アリス・イン・ザ・マサクル - 56

第7話 「魔獣」②

「答えろ!」

アリスが細い声を張り上げて激高した。
それを見て、ジャバウォックがニヤニヤ笑いを止め、歯を噛んで腰を落とす。

「誰に物を言っている……小娘……?」

周囲にビシビシと空気の鳴るような音が走った。
何だ……? そう思うよりも早く、アリスは高速で飛来した物体を手で弾いた。
手の甲に集中したバンダースナッチで弾き飛ばされたのは、ただの石ころだった。
逆手で弾くように、ジャバウォックの手から放たれたのだった。
しかしそれは、凄まじい速度で走っている列車の上から吹き飛ぶとトンネルの壁に突き刺さって、その一部を砕いた。
土煙が後方で吹き荒れる。
そこでガコン……と列車が減速を始めた。
フィルレインが停車の操作をしたらしい。
列車のライトが付き、周囲が照らし出される。
ゆっくりと停止した列車の上で、ニヤニヤといやらしく笑いながらハンプティが周りを見回す。

「止めたか……まぁ、妥当な判断だな……」

そこで列車の後方の扉が開き、マスクと防護服を着たフィルレインが散弾銃を構えて屋根に登ってきた。
彼女は腰を屈めたアリスの脇に立ち、散弾銃をコッキングした。
そしてジャバウォックを見て眉をひそめる。

「……見たことのないナイトメア……?」
「ジャバウォック。魔獣って呼ばれるヤツよ」

押し殺した声でアリスが言う。
そして彼女は、銃を構えたフィルレインを手で押しのけた。

「列車を発進させて」

それを聞き、フィルレインは唖然として口を開けた。

「で……でも!」
「私は大丈夫。早くジャックさん達を助けに行かないと……」

アリスは歯を強く噛んで、二体のナイトメアに向けて足を踏み出した。

「こんなところでこんな奴らに邪魔されて、足止め食らってちゃ世話ないわ」

彼女の人格が変わったような冷たい言葉を聞き、フィルレインの背筋に悪寒のようなものが走った。

―ーいけない。

この人を、一人で行かせてはいけない。

「私も……!」

私も戦います! そう叫ぼうとしたフィルレインは、言葉を飲み込んだ。
ヒィィィ……ン……と空気が鳴る音がした。
彼女の顎をかすめるように、アリスの体から鋭い剣のようになったバンダースナッチが伸びていたのだ。

「下がって。邪魔よ」

冷たいアリスの声を聞き、フィルレインは一歩、二歩と後ずさった。
彼女の目が、どこかほの暗く、真っ黒な穴となり輝いていたのだ。
黒に輝くという表現はおかしいかもしれない。
しかし、光っていた。
漆黒に。
目玉のある場所がどす黒い色にきらめいている。
その人間ならざる顔で、アリスは吼えた。

「列車を発進させて! 私が、私でいられる間に!」

フィルレインが後ずさってはしごを降りる。
彼女は意図せずに震えだした体を抑えるように、列車の中に転がり込んだ。
それをニヤニヤと笑いながら見ていたハンプティが、懐から葉巻を取り出して口にくわえる。

「あらまぁ……いいのかい? 折角の加勢を引っ込めてしまって……」
「問題ないわ。あなた達をすぐ死体に変えれば済む話ですもの」

アリスは押し殺した声でそう言い、無造作に、動き出した列車の上を歩き出した。

「ナメられたものだな……」

ジャバウォックがそう言ってスーツの体を動かし、アリスに向かって歩き出す。
腕を組んで、ハンプティはそれを見ていた。
やがて、走っている列車の上で、アリスとジャバウォックは睨み合った。
体格差が二分の一もある少女が、目を真っ黒に爛々と輝かせながらバケモノを睨む。
ジャバウォックは腕を振り上げ……渾身の力を込めてアリスに向けて振り下ろした。
巨大な腕の破城槌のような攻撃は、正確にアリスに向かって撃ち落とされた。
しかし、少女は腕を振り上げ……大量のバンダースナッチを体にまとわりつかせて輝く体で、その腕を横に弾いた。
細腕で弾かれたジャバウォックの体には凄まじい力がかかったようで、彼は大きくよろけて列車の上を転がった。
そのまま転がり落ちそうになり、彼は屋根を掴んで体制を立て直した。
そして列車の屋根を凹ませながら、雄叫びを上げて走り出し、アリスに襲いかかる。
巨体から繰り出された拳を、アリスは特に見もせずにまた腕で弾いた。
ジャバウォックが吹き飛ばされ、トンネルのかべに突き刺さる。
土煙を上げて巨体が壁に沈む……と思ったところで、バケモノは壁に足をめり込ませて走り始めた。
そして難なく列車に追いつき、飛び乗る。
そのままの勢いで空中を舞い、彼はアリスにかかとを叩き込んだ。
アリスは軽く体を捻り、繰り出された足を掴んだ。
そして片手でジャバウォックの体を振り回し、蹴りの勢いそのままにトンネルの天井に叩きつける。
轟音と土煙が吹き上がる。
アリスはもはや声とも叫びともつかない「音」を発しながら、ジャバウォックを何度も何度もトンネルの四方八方に叩きつけた。
数秒後、ボロ雑巾のようになった黒い血まみれのジャバウォック……その巨体を、アリスはゴミのように眼前に投げ落とした。
トンネルの後方にジャバウォックが落ちていき、見えなくなる。
彼女は

「ウルルル……ウルル……ウル……」

ともはや意味さえも持たない言葉の羅列を漏らしながら、腕組みをしてこちらを睨みつけているハンプティに向けて足を踏み出した。
髪は逆立ち、瞳は漆黒に明滅している。
口からは虹色の煙が絶えず吐き出されていた。
その様は、もはや人間と呼べるモノではなく。
まさに悪魔。
悪鬼の類の姿だった。

「フム……」

ポケットからマッチを取り出し、丸くした手の中で火をつけて、ハンプティは葉巻に火を移した。
そして煙を吸って、吐いてからアリスに向かって言う。

「飲まれかけているな」
「…………」
「それもまたいいことだが、少々俺の想定していた未来とは違う。それに……」

ハンプティはニンマリと笑い、煙を吐き出した。

「冷静な状況判断ができないと、どうしても……な?」

次の瞬間、アリスの後頭部に凄まじい力が叩きつけられた。
小さな体が耐えきれずに列車の前方に吹き飛ばされる。
そのまま弾丸のように飛んだアリスは、トンネルの壁に轟音を立てて突き刺さった。
ボロボロのスーツを纏ったジャバウォックが、飛びかかりざまにその後頭部を蹴り上げたのだった。

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天寧霧佳

【長編ホラー小説】アリス・イン・ザ・マサクル 【連載中】

記憶喪失の少女が目覚めたのは、血と錆と暗闇が支配する悪夢の国。 彼女を「アリス」と呼ぶ異形の者達が次々に襲いかかる。 訳も分からず戦う事になった少女。 彼女は、覚めない悪夢の中をもがき続ける。
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