ラルロッザの学園都市 - 13

第12話 「アイデンティティがない」

おびただしい数の魔法薬の瓶やフラスコ、妙な色の煙を上げているビーカーが立ち並んだ不気味な部屋。その端のベッドに横たわり、夏妖精の少女――アルヴァロッタ・アークシーは、自分を見下ろす車椅子の人魚を見上げた。

「……本当によろしいんですね?」

彼女――アイカ・マロンに問いかけられ、ロッタはゆっくりと頷いた。

「ええ。やって頂戴」
「そこまでムキにならなくても……やはり思いなおすことはできませんか?」
「もういいのよ……とりあえず欲しがってたから、フィルフィルに半分くらいあげて……」
「人に分けることはできませんよ……そんな、シリコンじゃないんですから……」
「もういっそない方がいいんじゃないかって。決めたの。だから早くやって。後悔はないわ」
「アイデンティティーの崩壊につながらなきゃいいですけれど……」

ボソリと何かを呟いて、そしてアイカは深いため息をついた。

「分かりました。親友の頼みです。私が何とかしましょう。確かに邪魔ですし。正直な話……気持ちは分かりますわ」
「頼んだわよ……あなたのこと、信用してるから」

手を伸ばしたロッタの小さな指に自分の指をからめ、人魚はゆっくりと頷いた。

大あくびをして、生徒会長のドラゴン――センシエスタ・ノーランドは、エレベーターの壁に寄り掛かった。そして、器用に尻尾を動かして、その先で後頭部をボリボリと掻く。
その背後で、小さな吸血鬼を肩車している大男――怪鳥族のクヌギ・トランスが、両耳のトサカを、ロボットの操縦桿のように引っ張られながら口を開いた。

「しかしノーランド。そろそろ俺のフォローも限界だ。テストも近いし、勉強をしろ。一夜漬けをしろ。お前はやればできる子なんだから」
「母ちゃんくさい言い方するなよ……ナメんなよ。真においつめられればそりゃやるよ」
「お前はすでに、自分がどのくらい追い詰められているのか、それを知らないだけだ」
「何だよその含みのある言い方は……」
「やはり聞いていなかったのか。次のテストでは、空間定義学が選択授業ではなく、必須科目になった。俺たちは生徒会だから、八十点以上とらなければ落第だ」
「…………」

センが停止した。しばらくポカンとしてから、その手がわなわなと震え出す。

「バカな……」
「お前、昔から空間定義学だけは、何やっても理解ができなかっただろう」
「分かるわけねーだろ! リンゴが落下して着地するまで八分割される確率系統を全部求めろって、その問題の意味が分かんねーよ! それを計算させることで、出題主が俺に何を期待してるのか、さっぱりわかんねーよ!」
「深読みしすぎだ。まあ、だろうと思ってアークシーに話をしておいた。今日はお前の強化勉強会だ。逃がさんぞ」
「は!? 聞いてないんだけど! やだよ!」
「捕まえてー」

フィルがクヌギの肩から元気に言い、彼のトサカをひねりこむ。彼氏はそれを受けて、大きな腕を伸ばし、センの首筋を、親猫が子猫にするようにむんずと掴んだ。

「今だ! ゴンザリックエクスプロージョンだよ!」
「任せろ!」

彼女のノリノリな言葉を聞いて、即座に反応するクヌギ。その拳に魔力が集まり、次いでフィルが発散した魔力も二乗され、真っ赤に輝き始める。
「ちょっ、お前ら何やってんの……? いや、ゴンザレスごっこ(魔界の国民的特撮ロボットドラマ『宇宙の勇者シャイニングゴンザレスΔ(デルタ)』をクヌギに無理やり観せられ、フィルも現在ハマっています)はもっと安全にやろうって……」
「うおお! 行くぞフィル!」
「はいー!」
「や、やめろ……! 何かヤバそうな気がする! フィルの魔力だけでも人を殺せる威力なんだからやめろおお!」

