この、愛ノナイ世界デ - 3

第3話 「神様なんていない」

灰色の空。
灰色の雲。
灰色の町並み。
光化学スモッグに覆われた空は、青空を映すことはない。
作り物の緑、作り物の町並み。
作られて整備された道路。
そこを歩く人々の波。
何一つとして、整備されていないものは存在していない。
それが自然だと考えれば、きっとそうなのだろう。
それが当たり前だと考えれば、何もかもが当たり前になるのだろう。
作られた命。
作られた存在。
絆は、息をついてモニターから目を離した。
彼の隣には、パサついた白髪を垂らした少女、盲目のバーリェ、雪が座っていた。
長時間待機させているせいか、集中力が途切れて、コクリコクリと頭を揺らしている。
しかし自分たちの乗っている、人型AAD、陽月王のエネルギーラインは安定したままだ。
異常な性能。
生体電池として、規格外の性能を雪は誇っている。
この子もまた、作られた命だ。
自分たちと同じような――と考えれば、そこで、同一視するなという声が出てくるのかもしれない。
しかし、絆にとっては、大切な家族であり、そして、一個の同じ「人間」だった。

『絆様、その区域にはもう反応はありません。帰還してください』

オペレーターの声を聞いて、雪が飛び起きた。
不穏げな顔をした彼女の頭を撫でて、絆は口を開いた。

「了解。帰還します」

正直ホッとした。
戦闘になれば、AADはバーリェの生体エネルギーを、それこそジューサーのように搾り取る。
雪がまだ生きていることが規格外とはいえ、半死半生ともいえるこの子のエネルギーを使うのは、最近になって、更に顕著に……人道的におかしいのではないか、と絆は思い始めていた。
今回は市街地で死星獣の反応が出たため、陽月王と咲熱王で出撃したが、その肝心の反応が途絶えたため半日以上も待機していたのだ。
既にこの町の住人の避難は完了している。
このように、死星獣の反応がいきなり消えることは往々にしてあることであり、別段珍しいことではなかった。
雪の脳波操作により、脚部キャタピラを回転させて方向転換した陽月王の操縦桿を握る。
雪は目が見えない。
補助的に操作する必要がある。

『絆執行官。他バーリェの機動戦車の回収をお願いします』

そこでオペレーターから通信が入り、絆は頷いた。

「了解。雪、速度を緩めろ」
「分かった」

雪が頷くと、キャタピラの回転が緩まった。
そのまま滑るように、待機していた戦車の一機に近づき、マニュピレーターを操作して、戦車に接続されているコード類を抜いていく。
配置されていた機動戦車は二十六機。
多い。
それだけ今回の死星獣の反応は強力なものだったのだが、肝心の本体がどこにあるのか、分からなかった。
視認できないケースかとも思われ、さまざまな検証がなされたが、結果、サーチエンジンの誤作動という結論になった。
そして今。
黙々と帰る準備をしている。
咲熱王も同じように戦車のコードを引っこ抜いていた。
戦車一つ一つにも、同じようにバーリェが乗っている。
現場に出てきているトレーナーは、絆一人……ではなかった。
咲熱王から通信が入り、絆はオフラインにしてからそれを受けた。

「どうした?」

低い声で問いかける。
最近は桜の調子が悪いせいか、同僚の絃も同じように、副座型にコクピットを改造させて、現場に出てきていた。
しかし直接的なコンタクトを求めてきたのは、初めてのことだ。
少し緊張しながら答えを待つと、絃が押し殺した声で通信を送って寄越した。

『桜の容態が急変した。俺達はここで即刻帰還する』
「……分かった」

ブツリと音を立てて通信が途切れる。
そして視界の端で、咲熱王がトレーラーに膝をつき、収納されていくのを見る。

――桜も寿命なのだ。

雪ほどではないにせよ、優秀なバーリェだ。
しかし、そろそろ使用期限が来る頃だとは思っていたが……。
残念だ、とは思ったが、不思議と悲しいという気持ちにはならなかった。
どこか頭の端で分かっていたことだし、絆にとっては、バーリェの死は慣れたことだった。
慣れたことの、筈だった。
通信が聞こえていなかった筈の雪が、不思議そうな顔で絆に顔を向けた。
絆の手は、震えていた。

