民はいなかったが、それでも周囲の空気が凍りつくのが分かった。
そこで、こっそりといった具合で、こちらに、羽音を忍ばせてアーンガットが飛んでくるのが見えた。
リスタルがそれを目にして、少しだけ馬車のドアを開く。
その隙間から器用に中に滑り込み、アーンガットは近くの兵士の兜にとまってからナキを見下ろした。

「小汚い娘、お前はその格好では、曲がりなりにも由緒正しきアルノーの聖域に足を踏み入れさせるわけにはいかん。一度西の離宮に入れ、身だしなみを整えてからのお目通りを、とのことだ。南の魔女の一件もある。リスタル騎士団長をはじめ、貴殿らは、このままこ奴の警護に当たれ。離宮内では、女中一等長のアランリース・フランセが担当として当たる手配をしておいた」
「かしこまりました」

リスタルが頷いたのを確認し、ナキには何の説明もなく、アーンガットは鷲の丸い目で彼女をじろじろと見てから、ふんと鼻を鳴らした。

「得体の知れない小娘じゃ。よいか、殿下がいくら何を仰ろうと、わしはお前のような者は信用せぬ。事態が事態なので、今は仕方がないが、本来は貴様のような薄汚い民が、面を上げて通れるような場所ではないことを、きちんと自覚してもらわねば」
「……はい。ごめんなさい……」

意味はよく分からなかったが、怒られているということは分かった。
シルフの村と同じだ。
この人も、私の存在が気に食わないらしい。
そんな状況には慣れてしまっていたので、ナキには、何がともあれすぐに謝る癖がついていた。
アーンガットは拍子抜けしたように眼球をくるくると回すと、また開いた隙間から外に飛んでいってしまった。
りきゅうというのが何か分からなかったので、てっきり彼についていくものと、ナキは後を追って外に出かけた。
その腕を掴み、慌ててリスタルが彼女を馬車内に引き戻す。

「何をしているんだ。命令が出ているのに、それに背いてこの広場の土地を踏んだら、打ち首になるぞ」

脅しではなく、本気の声だった。慌てて彼の前に小さくなる。
リスタルはドアを閉め、ラッシュが周りを無視して階段を登り、開いた正門から王宮内に消えたのを確認した。
突き飛ばされたもう一人の男性が、周りに肩をすくめて、しかしにこやかに笑いながら話しかけている。
女中達も、くすくすとおかしそうに含み笑いをしていた。
彼も正門から中に入り、女中たちがぞろぞろと後に続いていく。
そこで、ナキが乗った馬車が動き出した。
正門ではなく、少し脇道にそれる。ラッシュと離れてしまうことに、ナキは言い知れぬ不安を感じた。
彼は、王宮の中に入っていくときに、ナキの方を一瞥もしなかった。
魔女の骸骨犬に襲われた時も、声をかけてくれるでも、近くに来てくれるでもなかった。
ひょっとしたら、彼は私を拾っただけで、これからもう二度と会うことはないんじゃないだろうか。
そんな不安が頭に湧いたのだった。
アーンガットやリスタルの口調から、何となくそれは想像がついていた。
自分は特別な存在らしい。
アルノーの血を受けるということは、かなり特殊な事柄だというのも理解ができた。
奴隷ではなく、対等な人間として扱ってもらえる。
まるで、今まで辛い思いをしてきた六年間の反動が一気に来たような感じだった。
しかし、それはもうここで終わりなのではないか。
ふと、そんな気がしたのだった。
リスタルも良くしてくれるが、ナキがここで頼れて、そして唯一ここに来る理由のつながりになったのは、ラッシュ一人だ。
しかし彼は、興味を失ってしまったような、そんなそぶりをしている。
こんなところに説明もなく、一人で放り出されて……どうすればいいのだろう。
そして自分は、これからどうなってしまうのだろう。
さっぱり分からない。
あまりにも不安で気持ちが悪くなってきた。

