この、愛ノナイ世界デ - 5

第5話 「命令はしない」

絆がその病室を訪れたのは、桜との熾烈な戦闘から、一週間ほどが経過した時だった。
出かける数時間前、絆は彼のラボの中にいた。

――体中が痛む。

折れた腕と足、ヒビが入ったあばら骨。
重度の火傷を負った背中。
満身創痍といった言葉が丁度当てはまる状態だった。
ラボの中での生活にも苦労する体になってしまった絆をサポートするために、渚が訪れていた。
最初は彼女を警戒していた雪だったが、最近少しずつ、優しいクランベである渚に心を開くようになっていた。

「これで、雪ちゃんの薬は全部ね」

雪の腕に点滴を刺しながら、渚が言う。
雪は小さく笑って

「ありがとう」

と言うと、ソファーに腰を下ろしている絆の方に顔を向けた。

「大丈夫? 何だかつらそう」

問いかけられて、絆は軽く息を吐いてから彼女に返した。

「ああ……気にするな。こんな傷、すぐに治る」
「…………」

心配そうに見えない目を向ける雪。
その顔から視線を離し、絆は言った。

「さて……俺は出かけるが、お前達は渚さんと一緒にここに残っていてくれ」
「マスター……お出かけになるのですか?」

心配そうに、食器を洗っていた霧が口を開いた。
彼女は最近、進んでラボの中の家事の手伝いをするようになっていた。
絆は頷いて霧を見た。

「ああ。少し用事があってな……」
「私も行きます」
「……私も」

霧と雪が同時に言う。
絆はしかし、渚と顔を見合わせてから首を振った。

「いや……俺一人で行くよ。今日の夕方には帰ってくる」
「…………」
「ですが……」

黙り込んだ雪と対照的に、手を止めて近づいてきて、不満げに言った霧の頭を撫でる。

「帰りに好きなものを何か買ってきてやろう。欲しいものを言え」

頭を撫でられた霧が僅かに顔を紅潮させる。
雪が、そこで絆に伺うように聞いた。

「大丈夫なの……? 出歩いて……」

バーリェに体調を心配されると言うのも、不思議な感覚だ。
それが半分死んでいるかのような雪に心配されているのだから、世話がない。
絆は笑ってそれに返した。

「何がだ? 俺はいつも通りだが」
「体の骨が沢山折れてるんでしょ? 背中の火傷も治ってないって聞くし……」

渚の方に顔を向けて、雪は続けた。

「……じゃあ、私達は大丈夫だから渚さんがついていってあげて」
「え……」

渚が一瞬戸惑いの表情を、顔に浮かべる。
そして彼女は息をついて、雪に返した。

「特務官は大丈夫です……あなた達が心配することはないのよ?」
「嘘。だって、『人間』って、私達みたいに壊れた部分を取り替えることって出来ないんでしょ?」

雪が静かに渚の言葉を打ち消した。
いつになく強く止める雪の頭を、絆は手を伸ばして、先ほど霧にしてやったように撫でた。

「お前は今の医療技術を甘く見てるな。痛み止めも打ってるし大丈夫だよ」
「…………」
「ですが、お一人で行かれるのは、やはり不安です。お姉様の代わりに、私がご一緒します」

霧が前に進み出て言った。
雪はそれに頷いて、絆に向けてそっと口を開いた。

「霧ちゃんを連れてって。私は、ラボに残ってるから」
「…………分かった。霧、じゃあついてこい。雪にはコーラを買ってきてやろう」

少し考えて、絆はこれ以上彼女達と口論しても何のためにもならないと思い直し、霧に向けて手を伸ばした。
霧が笑顔になって絆の手を握る。

「霧ちゃん、絆をよろしくね」

雪がそう言うと、霧は元気に頷いた。

「はい!」
「……宜しいのですか、絆特務官」

渚に問いかけられて、絆はただ、軽く肩をすくめてみせた。
渚が諦めたように息をつく。

「夕方には戻る」
「お気をつけください。そうでなくても、最近は物騒ですから……」

渚はそう言って、雪の手を握った。

「一緒にゲームでもしていましょう」
「うん」

雪が頷き、絆の方に手を振る。

「気をつけてね」

ラボを出て、呼び出していたタクシーに乗り込み、軍病院に向かう。
途中、霧がそわそわしながら絆に聞いた。

「何をされに行くのですか?」
「うん……まぁ、な」

煮え切らない返事でその場を濁して、絆は霧の方を向いた。

「そういえば……ずっとお前に聞こうと思っていたことがある」
「何ですか?」

キョトンとした顔で霧が返す。
絆はしばらく言い淀んだ後、静かに聞いた。

「少し前に、お前……俺に『大事なこと』を言おうとしなかったか?」
「大事なこと……」

考え込んで、霧は首を傾げた。
……やはり時間が経ちすぎていたか。
絆は霧から視線を離して、息をついた。

「いや……覚えてないならいいんだ」

バーリェの睡眠誘発剤には、記憶障害を引き起こすという副作用がある。
ごく軽度なもののはずだったのだが、霧にはその影響が顕著に出ていた。
絆が聞きたかったのは、一週間前に霧が自分に言おうとした「陽月王のブラックボックス」に関する情報だった。

――陽月王には、自分以外を乗せない方がいい。

霧は、確かにそう言った。
途中で彼女は眠ってしまい、ちゃんとした言葉を聞けなかったのが、ずっと心に残っていたのだ。
一週間前の戦闘で、優は陽月王の――名付けるとしたら「ブラックボックスシステム」を起動させた。
その結果

――全エネルギーを解放します。

優は、一瞬で全ての生体エネルギーを搾り取られ、ショック死した。
おそらく、あの時に使ったエネルギーシステムが、ブラックボックス。
異常なシステムだ。
本来ならばストッパーがかかり、バーリェがショック死するほど過剰に、全てのエネルギーを搾り取られるなんてことはない。
それに……。
優も、文も。
陽月王に接続されて、戦闘に入ってから様子がおかしかった。
妙に好戦的というか、まるで戦闘が楽しくてしょうがないという風に。
命もそうだった。
精神が極度の恐怖でやられたのかとも思っていたが、流石に三人連続で続いたとすれば、絆でなくても考えるだろう。
文に至っては、絆の操縦システムを遮断するほど、「目の前の戦闘」に集中していた。
その一連の理由を、霧が知っていると思っていたのだが、本人がその話をしようとしていたのを忘れていたのでは、仕方がない。
無理に聞きだすことも出来るのだが、それを、絆はしたくなかった。
覚えていなかった時は、自分で話してくれるまで待つつもりだった。

「何ですか? 気になります」

食い下がってきた霧に視線を向けて、絆は言った。

「お前が、寝言で『恐竜が来ます、恐竜が……!』って繰り返し言うもんだから気になってな」
「恐竜……?」

素っ頓狂な声を上げて、霧は耳元まで真っ赤になった。

「わ、私そんなことを言っていましたか?」
「頻繁にな」
「そんな……マスター、盗み聞きはいけないことです」

恐竜の何が怖いのかは分からなかったが、霧が頻繁に寝言を言うのは本当のことだった。
寝言の中でも敬語なんだなと感心した覚えがある。
絆は軽く笑うと、運転手に向けて口を開いた。

「そこを左です。中につけてください」

タクシーが曲がり、軍病院内の駐車場に入り、入り口にピタリと寄せる。
時間通りだ。
病院の入り口には、エフェッサー管轄のバーリェ専門医達が待機していた。
絆は霧に扉を開けてもらい、体を引きずるようにして外に出て、呼吸を整えた。
霧が医師達を見て、不安そうに絆の脇に隠れる。

「マスター……まさか……」

言い淀んだ霧に、絆は頷いてみせた。

「もう一人、バーリェを迎えに行く。お前の妹だ」

医師達に歩きながら説明を受ける。
専門用語が飛び交っていて、霧には分からない分野だ。
絆はそれに機械的に返しながら、松葉杖をつきつつエスカレーターに乗り込んだ。

「特例的に今回の生成に成功した個体を、S678番と名付けることになりました」
「678……?」

絆は怪訝そうにそれに聞き返した。

「随分93番(霧のこと)と離れていますね」
「なにぶん、今回の試みは手探りの情報が多く、私どもも元老院、及びエフェッサー本部のご要望に沿える個体を調整するまでに、相当数を犠牲にしました」

医師の一人が、手元の資料に視線を落としながら淡々と言う。
単純に考えても、678引く93。
つまり585体のバーリェが、調整段階で廃棄されたということになる。
厳密に言うと、バーリェの型番は単なる記号でありその限りではないのだが、感覚的にも、今回は大量の犠牲の上、「霧の上位互換個体」が生成されたのだということを察知できた。
おそらく、雪と死星獣の混合体を創り出したのが霧。
そしてその霧のクローンを、更に調整して創り上げたのが、今回の「S678番」なのだ。
クローンのクローン。
その更に複製体。
既にそれは、人間の踏み込んでいい領域を完全に逸脱している。
しかし、元老院とエフェッサーは、一連の霧、そして絆のバーリェ達の上げた戦果に、大いに満足していて。
それが起因していることは、事実でもあった。
結果だけを見れば、だ。
冷静になって考えてみれば、文が暴走してエネルギー量子波の爆発で、死星獣もろとも爆発させた味方のAADは、合計三十八機。
一種の戦略兵器並の損害だ。
しかしそれを補って余りある戦闘データと、バーリェの生体データが存在していることが事実であり。
絆は、一切を不問として扱われていた。
医師達の淡々とした声に、怯えたように霧が絆の服の裾を掴む。

「しかし……どうしてもクリアできなかった問題がありまして……」

言いにくそうに医師の一人が口を開く。

「問題……?」

絆は首を傾げた。
またどうせ「番外個体(不完全なクローン)」なのだろうが、それをエフェッサー側から口に出すということは、あまりないことだったからだ。
霧の場合は、何としてでも彼女を戦闘に使おうとするエフェッサー側の意向により、「精神的番外個体」である彼女の欠陥は、いまだに認められていない状況であるくらいだ。
もっとも、霧自身の努力により、彼女はある程度の思いやりと協調性を持つことは出来るようになっていた。
そこに至るまでに、霧がどれだけ葛藤して、どれだけ悩んだのかは分からない。
しかし、生半可な努力ではないことは確かだ。

「見た目が少々悪いのです。少なくとも、『普通』ではありません」

医師の一人が断言する。

「…………」

絆は、それに答えを返さず、松葉杖に寄りかかった。
こいつらが、普通ではないと形容するくらいだ。
本当に、普通ではないのだろう。
最初から番外個体だと断っておいて受け渡しを行うとは、やってくれる。
しかし、現在の人類が置かれている現状はそれだけ切迫しているというのも事実ではあった。
フォロンクロン等の一斉攻撃の後、新世界連合の拠点を絞り込めていないというのも大きかった。
一週間経つが、絃からの電波ジャックはまだ行われていない。
相変わらずスラム街の大量虐殺は続いていたが、新世界連合の人間を殺すことが出来たという報はなかった。
それどころか、各地でスラム街の人間達が暴動を起こし、一種の集団ヒステリーのようなものを形作ってしまっているのが、今の世界の流れだった。
軍やエフェッサーは、その暴動を片っ端から「皆殺し」という形で抑えてはいたが、既に世界中のスラム街の人間の反発は、抑えることが難しいレベルにまで達してしまっている。
人間は、死に面した時に一番本性が出ると言われている。
まさにそんな状況だ。
追い詰めすぎたのだ、スラムを。
中には新世界連合に賛同するスラム街の人間も出始めていると聞く。
世界は、着実に最悪な方向に向かい始めている。
しかし、一週間の間に一度も死星獣は出ていない。
フォロンクロンでの戦闘が、出現の最後だ。
それ故に、エフェッサーは次に死星獣が現れた時に本部が狙われる危険性が高いと判断していた。
今回製造されたバーリェ、S678はそれゆえの急造のバーリェだ。
多少の不具には目を瞑るしかない……。
だが、そう思って病室の扉を開けた絆と、ついてきた霧は、その中の様子を見て一瞬硬直した。
――多少、ではなかった。

「え……」

霧がポカンとして病室の中、ベッド脇の「車椅子」に腰掛けていたバーリェを見る。
両足が、太股からなかった。
右腕も、肘の部分から先がない。
整った顔立ちをしていたが、眼帯で覆われた右半分の顔には醜いケロイドが広がっており、右目は完全に潰れていることが推測できた。
左手だけで電動車椅子を操作して、首の後ろで二房に白髪をまとめた少女は、物憂げな表情で絆を見た。

「こんにちは。あなたは……誰ですか?」

蚊の鳴くような声で、少女は呟くように言った。
少なからず、絆は彼女の見た目にショックを受けていた。
そして次いで、ショックを受けてしまった自分に呆然とする。
冷静になろうとして、しかし言葉を出そうとして失敗する。
少女はそんな絆の様子を見て、少し考えた後、バツが悪そうに顔を伏せた。

「……ごめんなさい。驚かせてしまいましたね……」
「い……いや……」

絆はそう言って気を取り直し、周囲の医師達に目配せをした。
医師達が固まって病室を出て行く。
管理担当らしい主任医師が、絆にカルテを渡した。

「ご覧の通りです。五大原則の確認はしています。性能はS93(霧のこと)を遥かに凌ぎますが、見た目と、性格に多少の問題があります」
「…………」

多少?
これが、多少?
右腕と足の丸まった切断点を、唯一無事な左腕で、病院服を使い隠した少女を一瞥して。
絆はそれを口に出そうとして思い直し、無理矢理に飲み込んだ。

「……性格?」

自分を凌ぐと目の前で言われ目の色を変えた霧を、医師から庇うように立ち、彼に声を低くして問いかける。

「どういうことですか?」
「このバーリェは、調整が完了した時から自分を卑下しています。自殺願望がとても強い。それを拭い去れなかった点では未調整とも言えます」
「五大原則を言えるのに、『自殺願望』があるのですか?」
「その矛盾については、現在調査中です。今回は試験的にあなたにお渡しします。なにぶん初めての試みなので……ご留意ください」

小さな声で返し、医師は頭を下げると部屋を出て行った。
しばらく、絆は車椅子の少女のことを見つめていた。
自殺願望……?
そう、医師は言った。
バーリェは意識下に刷り込まれた五大原則の一つにより、自分の意思で自分を殺せないように出来ている。
しかし……。
他ならぬ「自殺」で、絆は大事なバーリェを亡くした直後だった。

文だ。

彼女が姉の後を追ってとった自爆という行為は、自殺に相当する。
何らかのトリガーが引かれ、意識化の刷り込みが掻き消されたと考えられる。
そしてこの子だ。
どういう意味なのだろうか。
文のように、ストッパーが解除されて意識の方も「番外個体」なのだろうか。
その意味を推し量りかねていたのだ。
しかし沈黙を、自分の外見に引いていると勘違いしたのか、車椅子のバーリェは俯いて、左手でレバーを操作した。
絆達とは反対の、少し離れた部屋の隅に車椅子が移動する。
そこに体を丸めて小さくなり、少女は小さな声で、呟くように言った。

「軍の方ですか……? 私のことを、笑いに来たんですか?」

絆はそこで我に返り、慌てて少女に言った。

「笑ったりはしない。すまない、その……あまりに仕様書と外見が違ったから、驚いてしまった。気を悪くさせたのなら謝る」

本当のことだった。
仕様書で見せられたロールアウト前の彼女は、綺麗に四肢があった。
おそらくは絆に渡される前に、何かがあったと思われる。
静かに言った絆を怯えたような目で見て、彼女はそっと言った。

「どうして……謝るんですか? 驚くのは当たり前だと思いますが……」
「…………」

絆は気まずい沈黙に突入しようとした空気に無理矢理割って入り、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
そしてまだ入り口で硬直している霧に向けて言う。

「霧、来いよ。何してるんだ」

椅子を引いてやると、霧は車椅子のバーリェから視線を離せないらしく、口を半開きにしたまま近づいてきて、椅子に腰を下ろした。
その視線を浴びて、少女がますます小さくなる。
自殺願望というよりは、何かに怯えているような……。
しかし本人を前に、おおっぴらに霧を注意するのははばかられた。
絆は横に座った霧から視線を離し、まだ近づいてこようとしない少女に言った。

「どうした? 俺はお前に何もしない。これから一緒に暮らすんだ。こっちに来て、一緒に喋ろう」

霧が弾かれたように絆を見た。
まさか、嘘ですよね? と言った顔をしている。

――霧の反応は、当然だった。

今の時代、医療技術の進歩により、先天的な障害を持って生まれる人間は、殆どいないと言ってもいい。
バーリェは原則「不完全な」人間のクローンと言われているので、製造段階で誤差が生じる。
それゆえに番外個体が混じるが、四肢のどれかが欠損している例は今までにないと言えるだろう。
バーリェは体の臓器等をプラモデルのパーツのように取り替えることが出来る。
腕が折れたら切除して新しい腕を、ということも……個体差はあるのだが可能だ。
だから、「バーリェは普通は五体満足である」という概念が、彼女達にはある。
それ以前に、事前の睡眠学習でこのような例がこの世に存在しているということは、おそらく教えられていない。
霧にとっては生まれて始めて見る「異形」だったのだ。
しかし絆は霧の視線を無視して、少女に重ねて言った。

「ほら、来いよ」
「……それは『命令』ですか? それとも、あなたの個人的感情ですか?」

小さな声で少女が言う。
絆は少し考えてからそれに答えた。

「個人的感情だ。俺は、お前に命令したりはしないよ」
「……では、お帰りください。私は見た通りの体です。どこの方かは存じませんが、あなた達のお役に立つことは出来ません」

拒否された。
それもはっきりと。
というか、それ以前に絆をトレーナーと認識してないようだ。
バーリェに拒否されるのは初めての経験だったので、一瞬沈黙する。
そして絆は、松葉杖を引いて立ち上がると、よろめきながら椅子を押し、彼女の前に運んだ。
そしてすぐ近くまで歩み寄ってから腰を下ろす。