「絆、どうしたの? 動きが止まってるよ」

呼びかけられてハッとする。
慌てて絆は、取り繕うように引きつった笑みを彼女に向け、そして言った。

「何でもない。帰ったら一緒にアイス食べような」
「今回は何もしてないけど……」
「それでも……いいんだ」

言いよどんで口をつぐむ。
この会話は全て本部に録音されている。
そのほうが良かったなどと説明したら、懲罰は免れない。
エフェッサーは、雪を使いたい。
その性能を余すところなく発揮させ、そして使い潰したい。
今の不安定な雪を使うより、絆に新しいバーリェを与え、そして「調整」させた方が効率がいいからだ。
実際、絆もその方が効率はいいと思う。
心のどこかでそんな考えに頷いてしまう自分に戦慄しながら、肯定せざるをえないのだ。
自分たちは人の命を守っている。
それがたとえ他人の命であろうとも、それが仕事なのだ。
いくら不条理でも仕事だ。
やらざるをえない。
――全力で。
そのために、今の不安定な雪の使用は、やはりためらわれるところがあった。
かといって他の子で雪ほどの出力が見込めるかというと、疑問が残るのも事実だった。
雪が、異常なほどの規格外だから。
だから、悪いとすればその事実ひとつだ。
憎むとしたら、その事実を憎むしかない。
この子はあと、どれだけ生きられるのかも分からない。
死ぬ前に使ってデータを取りたい、と思うのは、あながち間違ってもいないように思える。
一般的な観点から見れば、の話だ。
だから上層部からの最近の出撃命令の多さにも反抗は出来なかったし、絆自身も妙に達観してしまっているところはあった。
それが、悪かったのかもしれない。
躊躇やためらいは、時にして往々と悲劇を招く。
それが、たとえ仕組まれたものだったとしても。
俺はそれゆえに自分を責めることを、止める事が出来ない。

「これが、その新型のデータだ」

本部局長、駈カルが紙資料を指先で叩きながら口を開いた。
絆と、憔悴した顔の絃。そして三十人近い数の本部エフェッサーの上級トレーナー召集されていた。
手元の資料に視線を落とす。
そこには、空虚な目をしたバーリェのいくつもの写真と、詳細な生体データが載っていた。
有体に言えば、生体実験のデータだった。
それは。
不快感が胸をつく。
人間だからって。
トレーナーだからって、何でも許されるとは限らない。
しかし「許されてしまっている」のが事実だ。
例えばこのように。
実験的に創られた人造生命体を解剖したり。
生きたまま脳を開いたり。
いくつもの投薬実験を行ったり。
廃人になるまで、エネルギーを抽出し続けたり。
そんなことをしても許されてしまう。
それが、この世界。
この社会だ。
特に感慨も沸かなそうな顔で、駈は、流石に顔をしかめているトレーナー達を見回した。
上級トレーナーだ。
各々管理するバーリェがいる。
感情移入している人も、絆や絃だけではない。
不快感を示して、当然だ。
それを分かっていてこの男は、資料を提示している。
好きには、なれない。
絆は資料をテーブルに放り、コーヒーに口をつけた。

「絆執行官の管理しているD77(雪のこと)の脳細胞を培養して、養殖、そして先日人格が安定した個体が唯一、一体だけ生成された」

絆はこみ上げてくる不快感を、無理やりにコーヒーと共に飲み込んだ。
意味が分からない、と言いたい所だったが、それは事前に彼に知らされていたことであり、意味は、他のどのトレーナーよりも良く分かっている。
雪を使用するのは、不安定な要素が残る。
ではどうするか。
他ならぬ番外個体である雪の細胞を使い、「雪の」クローンを創る。
逆転の発想だ。
人間の複製体であるバーリェの、更に複製体を創る。
不可能ではないが、誰も考えなかったことだ。
複製体の複製体だ。
バーリェの生成でさえ数多くの犠牲を払っているというのに、それが成功するとは、正直な話絆は思っていなかった。
――成功した。
そう聞かされて、召集されて今。
説明を受けている。
それだけのことなのに、吐きそうなほど気持ちが悪い。
いい気分は、しなかった。
何か自分たちは、取り返しのつかないことをしているのではないか。
そんな気がしたのだ。
絆のその気持ちを知ってか知らずか、駈は資料をめくって静かに続けた。

「特例的にこの個体をS97と名づける。今後はこちらの本部で管理することになる」
「バーリェのクローン……ですか?」

そこでやっと頭が追いついたのか、若いトレーナーが口を挟んだ。
駈がかけていたサングラスを指で上げて、彼の方を見る。

「そうだ」
「性能は?」

別のトレーナーが言うと、駈は資料を閉じてからそれに答えた。

「人型AAD一機ほどなら、おそらく単独で動かすことは可能だ。今はまだ調整段階のため、それ以上のことは分からない」

――悪魔だ。
そうも思う。
使い潰すためにサンプルを創り出し、そして文字通り使い潰そうとしている。
しかしその組織にいるのが自分。
やっていることは、させられていることは、何らこの人たちと変わらない。

「それだけのデータでは分かりません……量産は可能なのですか?」

女性のトレーナーが困惑気味に口を挟むと、駈は静かに言った。

「今はまだ何とも言えんが、量産体制は大至急整えるつもりだ。そうでなければ、『開発』した意味がない」

――ああそうか。

絆は心の中でため息をついた。

――勝手にやってくれ。

と、心の中で自嘲気味に思う。
そこで駈が、絆の方を見て口を開いた。

「時に絆執行官。君に、このS97の試験的モニターを頼みたい」
「……私に?」

予想外の要請に、絆は一瞬腰を浮かせた。
それをすんでのところで思いとどまり、椅子に体を落ち着かせる。
そして絆は、駈を見て口を開いた。

「何故ですか? 私は他に四体のバーリェを管理しています。今の段階で白調整のバーリェを追加するのは、利点がありませんが」
「元老院の決定だ。それに、S97の源個体となったものは、君のD77だ。君の理論から言うと、『同居』させた方がいいのではないかと、こちらは推察するが」

絆は気付かれないように歯を噛んだ。
そう言われてしまえば、返す言葉もない。
正直、二ヶ月前に死亡した自分のバーリェ、愛との戦闘によるトラウマを、絆は今も引きずっていた。
自分は何のために戦ったのか。
何のために。
何をしたのか。
その自問自答を繰り返す毎日に、いい加減嫌気が差していたのだ。
言いよどんでいる絆を見て、絃が口を開いた。

「私のラボで受け入れることも出来ますが」
「君のG67の複製体も、現在製造中だ。君には、それが完成したら、そちらの管理をしてもらうことになる」
(何だと……?)