心細げな視線をさまよわせながら小さくなっているナキが、馬車が止まるのを感じたのは、それから少し経ってからのことだった。
馬車の窓から外を見てみると、石造りの壁が見える場所だった。
そこに囲まれていて、横には小奇麗な、白い大理石壁であるらしい、光を反射する建物がある。
何人かの女中がかしこまって立っていた。
全員、修道女のように白い、透き通るケープで頭を隠している。
ここでの正装らしい。
先ほどラッシュに向かう時は、頭にはいろいろな髪飾りをつけていたので、どうやら要所要所において身だしなみを変える決まりになっているようだ。
縮こまって、ウイスキーボンボンの入った小箱を握っているナキの肩を叩いて、リスタルが口を開いた。

「さて、私たちが離宮に入れるのは、この玄関関所だけだ。ここからは、宮殿での生活に長けた者が、君のサポートを行う」

突然のことに、ナキは目を白黒とさせた。
二日間一緒にいたため、だいぶリスタル達に慣れてきていた。
一緒にいてくれた紅蓮騎士団の兵士さん達も、兜を取って顔を見せてくれるくらいになっていた。
しかし、ラッシュはどこかに行ってしまい、加えてリスタルたちとも離されてしまうのか。
すがるような目になったナキを見て、彼は少し考え込んだ後、静かに続けた。

「別にいなくなるわけではない。男は、離宮の中に入ることはできないんだ。女性の場所だからな。宮殿の女中は皆、東西南北の四つの離宮で生活をする。ここはその中でも、格式が高い西の離宮だ。私たちは、玄関で君の警備に当たることになる」
「離宮警護なんて、思いかけない役得ですねぇ」

兵士の一人が口を開くと、リスタルは

「やかましい」

と言って彼の頭を叩いてから、ナキを見た。

「離宮の中でどんな生活があるのかは分からないが、困ったことがあれば担当の者に相談すればいい。ここから離れて、何かしら外出する必要があれば、私たちがつこう」
「リスタルさん、私どうなっちゃうの……」

思わずナキはそう言っていた。
何が正しくて、何を信じればいいのか。
本当に、シルフの村を出てきて良かったのか。
断るべきだったのか。
頭の中がこんがらがってしまっている。
鬼の兵隊長は、しかし肩をすくめただけだった。

「悪いようにはならないだろう。何せ、君は殿下をお救いになった女だ。皆、敬意を払うことはあれど、蔑むことはない。それほど殿下は、栄光あるお方だ。それに殿下には、殿下のお考えがあるのだろう」
「でも……ラッシュ様は、ここにいないよ」
「…………」

少し沈黙してから、彼は戸惑いの目で顔を見合した兵士達を見やった。
そして苦笑してからナキの頭を撫でる。

「あのお方は、こう言っては何だが、少々粗野だ。しかし、悪君ではない。君の事を放り出したりはされないと思う」
「私は、どうすればいいの?」
「とりあえず、ここでその格好をどうにかした方がいいな」

背中を押され、ナキは唾を飲み込んでから、兵士の人たちに抱えられるようにして馬車を降りた。
馬車は沢山の女中に囲まれていた。
全員が、灰色の、くるぶしまでを覆うローブを着ている。
全員、意外と若い子達だった。
十代後半ほどだろうか。
しかし、ともすれば幼児に見えなくない、小さな、みすぼらしい格好のナキが出てくるのを見て、彼女達は一様に、戸惑ったように顔を見合わせた。
事前に話を聞かされていたのだろう。
どんな立派な女の子が来るのかと思っていたようだが、痩せて骨と皮のような身体の、洗っていない乱れた髪をした子が出てきたことで、ちょっと事情についていけなかったようだった。
リスタルが言ったとおりに、奴隷であったことは伝えられていないらしい。
それもそうだ、とナキは小箱を胸に抱きながら、上目遣いに、自分を取り囲んでいる女中達を見回した。
彼女達は全員、端正な顔立ちをしていて、まるでお人形のようだ。
一人一人、お姫様として玉座に座っていても違和感がないくらいだ。
自分なんて、この人たちに比べたら、雑草もいいところ……いや、壁を這っている虫に近かった。
近くの女中は、自分の頭の中で、ナキ以外にも本筋の女の子がまだいると結論付けたらしかった。
ひそひそと他の子達と話をして、馬車の中を覗き込もうとしている。