「お帰りください……」

小さく震えながら少女が言う。
今にも泣き出しそうだ。
硬直したままの霧を置いて、絆は手を伸ばして少女の頭にポン、と置いた。
ビクッ、と凄い勢いで少女が怯える。
しかし絆はそれを軽く笑い飛ばし、口を開いた。

「いいや帰らない。帰るときは『一緒』だ。お前を迎えに来たんだ。俺はトレーナーだよ」
「トレーナー……? あなたは、トレーナーなのですか?」
「ああ、そうだ。お前をこれから育てることになる。帰れだなんて悲しいことを言うな」
「…………」

少女は「信じられない」と言った顔で絆をポカンと見てから、しばらくしてまた俯いてしまった。
絆は彼女の頭から手を離し、続けた。

「お前のことはこれから『圭けい』と呼ぼう。名前だ。分かるな?」
「圭……? 私の、名前?」

繰り返した彼女に、絆は頷いてみせた。

「そうだ、名前だ」
「私に名前なんてつけても、無駄です……どうせ私はすぐ死にます」

しかし圭と名づけられたバーリェは、絆の言葉を、聞こえるか聞こえないかの声で、早口に打ち消した。

「……何だって?」

思わず聞き返した絆と目を合わせないようにしながら、彼女は続けて言った。

「私は死ぬために創られました……その時が来れば、あなたの命令で即座に死にます。ですから、私に名前なんてくださっても、それは無駄なことなんだとお伝えしたいまでです……」

小さく咳をしてから、圭は表情を落とした。

「それが、バーリェってものでしょう?」

問いかけられて、絆は言葉に詰まった。
確かに圭の言う通りに、バーリェは死ぬために創られるようなものだ。
しかし。
だからといって、最初からそれに絶望している個体を見るのは、初めてのことだった。
この子は……。
自分の境遇、いや、自分の「存在」それ自体に絶望しているのか。
バーリェとして、不具な体として生まれてしまった自分自身に心の底から絶望してしまっているのかもしれない。
精神調整が十分なされていないことによる副作用なのだろうが、正直絆は、この子の扱いに困った。
だが彼は、少し考えてから静かに圭に返した。

「……俺達人間だって、いつ死ぬか分からない。ある日突然、交通事故に遭って死んでしまう人間だって大勢いるし、孤独に息を引き取っている人だっている。殺されてしまう人だっている。いつ死ぬか分からないっていうのが生きてるってことだろ? 何を悲しいことを言ってるんだ」
「……人間とバーリェは違います」
「同じだよ。何も変わらない」

絆は、そこで圭の言葉を強く否定した。
圭は口をつぐんで唇を噛んだ。
押し黙ってしまった彼女の左手を握り、絆は言った。

「しっかりしろ。ロールアウト直後に死ぬことを考えるなんて、どうかしてるぞ。別に深い意味はないんだ。名前が気に入らなかったら、そう言ってくれればいい」
「…………」

圭は、しかし少し考えた後首を振った。

「……気に入らなくはないです。ありがとうございます」
「そうか、良かった」

軽く微笑んでから圭の手を離し、彼は霧の方を向いた。

「あっちが霧。お前の……お姉さんのようなものだよ」
「お姉さん……? 私に、姉がいたのですか?」

意外そうに圭が言う。
手招きされて、霧は顔を引きつらせながら近づいてきた。

「こ……こんにちは」

引きつった顔で手を差し出す霧。
それを冷めた目で見て、圭は口を開いた。

「無理はしない方が良いですよ。私のことを気味が悪いって、そう思っているんでしょう?」
「そ、そんなことは……」

霧の声が自信を失ったように尻すぼみになって消える。

「…………ないです!」

やっと声を絞り出し、霧は意を決したように近づいてきて、無理矢理に圭の手を握った。
そして上下に何度か振る。

「よろしくお願いします! 私は霧。これから一緒に暮らすことになります。楽しく過ごしましょう!」

早口で元気に言われて、しかし圭は霧から手を離すと、怯えたように縮こまって視線をそらした。

「……それは命令ですか?」

絆に助けを求めるような視線を向ける圭。
絆は首を振った。

「いや……別に命令じゃないが、俺は他のトレーナーと違って、バーリェの集団生活を基本方針としてる。お前にも適応してもらうことになる」
「方針って……命令ってことですか?」
「まぁ、曲解して受け取ればそうなるかもしれないが……」
「……命令なら、聞きますけど……」

繰り返して、圭は車椅子を操作して霧から距離をとった。

「あ……」

手を差し出した姿勢のまま、霧が所在無さげにその場に立ち尽くす。

「嫌なのか?」

問いかけられて、圭は頷いた。

「はい……」
「どうして?」
「どうしてって……私はご覧の通りの体です。満足に日常生活を送ることもできませんし……ましてや他の子と共同生活なんて、考えたこともありませんでした。多分、無理だと思います……」

絆は小さくため息をついて、彼女に言った。

「無理だ駄目だって言うのは、やってみてからするもんだ。生まれたばかりのお前に何が分かる?」
「ご覧になって分かりませんか?」

自嘲気味に小さく笑って、圭は言った。

「こんな体で……何をしろっていうんですか?」
「お前は、妙に自分を卑下するな。その体が何だ。うちには目が見えなくたって立派に生きてる子だっている。お前は片方のようだが目も見える。口も利けるし耳も聞こえる。腕だって一本あるじゃないか」
「…………」
「何をしろとは言わないよ。ただ、頑張って『生きて』欲しい。それは俺からの、お前に対する最初で最後の『命令』だ」
「…………」

しばらく絆の言葉の意味を推し量っていたのか、圭は黙りこんで、やがて諦めたように息をついて頷いた。

「……命令なら、仕方ないです。一緒に行きます」
「……分かってもらえたならそれでいい。とりあえず……霧。この子の車椅子を押してやってくれ」
「分かりました!」

頷いた霧から視線を離し、圭は自分で電動車椅子のレバーを動かした。

「……自分で出来ます」

スーッ、と滑るように彼女は絆達の脇を横切って、部屋の出入り口の前に車椅子を止めた。

「そういえば……あなたの名前、お聞きしていませんでした」

振り返って言った圭に、絆は微笑んでから答えた。

「絆だ」
「……変な名前」

小さく笑って、圭が自動扉をスライドさせて開け、部屋を出て行ってしまった。
慌てて松葉杖を手に取り、立ち上がる。
その補助をして絆を支えながら、霧が小さな声で言った。

「マスター……あの子は、一体『何』ですか?」
「どういう意味だ?」

問い返した絆に、霧は言いにくそうに口をつぐんでから言った。

「……バーリェのにおいも……死星獣のにおいもしませんよ……?」

病院側が用意した病人搬送用のワゴンタクシーに圭の車椅子が入り、絆は、彼女が運転手に抱えられて、座席に詰め込まれるのを見ていた。
雪ほどではないが、痩せている。
……この子が。
あの、仕様書に載っていた子だとは到底思えなかった。
睡眠学習中の戦闘プログラム、ダミートークンとの模擬戦、千二百三十五戦中、千二百三十五戦勝。
全勝だ。
霧でさえ、九百五十回の模擬戦プログラムで、百回以上は負けている。
数値のみを見てみれば、まさに規格外と言えた。
しかし……。
あの覇気がない表情と、物憂げな喋り方が、妙に気になった。
無論、欠損している右腕、両足、そして焼け爛れている右顔面が気にならなかったと言えば嘘になる。
そして、霧が先ほど口走った言葉も、同時に心に引っかかっていた。
……バーリェのにおいも、死星獣のにおいもしない?
おそらく圭は霧のクローンだ。
どんな調整がされているのかは分からないが、少なくともどちらかのにおいはしなければおかしい。
それとも……。
品種改良を繰り返したことにより。
バーリェとも、死星獣とも、全く違う個体が創り上げられてしまったのか。
死星獣のにおいをさせている霧を見たときに、何の反応もしめさなかったのも気になった。
同種ゆえのことかと思ったが、他ならぬ霧がどちらのにおいもさせていないと言うのだ。
……つまり、圭にはバーリェの持つ生体エネルギー感知能力が備わっていない可能性もあった。
一体どれだけの不具合を抱えているのか分からない。
確かに、少なくとも「普通」ではないが……。
霧に支えられながらタクシーに乗り込み、圭の隣に腰を下ろす。
絆の隣に座った霧が扉を閉め、伺うように圭を見た。
タクシーが静かに発進し、圭は疲れたように小さなため息をついた。

「どうした? 疲れたなら寝てもいいんだぞ」

絆にそう言われ、圭はきょとんとして彼に返した。

「ねても……? ねてもとはどういうことですか?」
「何言ってるんだ? 寝るってことだ。目を閉じて楽にしてもいいってことだよ」

絆に静かに返され、しかし彼女は首を傾げてみせた。

「目を閉じてどうするのですか? 暗くなるだけです」
「寝たことがないのか?」
「初めて聞く単語です。それは動詞ですか?」
「…………」

一瞬どう返したらいいのか分からずに、奇妙なものを見るかのような目で彼女を見てしまった。
その視線を受けて、圭は縮こまって下を向いてしまった。

「……ごめんなさい……」
「……いや、謝らなくてもいい。今日ロールアウトしたばかりなんだ、考えてみれば何も知らないのは当たり前のことだ。睡眠をとるということは、体や精神の疲れを取るために必要なことだ。目を閉じて、意識を暗転させる。説明が難しいが……」
「気絶するということですか?」
「いや、それとは少し違うな……」

絆は言い淀んで口をつぐんだ。
寝るという概念が、この子にはないのか?
……流石にそれはないだろう。
動物であれば殆どの種は睡眠をとる。
魚でさえも、泳ぎながら寝るくらいだ。
彼女が初期段階の混乱に陥っていると自己完結して、絆は言った。

「まぁ……自然に分かるよ。別に理解しなくてもいい」
「はぁ、そうなんですか」

圭が気の抜けたような声を出して、シートに体を沈み込ませた。
それをポカンと見ていた霧が、何呼吸か置いて、とってつけたような高い声を発した。

「あ……あの、圭ちゃんは、ゲームは好き? 何が得意なの?」
「ゲーム……?」

首を傾げて、圭は「この子は何を言っているのだろう」という目で霧を見た。
彼女の目を見て、霧は慌てて付け加えた。

「私は、モノポリーが得意。バックギャモンも、カードゲームも好きです。一緒にラボに行ったら遊びましょう」
「ごめんなさい……姉さんが何を言っているのかがよく分かりません」

申し訳なさそうに顔を歪めて、圭は頭を下げた。
霧が気勢を削がれたように

「そ……そうなんだ……」

と言って口をつぐむ。
霧は睡眠学習中に、沢山の思考ゲームをさせられてロールアウトしてきた。
しかし、もしかしたら圭は、そのようなシュミレーションを一切せずに送り出された固体なのではないだろうか。

「教えてやればいい。得意なんだろ、霧」

そっと口を出すと、霧は顔を輝かせて

「はい!」

と頷いた。
圭はそれを興味がなさそうに見ていたが、霧がまた口を開こうとしたのにかぶせて言葉を発した。

「私が得意なことは……ありません。好きなことも、特にありません……ご期待に沿うことは、多分出来ないと思います」

霧が発しかけていた言葉を無理矢理に飲み込んで、助けを求めるように絆を見た。
……極端なマイナス思考。
通常のバーリェでは、ありえない。
なまじ状況認識がちゃんと出来ているがゆえのことなのかもしれない。

「好きなことがないのなら、これから作ればいい。何、生きてれば自然に身につくし、思いつくさ」

圭のマイナス思考を吹き飛ばそうと、わざと明るく言う。
しかし彼女は、また一つ息をついて絆から視線を離し、窓の外に目を向けてしまった。
どうしても霧と比べてしまう。
この子は逆に消極的だ。
異常なほど積極的で我が強かった霧とは正反対だ。
同じクローンでも、ここまで違うものかと心の中で驚愕もしていた。
絆も一つ息をついて、倒した松葉杖に寄りかかる。
すぐにでもこの子を戦闘で使うことになるかもしれない。
その時に、自分はまた躊躇なく使うことができるのか。
また、ブラックボックスを起動させる羽目になりはしないか。
その不安は、常に付きまとってはいた。
考えても、分からないことだった。
こればかりは、実際に使ってみなければ分からない。

――戦闘訓練。

その単語を頭の中で反芻する。
今までは、無駄にバーリェの寿命を縮めるだけなので敬遠していたが、陽月王を動かすための訓練を、この子達にちゃんと施す必要があるのではないか。
新型である霧と圭ならば、訓練を二、三回行ったとしても生活に支障はない筈だった。
大至急用意をさせる必要がある。
そう思って絆は、諦めたように圭から視線を離し、シートに寄りかかった霧を見た。

「霧、もう一回陽月王に乗りたいか?」

静かに問いかけると、霧は一瞬ポカンとした後、顔を引きつらせて俯いた。

「陽月王に……?」
「また死星獣が出たら、お前達に出てもらうことになると思う。その時に備えて、訓練をしようと思うんだ」

霧は服の裾を手で掴んで、少しの間考え込んでいた。
その額に汗が浮いている。
命が消滅した時。
霧は、その目の前にいた。
座るシートが違ったら、犠牲になっていたのは自分かもしれない。
その事実は、絆だけではない、本人もよく分かっていたことなのだ。
陽月王に乗るということは、いくら性能が高くても、常に死と隣り合わせだ。
霧は一回の戦闘でそれを経験しすぎていた。
言葉を発しようとして失敗した霧の頭に手を置いて、撫でてやりながら絆は言った。

「……分かった。お前はしばらく乗らなくていい」
「で……でも……」
「少し頭を整理するんだ。さっきの話は忘れてくれ」

――戦闘訓練をこの子に施すのは無理だ。

それを本能的な部分で察知する。
無理矢理にコクピットに乗せたら、初期の雪のように戦闘恐怖症や閉所恐怖症を発症してしまう恐れがあった。
いたずらにトラウマを刺激するのはいいことではない。
しかし……圭の性能だけは把握しておきたかった。
黙り込んだ霧から視線を離し、窓の外を見ている圭に呼びかける。

「お前はどうだ? 乗りたいか?」
「乗りたく……ありません」

掠れた声でそう返され、絆は思わず

「え……」

と呟いてしまった。
はっきりとした拒否の言葉だった。

「……どうして?」

バーリェなら、恐怖症にかかっていない限り自分を使ってもらいたいという傾向にある筈だ。

「どうしてって……私は最初に申し上げた筈です。お役には立てないと思いますって」
「俺をからかってるのか? じゃあ、お前は何のためにロールアウトされたんだ?」

探るように聞いてみると、圭は物憂げに息をついて答えた。

「私の方が、知りたいです。どうして私なんかが選ばれたんですか? 不思議です」
「自分の性能に自信を持て。お前の力は、医者達も太鼓判を押してた。だから引き取ったんだぞ」
「私の力が欲しいのですか?」

さらりと口走ってしまったことを聞きとがめられ、絆は口をつぐんだ。
失敗した。
そういう意味で言ったのではないが、言葉を選ばないと圭の心を傷つけてしまうことになりかねない。

「いや……すまない。言葉が過ぎた」

絆は言葉を選んだ末、素直に謝ることにした。
この子は、少なくとも馬鹿ではない。
霧の情報を継いでいるのかは分からないが、聡い方に属する子だ。
かえって言いつくろって土壺に嵌るよりも、認めてしまったほうがいいと判断したのだ。
圭は戸惑ったように視線を宙に彷徨わせ、また小さくため息をついた。

「謝られても困ります……私の力が欲しいのでしたら、そう言ってくださればいいのに。『命令』してくださればいいのに。そうしたら、私は何でも言うことを聞きます。ご期待に沿えるかは、分かりませんが」
「俺はお前にもう『命令』はしない。指示を待つだけの人形になるな。自分の頭で考えて、行動するんだ。それが生きていくっていうことだ。言われるのをただ待つだけなら、そんなことオウムにだって出来る」

絆の言葉を受けて、圭は何かを言おうとして失敗し、唇を噛んで黙り込んだ。
そこでガコン、と車が揺れて止まった。

「ラボについたな……とりあえず、もう一人を紹介するよ」

絆はそう言って、圭の頭をポン、と叩いた。

「………………」

呆然として、雪は停止していた。
霧に最初に会った時よりも、顕著に現れている戸惑いと恐怖の視線だった。
隣に立っていた渚が、思わず彼女の顔を覗き込んだほどだった。
口をあんぐりと開けて、廊下の片隅で静止している雪に、車椅子に乗った圭を手でさして口を開く。

「言うのが遅れたが、今日から世話をすることになった。圭だ。新しい……」

雪がそこで、絆の言葉に被せるようにして口を開いた。

「絆、誰その……『人』? ……軍の人?」
「軍の……?」

――人?