思わず絆は顔を上げた。
雪だけではなく桜のクローンも創っているらしい。
流石に顔色が変わった絆と絃を一瞥もせずに、駈は資料を手に椅子を立ち上がった。

「決定事項だ。絆執行官は、明日の一〇三〇時に第七トープに来るように。そこでバーリェの引渡しを行う。以上だ」

他のトレーナー達が帰った後も、絆と絃は重い表情でその場に残っていた。
しばらくして絃が口を開いた。

「……桜はもう駄目だ。いっそ安楽死をさせてやろうかと思ってる」

彼の口から出た意外すぎる言葉に、絆は弾かれたように顔を上げた。

「……何?」

良く聞こえなかった、と言いたかった。
しかし絃は絆の方を見ずに、もう一度繰り返した。

「桜を安楽死させる。これ以上あいつを苦しめたくない」
「お前……自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

絆は声を低くして、絃に掴みかからんばかりの勢いで言った。

「これだけ使っておいて、使えなくなったら電池を切るのか? お前、よくそれで自分がトレーナーだって……」
「分かってる。分かってるよ……」

目尻を手で抑え、絃は深く息を吐いた。

「俺だってそんなことは重々分かってる。単に、俺自身が耐えられなくなっただけだ。この環境に」
「だからって桜ちゃんを殺すのか!」
「殺すんじゃない、救ってやろうと思ってる」
「命を奪うことは救うことじゃない! お前、お前がそれを俺に教えてくれたんじゃないか! 絃、どうしちまったんだ!」

殆ど叫ぶように言う。
絃は、しかし絆の方を見ようとはしなかった。

「お前……!」

その襟首を掴んで無理やり立たせたところで、絆と絃は、入り口の方で人の気配を感じ、口をつぐんだ。
赤い瞳のクランベ※遺伝子操作ではなく、男女間の交わりによって生まれた劣等種 が立っていた。
本部でオペレーティングをしている、渚という女性職員だった。
渚は、今にも殴りかかろうとしていた絆を見て一瞬硬直したが、すぐに駆け寄ってきて、絆の腕に抱きついた。
そして強く引く。

「何をしているんですか! ここはエフェッサーの本部ですよ!」

押し殺した声で言われ、絆は我に返った。
渚が青くなったのは当然のことだった。
ここは、軍上層部エリア。
暴力沙汰なんて起こしたら、即懲罰房にブチ込まれてしまう。

「離せ……!」

渚を振り払い、しかし絆は吐き捨てるように呟いた。

「そうか。お前もそうだったのか」
「…………」

沈黙している絃に、絆は呟いた。

「偽善者が」

言い捨てて、その場にきびすを返す。
足音荒く部屋を出て行った絆と絃を交互に見て、渚は慌てて絆の方についてきた。

「待ってください、絆執行官!」

大声で名前を呼ばれ、絆はため息をついて振り返った。
このクランベは、煩わしい。
愛が死んだ時といい、今といい、絆の神経を逆なですることに関しては、図抜けている。

「何だよ」

足を止めてぶっきらぼうに返すと、渚はポケットからハンカチを出して、絆の手をとった。

「血が……出ています」

そう言って、絆の手首にハンカチを巻きつける。
頭に血が昇っていて気付かなかった。
絃に掴みかかった時に、彼が握った部分の手から、血が出ていた。
絃が握り締めた時に、彼の爪が刺さったらしい。

「あ……ああ」

思わず動揺して視線をそらす。

「医務室にご案内します」

ハンカチを巻き終えてそう言った渚に軽く手を振って、絆は言った。

「いい。これくらい自分でどうにかできる」
「でも……」
「君には関係ないことだ。放っておいてくれ」

話は終わりだと言わんばかりに打ち切って、絆は足早に歩き出した。
その後姿を、渚は消えるまで見つめていた。

渚が巻いたハンカチを引き剥がしてラボの洗濯機に放り込んだ時には、もうじきバーリェ達を寝かせなければならない時間帯になっていた。
絆は、乱暴に椅子を蹴立てて腰掛けると、頭を両手で抱えて深く息をついた。
渚が止めに入らなければ、絃を殴っていた。
しかし。
果たして、自分は。
絃の伝えようとしたことを、全て理解できていたのだろうか。
彼は、まだ何かを言おうとしていたのではないか。
感情の赴くままに、絃を殴ろうとした自分。
その、自分の持つ本能的な悪意に愕然としたのだった。