「はしたないですよ、皆さん。口を慎みなさい」

そこで凛とした声があたりに響いた。
こそこそ話を注意された女の子たちが、慌てて口をつぐんで姿勢を正す。
離宮の内門から、両指を胸の前で組んで、しずしずと歩いてくる女の子の姿があった。
湖のように青い瞳と、ケープから零れ落ちるほどの豊満な、白い、雪のような髪をした子だった。
思わず、髪が光を反射してキラキラと光っているのに見とれてしまう。
お姫様だ、間違いないと心の中で思う。
年のころは、十七、八ほどだろうか。
顔は若いのだが、たたずまいのせいで、それ以上にも見える。
彼女はゆっくりとすり足で近づいてくると、一斉に道を明けた女中たちの間を通り、リスタルの前に立った。
そしてケープの端を摘んで頭を下げる。

「お勤めご苦労様です。紅蓮騎士団、部隊長様とお見受けします。西離宮の総括を任されております、アランリース・フランセ以下、傍勤女一同、ご命令を受けお出迎えに上がりました。よしなに」
「ご丁寧に痛み入ります、フランセ卿。こちらとも、紅蓮騎士団総括団長、リスタル・シャディーン以下六名、今後ともによしななことをお願いいたします。この度は、第十二代王息候、ラッシュ・クンドルフ閣下の命により、かの眷属たる娘をお連れいたしました」
「お話は拝聴しております。げにめでたきことと存じます。誠心の配慮を尽くし、援守に臨ませていただく所存でございます」

アランリースと名乗った女の子は、姿勢よく頭を下げたまま、一度も顔を上げなかった。
リスタルが真面目な顔のまま敬礼し、一歩下がってから始めて、ゆっくりと顔を上げる。
いつの間にか、周りの女中たちも皆頭を下げていた。
この白髪の女の子は、相当位が高いらしい。
流暢な言葉が交わされてはいたが、ナキには難しくて、何のことやらよく分からなかった。
兵士の一人が気を利かせて、こっそりとナキの背中を指で押す。
姿勢を崩して、無理やり前に進みださせられてしまい、ナキは引きつった顔のまま、硬直して前を見た。
アランリースは、青い瞳で淡々と、ナキを上から下まで見下ろした。
そして視線を離し、またリスタルに頭を下げる。

「確かに、お預かりいたしました」
「私たちは、この娘の警護をおおせつかっている。離宮に足を踏み入れることは適わないが、この玄関関所に滞在することを、お認めいただけないだろうか」
「既に勅命が下っております。皆様のお部屋は、関所にご用意させていただきました。身の回りのお世話は、この者たちがさせていただきます」

すらすらと彼女が言うと、女中のうち何人かが前に進み出て頭を下げた。
兵士の一人が軽く口笛を吹く。
それに眉をしかめ

「無礼だぞ馬鹿者」

と言ってから、リスタルは苦笑した。

「申し訳ない。男ばかりの所帯なため、多少の素行は多めに見ていただきたい」
「かしこまりました。私どもは尽し女であります。お気遣い、痛み入りますがお気になさらぬよう。詳細についての指示は、皆様の傍係に伝達をいたしておきました。お体を休まれてから、お聞きいただければ幸いです。では、お前はこちらに」

突然呼びかけられ、ナキは慌ててしゃっくりのような声を上げた。

「は……はい! 」

アランリースという女の子は、息を呑むほど綺麗で物腰も柔らかかったが、ナキがみすぼらしい格好をしていることに対しては、殆ど反応がなかった。
リスタルでさえ少し戸惑ったと言うのに、たいして疑問を抱いていないようだ。
彼女のその対応に習ってか、周りの女中たちも静かにかしづいていた。
促されるままに進み出て、肩をすぼめながら離宮の方に歩いていく。
途中でたまらず、少しだけ振り返ってみる。
リスタル達は、軽く手を上げて視線に答えてくれた。
それに少し気が楽になり、ナキは脇を女中に固められながら、石造りの女中屋敷に足を踏み入れた。
彼女が入り込んだのを確認し、アランリースはリスタルに対して口を開いた。