そう雪は形容した。
バーリェでも、死星獣でもない。
そう霧が言ったことを思い出す。
目が見えないゆえに生体エネルギーを深く感じることが出来る雪の、第一声がこれだ。
絆は、圭がバーリェと死星獣の融合体から「進化した」新しい個体であるという見方を強めていた。
今までに見たことがないエネルギーを目撃したため、雪は静止したのだ。
結果、彼女は絆の隣にいる圭を、バーリェでも、死星獣でもなく、「人間」であると誤認した。

「バーリェだよ。何混乱してるんだ?」

しかし努めて明るく、絆は雪にそう言った。
そこで、圭の欠損具合に衝撃を受けていたらしい渚が我に返り、口を開いた。

「……あのね、雪ちゃんを驚かせようと思って黙ってたの。新しい子がラボに増えたの。寂しくなってきてたから、私から絆特務官に言ったのよ……」

渚の言葉が尻すぼみになってだんだん小さくなり消える。
彼女は、腕と足が「ない」圭をもう一度見てから、慌てて視線をそらした。
その目を受けて、圭は冷めた視線を渚に向け、絆の方を向いた。

「……誰ですか?」

声を聞いて、雪はピンと来たらしかった。
人間ではない。
しかしバーリェのにおいも、死星獣のにおいもしない。
混乱している風の雪を一瞥してから、絆は圭に言った。

「あっちが雪。さっき話した、目が見えない子だ。バーリェだよ」
「そちらの人もバーリェですか?」
「何?」
「え?」

渚の方を向いて口走った圭に対して、絆と渚は同時に息を呑んだ。
やはり。
生体エネルギーを感知する第六感のようなものが備わっていない。
渚のこともバーリェであると誤認している。

「……そっちは渚さんだ。エフェッサーの職員だよ。俺が怪我をしているから、住み込みで手伝いをしてくれている」
「はぁ、そうなんですか……」

少し考えて言った絆の言葉を聞き、圭はさして興味もなさそうに答え、車椅子のレバーを左手で弄んだ。

「よろしくね。圭……ちゃん」

渚が近づいてきて、手を伸ばして圭の無事な方の左手を握る。

「疲れたでしょう? 寝たいんならベッドを用意するわ」

しかし、戸惑いがちにそう言われた圭は、絆の方を向いてうんざりしたように、小さな声で言った。

「ですから……『ねる』とは何ですか? 説明を要求します」

その驚愕の事実に気付いたのは、次の日になってからのことだった。
首を振って眠気を無理矢理払いながら、絆はエフェッサーの本部に電話をしていた。
圭が言っていたことは、嘘ではなかった。
「眠る」という概念自体が、この子にはなかった。

――寝ない動物。

最初は本当にそんな動物がいるのかとも思ったが、あながち嘘でもなさそうだったのだ。
数時間前には、強制的に眠りに落とす睡眠剤を大量に投与したばかりなのだが、当の圭は申し訳なさそうに縮みこむだけで、全く眠る気配はない。
既に、眠らせるためのありとあらゆる手段は尽くしていた。
薬は投与しつくし、これ以上は生命活動に悪影響を与えるかもしれないというレベルだ。
本部はこの事実を知っているのか……。
既にロールアウトされてから十七時間は経過している。
バーリェの、一日の平均活動時間は約十二時間。
きっかり二十四時間の半分だ。
一説的には、それを超過すると身体活動、および精神面で悪影響が及ぼされると言われている。
だから絆は、必ずバーリェは十二時間程度は寝かせるようにしていた。
何かがあって短くなっても、少なくとも十時間の睡眠は必ず守らせている。
圭がいつから起きていたのかは分からないが、一日の平均活動時間を大幅にオーバーしていることは事実だった。
バーリェは、基本的に体が弱い。
だからどんな個体でも、睡眠は求めるし、何より眠っている時こそが、彼女達が現実から解放されて自由になれる唯一の時間なのだ。
本部は、元老院は、それさえも許さないのか。
コール音を聞きながら唇を噛む。
懸念はしていた。
絆は日中帯のトレーナーだ。
もし深夜帯に死星獣が現れたり、新世界連合の攻撃が開始されてしまったら対応が出来ない。
現段階で、絆ほど人型AAD操縦で戦果を上げているトレーナーはいない。
もう一人別に、特別なバーリェを使役するトレーナーを確立するものだとばかり思ってはいたが、元老院、本部の対応はその予想の斜め上を行っていた。
バーリェが眠ることが弊害ならば。

眠らせなければいい。

……まさに鬼畜の所業だ。
その発想に、他ならぬ自分の組織が行き着いたのかもしれないという事実に戦慄する。
圭がもし、このまま一生眠らないとしたら。
彼女は、一体どんな人生を歩むことになるのだろうか。
空恐ろしくなった。
絆の部屋には、今は誰もいなかった。
霧と雪は寝室で眠っている。
外では太陽が昇り始めていた。
圭は、渚が面倒を見ている。
また何回かコール音がして、本部の女性職員が応答した。

『おはようございます、絆特務官。どうかされましたか?』

静かに問いかけられて、絆は押し殺した声でそれを返した。

「昨日ロールアウトしたS678番についてです。重要な話です。即担当医に繋いでください」
『かしこまりました』

保留音が流れ、しばらく経って男性医師の声が聞こえた。

『何かありましたか?』

淡々と呼びかけられ、絆は語気を荒くしてそれに返した。

「何もないとは言えないな。よくロールアウトしたもんだ。あなた達の判断には怖気がしますよ」

低い声で言った絆の言葉を理解できなかったのか、医師は

『……は?』

と気の抜けた返事を返して、少し考えてから続けた。

『不具合ならば報告書を通してご連絡ください。番外個体ですということは、先にお伝えしている筈です』
「あの子は番外個体じゃない。『特異個体』だ。あなた達は、一体何を創り出したか分かってるのか!」

思わず携帯電話の向こう側に怒鳴る。
怒鳴られた医師は、また少し考えた後静かに返した。

『……仰られている意味がよく分かりません。状況確認をさせていただいてもいいですか?』

苛立たしげに舌打ちをして、絆は

「分かりました」

と返し、一連の圭の様子を医師に伝え始めた。
徐々に携帯電話の向こう側が息を呑むのが分かった。
医師はしかし、しばらく考えてから小さく笑い、絆に返した。

『「眠らない」バーリェ? 確かにその研究はなされていますが、成功した例はありません。初期混乱なのではないですか?』
「あなた達はS93(霧のこと)の時も、同じことを私に言いましたね。分かっているんですよ。あの子は、死星獣とバーリェのハーフだってことは!」
『…………』
「それを更に改良して、キメラ(合成体)を創り出したな? もはや自分達でも、あの子が何なのか分からないんだろう。だからあんな姿のまま俺に預けた。違うか!」

言葉が強くなり、絆は押し殺した声で怒鳴った。

「あの子の右腕と両足、右目だけじゃなくて、睡眠まで奪ってあんた達は、そこまでして生き延びたいのか! おかしいよ……おかしいだろ、そんなの!」
『絆特務官、あなたが何を仰っているのかがよく分かりませんが……』

医師は、おそらく正直に言ったのであろう言葉を淡々と返すと、静かに続けた。

『眠らないのならば、かえって効率的ではないのですか?』
「……何?」

問い返した絆に、医師は何の疑問も抱いていない声で言った。

『二十四時間、敵の脅威に対応することが可能です。無論、どうしてそのような弊害が生じたのかは詳しく調査をさせていただきます。しかし、元々バーリェとは戦闘に使うために生み出された弾丸生命体です。四肢のどこが欠損していようと、眠らなかろうと、結果的に戦果を発揮できればそれでいいのではないでしょうか』
「…………」

絶句して絆は息を呑んだ。
こいつらは……。
こいつらは、悪魔だ。
人間はいつからこんなにおぞましくなった?
いつからこんなに、邪悪になってしまったのだ。

『違いますか?』

医師に畳み掛けられ、絆は唾を飲み込んでから言った。

「…………分かりました。この件に関しては、本部を通して正式に抗議をさせていただきます。とぼけるのならばとぼけ続ければいい。だが、いつまでもそんな厚顔無恥が通ると思うなよ……!」
『……かしこまりました。では』

ブツリ、と電話が切られた。
絆は携帯電話をしばらくの間見つめていたが、それをベッドに叩きつけて荒く息をつき椅子に腰掛けた。
しばらく呼吸を整えてから、松葉杖をついて、やっとのことで階段を降りる。
居間の扉を開けると、電気をあかあかとつけて、圭はソファーに腰掛けてボーッとテレビを見ていた。
ニュース番組だ。
また、スラムの虐殺について報道が成されているが、最近では民間人に新世界連合の意思に賛同するものが出てきたため、報道がある程度は自粛される流れになってきていた。
以前のように無修正の虐殺動画が流されるようなことはめっきりなくなった。
むしろそのせいで、テレビの向こうの出来事が嘘の世界のことのように思えてしまうのだから、不思議なものだ。
一瞬圭が眠っているものだと勘違いし、絆は隣に腰掛けていた渚に視線をやったが、彼女は顔を上げて絆を見て、首を振った。
ため息をついて近づいてきた絆の方を振り向いて、圭は口を開いた。

「……本当に申し訳ありません。まだ、ご説明いただいたように『眠たく』はなりません。何だかご心配をおかけしてしまったようで、心苦しいです……」
「謝ることはない……ただ、その事実には少し驚いてるけど……」

絆は開けっ放しになっていた薬棚に近づいて、器具と薬をしまって扉を閉めた。
睡眠剤が効かないのならば仕方がない。
処置の仕様がない。

「特務官、少し休まれてください。圭ちゃんは、私が見ています」

渚が、疲れと体の痛みに顔をしかめた絆を見てそう言う。
絆は頷いてから渚に返した。

「……そうさせてもらうとする。圭、渚さんと一緒に、しばらくテレビでも観ててくれ。朝食は七時からだ。霧が作ってくれる」

夕食は問題なく圭は食べていた。
無論無事な方の左手だけしか使えないので、スプーンでたどたどしくシチューを口に運んでいたが、特に食事に対する抵抗はないようだった。
……感想もなかったが。
一生懸命練習したらしい霧が、

「どうですか?」

と勢い込んで聞いたところ、圭は

「何がですか?」

と不思議そうに問い返して、食事を終えてしまったのだ。
しょんぼりした霧と雪を風呂に追いやり、圭に投薬を開始して、彼女が眠らないことに気がついてから今に至る。
雪達の後、渚に風呂介助をされてさっぱりした風の圭だったが、それに対する感想もなかった。
まるで、本当に「何も感じていない」かのようだ。
食事を作ってもらった、風呂に入れてもらった、人の手を借りたということは、分かっているらしい。
迷惑をかけたということも分かっているようだ。
しかし、それに対する感謝の気持ちがないようだった。
当初の霧もそうだったが、彼女の場合は我が強すぎたために、そのような気持ちが隠されてしまっていただけだ。
それとはまた違うタイプの話だ。
無論、すまなそうな顔をしたり、謝ったりはしている。
しかしまるで空気を押しているかのような……話していてそんな印象を受けるのだ。
圭は、しかしそんなことを考えながら背中を向けた絆に、慌てて声をかけた。

「特務官様」
「……何だ?」

そんな風に呼ばれるのは初めてのことだったので、少し沈黙してから振り返る。
圭は、少し言い淀んでいたが、やがて息を吸って小さな声で言った。

「戦闘訓練、してみようと思います……」
「……本当か? どうして?」
「ずっと考えていました。私、もしお役に立てるのでしたら、どちらかというとお役に立ちたいです。勿論無理かもしれません。出来なかった時は、怒らないでいただけるのでしたら……訓練を受けます」
「AADに乗るのは、嫌じゃないのか?」
「大丈夫だと思います。よく分かりませんが……」

自信がなさそうにもごもごと呟いて、圭は下を向いた。
絆は頷いて渚に目配せをした。

「分かった。昼に、どっちにせよお前を連れて、もう一回軍病院に行く。大丈夫なようなら、戦闘訓練を考えてもいい」
「ありがとうございます」

そこで初めて、安心したかのように圭が微かに笑った。

「何だ……ちゃんと笑えるじゃないか」

絆は少しだけ安心して、圭に近づくと、優しくその頭を撫でてやった。
圭のその顔を見て、少しだけ安心出来たような気がしたのだった。

少し眠ってから圭を連れて軍病院に行った時には、既に太陽は中天に届く頃だった。
渚にも休息をとってもらわなければならないので、本部に連絡して臨時担当のバーリェ専門保護師を呼んでおく。
その女性に霧と雪の管理を任せ、出てきて今に至る。
軍病院に来たのは、いまだ全く眠くならないらしい圭の現状について、担当医と直接会って話をしたいということもあったのだが、絆自身の怪我の治療もあった。
まだ、折った骨は繋がっていない。
金具が入っている場所もある。
雪と霧には心配させないよう、強がって言ってはいたが、体は悲鳴を上げていた。
何しろ、本部で一目絆を見た渚が、住み込みで手伝いたいと申し出たほどだ。
それほど満身創痍の姿をしているらしかった。
タクシーの座席に寄りかかりながら息をついた絆を見て、圭が口を開いた。

「執行官様、戦闘訓練に行くのですか?」

問いかけられ、絆は顔を上げ、僅かに憔悴した顔を圭に向けた。

「いや……その前に、俺の怪我を治したいから、そっちの病院に行ってもいいか?」

圭は不思議そうに絆を見た。

「怪我……?」
「ああ、見て分からないか?」
「そういうお体だと思っていました」

左手しかない体を僅かに動かして位置を調整してから、圭は絆から視線を離して窓の外を見た。

「……そのようなわけでは、ないのですね」

どこか寂しそうな言葉を聞いて、絆は口をつぐんだ。
そしてしばらく押し黙ってから言う。

「残念ながら、俺に障害はない。だけど、しばらくはこのままだ」

ギプスがはめられた手を伸ばして、圭の頭を撫でる。

「お前と一緒だな」
「一緒……?」

怪訝そうにそう問いかけ、彼女は少し考えた後呟いた。

「……そう、ですね……」
「…………」

正直な話、絆にさえも障害をもつ人間の気持ちは分からなかった。
絆は、遺伝管理をされて生まれてきたいわば「優性種」にあたる人間だ。
クランベなどには障害者が多いとは聞くが、それも伝聞だけで、本当のことかどうかまでは良く分からない。
その不確定な知識だけだったが、絆は雪がそうであるように、障害を持つ子はその分他の子よりも繊細な面を持つことを知っていた。
圭も、あまり表情や態度には出ないが同様に繊細な筈だ。
むしろ絆は、彼女の物憂げな態度がその裏返しであると考えていた。
……まずは、自分に慣れさせなければならない。
それこそ、触れて壊れる綿菓子のように繊細に扱わなければ、おそらく慣れてはくれない。
焦らず、時間をかけてやるべきだ。
看護士の女性に付き添われて圭が待つ廊下に出てきた時、しかし絆は、当初の元気はどこかに行ってしまい、有体に言えばヘロヘロの状態になっていた。
車椅子の隣のソファーにどかりと腰を降ろして息をつく。
金具を入れられた場所を随分と弄られた。
ギプスが取り替えられて新しいものになっているが、まだ麻酔が効いていて足の一部に感覚がない。
疲れた風の絆を見て、圭は首を傾げて口を開いた。

「どうかされたのですか?」
「いや……少し疲れただけだ。心配するな」
「別に心配はしていませんが、何だか凄く切羽詰まっている風にお見受けしましたので……」

……切羽詰まっている?

そう見えるのか。
息をついて、背もたれによりかかる。
まぁ、その通りかもしれない。
エフェッサーも、軍も切羽詰まっている。
他ならぬ自分も、少なからず追い詰められてはいる。
何に、ではない。
状況にだ。

「そうかもしれないな……それよりお前、どうして待合室で待ってないんだ?」

そういえば圭は、バーリェ用の待合室においてきた筈だった。
ここまで追いかけてきたらしい。
圭は小さくはにかんだような、困ったような顔をしてから小さく言った。

「……いえ、他の子が入ってきましたので……」
「…………」
「驚かせては何だと思って、ここで待っていました」
「お前な……」

呆れた声で絆は続けた。

「驚く奴には驚かせておけばいい。お前は何も悪くないんだ。もっと胸を張れよ。下を見るな。上を見ろ」
「上を……?」
「ああ。俺も小さい頃教わったことがある。下を見てばかりいると、碌なことがない、際限がない。だから上を見るんだ」
「お話が抽象的過ぎてよく分かりません」
「簡単に言うと、理想を持て。俺達は、『なりたい自分』になる自由を持つことが出来る。自分の意思で、変わることが出来る。変えることが出来る。お前にもそれは言えることなんだ」
「なりたい自分……? 仰られている意味が……」

戸惑った顔をした圭にまた言葉を続けようとした絆の耳に、こちらに足早に近づいてくるヒールの音が聞こえた。
背の高い女性だった。
室内だというのにサングラスをかけ、ピッシリとしたスーツを着ている。
彼女は後ろに、黒髪のバーリェを従えていた。

「桜……?」

思わず絆はそれを見て腰を浮かせた。
しかし痛みで唸ってからソファーに座り込む。
それ程、近づいてきた女性のバーリェは桜に似ていた。

「……流石ね。H36(桜のこと)のクローンであることはすぐ気付いたようで、安心したわ」

女性は絆の前に立つと、胸をそらして腕組みをし、こちらを見下ろしてきた。
そしてサングラスを外し、胸ポケットに入れてから続ける。

「絆特務官とお見受けしますわ。よろしく。私は椿つばき。先日H36の上位互換個体を授与された、上位トレーナーよ」
「あ? ああ……そうか」

いきなり自己紹介をされて、気の抜けた返事を返す。
そして彼は、気を取り直してギプスが嵌められた腕を彼女に伸ばした。

「よろしく。俺のことは知っているようだな」

その手を握り、遠慮なく上下に振ってから椿と名乗った女性は、痛みに顔をしかめた絆を気にすることもなく続けた。

「あなたのことを知らない人はいませんわ。『有名な』スプーキー(変わり者)ですもの」

皮肉たっぷりにそう言われ、絆は軽く笑ってから肩をすくめてみせた。
スプーキーと言われるのは慣れていた。
面と向かって言われるのは初めてのことだが、絆は他のトレーナー――かつての絃を除いて――と違って、バーリェと共に戦場に行くことから、自分がそう呼ばれていることは知っていた。
いつの頃からかそれが形骸化していた。
バーリェは消耗品だ。
それと一緒に戦うなど、愚の骨頂。
そう思っているトレーナーも多いことは、周知のことだった。
だから目の前で馬鹿にされても、特に何を思うこともなかったし、第一絆はエフェッサーが、他のトレーナーでさえも信用できなくなっていた。
傍らで、五体満足の椿のバーリェを見て表情を曇らせ、下を向いた圭の肩にポン、と手を置く。
そして撫でてやりながら、絆は口を開いた。

「で、何か用か?」

椿が、それと見て分かるほど端正な顔を歪ませた。
そして彼女は、吐き捨てるように絆に言った。

「成る程ね。ハイコアを授与されたと聞いたから見に来たけど、他の雑多なことには見向きもしないって訳。いいご身分だわ」
「ハイコア?」
「知らないとは言わせないわ。あなたの隣にいる『出来損ない』のことよ」