――桜の安楽死。

既に、絆と、絆のラボのバーリェにとって、桜は他人ではない。家族同然だ。
その彼女が安楽死させられる。
唐突に絃が呟いた言葉だったが、感情的になって話をするべき問題ではなかった。
もし自分が冷静で、静かに絃の話を聞いてやれていたら。
桜は、死なずに済むのかもしれなかったのだ。
荒く息をつき、絆は歯を強く噛み締めた。
そして手を振り上げ、自分の太ももに振り下ろす。
鈍い衝撃と共に、痛みが手首と足に広がった。
それでも足りず、また腕を振り上げた時。
絆は、自分がいる洗濯場の自動ドアが、他者の接近を感知して開くのを見た。
腕を振り上げたまま停止する。
洗濯物を抱えて入ってきた命みことが、ポカンとした顔で絆を見た。

「ど……どうしたんですか?」

どもりながら問いかけられ、絆は一瞬それに答えを返すことが出来ず、口をつぐんだ。
まさかこの子達に、「桜はもうじき殺されるんだ」と相談するわけにはいかない。

「帰ってらっしゃったんですか? もう私たち、ご飯食べちゃいましたよ?」

命がニコニコしながら近づいてくる。
絆は息を深く吐いて立ち上がった。
そして「トレーナー」の顔をして、命に微笑みかけ、彼女の頭を撫でる。

「いや……顔を洗いたくてな。今帰ってきた。全員いるか?」
「え? ええ、いますけど……」

絆のその問いに、不思議そうに命が返す。
一つ頷いて息をつく。
誰の容態にも変化はなかったらしい。

「変な絆さん」

クスクスと笑って、命は洗濯機にバーリェ達の衣服を投げ入れた。そして洗剤を手にとって、絆の手を見る。

「絆さん……血が出てます!」

素っ頓狂な声を上げられて、絆は軽く笑って手を振った。

「どうってことはない。バンドエイドを持ってきてもらえるか?」
「どうしたんですか? 誰かにやられたんですか?」

心配そうに命が傷を覗き込む。
この子は必要以上に詮索するのが好きだ。
詳しく説明することはないと判断して、絆はシャツで傷を隠した。

「いや……格闘の訓練で相手につけられたんだ」

嘘をついた。
しかし命はそれをあっさり信じ、呆れた顔で絆を見た。

「絆さん、格闘技なんてやっていたんですか? 初耳ですよ」
「気晴らしにな。何、すぐ治る」
「ちょっと待っててください。私バンドエイドなら持ってます」

命はそう言って、着ていたエプロンのポケットから、花柄のバンドエイドを取り出し、慣れた手つきで絆の傷に貼り付け始めた。
彼女は見た目ややっていることに反して、よく転ぶし、よく怪我をする。
そそっかしいのだ。
自分が怪我をした時のために持っていたのだろう。
普通、バーリェは滅多なことでは自分で自分にバンドエイドを貼り付けたりはしない。
何故かと言うと、彼女たちクローンは、異常なほどに雑菌に弱い。
少しの傷でもたちまち化膿し、周辺の皮膚を全て移植、というのも珍しい話ではない。
だから、命のように怪我をして、自分でバンドエイドを貼り付けてハイ終わりというわけにはいかないのが常だった。
まぁ、それ以前にバーリェは人格調整をされる際、滅多なことでは怪我をしないように創られている。
命は、その点では異常、と言えるバーリェだった。
何と言うか……人間に近いのだ。
体も、心も。
既に二年近く生きているのに、全く寿命による老化の兆しが見られないのも、やはり異常だった。
それゆえ、少し傷をしたくらいでは、他のバーリェと違い命は化膿したりもしない。
手間がかからないバーリェ、と言った具合なのだが、現実はそう甘くもなかった。
絆は、狙って彼女のような個体を引き当てたのではなかった。
偶然だった。
偶然、調整されてもらってきたバーリェがそのような番外品(失敗作)だったというだけの話だ。
普通はすぐに殺処分してリサイクルに回すのが常なのだが、絆の場合、そうでなくても命の体の異常に気付いたのは、彼女を調整し始めてから一年経ってからのことだった。
突然変異とでもいうのだろうか。
成長するごとに、徐々に体が強くなっていくのだ。
その点で非常に人間に近い。
それだけ見ればメリットが大きいように思えるが、命は、残念なことに「バーリェ」だった。
人間に近いということは、同時にバーリェとしての性能を十二分に発揮できないということに繋がる。
AADで使用できる生体エネルギーの含有量が極端に少ないのだった。
バーリェとしては、致命的だ。
彼女たちは、自分を戦闘で使ってもらい、そして死ぬことこそが喜びだと、意識野の基本概念に刷り込まれて生まれてくる。
それゆえに、命は自分が戦闘で活躍できないということに対して、強烈なコンプレックスを抱いていた。
絆は無論、それを知っていた。
知っていて、彼女には何も教えていなかった。
つまり、命は、自分がバーリェとしての失敗作である突然変異種だということを知らない。
だから無邪気にバンドエイドを持ち歩いたり出来るのだ。
他のトレーナーが育てているバーリェにそのことを話しでもしたら、たちどころに変な顔をされるだろう。
絆のラボではそういったことはないように気をつけてはいたが、それが、絆が絃以外の他のトレーナーと交流を絶っている要因の一つでもあった。
それでも、絆は命を殺したいとは考えたこともなかった。
ましてや安楽死なんて――。
想像したこともない。
――想像したことも、なかった。
一瞬絆の動きが止まったのを感じたのか、命が顔を上げた。