「勅命では、明日の正午に、ラッシュ殿下の帰還式が行われるとのことです。基本的な礼儀作法などは、わたくしどもが躾を行いますゆえ、ご心配なきよう」
「承った。宜しく頼む」

騎士団長にそういわれたことが意外だったらしく、そこで初めて、アランリースはわずかに首をかしげた。
そして、少し視線を離してから、一言問いかける。

「あれは、小人でございましょうか?」
「分からない。今のところは、そのように解釈をして欲しい」
「勅命とあらば」
「……彼女はあの歳で、反呪の才能を持っている」
「まことですか?」

頷いて、リスタルは続けた。

「殿下にかけられた、南の魔女の封印術を、特に意識をせずに破ったらしい。何かしらの魔術を使ったのだと思い、何度も聞き出そうとはしたのだが、本当に分かっていないようだ。それに、道中魔女の魔法に襲われたのだが、その際、彼女は左目が痛いとしきりに訴えていた。私には何のことだかよくは分からないが、留意していただきたい」
「左目が……」

繰り返し、アランリースは少し考え込んだ。そして、小さな声で呟く。

「やはり、ラッシュ殿下は魔女に襲われたのですね……」
「そのように聞いている」
「……このことは、わたくしの胸のうちに留めておきましょう」

頭を下げ、そのまま数歩下がると、アランリースは背中を向け、離宮に向かってゆっくりと歩いていった。
その後姿を見送り、リステルは兜を脇に持ち、担当の女中が促すのに従って歩き出した。
ナキが帝国に足を踏み入れた時は止んでいたが、また、パラパラと、乾いた空気に雪が混じりだした。
その濁った空を見上げて、鬼の騎士団長は、小さく息をついた。

離宮というのは、つまるとこと宮仕えをする女中が生活をしている、男子禁制の寮のような場所だった。
入っている女の子達は、その殆どが由緒正しき貴族であり、家柄でそのまま女中役についているのが殆どだ。
その中でも、ナキが引き入れられた西離宮は、十代の女の子が入れられる場所だった。
他の女中役とは違い、宮殿の中での、王族に対する給仕を専門として行う子達が暮らしている。
普通、宮殿の中で王族に接する女中は成人前の少女に限定される。
王宮内に邪気を持ち込まないようにという、いわば迷信のような決まりが由来していた。
大概が成人を迎えたら、別の場所の給仕を行うようになる。
西離宮の中は、想像よりもはるかに広かった。
ロビーには綺麗な白い絨毯が敷き詰められていて、壁には、女中達が書いたのか、美しい塗料で、様々な風景画がかけられている。
窓が少ないため、昼間だというのに、天井から下がったシャンデリアの蝋燭燃料は、赤々と灯りを落としていた。
正面には大きな階段があり、そこから部屋に分化していくようになっている。
怯えたように縮こまりながら、ナキは囚人のように女中達に取り囲まれ、絨毯の上を進み出た。
全員背筋がピンと伸び、たたずまいが非常に美しい。
それらと自分の貧相な格好を見比べ、ナキはバツが悪そうに周囲とともに立ち止まった。
アランリースが進み出てきて、そしてゆっくりとナキを見回す。
その感情があまり読み取れない目が、どこかバーノンおばさんを思い出させ、ナキは思わず目をそらした。

「こちらを見なさい」

しかし、視線を外した挙動が悪かったらしく、彼女はすぐにナキに注意をしてきた。
慌てて顔を上げて、女中長を見上げる。
アランリースは手を伸ばし、ナキの頬に手を触れた。
柔らかく暖かい手だった。
豆だらけでゴツゴツしてしまっているナキの手とは違う。
彼女はナキの顎を摘んで、その目……左目をよく覗き込んだ。
しかし何も発見できなかったらしく、少し疑問の表情をしてから手を離す。

「よろしい。ここがどこだか、分かりますね?」

そう聞かれ、ナキは戸惑いがちに頷いた。

「はい……」
「返事は、何が分かっていて、そして自分はこれからどうするのか、その二点をはっきりと口にしなさい」
「え……あの……ここが、王宮だっていうことは分かってます……」