頭ごなしに出来損ないと言われた圭が目を見開いて萎縮する。
絆は、しかし激昂することなく静かに彼女に返した。

「感情的だな。若いだろう。いつからトレーナーをやってる?」
「……まだ一年よ。でも勲十五等授与者。勲章は持ってるわ」

胸に誇らしげにつけた勲章を指で指して、彼女は絆の様子を見て鼻で笑った。

「あなたは捨てたのかしら?」
「ああ。捨てた」

あっさりとそれを肯定した絆の答えの意味が分からなかったらしく、椿は一瞬静止して彼に言った。

「捨てたって……勲一等を?」
「俺には必要ないからな。近く返上する予定だ。勲章が欲しいのなら、いくらでもくれてやるよ」
「正気……? 勲一等授与者の言葉とは思えないわね……」
「少なくとも見ず知らずの他人に正気を疑われるほど『常識』が欠落しているとは思わないが」

絆はそう言って息をついた。

「……そして訂正してもらおう。この子は出来損ないではない。性能は、言っては何だが君の育てたバーリェを遥かに凌いでいるだろう。情報をきちんと入手しているのか? 感情論で非難されるいわれはない」
「何を……!」

声を荒げかけた椿だったが、思いとどまって口をつぐんだ。
そして彼女は口の端を吊り上げて笑ってみせ、絆に言った。

「……あんなものは当てにならないわ。所詮睡眠学習中の概算データよ」
「で、君のバーリェは思うとおりに育っているのか?」

話をさらりと変えた絆に、彼女は隣のバーリェを乱暴に引き寄せてから言った。

「ええ。ご心配には及びませんわ。『実戦』成功率が十割を維持しています」

隣で、どこか生気のない目で桜に似たバーリェが下を向く。
彼女の様子に異変を感じたのか、圭が怯えたような目で絆を見た。
……これは。
まずいかもしれない。
絆はこみ上げてきた不快感を押し殺して、椿に向けて口を開いた。

「……虐殺記録だろう。それこそ当てにならない」

言い返そうとして失敗し、椿が息を呑む。
そして彼女は唇を噛んで、物凄い目で圭を睨んだ。
それに威圧され、圭が傍らの絆の影に隠れようと身を縮みこませる。
バーリェの生気をなくした瞳。
威圧感に反応しない鈍った感覚。
おぼつかない足取り。
定着しない緩んだ表情。
このトレーナーは、おそらく過剰にバーリェに投薬を行っている。
無論問題ではない。
バーリェは備品であり、生き物とはカウントされない。
それを使って戦果を上げられるなら、どんどん使うべきだというのが本部の意向だ。
むしろ、過剰な投薬を行わない絆の方針こそが異様だとも言える。
しかし、絆は経験則で知っていた。
過剰投薬を行うトレーナーは、例外は殆どなく、トレーナー自身の人格に問題がある。
もしくは、若すぎて経験を積んでいないかだ。
この場合は両方に当てはまりそうだった。
トレーナーの我が強い場合だと、バーリェが抵抗できずに萎縮し、意思疎通が取れない状況に陥ってしまうことがよくある。
その場合、大抵の若いトレーナーは投薬を行い「言うことを聞くように」する。
赤子と同じような思考回路にしてしまうのだ。
脳のシナプスの伝達回路を緩める薬なのだが、それにはバーリェの寿命を縮めるという副作用があった。
だから、絆はその薬を使ったことは殆どなかった。
……この桜の上位互換体だという子には、おそらくそれが使用されている。

「……薬は感心できないな。効率化を目指すなら、トレーナーではなく開発職に回った方がいい」

静かにそう言うと、意気込んで椿は言い返してきた。

「あなたの育成方針こそ異質なのでは? 当初は参考にさせていただこうとしましたが、何一つとして学べるところはなかったですわ。よくトレーナーを名乗っていられるものだと感心したものです」
「何かを学べるか学べないかというのは、個々の主観であって事実じゃない。それこそ君のようなトレーナーが嫌いそうな感情論で物事を言うものじゃないと思うが。あと……」

絆は無理矢理体を動かして椿の方を向いた。

「納得が出来ないのなら証明してもいい。この子の性能をな」

ポン、と頭に手を置かれた圭がビクッと痙攣したように、自信がなさそうに萎縮する。

「成る程……勝負というわけですか」

鼻を鳴らした椿に、絆はため息をついて言った。

「トレーナー同士で争ってどうするんだ……こちらに交戦の意思はない」
「あなた程のトレーナーとなると、『交戦意思はない』のに、味方を後ろから討つことも許されますからね」

皮肉たっぷりに言われた言葉を受け、絆は一瞬静止した。
……先日の文の暴走により。
沢山の味方のバーリェが攻撃に巻き込まれ、AADごと破壊されて死んだ。
もしかしたら、この女性のバーリェもその中に混じっていたのではないか。
そう考えれば、一連の椿の言動も納得がいく。
絆はしかし、体中の痛みに呼吸を荒くしながら続けた。

「そうだな。その通りだ」
「…………」

沈黙した椿に、彼は言った。

「それがまかり通るこの社会に、俺は毎日戦慄してるよ」
「どういう意味か分かりませんが……」

椿は脇のバーリェの手を掴んで無理矢理体の前に突き出し、絆に言った。

「勝負しませんこと? あなたの『出来損ない』と、私の育てているバーリェ。どちらが優秀か、比較しませんか? あなたが勝てば、無論前言は撤回させていただきます」
「その利点が見当たらないが」
「戦闘の訓練をしに来たのではないですか? そちらのバーリェはまだ起動実験さえも行っていないと聞きます。丁度いい戦闘相手になると思われますことよ」

暗い笑みを発して、椿は続けた。

「性能を見たいんではなくて?」
「…………」

絆は沈黙してから圭を見た。
彼女は、絆と目が合うと

「む……無理です……」

と小さな声で呟いて、ふるふると首を振った。
しかし絆はまた圭の頭を撫でてやってから、椿に向き直った。

「分かった。いいだろう」
「特務官様……!」

圭が左手で絆の袖を引っ張る。
それを無視し、絆は続けた。

「丁度俺も、この子の性能を見たかったところなんだ。バーリェが相手になってくれるというなら有り難い」

軽く笑ってから付け加える。

「まぁ、勝負になればいいがな」

結論から言うと、バーチャルの仮想シュミレーターで行った戦闘訓練は、圧勝だった。
正確に言うと「絆の」だ。
巨大なゲームの筐体のようなシュミレーターから出てきて、彼は傍らの女性職員に支えられ、息をついた。
少し離れた場所では、椿が口を半開きにして呆然としている。
プシュ、と音がして彼女の隣のシュミレーターハッチが開いた。
そして中から、桜のクローン……おそらく霧と同じように、死星獣とバーリェのハーフの子がよろめきながら出てくる。
近づいてきた彼女を苛立たしげに突き放し、椿はヒールを鳴らしながら近づいてきた。
そして絆のネクタイを掴み上げる。
丁度車椅子に乗せられようとしていた圭が、それを見て息を呑んだ。
しかし絆は、女性にスーツのネクタイを捻り上げられながら軽く笑って見せた。

「どうした? 俺の言った通りに圧勝だっただろう」
「私は『バーリェ同士の』戦闘をさせようと言ったのよ! どうしてトレーナーが……バーリェの操縦技能を上回ることが出来るの!」

絆はギプスを嵌められた手で軽く椿の手を払うと、ネクタイの位置を直して椅子に座り込んだ。
結果的に今回、圭はシュミレーターを操縦しなかった。
途中で、彼女を使うまでもないという結論に至ったのだ。
もっとも、エネルギー抽出や武装のロック解除、制御や視界制御などは全て彼女にやらせている。
圭の性能は、事前に言われていた通り霧を凌ぐものだった。
戦闘操縦自体はさせていないが、とてつもないエネルギー含有量だ。
最大ラインでエネルギーを抽出し続けたとしても、およそ三時間半の稼動が可能だ。
にわかには信じがたい性能だった。
霧のようにエネルギーにブラックホール粒子が混じっているということはないが、単純に考えても彼女の三倍近いエネルギー総量を持っている。
通常のバーリェの、およそ百倍近い。
脳波の流れも実に正常で、スムーズに視界などが切り替わる。
しかし、圭に操縦をさせようとしたところ、彼女が土壇場になって「拒否」をしたのだった。

――出来ません……お願いします。私出来ません……。

蚊の鳴くような声で、震えながら圭が言ったのだった。
そのまま無理矢理やらせて戦闘恐怖症にでもなったら後のフォローが大変だ。
急遽予定を変更して絆が擬似操縦をした。
データシュミレーションの結果。
絆側が無傷で、六分二十五秒で相手側機体が大破。
まぁ、当然と言えば当然だ。
常にフルスロットルで動いているような状態だ。
機動性も索敵性も、通常の状態と段違いだ。
それに絆には、何度も戦闘に出ているというアドバンテージがあった。

「トレーナーが操縦できてもおかしくはないだろう。君の方こそおかしいんじゃないか? 勉強不足だ。俺の頭の中には、バーリェの戦闘データと分析が全て入ってる。対処できて当然だ」
「…………」
「バーリェを使うまでもなかったな」

歯噛みして、椿は足取り荒くシュミレータールームを出て行ってしまった。
慌てて桜に似たバーリェが、足元おぼつかない様子でそれを追う。
目で彼女達を見送り、絆は女性職員が差し出したコーヒーカップを手に取り、中身を口につけた。
同じようにココアを受け取った圭を見て、絆は口を開いた。

「怖くなったか? まぁ、初めて乗ったんだ。緊張するのは当たり前だ。気にするな」
「…………」

圭は俯いて唇を噛んだ。
しばらくして彼女が小さく言う。

「……分からないんです」
「何が?」
「操縦方法、分からないです……」

一瞬その意味が分からずに、絆はコーヒーを口につけたまま静止した。
そしてその熱さで我に返って、慌てて聞く。

「分からないって……お前、頭の中に操縦プログラムがインストールされてないのか?」
「……はい。そうだと思います」

そんな馬鹿な、と言いかけてそれを無理矢理飲み込む。
口に出すのははばかられたが、圭が嘘をついている可能性が高かったからだ。
彼女が睡眠学習中に行った戦闘プログラムでは千二百回を超える連勝記録がある。
分からない筈がない。
絆は、しかしそれ以上言及せずに、息を吸ってから返した。

「まぁ……おいおい思い出すだろう。お前は、立派にやってたよ。頑張ったな」

頭を撫でられ、圭が僅かに頬を紅潮させた。
そこでカルテを持った医師の集団が、部屋の中に入ってきた。
その中に圭の担当医の姿があることに気付き、絆は傍らの女性職員にコーヒーカップを渡して、松葉杖をついて立ち上がった。
絆を見て担当医が足を止める。
医師達は、絆と圭を囲むように立った。
何かしら不穏な空気を感じたのだろう。
圭が手を伸ばして絆の袖を掴む。
その手を握り返し、絆は担当医に向かって口を開いた。

「お疲れ様です。随分と大所帯ですね」

二十人以上いる医師団を見て、エフェッサーの女性職員達も怪訝そうな顔をしている。
圭を守るように立った絆を無表情で見てから、担当医は手元の資料に視線を落とし、言った。

「S678番を回収させていただきます。あなたの仰るとおり、その個体は特異体であることが、議会の正式決定で受理されました。検体として提供をいただきたい」

おそらく医師議会の決定印であろう書面を見せて、担当医は問答無用といった具合で、回りに目配せをした。
医師の一人が圭の腕を無造作に掴もうとする。
絆は反射的にその手を、ギプスが嵌められた手で掴んで捻り上げた。
腕を極められた医師が小さく悲鳴を上げてカルテを取り落とす。

「何をする?」

鉄のような声で絆はそう言った。
折れるのではないかというくらいに、医師の腕が曲がった。
周囲を取り囲んでいる医師団の表情が変わる。
絆は

「医者風情が揃いも揃って、女の子一人とっ捕まえに来るとは笑わせる」

と呟いて、手を離した。
腕を押さえて、医師の一人が床に崩れ落ちる。

「議会の承認が見えませんでしたか? 冷静にご覧ください」

担当医が表情を変えずに口を開く。
絆は、しかしそれを一瞥もせずに返した。

「君達の行動は拘束規定事項第七条の三十二項に違反している。医師団決議会でも、軍および元老院のエマージェンシーコールレッドを上回ることはない。俺は、この子を緊急非常事態用の戦闘個体としてロールアウトを受けた。そんな書面を見せられても、今更『はいそうですか』と返すわけにはいかない」

それを聞いた担当医が歯噛みしたように表情を歪める。
医師団としては精一杯の強気の姿勢だったのだろうが、いつも軍の連中からバーリェを守っている絆にとっては、笑わせるにも程があるレベルのことだった。
構わない、無理矢理連れて行けと言いたそうな顔をしている担当医に、絆は畳みかけるように言った。

「元老院の承認を取り付けてきたんなら考えよう。もっとも、医師団にそこまでの力があるとは思えないが。君達研究員にな」

侮蔑を込めて吐き捨てる。
おそらく。
医師団は、圭の記録を照会しているうちに、彼女が数々の不明点を有している事実に気付いたのだろう。
眠らない弊害も、研究して余りある素材だ。
元老院の承認の元絆に圭をロールアウトしたはいいが、一日経って惜しくなったとみえる。

「分かったら通してもらおう。訓練後だ。休ませてもらいたい」

松葉杖をついて、もう片方の手で圭の肩を押す。
圭は戸惑いながら、車椅子を操作しようとして、しかし立ちふさがった担当医の視線に射抜かれて静止した。

「お通しするわけにはいきません。その個体を戦闘に使っていただくわけにはいかないのです」
「何故? 先ほども戦闘訓練を行いましたが、この子は正常に動作をしていた。何の問題もない」

医師達の滅多にみせない強気な……いや、むしろ必死な姿勢に、怪訝そうに絆は返した。
絆を見て担当医は続けた。

「それはS678番に操縦させなかったからです。その個体には、重大な不具合があります。あなたの生死にも関わることです」

そう言われ、絆は口をつぐんだ。

――俺の生死に関わる?

一瞬、どういう意味か推し量りかねたのだった。

「仰られている意味が、よく分かりませんが」

押し殺した声でそう返すと、医師達が包囲網を狭めてきた。
担当医が周囲に目配せをしてから言う。

「戦闘を行うことがバーリェの存在意義です。戦闘を行えない個体、もしくは正常に戦闘を行えない個体をロールアウトしたとなっては、医師会の名誉に関わります」
「戦闘を行えない?」
「はい。詳しくご説明いたします。つきましては、S678番をこちらにお渡しください」

――操縦方法、分からないです……。

先ほど圭が口走った言葉が脳裏に浮かぶ。
しかし絆は、それを無理矢理押し殺してから圭を自分の方に引き寄せた。

「お断りする。それ以上近づくのならば、軍法第三十二条により君達は処分されることになるが、いいのか?」

静かな絆の脅し文句を聞いて、医師達が動きを止めた。
怯えた様子の圭が、ぎゅっ、と目を閉じて、左手だけで絆にしがみつく。

「絆特務官、どうかお聞き届けを……」

担当医が汗を流しながらそう言う。
そこで、ブーツのかかとを鳴らした足音が近づいてきて、シュミレーションルームのドアが開いた。
本部局長の駈が、女性職員を伴って歩いてきた。
彼は趣味の悪いサングラスの位置を指先で直すと、医師達を見回して、それを軽く鼻で笑った。

「研究員がこんなところで何をしている。戻りたまえ」

低い声を聞いて、担当医が強く歯を噛む。
彼はまだ数秒迷っていたが、やがて諦めたのか、肩を落として周囲に指示をし、足早に部屋を出て行った。
絆は気が抜けたように松葉杖に寄りかかり、まだ目を閉じている圭の頭を撫でた。

「おい、医者は帰ったよ。手を離せ」

しかし圭は手を離さなかった。
自分の服の裾をつかんでいる彼女の手を握り返してやりながら、絆は駈を見た。

「……あなたこそ、何をしに? 助けを呼んだ覚えはないが」
「先ほどの戦闘訓練の様子は、オペレーションルームで全て見させてもらった。そのバーリェの性能は素晴らしい。手放すには惜しいと思ってな」

駈は絆と目を合わせずにそう言って、隣の自動販売機に近づいた。
女性職員が駆け寄って、カードを差込み、少し待ってからコーヒーを取り出す。
それを受け取り、口につけてから駈は壁に寄りかかった。
そして嘗め回すように圭のことを見る。

「ふむ……」

小さく呟いて、彼は言った。

「眠らない個体か。興味深い。それに、その他にも様々な障害を抱えていそうだ。だが、それを補って余りある性能だ」
「話が済んだのなら、ラボに戻らせてもらう。俺も暇ではないので」

足を踏み出そうとした絆に、しかし駈は静かに声をかけた。

「まぁ、そんなに急ぐこともないだろう。少し話を聞いていきたまえ」
「……何ですか?」

あからさまに嫌そうな顔をして絆が立ち止まる。
彼に女性職員が近づいてコーヒーを渡そうとする。
それをやんわりと断った絆に、駈は続けた。

「君の操縦技能がバーリェを、それも新型を上回るとは私も思ってはいなかった。椿君のバーリェも決して不良品ではないのだが、よくやるものだ」
「…………」
「しかし眠らない個体か……本当に、実に興味深いよ」
「何を言いたい?」

押し殺した声で問いかけられ、駈は軽く口の端を吊り上げて笑ってから言った。

「果たして『それ』は、生き物と言えるのかね。ふとそんなことを思ってね」

圭が、閉じていた目を見開いた。

「意識調整されてセッティングされた人格、欠損しているといえプログラムによりつくられた体。動物として当たり前の睡眠もとらずに、稼動し続けることができるそれは、果たして『我々と同じ生き物』と言えるのかね? 『スプーキー』の絆特務官はどうお考えなのかと、いささか疑問でな」
「…………」
「いや何、嫌味ではない。純粋に『それ』と触れ合うことが出来る君が、凄いと賞賛しているのだよ。私にはできない」
「……この子はバーリェだ。俺達と同じ生き物だ。だから俺は、この子を守る。あんたみたいな『犬』の手からな……!」