「どうかしましたか?」

問いかけられて、絆は僅かに憔悴した顔を彼女に向けた。

「いや……俺の分の飯はあるか?」
「はい! 作っておきました。今日のは美味しいですよー」

にこやかに命がバンドエイドを貼り付けて、絆の手を引く。
温かかった。
生きている、感触。
ふと思う。
絃も、桜の手を良く握っていた。
生きている感触が分かると言っていた。
彼も、今もうじき死のうとしている桜の手を握っているのだろうか。
何を、思っているのだろうか。
いくら考えても、絆には良く分からないことだった。

雪を連れて、エフェッサー本部に指定された軍病院に到着して、絆は重い足を引きずるようにして歩き出した。
絃とは話しづらかった。
いつもだったら、他のバーリェ……特に薬の管理が必要になる雪の世話を彼に頼んで、外出をしていたのだが……今回は頼む気にはなれなかった。
優と文の世話を命に任せ、昼をまたぐので、絆は雪を連れてきていた。
やはり自分の手で薬を飲ませないと、安心できない。
それに、雪は目が見えないがために、一人で遊戯室などに置いておかれるとパニックになってしまう節があった。
そうでなくとも、絆はエフェッサーという組織自体が信用できなくなっていた。
だから雪を連れて、本来ならば一人で来なければならないところを、彼女と一緒に来てしまったのだ。
車を降りて職員に預け、雪の手を引いて建物に入る。
ここはバーリェ専用の軍病院だ。
他の施設と違い、軍人に警戒しなくても済む。
雪はしかし、緊張したようにピタリと絆の脇にくっついていた。
彼女の手を引いて、受付に行く。
そこで絆は、うんざりした顔を受付に向けた。
渚がにこやかな顔をして立っていたのだ。

「またあんたか……」

本来であれば、人は他人のことをあまり気にしない。
それゆえに人と人との対立というのは滅多なことでは表面化しないし、だからこそ、先日絆が絃に殴りかかろうとした時、渚は青くなっていたのだ。
彼女はしかし、絆の態度に気付いていないのか、笑顔で近づいてきた。

「お待ちしていました。絆執行官。時間ピッタリですね」
「俺に恨みでもあるのか? それとも俺のことを尾けてでもいるのか?」

絆のぼやき声を聞いて、雪が表情を硬くして、彼の後ろに隠れてしまった。
それを見て少し残念そうに、渚は息をついた。

「こんにちは。エフェッサー本部職員の渚といいます。あなたは……雪ちゃんね」

流石クランベだ。差別や、罵詈雑言には慣れきっているという感じだ。
さらりと受け流されて、しかし絆も雪も、言葉を発さずに沈黙した。
渚はしばらく前かがみになって雪を見ていたが諦めたのか、先導するように歩き出した。

「こちらです。私の立会いの元、新しいバーリェちゃんの引渡しを行うようにとのことでした」
「新しい……バーリェ?」

雪がそこで、絆に向けて蚊の鳴くような声を発した。
絆は苛立ったように息をついて、横目で渚を睨んだ。
雪には、敢えて言わないようにしていたことだった。
そうでなくても、「雪の」クローンなのだ。
本人が面白く思う筈はない。
詳しい説明を避けたかったがゆえに、引渡しの際、「新しい仲間だ」と、勢いでサラッと流すつもりだったのだ。

「逸脱行為が過ぎる」

ボソリと呟かれた絆の言葉に、慌てて渚は口をつぐんだ。
流石に気付いたらしい。

「新しい子を迎えに行くの? 絆、どういうこと?」

狼狽した声で雪が言う。
彼女が足をもつれさせ転びそうになったのを見て、絆は足を止めて、雪の前にしゃがんだ。
雪が狼狽するのも無理はない。
彼女自身、自分があとどれだけ生きられるか分からないのだ。
自分の代わりを、絆がもらいにいくと勘違いしたらしい。
その場合自分はどうなってしまうのか。
そこまで、おそらく考えたのだろう。

「何ていうことはないよ。ただ、お偉いさんがたが、新しい子作ったからモニター頼むってさ」

仕方無しに、完結的に言う。
雪はまだ狼狽した顔をしていたが、やがて俯いて小さく言った。

「私は、まだやれるよ……」

その言葉に一番ショックを受けたのは、渚だった。
息を呑んだ彼女をまた横目で睨んでから、絆は雪に言った。

「ああ、そうだな。知ってるよ」
「嘘。知ってるのに、どうして新しい子をもらいに行くの?」
「命令だから仕方ない。俺じゃなきゃ出来ないんだってさ」
「…………そうなんだ」
「ああ」