足をバタバタさせるセンを出口の方に向け、クヌギが魔力を拳に集中させる。

「愛と!」
「勇気の!」
『ゴンザリックスエクスプロージョンッ!』

二人の声が見事にシンクロし、ポン、という音と共にエレベーターが止まった瞬間。
生徒会室に、扉ごときりもみ回転をしているセンが、巨大なエネルギー波と共に吹き飛ばされ抜け、飛び込んできた。
扉はそのまま壁を突き抜けて遥か空の向こうまで吹っ飛んで行き、代わりに生徒会搭全体を、猛烈な揺れがグラングランと襲う。
そして、テン、テン、テン、と絨毯が敷き詰められた床を、水の上を石が跳ねるように転がり、しばらくスライドした先で。
黒焦げになったドラゴンが、プルプル震えてガクリと気を失った。
フィルとクヌギはパシン、と手を打ち合わせてから生徒会室に足を踏み入れた。

「いや、人に向かって撃つのは初めてだったが、なるほど、俺たち二人の力を合わせれば、ちゃんと出るもんだな。必殺技。やってみるもんだ」
「愛と勇気の力だよ」
「ああ。今度はそれに情熱をプラスして、ゴンザリックカタストロフィを放てるように、一緒に練習しよう」
「うん! ゴンザリックカタストロフィソードまで作れたら一人前だね!」
「俺とお前で銀河を救うんだ。おい、アークシー? いるのか? 約束通りに、ノーランドを行動不能にしてから連行したぞ」
「見て! クヌギ君! 何か出た!」

彼の頭の上で、ボォォォッ! と掌から剣のような光(魔力です)を噴出させているフィル。クヌギは生徒会室に足を踏み入れ、そして自分の小さな彼女を見上げた。

「何ぃ!? お前、もうGCゴンザリックカタストロフィソードを!」
「クヌギ君もやってみて! 案外簡単に出るよ!」
「ちょっと待て! うおっ、ほんとに出た!」

魔力を変化させて放出するには、相当なイメージ力と魔法力の容量が必要なのだが、ものすごいテンションと、二人の心が繋がっていることによる魔法力の増幅と、そもそもの魔族としてのレベルの格により、今ここに、あっさりと不可能が可能になっていた。
イメージ力は、ドラマに毒されている二人にはほぼ必要がない。
二人でボボボ……と魔力の剣を出しながら、フィルとクヌギは、無言でそれをセンに向けて構えた。

「やりすぎよ……ちょっと、ボンバリックだかドンザリックだか知らないけどやめなさい。あんたたちのじゃれあいは人を殺せるのよ……? セン死ぬから。そのレベルの魔力受けたら流石に死ぬから」

そこで少し離れた場所からロッタの声が聞こえ、クヌギは魔力を噴き出しながら、そちらの方に目をやった。
見知った背丈に、背中の四枚羽を全開に開いた妖精が、腰に手を当てて仁王立ちになっている。

「おおアークシー。見てくれ俺たちは何か、また一つ乗り越えてしまったらしい」
「あ、ロッタ。ロッタもやってみて。あのね、必殺技がね、意外と簡単に……」

そこまで言って親友の方を向き、フィルは笑顔のまま停止した。
その表情が疑問から怪訝な顔になり、そして口ごもる。

「あんたたちだからできるのよそれ……」

呆れたような声に顔を向け、クヌギも

「お前も力を貸せ。今ならトライアングルフォーメーション……が……」

そう言って停止した。
しばらくロッタと二人が見つめあい、次いでカップルが手から出していた魔力の剣が、ぽひゅん、という音を立てて掻き消えた。

「な……何よ……?」

二人の視線を受け、ロッタが僅かにひるむも、胸を反らして彼らを見返す。

「ロッタ……の、妹さん?」

純真無垢な顔でフィルに聞かれ、夏妖精はズルッとその場につまづいた。

「本人よ!」
「待てフィル、落ちつけ。また魔獣の類かもしれん。油断はするな」
「ちょっ……本人だって。クヌギ君? あたしだよ、あたし?」
「ふん、アークシーを忠実にコピーしたつもりなんだろうが、俺たちの目はごまかせんぞ」