低い声で絆はそう言って、圭の手を強く握った。

「あんたには、到底分からないことだろうよ」

駈はしばらくニヤニヤしながら絆を見ていたが、やがてコーヒーを飲みきると、カップをクシャリと潰してダストシュートに投げ入れた。

「そうそう、君に伝えなければいけないことがある」
「…………」
「先日大破した人型AAD七○一型、コードネーム陽月王だが、新しい機体が製造された」
「何?」

思わず顔を上げた絆に、駈はサングラスの位置を直してから続けた。

「今度の機体は、そのS678番の性能に十分ついてくると思われる。いや……それでも『足りない』かもしれないな」
「…………」

陽月王の後継機ということになるのだろうか。
更にスペックアップされた機体が、既にロールアウトされたというのか。
唾を飲み込んだ絆を見て、駈は抑揚のない声音で言った。

「人型AAD八○一型。コードネーム『大恒王だいこうおう』……トリプルコアシステムを使っている」
「トリプルコア……!」

思わず絆は素っ頓狂な声を上げていた。
トリプルコア?
バーリェを『三体』?
それを面白そうに見て、駈はクックと喉を鳴らした。

「今度の兵器は凄いぞ。人型AADでありながら、フライトシステムを組み込んである。空を飛ぶ機械人形だ。君の操縦技能も、どこまで通用するか見物だな」

絆は松葉杖を床に叩きつけ、倒れこむように駈の胸倉を掴み上げた。
そして脂汗を顔に浮かべながら、彼に押し殺した声で言う。

「凄い……? 現場にも行かないあんたが、どの面下げて、玩具みたいに……!」
「だから私は、『君は凄い』と絶賛しているのだよ」

駈は掴み上げられながら表情を変えずに続けた。

「バーリェなんて玩具みたいなものだろう。我々大人の玩具だ。使い捨てられて消えてゆく消耗品だ。私から言わせれば、『君こそ異常』なのだがね」
「…………」

絆は、手を離してよろめいた。
慌てて周りの女性職員が、彼のことを支える。
スーツの乱れを直して、駈は言った。

「時間をとらせたな。帰宅したまえ」
「言われなくても……!」

絆は彼を睨んで、松葉杖を女性職員から受け取って、圭を見た。

「…………帰るぞ、圭」
「……はい」

俯いて圭が車椅子を進める。
彼女の目は、自分を嘗め回すように見ている駈に明らかに恐怖の色を発していた。

結論から言うと、駈と話した時から五日間、圭は一睡もしていない。
絆と渚が後退で見るようにしていたが、徐々に圭から、元々なかった元気が更になくなってきていた。
目の周りにはクマが浮き、心なしかロールアウトされてきた日よりもやつれているような気がする。
最近目が乾くという訴えがあったので、絆がかなり高級品の目薬を買ってやったところ、圭は初めて少しだけ嬉しそうな顔をした。
ずっと、それを左手で握っている。
彼女の疲労は、当然のことだった。
睡眠は動物が体と精神を休めるのに必要なことだ。
いわば『必須』の昨日だといえる。
圭は、絆が眠っている時は彼の隣のベッドで横になるように習慣づけをしたが、それで体の疲労は取れても、蓄積された精神の疲労までは取れない。
疲れたようにため息をついた圭に、熱心にモノポリーのルール説明をしていた霧が口を止め、彼女を見た。

「どうかしましたか? 疲れましたか?」

伺うように問いかけられ、圭は物憂げに息を吐いてから言った。

「いえ……特には……」
「そ、そうですか……じゃあ、ご飯にしますか? 圭ちゃんの好きなものを作ります!」

霧がそう言って立ち上がる。
雪が

「私も……」

と言って傍らの点滴台に掴まって立ち上がった。

「お姉様はお休みになっていてください。私が作ります」
「でも……最近霧ちゃんにばっかり家事をやらせてるから……」

雪が口ごもる。
霧は軽く笑って、無理矢理に雪を元の位置に座らせた。

「じゃあ圭ちゃんとゲームしててください。それがお姉様のお仕事です」
「…………」

雪が戸惑ったように圭の方を向く。
当の圭は、興味がないのか左手でモノポリーの駒を弄んでいた。
絆が口を開きかけ、そこで寝巻き姿で降りてきた渚と目が合った。

「おはようございます、絆特務官」
「おはよう」

渚は、ここ数日殆ど寝ていない。
最近圭の様子が安定してきたので、十分に休んでもらった。
心なしか気が抜けているように思えるのはそのせいだ。
ボサボサの髪の毛で、渚はキッチンに入っていった霧に

「私も手伝うわ、霧ちゃん」

と言って後を追っていった。
バーリェの管理が、睡眠時間のサイクルが乱れるだけでこんなに大変な仕事になるとは、絆自身も思っていなかった。
もはや渚が手伝ってくれなければ、管理が追いつかない。

――トリプルコア。

数日前に駈が言っていたことを思い出す。
その後に兵器の仕様書が送られてきたのだが、絆はそれを見て背筋が寒くなっていた。
バーリェを操縦、管制、エネルギーラインで三分割し、更にエネルギー効率を上げている。
それだけならいいのだが、その兵器が「通常」ラインで運用されるためには、普通のバーリェの命が、三十分間で二十五体必要になる。
雪、霧、そして圭の三人がいて初めて動作が許される。
そんな「存在してはならない」禁断の領域に踏み込んでいる兵器だった。
そして同時に、絆はその仕様書を見て、雪を管制担当にして、エネルギー抽出ラインを少しでも安定させよう、と考えてしまっている自分自身に戦慄してもいた。
考えてはいけないことを、自分は考えている。
適応してしまっている。
おかしい。
手の中のコピー用紙に力を入れて握りつぶす。
それをゴミ箱に叩きつけ、絆は立ち上がろうと松葉杖に手をかけた。
そこで、突然ニュース番組が切り替わった。
電波ジャック。
その言葉が頭をよぎる前に、絃の重苦しい言葉が耳に飛び込んできた。

『新世界連合の総括者である立場から、愚かなる人間諸君に対して、三度目の警告を行う』

その場の空気が、圭以外一瞬で緊張した。
絃は顔の前で指を組んで、テーブルに肘を乗せた姿勢で続けた。
やはり、白と赤の軍服を着ている。
こころなしか周囲の、白い三角帽を被った人間達が増えているような気がした。

『我々はいかなる賛同者も、協力者も求めない。この度の沈黙は、死星獣の技術解明のためであり、決して人類諸君に対して情を施したわけではないことを、事前に釈明させていただく』
「絃さん……!」

渚が駆け寄ってきて、絆の隣にしゃがみこむ。
絃は数秒置いてから言った。

『新世界連合に協賛するスラム街の人間達も出ていると聞く。まことに遺憾だ。この場を借りてしっかりと宣言させていただこう。スラム街の人間であれ、上層市民の人間であれ、人間は人間であることに代わりはない。全ての人類は、我らの敵である。速やかに、同一に均等に、無情に死んでいただくことになる。そして……』

絃は手元のプロジェクターを操作し、映像を壁に投影した。

『我らの防衛拠点が完成した。この度の沈黙を破り、ここを拠点に、我々はもう逃げも隠れもせず、諸君らを攻撃することになる』

壁には、どこまでも広がる緑色の自然が映し出されていた。
その所々に、ドーム状の建築物が見て取れる。

「まさか……」

呟いた絆の声に被せるように、弦は言った。

『我らが、この星最期の希望として選んだ防衛拠点は、最後の自然が眠る場所、フォロントンである。軍諸君、エフェッサー諸君。どうぞ大挙して押し寄せるがいい。無論、我々は君達の攻撃を待つことなく、新たに得た知識と技術により、更に進化した死星獣、および「兵器」の攻撃を、ここを拠点に行わせていただく』

絃はプロジェクターの電気を消し、暗い笑みを発した。

『ついては、本日十五○三十に、エフェッサーの本部拠点に一斉攻撃をかけ、壊滅させようという議案が先ほど可決された。我々はエフェッサー諸君に対し、フォロントンを拠点に、以前とは違い逃げも隠れもせず、全面戦争を宣言する。この放送を聞いている者は、我らの圧倒的兵力の前に崩れ落ちるエフェッサーの姿を目の当たりにすることだろう』
「…………」

言葉をなくした絆を前に、モニター前の絃は右手を天に向かって突き出した。

『亡き魂と、これから亡くなるであろう魂達の鎮魂を祈り、放送を以上とする。我らの新世界のために』

ブツリ、と放送が消えた。

――エフェッサー本部に対して、フォロントンを拠点に一斉攻撃?

今俺達がいるラボも、攻撃対象の区画に入るってことか……?
その「宣言された」事柄に、絆は分かっていたことながら心の底から震え上がった。
この沈黙を破り、彼らが更に兵力を上げて攻撃を宣言してくることは、予想されていたことだった。
そうだったのだが、改めて聞かされると、それは怖気以外の何をも発することはなかった。
自然地域フォロントンに基地までつくりあげて。
自分達の守りを死星獣で鉄壁にして。
それで、エフェッサーの本部をまず壊滅させるつもりなのか。

「……くそっ!」

ギプスを嵌められた腕で、太ももを強く叩く。

「何が新世界のためだ……!」
「絆……」

絃が裏切ったことは既に聴かされている雪が、しかし不安そうな声を発する。

「ここも、なくなっちゃうの……?」

絆は強く歯を噛んだ。
命が死んだ時に折った奥歯から、血が滲む。

「そんなことはさせるか……」

小さく呟いて、絆は渚に支えられながら立ち上がった。

「全員準備をしろ。戦闘だ!」

エフェッサー本部に絆が出頭した頃には、既に本部のトレーナー達はオペレーティングルームに集められていた。
松葉杖を鳴らしながら、渚に支えられて入ってきた絆を見て、最前列に座っていた椿が鼻を鳴らす。
絆は一番後ろの席に腰を下ろした。
そこで、駈が全体を見回して口を開いた。

「皆も知っての通りだ。新世界連合が、本部に対しての直接的な攻撃意思を示してきた。早急に迎撃体制をとる必要がある」

絆はそこで手を挙げ、口を止めた駈に向かって押し殺した声を発した。

「どうしてフォロントンに基地を作られるまで放っておいた? 今迄のスラムの虐殺は一体何だったんだ?」

責められた駈は一瞬口をつぐみ、そして手元の小型プロジェクターを操作し、壁に映像を映し出した。

「……現在フォロントンは、世界連合が定めた自然特区として、半径三百キロ四方が巨大な『壁』に囲まれている」

映像が切り替わり、自然が生い茂る空間と、その外の閑散としたスラム街の空間を分ける、全長二十メートルを超える長大な鉄の壁が投影された。

「俗にこの壁は『自然の壁』と言われ、二百年ほど前から存在している。人類文明を遮断するため、このサークル内では、外部からの電波通信などが行えないようになっている」
「しかし今回、新世界連合は電波通信を行ってきたではないですか。どこかに抜け道がある筈だ」

別のトレーナーがそう言うと、駈は頷いた。

「その可能性もある。または、『自然の壁』を超えるテクノロジーをあちら側が有しているのかもしれない」
「そんなことは理由にならない。ならどうして自然の壁を壊さない。敵が中にいるのなら、フォロンクロンをやったときのように、いくらでもやりようがある」

絆がまた口を挟むと、駈は少しの間押し黙ってから、静かにそれに返した。

「君はこんな話を聞いたことはないか? 自然の壁は壊せない。フォロントンは、バイオ技術ではなく、完全に自然に任せて放置されている区画だと」
「……何を言ってる? フォロントンだって、バイオ技術で管理されなきゃ自然が成り立つわけがないだろう。それに、自然の壁が壊せないって……確かに壊れたという記録は見たことがないが……」

口ごもった絆から目を離し、駈は続けた。

「既に現地のエフェッサー、軍によって自然の壁に対する攻撃は行われている。しかし、どれも壁を突破することは出来なかったという結果しか、私は聞いていない。空路で壁を越えて、衛星映像から新世界連合拠点があると思われる場所に向かい、内部に入った隊もいたそうだが、既に三時間以上通信がないそうだ」

黙り込んだトレーナー達の中で、絆は爪を噛んだ。
……自然の壁。
実際見たことはないが、知識としては知っている。
二百年以上前に、フォロントンを外界から隔離した、特殊合金で出来た壁だ。
誰が作ったのかは、判然としていない。
その地区を管轄しているのがスラム街であることもあったのだが、正確な記録が残っていないのだ。
いつの間にかあった、という表現が一番近いかもしれない。
そう、死星獣が突然現れたように。
絆が生まれる前から自然の壁は存在していたし、それにフォロントンが隔離されているという事実は確かだった。
無論空路から入ることは誰だって出来る。
だが、自然の壁それ自体が電波などを遮断してしまうため、通信は出来ない。
中に入り込まれたら厄介ではある。

「フォロントンはバイオ技術で管理された区画ではない。本当に『放置』された、人類の手がついていない手付かずの自然だ。その環境ゆえに、調査や攻撃を行うための判断が遅れてしまい、結局は新世界連合が拠点を築くだけの時間を与えてしまった。無論、あの組織が単独でそれを行えるとは思えない。何らかの後ろ盾があるものと考える」

駈はそう続けて息をついた。

「……問題は、だ。あと二時間十五分で、ワープが可能な死星獣を使い、新世界連合がここに攻撃を仕掛けてくるであろう事実だ。敵がどれだけの戦力を持っていて、どのような攻撃をしてくるのか。そして我々はどう対処すればいいのか、正直本部側も対策を立てあぐねている状況だ」

おそらくそれが、新世界連合が沈黙していた真の狙いだ。
いたずらに破壊行動を行わず、敵である軍やエフェッサーに対策を立てさせない。
そして自分達は万全な状態を整え、始めて襲ってくる。
小規模な集団戦闘の常識だ。

「こちら側が有する戦力は、トレーナー五十二人に、バーリェ六十五体。トップファイブ以上のAADを戦力とカウントするとして、砲台型AADが二十一機。戦闘機型が十八機。七百番台人型が五機。そして、新たにロールアウトされた『絆特務官専用機』、人型AAD八○一型、大恒王だいこうおうが……これだ」

またプロジェクターを操作して、駈は壁に人型AADを映し出した。
格納庫に前傾姿勢で収納されている。
……巨大だ。
陽月王の一倍半ほどはあるだろうか。
四肢が異様に細く、背中にはジェット機の主翼のような羽が四枚ついていた。
ブースターの大きさが、体の大きさとほぼ同じだ。
――動くのか、これは。
絆は初っ端それを見て、そう思った。
周囲のトレーナーがざわめいて顔を見合わせる。
椿は真っ直ぐに絆のことを睨んでいた。

「全高十八メートル。重量百九十トン。通常のバーリェの五百倍以上の燃焼エンジンを有している」

ざわめきが広がった。
絆は押しつぶされそうに鼓動している心臓を、服の上から押さえつけた。
駈が絆の方を見て続ける。

「絆特務官には、生き残っている全てのバーリェを使用し、この機体を動かしていただくことになる。大恒王は、戦術級二等クラスの兵力とカウントされる」

戦術級二等。
小型の水爆一つとほぼ威力は変わらない被害規模を算出できる数値だ。

「我々の現在立てられうる策は、全ての兵力を展開し、八○一型大恒王の起動時間を稼ぐことだ。起動実験を行っている時間はない。フォロントンへの攻撃も、新世界連合の撃滅もその後だ。大恒王さえ動けば、敵がどんな兵力で吶喊してきても何とかなる。それは私が保証しよう」

遠まわしに、全ての本部トレーナーのバーリェ達は大恒王の起動のために死ねと言っているようなものだ。
それ以前に。

……何とかなる?

例えば先日のように十数体の死星獣タイプγが、今度は百数規模で群れを成して襲ってきたらどうするつもりなのだろうか。
何とか、なるわけがないだろう。
口を開きかけた絆の目に、しかしそこで背筋を伸ばして手を挙げた椿の姿が目に入った。

「何だ?」

駈が問いかけると、立ち上がって椿は言葉を発した。

「八○一型に、私のバーリェを乗せていただきたいのです」

トレーナー達の間にまたざわめきが広がる。
駈は手元の資料をめくってから、静かに返した。

「どうして?」
「絆特務官のバーリェは、不安定です。安定した性能を発揮できるとは思えません。動作にも若干の不安が残ります。私の育てた新型のバーリェは、現在で三体います。少なくとも、起動するかしないかに賭けるよりは、確実に起動するラインを選択するべきだと思います」

一気にそう言って、椿は見下すように絆を睨んだ。
駈は、しかし興味がなさそうに資料を閉じてから周りを見回した。

「八○一型は、絆特務官の専用機だ。君にその代わりを勤めることは出来ない」
「どうしてですか!」

勢い込んで椿が声を張り上げる。

「現場にも行かない君に、あの機体を任せることは出来んよ」

駈は彼女を一瞥してから、資料を脇の女性職員に渡した。

「話は以上だ。各員大至急配置についてくれ。武運を祈る」

呆然と立ち尽くす椿を他所に、バラバラとトレーナー達が散っていく。
絆は脇の渚に支えられて、やっとの思いで立ち上がった。
椿はそれを見て、ヒールのかかとを鳴らしながら近づいてきた。
そして絆の頬に唇をつけんばかりに近づいて、そっと囁く。

「私はあなたを認めない……精々後ろから討たれないように、気をつけることね」
「…………」

この状況で何を言っている、と声を荒げようとしたが、椿はツカツカと靴の音を立ててオペレーティングルームを出て行ってしまった。

「絆特務官、大丈夫ですか……?」

渚に心配そうに問いかけられ、絆は頷いて松葉杖を握り締めた。

「大恒王を起動させる。まずは、話はそれからだ」
「分かりました。今回は、私も計器操作のために同乗させていただきます」
「え……?」

慌てて絆は疑問符を発した。

「君も乗るのか?」
「元老院からの指令です。それに……ブラックホール粒子が充満していると、本部からの通信が途絶されてしまうこともありますし……」

言いにくそうに、渚は一つ付け加えた。

「本部が消えたら、どっち道帰るところはなくなります」
「…………」

その寂しそうな呟きに、絆は答えを返すことが出来なかった。

渚に支えられながら、大恒王のコクピットに乗り込んだ絆は、その広さに驚愕していた。
胸部全体がコクピットになっている。
クリア素材で周囲が覆われ――塗装をする時間がなかったのだろう――真っ白な機体に繋がっている。
既に三座席に接続されている雪、霧、圭がそれぞれ不安そうな表情を絆に向けた。
絆は、彼女たちより一段高いところにシートがある。それと背中合わせに渚が座り、モニター類を操作していた。

「急なことになったが、緊急事態だ。メインエネルギー抽出回路を圭に接続。武装、管制の制御は雪、主操縦は霧が担当しろ。落ち着いてやれば出来る。何があってもパニクるな。俺が後ろにいる」
「……うん」
「分かりました!」
「はい……」

三人がそれぞれ頷いて、目を閉じて意識を集中させる。
途端にコクピット内に明かりがつき、機械音声が流れ出した。

「全ての設定をニュートラルへ。メインシステムを起動しますス。エネルギー抽出開始。稼動の最低ラインまで、残り三十五分です」
「何……?」

思わず絆はそう呟いていた。
メインは圭だが、雪と霧からもエネルギーを抽出している。
陽月王ならフルスロットルで即稼動が可能な程だ。

……三十五分……?