無理やり雪を黙らせるように話を打ち切り、立ち上がって彼女の手を引く。

「どこですか? 病室は」

ぶっきらぼうに渚にそう聞く。
渚はしばらくの間雪を見ていたが、やがて何か気の利いたことを言うのを諦めたのか、エレベーターを手で指した。

「十二階の三号室で待機しています。先ほど覚醒して、状況確認などをしていました。既に言語機能などに問題は発生していないことを確認しています」
「分かりました」

足早にエレベーターの方に歩き出す。
このままトロトロとしていたら、この女は何を言い出すか分かったものではない。

「こんにちは! マスター!」

病室に入った途端、絆を迎えたのは元気な嬌声だった。
嬉しそうにベッドの上で、体を揺らしている女の子……バーリェがいた。
ニコニコと嬉しそうな顔を顔面中に貼り付けて、とても可愛らしい子だった。
雪のクローンだからといって、雪と全く同じ外見、同じ障害、性格などを持っているわけではない。
根本的な部分では同一人物なのだが、細かい個性はそれぞれ異なる。
第一、元はといえば、バーリェは全て一つの胚から培養される。
突飛な言い方をすれば――厳密に言うと違うのだが――彼女たちは高確立で同一人物だと考えている学者もいる。
ロングの白髪を腰まで流している子。
雪と違ってしっかりした体つきと、パッチリ開いた目に、快活そうな顔つきを見たときは、さして驚きはしなかった。
それよりも絆を驚かせたのは、彼女の認識能力の早さだった。
まるでここがどこで、自分が誰なのかを前もって完全に把握しているような……。
普通、バーリェは覚醒後一種の混乱状態に陥る。
生まれる前に学習させられた事柄と、自分が五感で体感していることの差についていけなくなるのだ。
しかしその症状が全く見られない。

「あ、ああ。こんにちは」
「あなたが私のマスターですね! これから宜しくお願いします!」

元気に言って、少女が頭を下げる。
どういうことだ……と、絆はそれに返すことが出来ずに硬直してしまった。
前後の学習もなくこう、とは考えがたかったのだ。

「この子が覚醒したのは今から何分前ですか?」

小声で渚に聞く。
渚は手元のボードを確認してから言った。

「十五分前です」
「え……?」

不可能だ。
十五分の時間で、ここまでの状況認識能力は、正直常軌を逸している。
赤子が突然ジェットコースターに乗せられ、そのスピードに即座に慣れて笑っているような状況に近い。
これが新型なのか……と、どう言葉をかけたらいいのか分からず迷っていると、少女は不思議そうに首を傾げて絆を見た。

「どうしたんですか、マスター。今日からお世話になります。こちらにいらっしゃらないんですか?」
「その……マスターというのは何なんだ?」

純粋に疑問に思ったことを、つい口に出してしまった。
しかし少女は、それに対して元気に、ハキハキと答えてきた。

「私のことを使ってくださるんですから、マスターとお呼びしようと、ずっと考えていました。これから沢山私を使ってください!」
「…………」

絆は一拍おいてから、引きつった笑みを少女に返した。

「うん……取り敢えず話でもしようか」

まるで、絆のことを生まれる前から知っているかのような受け答えだ。
本能的に空恐ろしいものを感じて、絆は少女から視線を離した。
そして部屋の中にいる医師達に目配せをする。
医師達は頭を下げて計器を片付けながら、部屋を出て行った。

「あんたもだ」

渚にそう言うと、彼女も頭を下げて後ろに下がった。
そこで、絆の背後に隠れていた雪が体を覗かせる。
彼女は唖然と口を開けて、絆の手を強く握り締めていた。

「どうした?」

小声で問いかける。
そんな絆の様子を察していないのか、少女は首を伸ばして雪を見ると、病院服の胸の前でポン、と嬉しそうに手を叩いた。

「……お姉様! お会いできる日を、心待ちにしていました!」
「は……?」

彼女が言った言葉を即座に理解することが出来ずに停止する。
今何と言った?
お姉さま?
――雪のことを?
しかし停止している絆を見上げ、雪は怯えたように彼に体を押し付けた。
そして、雪は消え入るような声で囁いた。

「絆……」
「…………」
「どうして、『私』がいるの……?」

怯えた様子の雪を何とか落ち着かせ、椅子に座らせてから絆も腰を下ろす。
絆は、雪の言葉に衝撃を受けていた。
クローンのクローンに、元となった個体が遭遇した時にどういう反応をするのか、そんなことを考えたこともなかったからだ。
雪は目が見えない。
それゆえに、他の個体よりも顕著に、生体エネルギーを五感で感じて相手を識別しているらしい。
自分の生体エネルギーと質が同じ彼女のことを、「自分自身である」と誤認してしまったのだ。
確かに、絆も自分と全く同じ顔の人間が目の前にいたら驚く。
気味が悪いだろう。
――雪は置いてくるべきだった。
歯噛みするが、今更どうすることも出来ない。
自分の認識が甘かった以外なかった。

「……取り敢えず、俺は……」

口を開いた絆の言葉に被せるように、少女はハキハキと言った。

「絆執行官ですね。理解してます!」
「…………」
「そちらは雪お姉さまですね。D77個体。私はS93番です! お会いできて本当に嬉しい!」
「どうして……俺達の名前を知っているんだ?」

