アリス・イン・ザ・マサクル - 32

第4話 「白の女王」⑫

フィルレインは少しの間、悲しそうな顔でジャックを見つめていた。
そして薬箱を差し出され、首を振る。

「私の分はあります。崩壊病に自らかかったあなたは、いずれ、その薬を一日何錠か飲まないと、体が消えてしまうことになるでしょう」
「問題はない。もとより死んだような身だ」

端的にそう返し、ジャックは息をついた。

「もう私はナイトメアを見ることができるのか?」
「数時間後には、効果が現れてくると思われます。痛みはありませんが、つらいですよ」
「…………」

フィルレインに沈黙を返し、ジャックは薬箱をポケットに入れた。
そしてココアのカップを手に取る。
水面は黒く、ゆらゆらと揺らめいていた。

「……沢山の巫女が、先程のナイトメアの攻撃で命を失いました。自警団の人も……」
「そうか……」

ジャックはココアを口につけ、小さくため息をついた。

「……残念だ」
「本当に……」

フィルレインはジャックの隣に足を進めると、ガラス越しにイベリスとアリスを見つめた。

「イベリス様が足をなくしたのは、私達巫女を守るためだったのです」
「…………」
「白の女王がこのシェルターを攻めてきた時、イベリス様はお一人で、三日三晩戦いました。私達はただの足手まといで……殺されるしかない、肉の塊でした。結果……」

彼女は俯いて呟いた。

「イベリス様は、人質に取られた巫女を助けるために、自分の両足を千切り取られてしまいました。その無念は、推し量ることはできないと思います」

ジャックは少し黙り込むと、フィルレインに向き直って問いかけた。

「……長老、いや……僧正様は無事なのか?」
「先程無事が確認されました。かなり危うい状態でしたが……そのおかげで、このシェルターはまだ機能することができます。不幸か、幸いか……」
「今はまだどっちとも言えないがな……」
「…………」

それに沈黙を返すと、フィルレインはだいぶ経ってから囁くようにジャックに言った。

「アリス様が斃した敵は、白騎士……この土地を治める、白の女王の尖兵です。いずれ、白騎士を殺されたヤツは、怒り狂ってここを襲撃することと思われます」
「まだ終わってはいないのか……」
「アリス様とイベリス様が目覚める前に、襲撃が来るかもしれません。私達はそれに備えなければいけません」

フィルレインはジャックを見上げて、続けた。

「ジャック様、少しお休みになった後、僧正様のお部屋にいらしてください。ラフィがあなたを呼んでいます」
「ラフィ……黒猫君のことか」
「はい。白の女王の襲撃に、そこで備える会議をします」

フィルレインは頷いて、手を伸ばしてジャックの大きな手に触れた。

「ごめんなさい……巻き込んでしまって」

その小さな呟きは、空調の音に紛れて消えた。

数時間後、ジャックは壊れたエレベーターではなく、非常階段から僧正の部屋に入った。
中央の柱や壁に走った亀裂、部屋の一部を抉っている巨大な穴や斬撃の跡が、先程の戦いの物凄さを物語っている。
僧正は、簡易的に移されたのか、別の大きな試験管のような容器に浮いていた。
ジャックが足を踏み出すと、集まっていた男達や生き残りの女の子達が、暗い表情を彼に向ける。

「申し訳ない、少し待たせてしまったようだ」

ジャックがそう言うと、僧正の声がスピーカーから流れ出した。

「いえ、大丈夫です。お体の具合はどうですか?」
「今のところは何とも。変化は見られないが……」
「そうかな。僕のことはまだ見えないかい?」

そこで足元から声をかけられ、ジャックは視線をそちらに向けた。
いつの間に現れたのか、彼の脇に黒猫が座っていた。

「君は……ラフィ……?」

問いかけると、集まっていた男達が顔を見合わせる。
巫女達はホッとしたような顔をしていた。

「その通り、そこにはアリス様が伴ってきたナイトメアがいます。ラフィ……彼が、あなたを崩壊病にすることを提案しました」
「ナイトメア……これが……」

ラフィに向かって手を伸ばしたジャックだったが、彼はそれを押しとどめ、引っ込めた。

「……よろしく頼む、ラフィ。君がアリスを守ってくれていたことは聞いている」
「帽子屋(ハッター)の時から、あなたのことはよく見ていた。力を貸して欲しい」

ラフィはそう言うと、アリスが穿った巨大な穴に近づいた。
そしてジャックの方を振り返って口を開く。

「穴の中を見てくれ」

言われ、ジャックは穴に近づいて覗き込んだ。
底の方に、何かが突き刺さっているが他には何もない。

「何だ……?」
「アリスの攻撃は白騎士を、たしかに殺した。しかし死の寸前に、奴は白の女王のところに戻ったらしい」
「瀕死だったのに動けたのか……!」
「しかし致命傷だ。おそらくもう命はない。問題は、アレだ」

ラフィに言われて目を凝らすと、巨大な両刃の長剣……のようなものが、底に刺さっているのが見えた。

「あれは……」
「白騎士が持っていたナイトメア、ダーインスレイブだ。あれはナイトメアだが、生命はない。つまり、ナイトメアが使う道具なんだ」
「…………もしかして、あれを私に使えと?」
「察しがいいな。巫女にやらせてみたが、重くて振るえないようなんだ。どの道生身でナイトメアに対抗するのは無謀だ。武器は多いに越したことはない」

ラフィに頷いて、ジャックは穴にかけられていたはしごを伝って下に降りた。
そして刺さっていたダーインスレイブを抜き、持ち上げる。
かなり重かったが、しっかりと重量が感じられる剣だった。

「ナイトメアに……触われる……」
「崩壊病にかかったせいだ。取り扱いは注意してくれ。白騎士は、その剣は総てを切断すると言っていた」
「あ……ああ……」

戸惑いがちに頷き、ジャックはダーインスレイブを持ったままはしごを登った。
だいぶ足の怪我は痛みも引いてきている。
そうではなくても、根をあげている場合ではなかった。
ダーインスレイブを床に刺して息をついたジャックを見て、僧正が言葉を発した。

「それでは、白の女王の侵攻への対策会議を始めます。よろしいですね?」

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天寧霧佳

【長編ホラー小説】アリス・イン・ザ・マサクル 【連載中】

記憶喪失の少女が目覚めたのは、血と錆と暗闇が支配する悪夢の国。 彼女を「アリス」と呼ぶ異形の者達が次々に襲いかかる。 訳も分からず戦う事になった少女。 彼女は、覚めない悪夢の中をもがき続ける。
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