鼻で笑って、大男がフィルを肩に乗せたまま後ずさり距離を取る。

「クヌギ君……やっぱり偽物なのかな……?」
「え……フィルフィルまで何言ってんの……?」
「ごめんね……でもちょっと無理があるかなって……」
「何? 無理って何!?」
「そうだな。というか記憶が曖昧になってきたぞ……アークシーってあんな顔をしていたか? フィル」

クヌギが腰を落とし、覚えたてのGCソードを手から出して、フィルを庇うようにしながら立つ。

「そういえばちょっと違うような……」
「足ももう少し長かったな」
「髪の毛って、ショートだったっけ……?」
「思い出せん……もう少し背が高くなかったか……?」
「太股がもうちょっと細かったような……」
「その辺は間違いないな。もっと痩せていた。それは間違いない」

ボソボソと話し始めた二人に、顔を真っ赤にしてロッタが怒鳴る。

「失礼な奴らね! その辺は何も変わってないわよ!」
「分からん……こいつの目的は何だ?」
「かわいそうだけど、とりあえず必殺技を当てて動けないようにしてから、先生に見せよう」
「よし。本物のアークシーを探すのは後だ。覚えたてだがやるぞ、フィル。WダブルGCソードだ!」
「うん!」
「待って! あたしの負けでいいから殺さないで!」

あっさりと降参して両手を上げ、ロッタが震え出す。フィルとクヌギの掌から巨大な魔力剣が噴出し、一つに合わさってバチバチと火花を散らしていた。
本能で察する。
あれでやられたら、死ぬ。

「殺されたくなければ名を名乗れ! 何が目的だ偽物め!」
「あんたたちを信じたあたしがばかだったよ!」
「よおし降伏の意思はないな! やるぞフィル!」
「待ってごめんなさい! てゆうかマジで信じて! あたしよ、あたしだって!」
「嘘だよ! 正直に言ってね!」

フィルに罵倒され、ついにロッタは、ひくっ、と喉を鳴らして目に涙を浮かべはじめた。

「し……信じてよぉ……」
「黙れ偽物め! 残念だったな、本物のロッタは貴様の十倍以上も、胸がでかい!」

クヌギの声が、倒壊しかけている生徒会室に反響する。
両手を上げて降伏の意思を示しているロッタの胸は、いつもの巨大な様相ではなく。
幼児体型を全力で体現しているフィルよりもはるかに。
ぺったんこになっていた。

なぜか生徒会室の中央に正座させられ、ロッタはブルブル震えながら床を見つめていた。
その背後に腕を組んでクヌギが立っている。隣には、まだ怪訝そうな顔をしているフィルが椅子に座っていた。
先ほど、大爆発を見て駆けつけてきた牛角を持つ少年――ゼマルディ・クラウンが、頭をボリボリと掻いてから口を開いた。

「……何か段々元のアークシーの顔を思い出せなくなってきた……」
「だから、委員長に魔法で胸を小さくしてもらったの……顔とか何も変わってないんですけど……」
「……見事なまでに内側にこう、ボディラインが抉れてるよ……まあ、ええと……アークシー?」
「何で疑問形なの……?」
「ドンマイ。これから君が生きていく中で、沢山辛いことがあると思うけど……」
「何それ!? ちょっ……その目やめてよ、なに憐れんでるのよ! てゆうかあんたたち、あたしのこと胸で識別してたわけ!?」
「うーん………………ごめん、正直お前はアークシーに見えない」

うんうん、と背後の二人に頷かれ、ロッタはガクリと肩を落とした。

「もう誰も信じられない……信じられないよお……」
「ええと……ロッタ?」
「フィルフィル……何で疑問形なの……?」

フィルに呼びかけられ、ロッタが深いため息をついた。

「……の、妹さん?」
「ねえ、お姉さんの話聞いてた? 聞いてなかった?」
「まあ落ちつけよ、アーク……シー……?」
「クヌギ君まで! まだ悩むか!」
「と、とりあえず、マロンが来るまで少し待とう。このまま殺してしまっていいものかどうか、俺には判断がつけがたい。本物のアークシーだった場合、後が怖いからな」