絃が指定した時間まで、残り十五分を切っていた。
二十分間、自分達なしで戦えるのか、エフェッサーは。
もしかしたら、ここで動けないまま殺されてしまうことになるのではないか。
生唾を飲み込む。

「カウントダウンを開始します。エネルギー抽出ラインを確保しました。生体エネルギー融合炉心が起動します」

絆の後ろで、渚がそう言う。
次いで絆の前面モニターに残り時間の数値が表示された。
そこでアラームが鳴り、駈の顔が表示された。

『絆特務官、状況はどうだ?』
「……良くはない。フルでエネルギーを抽出すれば、バーリェがショック死する。今出来うる最大速度で抽出したとして、この兵器の起動ラインまで、あと三十四分二十秒だ」

駈が歯噛みして表情を歪める。

『分かった。バーリェの精神安定に努めるんだ。起動までの時間は、必ず稼ぐ』
「了解」

短く答えて通信を切る。
そこで雪が、見えない目を絆に向けて口を開いた。

「絆……絃さんを、殺すの?」

その問いを受けて、絆は一瞬沈黙した。
そして息を整えてから口を開く。

「……分からない。だが俺は、絃にもう一度会わなきゃいけない」
「…………」

不安げにこちらを見た圭と霧を見てから、絆は続けた。

「話はこの状況を切り抜けてからだ。集中しろ……!」

十五○三十を示すアラームが鳴る。
その音にポカンとした三人のバーリェを見回した絆の耳に、渚の叫ぶような声が飛び込んできた。

「死星獣の反応です! このエリアに次々にワープしてきます! 十……二十……す、凄い数です!」
「落ち着いてモニターを見るんだ。雪、霧、圭。騒がず、静かに集中しろ。大丈夫だ」

絆が落ち着いた声で渚達に指示をする。
渚が上ずった声で

「す……すみません」

と言って、戸惑った風に続けた。

「タイプγではありません……! 先日フォロンクロンに現れた金色の個体です! 数値確認完了しました。エフェッサーの本部が……に、二百五十三体の死星獣に囲まれています!」

絆は歯を噛んで、発しかけた疑問符を無理矢理飲み込んだ。

……二百五十三体?

しかも、タイプγではない。
あっさりと人型AADを破壊する、あの金色の個体だ。
息を吸ってからモニターをエフェッサーの本部からの外部カメラに切り替える。
そして絆は、思わず息を呑んだ。
ゴキブリの群れのように、綺麗に整列した金色の死星獣が放射状に広がっていた。
どれもが頭を垂らして、背中を曲げている。
見ただけでは数え切れない数だ。
本部を囲むように配置されていたエフェッサーのAAD各機は、その現状にただ驚くだけで動こうとしない。

「攻撃しろ!」

絆は一拍置いて我に返り、マイクを全回線ONにして怒鳴り声を上げた。
そこで、また本部前の空中が歪み、陽月王を一回り大きくしたような金色の機体が出現した。
それはフワリと地面に降りると、何の力を使っているのか、ゆっくりと空中を漂い始めた。
機械人形が。
腕組みをして見下すようにこっちを見ている。
その視線に射抜かれたように、絆はハッとした。

「……絃か……?」

弾かれたように雪と渚が絆を見る。
金色のAAD型死星獣は、地上三メートルほどのところを漂った……と思った瞬間に消えた。
次の瞬間、近くにいた砲台型AADが凄まじい爆炎を上げて大爆発を起こした。
一瞬で移動した金色のAAD型死星獣が、少し前に優と文が使ったような……いや、それよりも十数メートルは長い、長大な迫撃戦用ブレードを構えている。
反応しようとした人型AADに対し、それは、右手を伸ばした。
右手の装甲がバクン、と音を立てて開き、金色のエネルギーを噴出させる。
それに胸部コクピットを握りつぶされ、七百番台の人型AADは力なくその場に崩れ落ちた。
一瞬で味方の重要戦力の一部がやられたのを受け、駈が全回線をオープンにして怒鳴った。

『全軍展開! 敵を駆逐しろ!』

次の瞬間。
全ての死星獣がわらわらと動き出した。
空中を浮遊して、自由自在に飛び回り始める。
まるで蝿の群れのように、他の人型AADに金色の個体が群れて大爆発を起こす。

「活動開始まで、後十七分です」
「くそっ!」

絆は折れている手を操縦桿に叩き付けた。
体中に痛みが走るが、気にしている時間はない。
このままでは、本部の戦力は十七分ももたない。
そこで、モニターの一つ、衛星チャンネルが切り替わった。
どこから映しているのか、攻撃されているエフェッサー本部の様子が中継されている。
全世界に流されているというのか。
この殲滅戦が。
操縦桿を握り、絆はサポートAIに向かって声を張り上げた。

「エネルギー抽出を寸断する! 現在の稼動レベルで大恒王の全システムを起動させろ!」
「拒否します。エマージェンシーコールレッドの事由により、あなたの発言は元老院の指示を上回ることはありません」
「ここに乗っているのは俺だ、やれ!」
「拒否します。エネルギー抽出を続行。残り時間は、後十六分です」

無常なAIの声があたりに響く。
歯噛みした絆の目に、陽月王によく似た味方の機体が、凄まじい運動性で近くの金色の死星獣に近づくのが見えた。
迫撃戦用のブレードと、遠距離戦用のランチャーを積んでいる。
死星獣を薙ぎ倒し、飛び退りながらそれは、砲口から黒いエネルギーを発した。
……霧のものと同じ、ブラックホール粒子を含むものだ。
数体の死星獣がそれに巻き込まれて綺麗に消滅する。
通信のコール音がして、そこで薄ら笑いを浮かべた椿の顔が表示された。

『女の子のように焦って、格好悪いですよ。特務官様』

本部のオペレーティングルームで操縦しているらしい。
手元の操縦桿を動かしながら、彼女は言った。

『あなたが出てくる前に、全てを消滅させてみせるわ! 私にはそれが出来る!』
「早まるな! 相手の戦力も分からない状態で……」

慌てて絆が言う。
しかし椿のAADは、およそバーリェが乗っているとは思えないほど無茶な中転を何度か繰り返し、華麗に舞いながら周囲の死星獣を駆逐し始めた。
中のバーリェが、あれでは「壊れて」しまう。
当然ながら、現場で動いているバーリェ達には無茶なGや落下の衝撃がかかる。

――何て向こう見ずな戦い方をするトレーナーだ……!

思わず唇を噛んだ絆の目に、椿のAADを取り囲んだ金色の死星獣が、一斉に背中を丸めて、力を込めるかのような動作をしたのが見えた。
そこからそれぞれ、全長とほぼ同じに近い大きさの金色の羽が競り出して、まるで天使のように周囲に伸びる。
背中から伸びた羽をはためかせ、死星獣達が宙を舞った。

『くっ……飛行形態に進化するなんて……!』

椿の狼狽したような声が聞こえる。
最初に現れた、陽月王と同じ外見の金色の死星獣も、背中を丸めた。
そこから、他の死星獣とは違い六つ、三対の羽が競りあがる。
まるで大天使のように手を広げながら、それが空中に浮かび上がる。
周囲を金色の光が包んだ。
よく見ると、浮かび上がった死星獣達も、同じような手を前に広げた姿勢をとっている。

「罠だ、下がれ!」

絆は青くなって怒鳴った。

『空が飛べるくらいで……!』

椿が押し殺した声を張り上げ、操縦桿を捻る。
彼女のAADが地面を蹴って、実に十数メートルも宙に跳んだ。
黒いエネルギーを刃にまとわりつかせながらブレードを振り上げた……と思った次の瞬間だった。
翼を持ち、浮かび上がった死星獣達の手の平がそれぞれ光った。
まず、飛びかかっていた椿のAAD、そのブレードが複数の銃撃を浴びたかのように跳ね、爆発した。
次いで二十体ほどの翼を翻した死星獣達が、空中で姿勢を歪めた人型AADを包囲するように移動した。
それらの体が強い金色に光り、太陽のように輝く。
包囲されている円形の空間が、真っ赤に染まった。
次いで、水蒸気爆発でも起きたかのように、辺りに凄まじい爆炎が上がった。
円形にエネルギーが収束し、天に向かって吹き上がる。
グラグラと地面が揺れ、雪が悲鳴を上げて操縦桿にしがみついた。
唖然とした絆の目に、黒い消し炭のようになってガシャン……と地面に落下したAADの破片が映る。
包囲していた死星獣達は、しばらくの間真っ赤に発熱していたが、やがて金色に戻って、悠々と動き始めた。

『そ、そんな……』

椿が唖然として呟く。

「活動開始まで、後十二分です」

椿の、霧レベルのバーリェを使っても四分間の足止めにしかならなかった。

――万事休すか……!

そう思った絆の目に、そこで信じられない光景が飛び込んできた。
今まで出撃していなかった、トップファイブの戦闘機型AADが、次々とテイクオフを始めたのだ。
それに戦慄したのではない。
それぞれが積んでいた、機体の大きさに相当する「爆弾」に戦慄したのだ。
あれは特攻兵装。
一度搭載すれば取り外しは不可能な、バーリェの生体エネルギーを使った、超高威力の、小型エネルギー爆弾だった。
バーリェを。
吶喊させるつもりだ。

「やめろ……!」

唸るように呟き、モニターを睨みつける。
駈が歪んだ暗い笑みを浮かべ、静かに言った。

『やれ』

バーリェ達が、次々と死星獣に向かって落下していく。
合計十八機の特攻隊が、放物線を描いて落下していく。
爆弾の重さに、機体が耐え切れないのだ。

――やめろ。

やめろよ。
こんなことのために育てたんじゃないだろう。
こんな風に命を散らせるために、育てたんじゃないだろう!
怒鳴ろうとして、すんでのところで自制する。
一瞬後、何拍か置いて凄まじい爆発が周囲を揺るがした。
バーリェ三人が悲鳴を上げてシートにしがみつく。

――くそっ!

心の中で叫ぶ。
玉砕した。

敵と同じことを、しやがった!

もうもうと上がる煙の中、爆発に巻き込まれた死星獣達が、ボロボロと塵になって消えていく。
エフェッサー本部の周囲は、完全に数時間前の様相とは変わってしまっていた。
一面広がる、灰色の砂漠の山だった。
ガレキが更に死星獣のブラックホール粒子で塵になり、それがどこまでも広がる砂原を作り上げている。

「て……敵の戦力がおよそ半減! 包囲網が引いていきます!」

渚が叫ぶように言う。
半減……?
あれだけの数のバーリェが吶喊して散って、それでやっと半分?
つまり百体以上の死星獣がまだ現存しているということになる。
モニターを見ると、翼が生えた個体は殆どが上空に浮かんで、爆発を逃れていた。
その中心に、腕組みをしてのけぞった姿勢の、AAD型死星獣がいる。
カメラアイを光らせながら、それは六枚の翼を翻して下がり始めた。
……間違いない。
直感で絃と思ったが、あの死星獣の中には、人間かバーリェが乗り込んでいる。
おそらく、バーリェの吶喊と味方の被害を見て、第二陣があることを警戒したのだろう。
本部を取り囲んでいる飛行型死星獣達が、数歩後ろに下がる。

「システムの全起動まで、後三百秒です。カウントダウンを開始します」

遂に、五分を切った。
これは……。
もしかしたら、間に合うかもしれない。
しかし、間に合ってどうするというのだろう。
飛行している新型の死星獣百数体を相手に、これだけの戦力で戦えるのだろうか。
本当に、大恒王一機がそこまでの力を持っているのだろうか。
絆は歯を噛んで、カウントダウンが開始されているコクピットの中、渚に言った。

「衛星電波を、三十五タイプの回線全てジャックしてくれ。新世界連合と同じことをする……! 出来るはずだ!」
「特務官……? で、ですがどうして……」
「あの敵の死星獣、一体だけ動きが違う。司令塔の人間が乗っている可能性が高い」

それを聞いて渚が息を呑む。

『構わない。時間を少しでも稼ぎたい。やりたまえ』

絆の通信を聞いていた駈が口を挟んだ。
渚は少しの間迷っていたが

「分かりました……!」

と言って計器を操作し始めた。
少しして衛星電波の映像に、絆の顔が映し出された。
コクピット内から出力された映像を、電波をジャックして割り込ませている。
絆は息を吸ってから、押し殺した声で言った。

「……愚かなる新世界連合の人間達に告ぐ。こちらはエフェッサー、本部トレーナーだ」

浮かんでいるAAD型死星獣が、動きを止めた。
聞こえている。
その事実に唾を飲んで、絆は鉄のような声で言った。

「諸君らの行動で、沢山の命が亡くなった。そしてこれからも、亡くなろうとしている。諸君らは大事なことを忘れていると、私は思う」
『…………』

ザザ……と映像にノイズが混じり、別の衛星回線に、一人の男の顔が映し出された。
白と赤を基調とした軍服を着ている、壮年の男性。
絃だった。
彼は操縦桿を握りながら、全世界にオープンになっている回線で、口を開いた。

『こちら新世界連合の統括だ。エフェッサー本部からの交信に対して応答を行う』

……やはり絃は出てきている。
まず間違いなく、あれに乗っているのが、彼だ。
直感でそう感じたが、彼が操縦桿を握っていることでその確信を深める。
総括者が自ら出てきていることが疑問に思えたが、絆は続けた。

「……応答に感謝する。即刻戦闘行動を中断し、話し合いの場を設けたい」

絃は口の端を吊り上げて、小さく喉を鳴らしてそれを笑った。

『これだけやっておいて……今更話し合いとは笑わせる。もはや我々は話し合う段階を通り越して余りある状況にいる。あるのはどちらかの全滅か、共倒れかだ。我々は諸君らと分かりあうつもりはない。諸君らと話し合うつもりもない。あえて要求を伝えるとすれば「速やかに死んでいただきたい」ということだけだ』
「……どうしてだ! 何があんたをそこまで変えた!」

絆が声を張り上げる。
絃は一瞬押し黙ったが、やがて静かな声でそれに返した。

『バーリェは存在してはいけないロストテクノロジーだ。諸君らはそれを使って、ここまでの抵抗を行っている。バーリェはこの星を駄目にする決定的な要素だ。全てを駆逐する必要がある』

彼の言葉を聴いて、雪、霧、圭が息を呑む。
絆は唇を噛んでから言った。

「ロストテクノロジー……?」
『考えたことはないのか? バーリェが「何」から作られ、どうやって培養されて、そしてロールアウトされるのか。元老院だけがその事実を知っている。この世界を腐らせている原因の元老院がな!』

絃は突然怒鳴ると、腕を操縦桿に叩き付けた。

『既に犀は投げられている! 生き残るか、もしくは「死」か、目は二つしかない。覚悟を決めよ! 立ち向かって来い! 最後の抵抗はどうした? 命乞いはどうした? 泣きながら乞う惨めな姿を映せ、愚者共よ!』

――狂っている。

激情に任せてか、AAD型死星獣が金色に強く発色し始める。

『このAADエンジンを取り込んだ死星獣、「戦劫王せんごうおう」と、新たな死星獣との兵力で、我らは諸君らを壊滅せし、新たなる新世界への狼煙とする!』

発色しているAAD型死星獣――戦劫王の胸の前に、黒い玉のようなものが浮かび上がった。
それを両手で抱えるようにした戦劫王の前で、玉は徐々に大きさを増すと、凄まじい速度で周囲の「空間」を吸い込み始めた。

「強力な重力子指数です! 磁場拡大! 通信が遮断されます!」

渚が叫ぶ。
ブラックホールの玉……。
おそらくは、死星獣が発散しているブラックホール粒子を集めて空間に固着させている。
凄まじい重量のはずだ。
衛星電波が乱れている中、絆は小さく呟いた。

「……変わったな。俺も、あんたも……」
『…………』
「変わっちまったよ……」

絆は操縦桿を握り締め、搾り出すように言った。

「みんな死んでいくよ。大切だと思っていたものが全部なくなっていくよ。目の前で……! 俺の、この目の前で! 何もかもが全部崩れていく! それは他でもない、あんたの、あんた達のせいだ!」

絆は声を張り上げた。

「だから俺は! あんた達を認めない、許さない! あんたは、俺の敵だ!」
「エネルギー抽出完了。全ての設定をニュートラルへ。メインシステム、戦闘モードを起動します。バーリェ認証完了、全武装のロックを解除。視界確保、レディ。大恒王、全てのプログラムを起動します」
「霧、飛べ!」

機械音声が流れるとほぼ同時に、絆は叫んでいた。
反射的に意識を集中した霧の操縦で、大恒王の背部ブースターが点火した。
スペースシャトルの発射を思わせる動きで、鈍重な機械人形が宙に浮く。
次の瞬間、格納庫の屋根を突き破って、大恒王の巨大な姿が空を舞った。

「大恒王の戦闘システムが起動しました! 攻撃を開始できます! 策敵回路確保、行けます!」

ブツリと音を立てて衛星電波が消える。

「全員、迎撃しろ!」

絆が怒鳴る。
三人のバーリェが同時に目を見開いた。
空中にウィングを展開して浮遊している大恒王に向けて、戦劫王が、まるでボールのようになったブラックホールの塊を振りかぶって投げつける。
霧の操縦で、大恒王が右腕を突き出した。
腕の装甲が何段階かに分かれて次々に開き、灰色のエネルギーを噴出させ始める。