迫力に気おされて聞いてみる。
少女はきょとんとして絆に返した。

「さぁ……何ででしょう? 生まれる前から、知っています。それが普通じゃないんですか?」
「…………分かった。知っているならそれでいいんだ」

信じられないことだった。
クローンを生成する際、雪の脳組織を使ったと言っていた。
彼女の記憶の断片さえも、移植に成功しているらしい。
しかし、いたずらに難しいことを言って、第一接触で混乱させてもデメリットしかない。
それより、雪との間を上手く保たなければ……と思い、絆は努めて明るく声を出した。

「改めて自己紹介をしよう。俺は絆。これから君の保護者になる」
「はい!」
「こっちは雪。君の……お姉さんみたいなものだ。君の言うとおりに」

雪がビクッとして縮こまる。
少女はうんうんと頷いて、胸の前で指を組んだ。

「知ってます!」
「これから君のことは、『霧きり』と呼ぶことにする。S93じゃ、何かと言いにくいだろう」

先ほどまで考えていた名前を口に出すと、彼女――霧はパァッ、と顔を明るくした。

「お名前……! 名前!」

感動したように繰り返して、笑顔になる。

「雪。こっちは霧。お前、久しぶりの病院だから混乱してるんだよ」

雪に小さく言うと、彼女は怯えた顔で霧の方に顔を向けて、そして絆に見えない目を向けた。

「…………」

言葉にならないらしい。
それを肯定と取ったらしく、霧は点滴台を引きずって、雪の前までベッドの上を移動した。
そして顔を覗き込む。

「これから一緒に頑張りましょう、お姉様!」

霧はいきなり手を伸ばすと、雪の小さな手をぎゅっ、と握った。
雪がそこで初めてハッとして霧に目を向ける。
自分とは違う個体だということが、やっと分かったらしい。

「あなた……私の妹なの?」

小さな声で雪が聞く。
霧は頷いて、雪の手を自分の方に引き寄せた。

「ずっと……ずっと会いたかった……」

ポツリと、雪の手に霧の目から落ちた涙が一粒垂れた。
霧は雪の手を胸につけ、そして言った。

「寂しかったです。でも、これからは寂しくないんですね!」
「…………うん、最初の頃は寂しいよね」

雪は少し沈黙した後、頷いて言った。

「……頑張ろうね」
「はい!」

霧は笑顔で付け加えた。

「私達、『特別な』バーリェなんですから、一緒に頑張りましょう!」

しばらく霧と話し、彼女を、買ってきた服に着替えさせてから絆は片手に雪、もう片手に霧の手を掴んで病室を出た。
廊下では渚が書類を持って待っていた。
霧が笑顔になり、渚に手を振る。
渚も笑顔で霧の頭を撫でた。

「お名前はいただけたのかしら?」
「はい! 私はこれから霧といいます!」

元気に霧が言う。

「素敵ね。お名前もらえるって凄いことなのよ」

渚が続けて、絆を見た。

「それでは、こちらの書類にサインをお願いします」
「分かりました。雪、ちょっと壁に寄りかかっててくれ」

雪の手を離して、ペンを握る。
単に絆の利き腕だったのだが、手を離された雪は、しばらくポカンとして、所在無さげに立ちつくしていた。
書類にサインし終わり、雪の手をもう一度握る。

「それじゃ」
「あ……絆執行官」

そこで渚が絆を呼び止めた。

「何ですか?」
「先日の件なのですが……」

渚は言いにくそうに言いよどんだ後、小声で絆に言った。

「絃執行官と、あの後連絡を取られましたか?」

何でそんなことを聞く、と声を荒げかけたがバーリェ二人の前だ。
グッ、と抑えて、絆は努めて冷静を装って言った。

「いや。それが何か?」
「……そうですか。それならいいんです」
「何がだ?」
「絃執行官のラボに、明日強制立ち入りの捜査が入ります」

雪に聞こえないようにしているのは明白だった。
絆は反射的に身を乗り出して、雪と霧から体を遠ざけて、渚に囁いた。

「え……?」
「絃執行官が、バーリェと共に失踪しました。何かご存知ではないかと思いまして……申し訳ありません。言い出すタイミングが遅れました……」
「何だって……?」

失踪?
半死半生の桜を連れて?
――絃が……?