クヌギがその場を見まわしてまとめる。
ロッタは顔面蒼白になりながら、三白眼のような目で彼を見上げた。

「もう何もかも手おくれよ……」
「でも、何でまた胸小さくなんて……お前、胸とったらほんとに何も残らないんだな……」

ゼマルディに言われ、ロッタは目に大粒の涙を浮かべながら拳を握り締めた。

「地味に凄く傷つくんだけど……フィルフィル? ね、フィルフィルは信じてくれるよね。あんたはあたしのこと、胸で判断したりしてないよね!?」

すがるように言われ、フィルは一瞬困ったようにクヌギを見上げた。無言で彼に首を振られ、そして小さな吸血鬼は、軽く息をついた。

「ロッタのように……見えなくもないし……」
「お願いだから顔を思い出してよおお!」
「そう言われてもなあ……」

床に四つん這いの姿勢で慟哭した親友……のような人を見て、フィルは途方に暮れた顔でおろおろしはじめた。

「だめだ、マロンが電話に出ない」
「奴め……どこに行ったのよ……」

ギリギリと歯を噛みしめながらロッタが呟く。
ゼマルディは携帯をパチンと閉じ、そしてうめき声を上げてむくりとおきあがった、黒焦げのセンに目をやった。
センはしばらく虚空を見上げて呆然としていたが、やがて意識がはっきりしてきたのか、プフォッ、と焦げの混じった息を吐いて、自分に向けられた視線を見まわした。

「何だ……何があった? 何かとても恐ろしい思いをした気がする……思い出せない……」
「丁度いいや。おいセン。何か、自分がアークシーだって言い張ってる子が来てるんだけど……」

ゼマルディに指し示され、ロッタがすがるようにセンに向かって口を開いた。

「ノーランド! 助けて殺される!」
「うおっ誰だてめえ!」

飛び退くようにして後ずさったセンを見て、ロッタは正真正銘、しばらくの間愕然とした。
硬直している彼女を見て、戸惑ったようにススまみれのドラゴンが言った。

「何だ? 新入生か?」
「似てるとさえ認識してないな……」

ゼマルディが息をついてから頭を押さえる。

「うぐ……」

そこで、一応は彼氏として信頼していたセンの裏切りに限界になったのか、ロッタが体を震わせながらボロボロと涙を流し始めた。遂には

「うぇぇ……ぅぇぇぇぇん……」

と、子供のように声を上げて泣き出してしまう。顔を覆ってひっく、ひっくとしゃっくりを上げているロッタが前かがみになった途端、しかしセンはハッとして彼女に駆け寄った。

「え? あれ? ロッタ? あれぇぇえ? おいロッタ! どうした!」
「ノ……ノーランド……」

顔を上げ、体の前面を彼に向ける夏妖精。
すると途端にビクッとして、センがその場に尻もちをついた。

「うわっびっくりした! え? あれ……ロッタじゃなくて……あれ……?」
「…………う…………このばか……もうあんたなんて知らない…………」

またショックを受けて顔を覆い、体を丸めるロッタ。その背中を見た途端、センがまた、顔全体に疑問符を浮かべながら口を開いた。

「あれ……ロッタじゃ……? えええ?」

しばらくその無限ループを見つめ、クヌギがボソリと呟く。

「よく分からんが、おもしろいことになってるな」
「いや、これ魔術じゃないか? センは耐性が低いから、中途半端にかかってるんだ。これ、本物のアークシーじゃない……?」