「武装、『WF砲』を使用します」

AIの声が流れた次の瞬間。
腕から滝のように噴出していたエネルギーが、腕の周りで渦を作り、吹き飛んでくるブラックホールの塊に向けて「発射」された。
凄まじい発射衝撃がコクピットを襲う。
渚が悲鳴を上げてシートにしがみつく。
そうでなくても不気味な浮遊感が体を襲っているのだ。
しかし絆は、ガチガチと揺れる操縦桿を強く握り締め、そのエネルギーの奔流を、無理矢理調整して戦劫王に向けた。
薙ぎ払われたブラックホールの塊が、ドッパァンッ! と水風船が破裂したかのような音を立てて砕け散る。
周囲に雨あられとブラックホールの破片が降り注ぐ。
そして、全長二百メートルほどに伸びたエネルギー波は、数十体の死星獣を巻き込んで紙風船のように炸裂させ、戦劫王に突き刺さった。
しかしエネルギーの奔流は、戦劫王に当たる直前で何かのエネルギーに歪められたかのように割れ、二つに分かれた。
そのまま海を割る人のように、戦劫王もこちらに手を伸ばして広げる。

「ナビをするんだ!」

渚に向かって声を張り上げる。
そこで渚がハッと我に返り、モニター類の操作を始めた。

「局所的な重力子フィールドです! 中和できない空間位相により、エネルギーの流れが歪められています!」
「中和できない……?」

バーリェの生体エネルギーは、死星獣の持つブラックホール粒子を中和して打ち消すはずだ。
こちら側の攻撃がおかしいのか。
もしくは、相手の持つ技術がそれを克服したのか。
一瞬分からなくなったが、絆は操縦桿を握って霧に言った。

「砲撃を止めろ! 無駄にエネルギーを使うな!」
「は、はい!」

頷いて慌てて霧が意識を集中する。

「WF砲の射撃を中止しています」
「早くしろ!」

悠長に中断プロセスを言ったAIに怒鳴る。
そして絆は渚に言った。

「武装は? 他には何が?」
「ロックが解除されている武装の数は、十五です。現在は、続けてエネルギーミサイルの使用が可能です!」

ヒュゥゥ……とエネルギーの渦が回転して掻き消える。
威力は高いが、隙が大きすぎる。
それにエネルギー攻撃は相手に歪められて受け流される可能性が高い。
なら、肉弾戦でいくしかない。
……しかしその前に、他の死星獣をどうにかする必要があった。
砲を一発撃っただけで、二十四体の死星獣が破裂した。

――駆逐できる。

この機体パワーなら、それが可能だ。
そう思った絆の耳に、霧が悲鳴のような声を上げたのが聞こえた。

「マスター! 囲まれます!」

翼を持つ死星獣達が、金色に発色しながら両手を広げゆっくりとこちらを包囲してくる。
その体が真っ赤に発熱を始めた。
囲まれている大恒王を中心とした空間が、球形に真っ赤に輝く。

「外部温度急速に四千度を突破、水蒸気爆発を起こします! 衝撃に備えてください!」
「熱波攻撃を感知。スティグマスフィールドを展開します」

上ずった声を上げた渚とは対照的に、淡々とAIが言う。
何だそれは、と言おうとした瞬間、周囲を全方位から揺るがす大地震が起こった。
高熱が空気中の水分を一気に膨張させ、巨大な水蒸気爆発を起こしたのだ。
耳を塞いで悲鳴を上げた雪を、慌てて霧が支える。
グラグラと大恒王が揺れた。
絆自身も訳が分からなくなり、操縦桿を必死に握り締める。
雪の管制を離れ、大恒王の背部ブースターがいきなり全開に展開し、鈍重な機体は空中に高速で飛び上がった。

「雪、しっかりしろ! 霧、操縦桿から手を離すな!」
「は……はい!」

震えている雪をシートに座らせ、慌てて霧が操縦桿を握る。
絆の後ろで渚が唾を飲んで口を開いた。

「大恒王……展開されたエネルギー防御膜により、熱波を遮断、相殺しました。損害率ゼロパーセント、無傷です!」

雪と霧の操縦が元に戻り、大恒王が雲の上で静止する。
そして重力に引かれ、物凄い勢いで落下を始めた。

「全てのミサイルをロックします!」

霧が叫ぶ。
大恒王の背部ブースターの側面が開き、一発一発が巨大なミサイルが、数十個一気に競り上がった。

「エネルギー注入完了。八十六体の敵熱源を全てロックしました」
「撃て!」

絆の声に合わせて、霧が操縦桿のトリガーを引く。
機体がグラグラと揺れる程の勢いで、全てのミサイルがエンジンを点火させ、高速で射出された。
落下しながら発射されたミサイルは、一度放物線を描いて空中に飛び上がると、一気にそれぞれ一体ずつ、死星獣に向かって落下した。
次の瞬間、視界が灰色に染まった。
ミサイルが着弾した場所が、高さ三百メートル近い爆発煙を噴き上げたのだった。
それが至るところで吹き上がり、砂漠の砂を舞い上げる。

「雪、機体のバランサーを安定させろ!」

絆の声を受けて、雪が急いで操縦桿を握る。
大恒王は地面に衝突する寸前、体の各部から補助ブースターを点火させて体勢を安定させ、また空中に飛び上がった。
遊園地のアトラクションとは比べ物にならない程のGが体にかかる。
舌を噛んだのか、渚が口元を手で抑えた。
絆も飛び出しそうな目と心臓を無理矢理押しとどめ、モニターを見る。

「エネルギーミサイル、全弾命中を確認しました」

AIの声が聞こえる。
しかしそこで、渚がくぐもった声を発した。

「まだです! 重力子指数、急激に増大しました、死星獣の反応は消えていません!」

ミサイルの一斉射撃を受けて、死星獣の体がバラバラに飛び散っていた。
コアもだ。
それらが強い金色に輝き、アメーバのように蠢きながら、ゲル状とは思えないほどの俊敏な動きで集まっていく。
上空には、ブレードを構えた戦劫王の姿があった。
ミサイルを切り飛ばしたらしい。
ブレードの刃が、爆発の衝撃を受けたのかボロボロになっている。
蠢きながら一つに集まった八十六体の死星獣は、小山のように盛り上がった。
そしてニュル、と形を変えて立ち上がる。

……全長百メートルを超える、巨人だった。

金色ののっぺらぼうの巨人が、手の平に戦劫王を乗せて体を奮わせる。
周囲にブラックホール粒子が、見て分かるほど大量に吹き荒れた。
先ほどの攻撃では、エフェッサー本部を避けるようにミサイルをロック操作したつもりだったのだが、本部はいまや半壊状態に陥っていた。
しかし、基地があるのは地下だ。
まだ全員生きている筈だ。
百メートルを超える巨人は、唖然としている霧と雪の目の前で、真っ赤に発熱を始めた。

「飛べないのは自重に耐え切れないからか……! 全員本部を守るぞ! あの化け物を倒す!」

絆の声に反応し、雪と霧が頷く。
圭は、しかし反応がなかった。
苦しそうに胸を押さえて、荒く息をついている。

「圭、大丈夫か!」

絆が言葉を投げかけると、圭は彼の方を向いて首を振った。

「大丈夫じゃ……ありません。苦しい、息が出来ない……!」

その言葉に、絆はハッとした。
大恒王を今動かしているメイン動力は圭だ。
彼女に負担をかけすぎている。
しかし絆は操縦桿を握り締め、真っ直ぐに巨大な死星獣を睨みつけた。
……こいつを。
こいつをどうにかしなければ、どの道自分たちはお仕舞いだ。
倒すしかない。
この化け物と、絃を。

「フィールドを全開で展開しろ! 爆発から本部を守る!」

考える間もなく叫んだ絆の目に、巨大死星獣の体が白く、フラッシュのように光るのが見えた。

「熱波攻撃を感知。スティグマスフィールドを再展開します」
「展開状態を維持! 迫撃戦に移行する!」

大恒王を揺るがす勢いで、また水蒸気爆発が起こった。
僅かに残っていたエフェッサーの地上基地が衝撃で吹き飛んだ。

「了解。ハイ・シケルハンドブレードをを展開します」

AIが絆の声に反応し、大恒王の肩部装甲を開く。
エネルギーフィールドで、二回、三回と続けて起こる大規模な爆発を耐えながら、大恒王は背部ブースターを点火させた。
肩部装甲から、何段階かに分かれて長大な、刀のようなブレードが競りあがる。
それを抜き放ち、二刀を両手で構えて大恒王は爆発の中を飛んだ。
二刀のブレードに、灰色のエネルギー粒子がまとわりつく。
霧が、訳の分からない声を上げて操縦桿を握りこんだ。
その目の色が変わる。
比喩ではなく、本当にワインレッドのような色に瞳が染まった。

「うわああああ!」

悲鳴のような絶叫を上げながら、霧が高速で操縦桿を動かす。
大恒王は、また爆発を引き起こそうと発光した巨大死星獣の首を、突撃の勢いそのままに二刀のブレードで凪いだ。
……衝突の瞬間、ブレードが三倍ほどの長さに伸びた。
圭がビクンと体を痙攣させる。
切り離された死星獣の首が、大爆発を起こす。
次いで、胴体だけになった死星獣がクルリとこちらを向いた。
通り過ぎた大恒王に向かって、胸の皮がベロリとめくれ……。
そこに敷き詰められるように積み重なっていた四角形のキューブ体、八十六個のコアが、一斉にハリネズミの針のように形を変化させた。

「他に武装はないのか!」

絆の声に、渚が一拍押し黙った後言った。

「あります! 局地的極威力破壊兵器が使えます!」

――局地的極威力破壊兵器?

その意味を一瞬推し量ることが出来ずに、思わず渚を見る。
しかし絆は、次の瞬間、命を塵に変えた針が無数に発射されたのを見て叫んでいた。

「やれ!」
「了解。『ブルフェン』を使用します」

AIがそう言った途端、大恒王が空中で動きを止めた。
そして死星獣の針に向き直る。

「全てのシステムをパーンクテンション。視界確保、レディ。残存エネルギー指数、レディ。武装チェック、レディ。全エネルギーを解放します」
腕を交差させ、大恒王が空中で仁王立ちになる。
その肩と足の装甲が開き、中のキューブ状の物体が四つ、高速で回転を始めた。

「いや……いやああああ!」

しかしそこで、飛来する針の山を見て霧が突然叫んだ。
命の死に様が脳裏に蘇ったのだろう、恐慌を起こした彼女が操縦桿から手を離す。
途端に落下を始めた大恒王の四つのキューブ体が真っ白に輝き……。
次の瞬間。
大恒王を中心とした、半径千メートルほどの空間に、リング状の衝撃波が広がった。
それは死星獣のコアを巻き込むと、ジュッ、と音を立てて消滅させ、なお吹き荒れた。
一拍後、リング状の衝撃波が走った空間が、次々に「歪ん」だ。
そして半径一キロほどの空間がぐんにゃりとゼリーのように揺れ。
掻き消えた。
音もなく。
爆発もなく。
雪がバランサーを起動させて、地面に大恒王が膝をつく。
そして雪は、体からケーブルが抜けるのも構わず、頭を抑えて首を振っている霧に抱きついた。

「霧ちゃん、しっかりして! 霧ちゃん! お姉ちゃんがここにいるよ、大丈夫だよ!」

霧が雪にしがみついて大声で泣き声を上げる。
大恒王が及ぼした静かな大破壊に、絆と渚は唖然としていた。
ただ、唖然とするしかなかった。
何が起きたのか分からなかったのだ。

「全エネルギーを放出しました。当機は活動を停止します」

ブゥン、と音がして大恒王のコクピット内の明かりが消える。
非常用の赤いランプが点滅し、圭が力なく首を垂れた。

「圭!」

意識を失った彼女を、死んだと勘違いした絆が、青くなってシートを駆け下りた。
そして圭の脈拍を確認し、泣きじゃくっている霧と、圭の頭を抱き寄せる。

「分かった。よく頑張ったな……帰ろう。俺達のラボに帰ろう」

雪がそれに対して口を開きかけた途端だった。
大恒王がすさまじい衝撃とともに、空中に持ち上げられた。
そのまま鈍重な機体が引きずられるように前から押され、カチ上げられる。
空中に逃げていたらしい戦劫王が急降下して、大恒王の首を掴んで引き上げたのだった。
そのまま両手でコクピットを掴み、ギリギリと戦劫王が締め上げ始める。
明らかに危ない音がして、コクピットハッチに無数のヒビが走った。

「くそ……っ! 逃げてたのか……!」

Gに耐えながら絆が吐き捨てる。

「脱出システム、ホールドされています! 脱出できません!」

渚の悲鳴を受けて、絆は歯を強く噛み締めた。

……ここまでか。

そう、思った時だった。
不意に絆が抱きかかえていた圭が、ゆっくりと目を開いた。
彼女は絆の手を振り解いて、何かに取り付かれたかのように、左手だけで操縦桿を握った。
途端に大恒王のコクピット内電源が点灯する。

「不明なデバイスが接続されました。当機は全てのシステムを再起動します」

AIの淡々とした声が響いた。

「システムブレクション。四千七百三十九のエラーを検出。緊急規定事項第三条二十二項により、自己修復プログラムを起動します」
「何だ……何が行われてる……?」

呆然と呟いた絆の手を、慌てて駆け下りてきた渚が掴んで、無理矢理にシートに引っ張り上げた。

「特務官、座ってください!」

ハッとして、急いでシートベルトを固定する。

「雪、そのままでいい。ベルトを締めろ!」

渚も、Gに耐えながらシートに座り込んだ。

「成層圏に突入します!」

渚の声と共に、周囲の視界が真っ白な空間から、雲ひとつない青空へと映り変わった。
雪が、霧を抱いて自分を何とかシートベルトで固定する。

「システムを再開します。全ての設定をニュートラルヘ。エネルギー循環経路、許容量を三百十五倍でオーバー。ハイコアの接続を感知。拘束規定事項をエマージェンシーコールレッドが上回りました。殲滅ジェノサイドシステムを起動します」

圭が、口の端を吊り上げて笑った。
その顔は、異常なほどに生気を感じさせないものだった。
機械的に左手を動かす圭。
大恒王のカメラアイが、フラッシュのように一瞬光った。
そして、エネルギーを切らせて力を失っている筈の機械兵器は、いきなり勢い良く両腕を振り上げた。

「全装甲を、『パージ』します」

AIの声と共に、大恒王の装甲に亀裂が入り、凄まじい勢いで、散弾のように周囲にそれが飛び散った。
戦劫王がその直撃を受けて、大恒王から手を離し、空中でよろめく。
腕の装甲。
足の装甲。
全てが弾け飛び、大恒王は一瞬後、駆動系やエンジンがむき出しの状態で、空中を飛んだ。

「活動限界まで、残り百五十秒です。カウントダウンを開始します」

機械人形の全体から、灰色のエネルギーが噴出した。
四方八方からエネルギーを噴き出しながら、大恒王は先ほどとは比べ物にならないほどの機動性で背部ブースターを点火すると、一瞬で、空中の戦劫王に肉薄した。

「ベルベットバンカーを使用シマス」

AIのナビが、Gに悲鳴を上げた雪達の声を掻き消すように響く。
目も開けられない速度だった。
ガタガタと機体が揺れ、所々のパーツから爆発の煙を上げながら、大恒王は振り上げた両手を、戦劫王に叩き付けた。
凄まじい衝撃がコクピットを襲う。
圭はその中で、表情一つ変えずにトリガーを手前に引き込んだ。
そしてコクピット前部から競りあがってきた銃のような発射装置にかじりつき、歯で撃鉄を起こし、コッキングする。
両腕を叩き付けたインパクトの瞬間の出来事だった。
戦劫王の腕から、音を立てて円柱のような物体がいくつも飛び出した。
それが、圭が操縦桿から手を離し、銃座型発射装置の引き金を引いた瞬間、一斉に内側に対して押し込まれた。
押し込まれた圧縮空気が、手の平から一斉に噴出される。
その勢いは、先ほどの砲を更に凌ぐものであり。
戦劫王はその攻撃により、抵抗も出来ずに弾丸のように下に向かって噴き飛んだ。
絆の目には、流星のような速度で一直線の光が、一面広がる砂漠に突き刺さったようにしか見えなかった。
圭が腕を動かし、大恒王を急旋回させた。
戦劫王が突き刺さり、池に全力で石を投げつけたかのように、砂が噴き上がる。
右足が砕け散った戦劫王に対して、大恒王も一筋の光となると、急速落下をしながら戦劫王に接近した。
時間にしてゼロコンマ五秒程の瞬く間、戦劫王が胸部から発射した微細なブラックホール粒子の弾丸群を、ひらりひらりと圭の操縦で大恒王が避けた。
それはもはや人間でも、バーリェでも、生き物が到達できる操縦技術を大きく上回っており。
圭は、まるで「機械」のような無表情で、操縦桿を小さく動かした。

「脚部損壊率六十五パーセント。腕部損壊率五十三パーセント。活動限界まで、後百二十秒です」

大恒王のむき出しになった足が、両方とも機体の飛行速度についていくことが出来ずに、千切れて空中で爆散する。
右腕も同様だった。
まるで現実世界の圭のように、左腕だけが残った機体が、その残った腕を振りかぶってから開く。

「マイクロホワイトホール粒子の生成を開始します」

――マイクロホワイトホールだって……?

