アリス・イン・ザ・マサクル - 29

第4話 「白の女王」⑨

「間に合わない……来るぞ!」

ラフィが怒鳴る。
反射的にフィルレインがジャックを掴んで、エレベーターに突っ込んだ。
今までジャックの頭があった場所を、ヒィィ……ン……と奇妙な音を立てて「何か」が通り過ぎる。
一拍遅れて、壁に一文字にえぐり傷のような切断痕が走った。

「うっ……!」

右肩を浅く斬られたフィルレインが、呻きながらエレベーターに飛び込み、ボタンを押す。
扉が閉まる寸前に、床にできた蛍光灯の影から、沼から浮き上がるように白騎士の体がせり上がってくるのが見えた。
フィルレインが、その兜の奥の赤い光と目が合ってしまい、息を呑んで硬直する。

「大丈夫か!」

アリスを床に降ろし、ジャックは右肩を抑えて崩れ落ちたフィルレインに駆け寄った。
傷は浅いようだが、広い。
血が流れ出しているのを手で押さえ、彼女はジャックを押し返した。

「私よりもアリス様を! 武器は壁の緊急箱に入っています!」
「わ……分かった!」

頷いて、ジャックは緊急箱の弁を叩き割って、中から拳銃を取り出した。
チェックしてコッキングしたところでエレベーターが止まる。

「僧正様! 今すぐに避難を……!」

中に向かって声を発したフィルレインだったが、転がるように外に出て硬直した。
僧正の柱……その脇の影がざわつき、白騎士の頭がせり上がってくる。
彼は数秒も経たずに完全に影から「出現」すると、小さな声で鼻歌を歌いながら、ドチャリと手に持っていたイベリスを床に落とした。

「Oh,Happy……Day……」

低い声が僧正室の中に反響する。

「イベリス様!」

フィルレインが、手を口に当てて悲鳴を上げる。

「くそ……やはりやられたのか……!」

ラフィが歯を噛んで呟く。
ジャックはフィルレインを押しのけるように体を突き出すと、銃をコッキングして前に向けた。

「ナイトメアがいるんだな! どこだ!」
「ダメ……私達では太刀打ちができない……」

震えながらフィルレインが、足を踏み出した白騎士を見る。
白い悪魔は、鼻歌を歌いながらゆっくりとエレベーターに近づいてきていた。

「フィル! 逃げなさい!」

硬直しているフィルレインに、柱のスピーカーから僧正の声が突き刺さる。
慌ててエレベーターのパネルを操作しようとしたフィルレインだったが、白騎士はそれを見て、軽くダーインスレイブを振った。
剣が一瞬で数メートルも長く伸び、エレベーターの制御パネルを貫いて破壊する。
尻もちをついて呆然としたフィルレインを見て、ジャックが雄叫びを上げて前方に拳銃を乱射した。
ダーインスレイブがもとの長さに戻り、白騎士は銃撃を浴びながらジャックの方を向いた。
そして下段に剣を構え、ゆっくりと呼吸を始める。

「我がダーインスレイブは総てを切断する」

鼻歌を止め、くぐもった声でそう言う。
青くなったフィルレインが、アリスの方を見て……そして彼女は、息を呑んだ。
ざわざわとアリスの髪が揺らめいていた。
彼女の目は見開かれていたが、空虚だった。
真っ赤に瞳が発光しているのだが、どこも見ていない。
何も映っていない。
それは空虚、虚無。
何も存在しない「穴」だった。
首をゆらゆらと揺らしながら、アリスは口を半開きにして立ち上がった。

「死ね」

それが見えていないのか、白騎士がジャックとフィルレインを胴体から両断する軌道でダーインスレイブを振るった。
奇妙な音がして、空気が裂ける。
その瞬間、アリスは口を大きく開けて「絶叫」した。
声は聞こえなかった。
音も何もなかった。
しかし彼女の「声」と共に、爆発的に周囲に広がったバンダースナッチが、エレベーター全体を守るように壁を作る。
そこにダーインスレイブの斬撃が突き刺さった。
凄まじい火花が散った。
金属の塊に回転ノコを押し付けたかのように、周囲に細かい爆発が飛び散る。
高音の異様な音が鳴り響いた。

「ム……」

剣を振り抜いた姿勢のまま、白騎士は不思議そうに呟いた。

「硬いな……」

彼はもう一度、今度は上段にダーインスレイブを構え、そして二撃目を振り抜いた。
再び、同じ斬撃がアリスのバンダースナッチに突き刺さった。
「声」を発していたアリスの目が見開かれる。
次の瞬間、ガラスの砕ける音がして、虹色のゆらぎが砕け散った。

「……きゃあ!」

悲鳴を上げ、アリスがエレベーターの壁に叩きつけられる。
頭を打ってしまい、ズルズルと地面に崩れ落ちながら痛みに耐えたアリスだったが、ハッとして自分の胸に手を当てて唖然とした。
深い切り傷が開いていた。
ジワァ……と洋服の部分に赤いシミが広がる。
次いでえぐりこむような熱さと痛みが襲い掛かってきて、アリスは胸を抑えて歯を噛み締めた。

「ア……アリス!」

ジャックが駆け寄り、アリスを抱えて前に銃を向ける。

「どこだ! ナイトメアはどこなんだ!」
「ダメだ……強い!」

ラフィが押し殺した声で呟く。
白騎士は、エレベーターの中でうずくまっているアリスを見てから、鼻を鳴らして床にダーインスレイブを突き刺し、息をついた。

「貴様か……二人目のアリスは」

イベリスは気を失っているようで、動きはない。
血まみれの胸が若干上下している。
まだかろうじて生きてはいるようだ。

「私が時間を稼ぎます……みなさんは向こう側の緊急避難口から出てください」

フィルレインが、服の袖から長い針を出して構える。
アリスは胸を押さえながら声を上げた。

「ダメ……殺されちゃう……」
「イベリス様を頼みます!」

アリスを無視して、フィルレインは叫び声のような声を上げて駆け出した。
白騎士が無反応で腕を振り上げる。

「ダメ!」

アリスは叫んで、ジャックの手を振り払い、つんのめりながら前に足を踏み出した。
砕け散っていたバンダースナッチの欠片、それぞれが蠢き始め、空中に浮き上がる。
次の瞬間、一つ一つの欠片が膨れ上がり、金切り声の絶叫を上げた。

「……!」
「何だ……?」

フィルレインが足を止めて、慌てて振り返る。
白騎士も怪訝そうに顔を上げた程の「音」だった。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

天寧霧佳

【長編ホラー小説】アリス・イン・ザ・マサクル 【連載中】

記憶喪失の少女が目覚めたのは、血と錆と暗闇が支配する悪夢の国。 彼女を「アリス」と呼ぶ異形の者達が次々に襲いかかる。 訳も分からず戦う事になった少女。 彼女は、覚めない悪夢の中をもがき続ける。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。