ゼマルディのつぶやきを聞き、クヌギとフィルが顔を見合わせる。
そして彼らは、手をつないで出口の方に足を向けた。

「それじゃ、後はよろしく……」
「じゃあね、ロッタ……の妹さん?」
「逃げる気なの!? 逃げる気なのね! 待ちなさい!」

激昂して立ち上がったロッタに気押され、センが後ずさる。

「お……おい落ちつけロッタ……の妹さん?」

それを聞いて、またロッタは目に大粒の涙を盛り上げた。
そしてぐし、と顔を袖で拭い、そのまま手で目を覆って絶叫する。

「もうみんな嫌いだあああ!」

そこで妖精の少女は、クヌギを突き飛ばしてエレベーターに駆け込んだ。
しばらくポカンとしている全員の耳に、ロッタのものらしい声が生徒会搭から遠ざかっていくのが聴こえる。
しばらくして、入れ替わりにポン、と音がして、車椅子の人魚が、砕けた扉の隙間から入ってきた。

「ああ……遅かったんですね。やっぱりこうなりましたか……」

呆れた様子でこめかみを押さえている。

「マロン、何か今、自分をアークシーだって言い張ってる娘さんがここに……」

センがそう言うと、アイカは大きく肩をすくめて続けた。

「本物ですよ。ただちょっと失敗しまして。胸と一緒にアイデンティティーまで壊してしまったみたいで。まぁ、その様子だと皆さん、散々虐めたみたいですね」

フッと、笑って、人魚は

「ご愁傷様です」

と、締めた。

「お前が原因なんじゃねぇか……」

冷たい目でゼマルディが、生徒会室中央に正座させられているセンを見下ろす。
アイカはふぅっ、と息を吐いてから口を開いた。

「昨日、また胸のことで虐められたって、ロッタが駆け込んできましてね。どうにも決心が固いみたいで、一応やってみたんですの。でもまあ、失敗しましたわ。おほほ」

口元に手を当てて体を震わせる人魚。

「まあ、気を落とさないでくださいまし。こういうこともあります」
「俺らに言うなよ……本人に言ってやれよ……」

ゼマルディの突っ込みを無視し、アイカはセンを冷たい瞳で見下ろした。

「でも、ノーランドさん。あなた、ことあるごとにあの子の胸のこと言ってたでしょう。相当気にしてましたわよ。小さくすれば文句を言われないと思ったみたいです」
「だってあいつ、それくらいしか弱みがないから……」
「最低だなノーランド」
「生徒会長さんはそればっかりだよね」

クヌギとフィルが顔を見合せて言う。

「お前ら……自分のことを棚に上げて……」

やはりゼマルディのつぶやきを無視し、クヌギがアイカに言った

「で、アイデンティティ―崩壊の魔法をかけて胸が消え去ったまではいいが、ロッタがロッタであると認識される、空間定義まで壊してしまったわけか」
「ええ。この魔法はちょっと厄介でして。おそらく、わたくしもロッタをロッタと認識できません。一応ここに解呪薬はあるのですけれど……」

胸の谷間に手を突っ込んで、スポン、と手のひらサイズの瓶を取り出し、彼女はふらふらとそれを揺らした。

「そもそもロッタであると分からないので、面と向かってしまうと、治すとかそういう考えが消えて、スルーしてしまうんですの」
「厄介だな……」
「とりあえず後を追いましょう。それと、解呪薬はこれ一個ですから。無駄にしたら恐ろしいことになります。くれぐれも厳守してくださいまし」

中庭の木陰にしゃがみこんで、ロッタはすんすんと泣き声を上げていた。
膝を抱えて、小さくなった胸に膝を押し当てている。

「何よ……」

震える声で呟いて、彼女は足をさらに強く引き寄せた。

「みんなして……」

授業が始まっているため、人影はない。静まり返った空間で、彼女は深いため息をついた。

「体育座りだってできるし……こっちの方がいいもん……好きで大きくなった訳じゃないもん……」

正直な話、何よりセンに言われたのが一番こたえていた。
個性が壊れる可能性があると聞かされてはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。
何より、胸が小さくなったくらいで、彼氏に忘れられるとは思っていなかったのだ。
そうではないのだろう。そうではないのだろうが。
自分の価値はそれくらいだった、と、心のどこかが思ってしまっていた。