恐る恐るそう言うと、周りの女の子達が馬鹿にするようにクスクスと笑った。
その様子に、どことなく悪意を感じて、ナキは一層縮こまってしまった。
アランリースは、想像以上にナキが不得手な子であることを察したらしかった。
少し考え、彼女は手で周囲を指し示しながら言った。

「ここは、サバルカンダのアルノー王家に宮仕えを賜った、由緒正しき西の離宮です。ここの者達は、主に王子殿下方の身の回りのお世話を拝します。同じ説明は繰り返しません。一度で憶えなさい」
「ええと……はい。ここは西のりきゅうで……みんなで、王子様たちのお世話をするんですね」
「その通りです。ここに入るということは、お前もこれから、一人前の教養作法を身につけ、歴史に恥を塗らないよう、尽力せねばなりません。お前にはこれから、わたくしと同じフランセの姓が与えられます。自分の名を名乗りなさい」

突然言われたことの意味が分からず、ナキは少しの間きょとんとした。
次いで、自分が姓を持たない奴隷だということに対する配慮だと、それに気がつく。
アランリースというこの女の子は、どうやらひととおりの事情の説明を受けているらしかった。
他ならぬ貴族の人と同じ姓を名乗っていいものだろうか、と少しためらったが、ナキは、怒られるのは避けようと、頷いて言った。

「私は、これからナキ・フランセって名乗ればいいんですか?」
「……言葉回しの無礼さに目を瞑るのは、これが最後です。お前は、少なくとも立ち振る舞いの作法だけはきちんと勉強をせねばらなぬようですね。ひとまずは、その不躾な格好を整えましょう」

また周りの女の子達がクスクスと笑う。
馬鹿にされているのだ。
想像以上に意味不明な子が来たことで、女中たちの緊張が完全に抜けてしまっているのが肌で感じられた。
ナキは肩身が狭くなる思いを抱いた。
分かってはいることだし、慣れてもいたが、逃げ場がどこにもないので体が浮き上がっているような、妙な不安定な錯覚を感じてしまう。
アランリースはその含み笑いを注意するでもなく、胸の前で指を組んで近づくと、また口を開いた。

「ナキ・フランセ。ラッシュ殿下のお傍づきとして成り立つよう教育をせよ、とわたくしに勅命がありました。しかしながら、お前のそのような具合では、殿下は愚か、王宮にやることも適いません。お前を特別に扱うつもりは、わたくしにはありません。認められたくば、ふさわしき振る舞いを心がけるようにしなさい。分かったら返事をなさい」
「はい、分かりました……」

どう答えたら怒られないのか、よく分からなかったので、威圧感に負けて小さな声で言う。
アランリースは声の小ささを叱責しようとしたが、少し思い直して口をつぐんだ。
こんな玄関で矢継ぎ早に注意しても仕方がないと踏んだらしい。

「話は後にいたしましょう。あなた達、湯の用意はできていますね?」

彼女が周りを見回すと、係になっているらしい女中二人が進み出た。

「浴場にて、準備は整ってございます」
「よろしい。来なさい」

短く命令され、ナキは、リスタル達と馬車に乗っていたときとは全く違った、一転してしゅんとした顔でそれに続いた。
ラッシュには会わせることはできないと断言された。
心がけろといわれても、一体何をすればいいのかも分からない。
心細さは、シルフの村の時となんら変わらなかった。
アランリースは、ナキの隣を歩きながら、彼女が抱えていた小箱に目を留めた。
そして少し考えてから口を開く。

「それは、お前の大切なものですか?」

聞かれて、ナキは慌てて顔を上げて頷いた。

「はい……騎士団長さんから、もらいました……」

とられると思った。
リスタルにもらった、生まれてはじめてのプレゼントだ。
一瞬迷ったが、ナキは自分には抵抗できるだけの力も何もないことを、再度心の中で自覚した。
一瞬目を伏せた彼女を見て、アランリースはつい、と目を離した。
そして続ける。