操縦桿を握って大恒王を止めようとしたが、Gが強すぎて握っていられない。
左肩のキューブ体が高速回転を始める。
大恒王の振りかぶった左手の上に、キュル、と音を立てて全長五メートルほどの灰色の球状物質が出現した。
それはパチパチと、周囲の空間に当たると音を立てて帯電した。
AIの声が淡々と響いた。

「生成完了しました。広範囲極破壊兵器、『メルレダンデ』、撃てます。最終認証を願います」

ひく、と鼻を引きつらせて急速落下している大恒王の中、圭は目を見開いて笑った。

「ははははははははは!」

人が変わったように嬌声を上げ、圭は操縦桿を捻りこんだ。

「撃つ! 撃つよ! 全力で撃ちなさいよ! 殺せ……殺せええ!」
「了解。最終認証と判断します」
「殺せえええええええええ!」

圭が絶叫した。
大恒王が落下のスピードに合わせて体を回転させ、球状の物体を、眼下の戦劫王に向かって投げつける。
眼下が、真っ白に光った。
大恒王が翼を翻して、今度は上に急上昇する。
絆の喉に、胃の中身が逆流した。
鼻から、どこかの毛細血管が切れたのか、凄まじい勢いで鼻血が流れ出す。
止めなければ。
背後の渚も咳き込んでいる。
止めなければと思うが、体全体を襲うGに、口を開くことも出来ない。
上昇した大恒王を追いかけるように、戦劫王を中心とした空間が球状の物体に覆われ、そして急速に広がった。
何度か光が瞬き、一瞬後、キュル、と中心部に全てが吸い込まれる。
砂も、空気も、空間も。
全てが半径十キロ四方ほどの空間が、中心部に向けて圧縮される。
住宅街も。
建物も、車も。
逃げ遅れていた人も。
エフェッサーの本部があった場所も。
何もかもが全て中心部に向かって凄まじい勢いで吸い込まれ、そして数秒後、気の抜けるような音を立てて消えた。

「二撃目の発射準備に入ります」

空中で動きを止めた大恒王の左手に、更に白い球体が浮かび上がる。
絆は鼻血で真っ赤になった手でベルトを外すと、骨が浮くほどの力で操縦桿を握り締めている圭に飛びついた。

「やめろ! 圭、やめるんだ!」

無理矢理に操縦桿から彼女の手をむしりとり、掴み上げる。

「離せ! 離せええええ!」

と喚きながら圭が、両足右腕がない体とは思えないほどの力で、絆の手を引く。

「認証を取り消してください! 早く!」

渚が、絆と同様に鼻から血を垂らしながらAIに向けて叫ぶ。

「了解。『メルレダンデ』の発射プロセスを停止します」
「うう……ううう!」

そこで圭が、いきなり苦しそうな顔になり体を丸めた。
彼女の操縦を離れた大恒王が、急速に落下を始める。

「くそ……駄目だ! また、またあの役立たずに……」

悔しそうに呟いた圭の目から徐々に光がなくなっていき、彼女はガクリと首を垂れた。

「エネルギーのラインが切断されました。当機は、全システムを停止します」
「霧、雪! 補助システムを起動させろ、不時着するぞ!」

絆が震えている霧と雪に怒鳴る。
二人は一緒の操縦桿を握り、大恒王のバランサーを安定させた。
彼女達のエネルギーにより補助電源が働き、大恒王が補助ブースターを点火させながら、凄まじい勢いで、腰から砂地に着地した。
その左手に浮かび上がっていた灰色の球体が、ボヒュン、と音を立てて消える。
絆は、気絶したらしい圭の体を抱きかかえながら、赤い補助ランプが点灯している大恒王の中で、ハッチを開く緊急ボタンを押した。
砂臭い煙が、鼻に飛び込んできた。
ハッチが競り上がり、コクピットの防護壁がゆっくりと開く。
どこまでも広がる砂漠だった。
すり鉢型に抉れていて、徐々に炸裂の中心部に向かって砂が移動している。
その惨状に唖然とした絆から、数百メートル離れた空間が揺らめいた。
体中各部から火を吹き上げて、右足と両腕がなくなり、コクピットがむき出しになっている状態の戦劫王が姿を現した。
翼も、六枚のうち五枚がボロボロにこげてなくなっている。
浮遊することも困難な状態のようで、それはゆらゆらと空中を漂った。
数百メートルの距離を隔てて、絆と絃が睨みあった。
そこで絆はハッとした。
戦劫王に乗っているのは一人ではない。
他にも二人、乗っている。
バーリェだ。
絃自身が否定し、「存在してはならないロストテクノロジー」だと言ったバーリェが乗っている。
その意味を推し量ることが出来ずに、絆はその場に硬直した。
やがて絃は、絆が向かってこないことを確認すると、戦劫王を操縦して彼に背を向けた。
その姿が蜃気楼のように歪んで消える。
ベルトを外し、ドッ、と膝をついて、絆はその場に崩れ落ちた。
背後でブツリと通信が回復する音がして、そこから駈の声が流れ出した。

『絆特務官、応答せよ。こちら地下の第二避難室だ。そちらの状況を教えてもらいたい。応答せよ』

渚も意識を失ったのか、力なくシートに崩れ落ちている。
薄れゆく意識の中で、絆は視界の端で、雪が必死に通信マイクを、手探りで持ち上げるのを見た。

気がついた時、絆は薄暗い病室の中にいた。

「……半径十二キロ圏内は、地下百メートル地点まで全て量子分解された。これが、現在の本部周辺の状態だ」

目を覚ましてから数分後、彼は待機していた駈に現状を聞かされていた。
今絆達がいるのは、三十キロ離れた別の街の軍施設だった。
エフェッサーの本部は、結論から言うと「壊滅」だった。
戦闘中は、地下二百メートル地点にある避難室に全員逃れていたらしい。
無論、絆の有しているバーリェの他の戦力は、一切残っていない。
出撃していないバーリェが残っていることには残っていたが、とても戦えるような状況ではないことは明白だった。
戦闘後、意識を失ってしまった絆達を、雪のナビで他のトレーナーが発見、保護したらしい。
プロジェクターで壁に投影された衛星写真を見て、絆は掠れた声で呟いた。

「これを……俺達がやったと言うのか?」

巨大なクレーターが出来ていた。
まるで、本当に小型水爆が落下したかのように、直径二十四キロの範囲が円形に「消滅」していた。
駈は頷いてプロジェクターの電源を切り、絆に言った。

「君達の戦闘によるものだ。それは間違いない」
「嘘だ……! こんなの……こんなの、俺達が出来るわけがないだろう!」

絆は点滴台を蹴立ててベッドから飛び降りると、ギプスが嵌められた足を引きずりながら椅子に座っている駈に詰め寄った。

「仮にこれが俺達がやったことだとして……今までどうしてあれだけの破壊兵器を使わなかった! 異常な性能だ!」
「…………」

駈は顔を近づけんばかりに怒りを向けた絆を冷たい目で見て、サングラスを指先で上げた。

「……エフェッサーは、人間を守るヒーローであらなければいけない」
「は……?」

突然意味不明な事を言い出した駈に、絆は気の抜けた声を発した。

「意味が……分からないが?」
「そのままの意味だよ。君も単語くらいは知っているだろう、『ヒーロー』だ。希望の星であらねばならない。だからだよ」

駈は慌てて駆け寄ってきた医師達に押さえつけられた絆に、淡々と続けた。

「誰が直径二十四キロもの『大破壊』を単機で行うことが出来るヒーローを望むかね。それこそ、原爆でも落とせばカタがつく問題に」

駈は目をむいた絆を鼻で笑い、椅子から立ち上がった。

「まぁ……事態はそれほど楽観的でもない。例えばフォロントンに原爆を投下することも『できる』が、それでは、精密さに欠ける。それに、敵側はワープの技術を持っている。正確に着弾するかも分からない」
「ヒーロー……どういう意味だ……?」

駈の言葉に答えずに、絆はベッドに無理矢理に寝かされながら大声を上げた。

「答えろ! 今までにあれだけの戦力を投下することが出来たのか!」
「……できなかった。だからこそ、今回の君達の働きに、我々はただ、ひたすらに驚いている」
「…………」
「君の言いたいことは分かるよ。無意味にバーリェを死なせたと言いたいんだろう。もっと早くに大恒王をロールアウトしていれば、犠牲を払うこともなかったといいたいんだろう?」
「…………」
「だが結果的にそれは『できなかった』と言える。今回の起動も、ギリギリのラインでの奇跡的な成功だ。大衆はその奇跡を求めてもいるが、同時に求めているのは『身の安全』、それ一つだ。自分達の身の安全を脅かすものは、たとえ味方であっても世論は支持しない」

黙り込んだ絆に、駈はポケットに手を入れて、壁に背をついて続けた。

「今回の大恒王の戦闘記録を照会して、世界連盟が百九十八の賛成を得た上で、あの兵器の凍結を求めてきた。近く大恒王は凍結される」
「そ…………そんな…………」

ベッドに崩れ落ちた絆に、駈は淡々と言った。

「やりすぎたのだよ。それこそが新世界連合の狙いだったのかもしれんがね。強い力にはより強い力で対抗しなければならなかったのだが、君達はいささかやりすぎた。私は、君こそがそのストッパーになってくれると願っていたのだが……残念だよ」
「じゃあ次に、あの数の死星獣が現れたら……俺達はどうすればいいんだ……!」
「分からん。現在は元老院の返答を待っている。本当は君の身柄も拘束される予定だった。それを先にこちらが確保、拒否した。それ故に君はここで、悠長に私の話を聞いていられるというわけだ」

それを聞いて、絆は弾かれたように顔を上げた。

「俺のバーリェは……それと渚さんはどうなった……? 他の人は……?」
「…………」

一瞬押し黙って、駈は口を開いた。

「本部のトレーナーや職員達の大半は、避難していたため無事だ……渚管制官も無論だ。現在別の病室で治療を受けている。君のバーリェ、D77(雪のこと)と、S93(霧のこと)も無事だ。D77は少々体調を崩しているが、数日でまた戦闘に出せるようになる」
「…………」

絆は、こみ上げてきた苦い感覚を無理矢理に飲み込んで、小さな声で聞いた。

「……S678(圭のこと)は?」
「君達の身柄をこちらで拘束する代償は、S678を研究素材として、世界医師連盟に提供することだった。持っていかれたな……既に」
「何……だって……?」

絆は、唾を飲み込むことも出来ずにただ呆然と口を開いた。
その体が小さくわななく。
歯を鳴らして頭を抱えた絆を見て、駈は小さく息をついてから言った。

「あれはバーリェではない。人間でも死星獣でもない。眠りもしない。もはや、『生き物』ではないと私は思う……割り切りたまえ」
「あの子は……あの子には『意思』があった! 自分で考えて、自分で行動して、俺達と同じように泣いて笑って恐怖して、それでも尚あの子は生きてた! 研究素材じゃない、研究素材なんかじゃないぞ! 断じて違う!」

絆は周囲を医師に取り囲まれ、押さえつけられながらベッドの上でもがいた。

「何をしている?」

駈に聞かれ、絆は叫ぶように言った。

「圭を助けに行く! まだ間に合うはずだ! 離せ!」
「……一つ言い忘れていた。今日は、君達が戦闘を終了してから七十二時間後。つまり、三日後だ」

動きを止めた絆に、静かに駈は続けた。

「もう死んだよ。君が『圭』と呼ぶ個体は」

傍らの女性から資料を受け取り、駈は絆のベッドにそれを放った。

「解剖結果だ。やはり人間とも、バーリェとも違かったらしい。ニュータイプ、つまり『ハイ・バーリェ』とも言える代物だったそうだ」
「え……」

絆はわななく手で、目の前の資料を手に取った。

「解剖…………結果…………?」
「嘆くことは何もない。元老院は君に、S678番の技術を応用させた新しいハイ・バーリェの授与を検討している」

ツカツカと歩いてきて、駈は絆の肩に手を置いた。

「当然まだ、戦ってくれるな?」
「ちょっと待てよ……」

ハハ……と乾いた声で笑って、絆は駈の腕を掴んだ。

「解剖結果……? 意味が分からない。だって、圭はさっきまで、俺の前にいたんだぞ……いくら眠らなくたって、気遣いが出来なくったって……これからだったんだぞ? 俺の前で、叫んでたんだぞ……これから生きて、楽しいことも、苦しいことも沢山あるはずだったんだよ……何してんだよ……? 何してくれてるんだよ……? あんた……あんたは!」

力の入らない手で駈のことを握り締め、絆は怒鳴った。

「それでもまだ何も感じないっていうのかよ!」

しばらくの間絆と駈がにらみ合う。
駈はサングラスの奥の瞳を鈍く光らせながら、絆の手を払った。
そしてポケットから小さな袋に入ったものを取り出す。
絆が圭に買い与えてやった目薬だった。

「解剖の時、最後までずっとこれを握っていたそうだ。医師が指を切除するまで、離さなかったそうだよ」
「…………」

目薬を受け取って、絆は力なくその場に崩れ落ちた。

「私は、純粋に君を『尊敬』している。一週間程しか触れ合っていないただの生体弾丸と、ここまで『心』を通わせることが出来るのだからな。それが恐ろしくもある」
「…………」
「君は異能者だ。もしかしたら、この世界にはいてはならない人間なのかもしれない。だが……だからこそ、我々には君が必要なのだよ。それを理解して欲しい」

駈は絆に背を向けて、そして続けた。

「先日、バロンのエフェッサー支部が、同様な一斉攻撃を受けて壊滅した。元老院の承認を待っているが、近くエフェッサーはフォロントンへ一斉攻撃をかけることになる」
「…………」
「元老院がどのような判断を下すのかは分からないが、我々も困ったものだよ」

口の端を吊り上げて、駈は自嘲気味に笑った。

「我々でさえも『正体を知らない組織』の決定を待っているなんて、歯がゆいものだ。そんな自分に、君達の言葉で言うと『イラつく』よ……本当に」

アバラを折ったらしく、体に大きなコルセットを巻いた渚が、俯き加減で病室に入ってくる。
絆は、渚の後ろにうかがうようについてきた霧と、よろめきながら、足を引きずって入ってきた雪を見て、先ほどからずっと見つめていた目薬を、反射的にポケットに隠した。

「絆……大丈夫?」

雪が開口一番心配そうに口を開く。
絆は小さく笑うと、彼女達に向けて言った。

「こんな怪我何ともない。こっちに来い。お前達は大丈夫なのか?」
「……雪ちゃんは、いくつか臓器の交換を行いました。霧ちゃんは殆ど外傷も内傷もありません」

渚が顔を伏せたまま言う。
霧が、雪を椅子に座らせてから絆に駆け寄った。

「マスター! 酷いお怪我です!」
「こら……」

目の見えない雪にもそれと分かるほど、絆は体中にキプスや固定金具を取り付けていた。
万全の体調だった渚でさえもアバラを折っているのだ。
絆も無論のこと、加えて折れていた腕が片方、複雑骨折をしていた。
指先をピクリとも動かすことが出来ない。
首から腕を吊った状態で、絆は息をついた。

「まぁ……正直今回はちょっとへこたれた。疲れたな」
「絆……圭ちゃんは、どこに行ったの?」

雪にそう聞かれ、絆はずっと「こう答えよう」と思っていた言葉を口に出した。

「別の地区に飛ばされた。俺はこの通りの有様だ。少なくともあと数日は、安静にしていなきゃいけない。戦えないからな」
「…………そう」

雪が小さく呟いて目を伏せる。
霧は、両指を胸の前で組んで素直に笑った。

「良かった! 死んじゃったのかと思いました! ずっと心配してたんです。あの子は、私よりも優秀ですもの。きっと大活躍してますよ!」
「…………」

絆の胸が、傷のせいではなく、その時確かに、押し込むように「ズキリ」と痛んだ。

「…………そうだな」

しかし絆は笑って、無事な方の手を伸ばして霧の頭を撫でた。

「霧、カードを渡すから、渚さんとジュースでも買って来い」
「はい!」

霧が頷いて、絆のカードを受け取る。
渚は、少しよろめきながら心配げな瞳を絆に向け、霧に手を引かれて歩き出した。
二人が病室を出て行ったのを聞いて、雪が小さく息をつく。

「…………これで五人かぁ」

小さな彼女の呟きに、ビクッ、として絆は顔を上げた。
雪は、困ったように笑うと、絆に言った。

「次は、私かな?」
「お前……」
「絆、お願いがあるの」

雪はそう言って、絆の顔に見えない目を向けた。

「霧ちゃんは助けてあげて。もう、あの子を使わないで」
「どうして……?」

掠れた声で問い返した絆に、雪は小さな声で続けた。

「沢山死んだね……私達だけじゃない。他の子も、沢山死んだよ。私、分かるんだ。目が見えないからかな……聞こえるの。沢山の声。みんな言うよ。『どうして?』って」
「…………」
「死ぬと暗いんだって。冷たいんだって。苦しいんだって、みんな言うよ。私達が人工羊水の中にいた頃に戻るんだって……そんなの、悲しいよ。悲しすぎるって私は思うよ。だから……もう、苦しい思いをするのは、私だけで十分だよ。霧ちゃんは私の妹だから……だから、幸せになって欲しいの。この世界で」

愕然としている絆に、雪は続けた。

「絃さんを殺したら、霧ちゃんと、渚さんと一緒にラボに帰ってね。私は、遠くでそれを見てる」

――雪。

もうラボは、どこにもないんだよ。
そう言いかけて、すんでのところで口をつぐむ。
絆はしばらく押し黙った後、掠れた声を発した。

「駄目だ」
「…………」

押し黙った雪に笑いかけ、絆は言った。

「お前も一緒に帰るんだ。何自分が死ぬようなことを言ってるんだ。大丈夫だ、お前は強いんだ。まだまだ頑張れる。一緒に頑張ろう。雪、負けるな」
「…………」
「じゃないと……みんなが。みんなが……可哀相すぎるじゃないか……?」

声は笑っていた。
しかし絆の目からは、涙が次から次へと溢れ出してきていた。
雪は黙って見えない目で絆を見つめ。
そして、そっと笑った。

「…………そうだね」

小さな呟きは、乾いた空調の音に紛れて消えた。

>第6話に続く

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天寧霧佳

【長編SF小説】この、愛ノナイ世界デ 【完結 全6話】

人工授精で人間がうまれ、人と人との関わりが希薄な、愛情が存在しない世界。 内部にブラックホール粒子を含有した怪物、死星獣が出現。 それらは人間を虐殺する正体不明の、強大すぎる敵でした。 人間はそれを破壊することのできる生命エネルギー抽出システムを作り出します。 そのシス...
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