「あ! いたよ! こっちだよ!」

そこで声が聞こえた。涙の痕がついた顔を上げると、こちらにフィルが走ってくるのが見えた。
反射的にパッと表情を明るくして立ち上がろうとする。
しかし、自分を見たフィルの顔が疑問形に変わり、たちまちとまどいの表情になるのを見て、彼女はまた、ずるずると座り、膝に顔をうずめた。

「ええと……あれ? ロッタ……がいた気が……」

素通りされた。え? と思って顔を上げると、脇をバタバタとクヌギとゼマルディが駆けていき、少し離れた場所で立ち止まって周りを見回すのが見えた。

「どこだ、フィル! 誰もいないぞ」
「あれぇ……あの辺にいた気がするんだけど……」

自分のいた方を指差し、金髪の吸血鬼が首をかしげる。三人とも、見えていないらしい。
少しすると、ロッタのすぐ脇を、車椅子に乗ったアイカが通過した。
彼女は困ったような顔で周囲を見回していた。

「どうしましょう……やはり、二回目だと、存在を知覚することも困難になるみたいです」
「どういうことだ?」
「先ほどみなさんが再認識した彼女の情報が、個性として頭の中から消えてしまうんですの。フィルちゃんが、そういう気がするというなら、このあたりにいるんでしょうけれど……」
「じゃあ声を聞いても分からないってことか?」
「でしょうね。触るしかないです。とにかく探して下さいまし」

ロッタは目の前でバラバラと散っていく友人達を、ぼんやりと見ていた。
また一つ大きなため息をついて、背中を丸める。
彼女達の姿が完全に遠ざかって。
しばらくした時に、ロッタはセンの声を聞いた。

「このあたりってことは……ここと、ここか……」

顔を上げると、ドラゴンの少年が、ペンで手の甲に何やら計算をしているのが見えた。彼はポケットから出した、魔法補助薬の入った試験管を数個、地面に突き刺すと、軽く自分の魔力を、地面に流し込んだ。
一拍遅れて、彼を中心とした半径十メートルほどの空間の空気が、ピンと張りつめた。
次いで試験官と試験管をつなぐように、円形に青白い光が伸び、五方の魔法陣を形成する。
その光は、うずくまっているロッタの体にも乗っかると、途端に彼女を薄青に照らし出した。

「お。出来た。そこにいたのか」
「……」

視線をそらし、ロッタはまた膝に頭をうずめた。
センが苦笑しながら近づいてきて、口を開く。

「ぶっつけ本番でやってみるもんだな。異物を感知する魔法円、適当でも張れるってのが分かったわけだ。これで空間定義学の勉強はしなくてもいいわけだな」

顔を上げないまま、ロッタはボソリと口を開いた。

「……何しにきたのよ」
「や、気は強いんだけど心が弱い俺の彼女さんがさ、このあたりで消えちまったらしいんだわ」
「へぇ……」
「なあ……」

しばらく沈黙して、動かない彼女を見下ろしてセンは言った。

「ロッタだろ、お前。お前、あん時もそんな感じで、独りぼっちでボケーッとしてたなあ」
「……」
「俺さー、バカだけどそれは覚えてんだ。ロッタにさ、言ったんだよなあその時」
「……」
「お前がどんなに俺を邪険にしても、迎えにだけは行ってやるから、一緒にここを出ようよってさあ」
「……」
「よく分からんけど、お前の顔を見たら、俺はお前をお前だって分からなくなるらしい。だから、アイカからスッてきたこの薬をここに置いておく」

無言のロッタの前に解呪薬の瓶を置き、センは少し離れた場所に背を向けて座った。

「悪かったよ。まあ、気がすんだらこっち来いよ」

その時のセンにはよく分からなかったが。
確かに、泣き声が聞こえた気がした。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

天寧霧佳

【長編ギャグ小説】ラルロッザの学園都市【連載中】

魔法学園都市ザインフロー。 そこに暮らす一癖も二癖もある魔族達。 今日も今日とて彼らは往く。 この奇妙な日常を! 天使と大魔王の娘、フィルレイン・ラインシュタインを中心として……。 魔族の生徒会員達が大暴れ!! 波乱と、そして恋の行方は……!?
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。