「中身は何ですか? 見せなさい」
「お菓子です……」

そんなものを大事に持っていることで、完全に子供だと思われたようで、また周りの女の子たちが含み笑いをした。

「ごめんなさい……」

それから逃れるように小さな声で謝り、素直に渡す。
彼女は受け取ると、蓋を開けて中のウイスキーボンボンを確認した。
ナキは知らなかったことだったのだが、本当ならば、宮仕えをする者が酒入りの菓子を持つことなど、言語道断だった。
いつ何時に主である王宮に出向かなければいけない状況になるとも限らない。
酔っ払っていては全てが台無しだし、何より、そんな無様な姿をさらしてしまったら、即刻重い刑罰を受けてしまう。
アランリースは、周りの子達に中が見えないようにすぐに蓋を閉め、そして懐に入れた。

「よろしい。後程返します」

絶対に取られたまま返ってこない、とナキは心の中で思って、少しだけ憂鬱な息をついた。
王宮に来ても、村と同じような嫌がらせをされるとは、想像はしていたけれど辛いことだった。
でも、自分は慣れている。
そんなこと、一つ一つ気にしていたら身が持たないことを知っている。
……後で、リスタルさんに会ったらごめんなさいと言おう。
そしてちゃんとふさわしい振る舞いを身につければ、ラッシュ様に会わせてもらえるんだ。
そう思って気を取り直す。
階段を登って少し曲がると、彼女達は大理石が敷き詰められた、巨大な浴槽のあるフロアに出た。
大きさに唖然とする。それ一つだけで、シルフの家一軒分程もある。
湯が立ち込めていて向こう側が見えない。
辺りには花と蜜の香りが揺らめいている。
浴槽の表面には色とりどりの泡が浮かべられていて、所々に宝石の原石と思われる大きな岩が突き出していた。
その光景をポカンと見つめていたナキを、不意にアランリースが手で押した。

「何をしているのです。服を脱ぎなさい」

一拍置いて、ここで身を清めなさいと言われているのだと気づく。
さすがに全員がここに入るわけにはいかなかったらしく、二人の女の子がナキの傍についていた。
湯気であたりは薄暗かったが、ナキは人前で服を脱ぐのをためらった。
体中、小さい頃から殴られ続けたことで、鞭の痕と青痣だらけなのだ。
それに、温かいお湯に入っていい、ということがにわかには信じられなかった。
硬直しているナキに業を煮やしたのか、近くの女の子たちが手を伸ばし、彼女が着ていた寝巻きをあっさりと脱がしてしまった。
対格差があるので抵抗もできない。
そこで、ナキのあらわになった背中を見て、女の子が小さく声を上げた。
驚いたらしい。
自分ではどうなっているのかよく分からなかったが、やはりあまり褒められたものではないのだろうと、少し心が痛くなる。
戸惑った顔で風呂係の女中たちに見つめられ、アランリースは進み出ると、ビクビクしているナキに近づいた。
そして指を胸の前で組んだまま、裸にさせられた彼女の体を、上から下まで数秒間見つめる。
やがて女中長は、小さく咳払いをしてナキから視線を離した。
そして女の子たちを、静かな声で叱責する。

「手が止まっていますよ。何を見ているのですか。殿方の裸体でもあるまいし」

てっきり、体中の青痣のことで嫌味を言われるものと思っていたナキは、驚きの顔でアランリースを見上げた。
彼女は、傷だらけのナキを、まるでなんでもないことのように表情を変えずに見下ろした。
そして眉をひそめる。

「お前もです。特別扱いはしないと、最初に申したはずです。それとも、湯浴みの仕方から教えなければいけないのですか?」

ナキは言われて、湯気の立つ浴槽と、その脇に設置された桶、軽石などを見た。
いつもは冷たい井戸の水で体を拭くくらいだったので、何をどうしたらいいのか想像がつかなかった。

「……お、お願いします……」

どもりながらそう言う。
アランリースは、一瞬ポカンとした顔をして……そこでくびれた腰に手を当て、そこで初めて、呆れたようにため息をついた。

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天寧霧佳

【長編恋愛小説】 ドラコニス 【連載中】

奴隷の少女、ナキはある日、墜落したドラゴンを助けます。それは王国の王子、ラッシュ・クンベルトの変身した姿でした。王宮に連れられ、ラッシュの付き人になるナキ。彼女はそこで「魔法」を学び始めますが……。
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