「何もご存じないようですね……それならいいんです。お気になさらないでください」
「気にするなって……何だって? 絃が……?」

横目で雪達を気にしつつ、絆は発しかけていた言葉を無理やりに飲み込んだ。

「……後ほど電話します。本部でいいですか?」
「いえ……こちらにお願いします」

渚が携帯電話の番号が書かれた名刺を差し出す。
それをひったくるようにして受け取り、ポケットに突っ込む。
そして不思議そうな顔をしているバーリェ達の方を向いた。

「…………さぁ、俺達の家に帰ろうか」
「はい!」

元気に霧が返事をする。
いつの間にか、絆は冷汗をかいていた。
雪が怪訝そうにこちらを見ている。
それを気付かないふりをして、絆は廊下に足を踏み出した。

霧と雪を連れてラボに戻った時には、太陽も落ち始めていた。
車を降りて、霧が目を輝かせながら絆のラボを見上げる。

「うわあ、立派ですねえ」

感嘆詞と共にそう呟き、霧は絆の手を握った。

「私、今とっても幸せです!」
「そうか。まぁ気楽にやってくれ」

絆は頷いて、車から雪が降りる補助をしてから、彼女の手を引いた。
雪は、心なしか顔色が悪かった。

「大丈夫か?」

絆の問いに、雪は少し押し黙った後

「……大丈夫」

と一言だけ答えた。
どことなく様子がおかしい彼女に、言葉を選んで声をかけようとしたところで、霧が勝手に車庫を出て行ってしまった。
慌てて雪の手を引いて、彼女の後を追う。
霧は、夕焼けに染まるラボを囲んでいる、バイオ技術で管理された森を見回して、目を丸くした。
近くの木に手をつけて、そっと抱きつく。

「こんな感触だったんだぁ……」

今度はしゃがみこんで、手で土をすくう。
それを何度か揉んで、口に入れようとしたところで、慌てて絆はそれをとめた。

「やめるんだ。それは食べていいものじゃない」
「そうなんですか?」

きょとんとして霧が土がついた手を払う。
初めて見るものだ。
この辺は子供らしい反応だ。
霧の手をハンカチで拭いてやってから、ラボの入り口に誘導する。
そして絆は、二人をラボに招きいれた。
入ってすぐ、命がまた洗濯物を持ってパタパタと廊下を歩いていた。
彼女は、帰ってきた絆を見て嬉しそうに声を上げると、ゲームをしていたらしい優と文に何かを言った。
双子のバーリェが足音早く玄関に走ってくる。
しかし、三人とも雪に続いて入ってきた霧を見て硬直した。

「ん? どうした?」

絆が思わず口を開くほど、彼女達は異様なものを見るかのような表情で霧を見ていた。
命が何かを言おうとして失敗し、手から洗濯物を廊下に落とす。
優が文と顔を見合わせ、そして絆に言った。

「誰……その子?」

珍しく……いや、初めて聞く優の「何かを警戒したかのような」声だった。
霧は硬直している三人を見て首を傾げると、彼女達を「無視」して、絆の手を引いた。

「どうしたんですか、マスター。早く中に入りましょう」

絆は片手で霧を押しとどめると、優に向かって言った。

「今日から仲間になる、霧という子だ。仲良くしてやってくれ」

バーリェにとってキーワードとなる「仲間」という言葉をあえて使ったのだが、三人の反応は変わらなかった。
相変わらず、当初の雪のように不思議な表情をしている。
まるで、自分たちとは違うものを見るかのような……そんな目だった。
霧が全くそれを気にしていないのか――いや、命達三人が視界に入っていないのか――無邪気にはしゃいで、絆の持っていた紙袋から新しいスリッパを取り出し、床に並べる。

「お邪魔します!」

大きな声で言って、霧がラボに足を踏み入れる。
途端、命が後ずさろうとして失敗してその場に転び、優と文が奥の部屋に隠れてしまった。
彼女たちの予想外な反応に、絆は息をついた。
ここまで警戒するとは思ってもいなかったのだ。
そこで雪が進み出て、霧の背中を手でそっと叩いた。

「霧ちゃん。みんなに挨拶しよう……」

そう言われて、霧は逆に不思議そうに雪を見た。

「どうしてですか?」
「どうしてって……一緒に、これから暮らすんだよ。みんなびっくりしてる」
「劣等種と話すことなんてありません。それより一緒に遊びましょう、お姉様!」

――何?

今何と言った?

――劣等種?

確かに今、霧は命達のことを劣等種と言った。
戸惑った顔を向けてきた雪の手を引き、絆は困った表情で霧を見た。

「……そういうことを言うものじゃない。みんな仲間なんだ。仲良くしよう」

先ほども言ったキーワードを連発して言ってみる。
しかし霧は、いまいちピンと来ないらしく、首を傾げてみせた。

「はあ、マスターがそう仰るならそうします」

しばらくして自己完結したのか、頷いて口を開く。
彼女は、尻餅をついて目を丸くして自分を見ている命に近づいた。
そして悪びれもなく彼女に手を伸ばして、言った。

「宜しく。私が来たからにはもうあなた達の出番はないと思うけど、精々頑張って予備の役割を果たしてくださいね」

バーリェは、お互いを嫌うことは滅多にない。
そもそもは単一で管理するのが原則なので、その必要がないからと言ってしまえはそのままなのだが、その性質上、いがみあっていては仕事にならない。
だから、彼女たちは生産されてきてから、他のバーリェに敵対感情を持つような調整はされてきていない。
――筈だった。
この子は、自分のことを優性種だと思っている。
それは、絆がクランベに対して抱くような感情に酷似しているのだろう。
有体な言葉で言えば。
……見下している。
生まれながらに。
悪意ではない、純然たる素直な気持ちだ。
だが、だからこそそれは、言葉のナイフとなって命の心を抉ったらしかった。
そうでなくても、バーリェとしての性能にコンプレックスを抱いている命だ。
霧の一言を理解するのに時間がかかったらしく、命はポカンとして彼女を見た。
そして絆の方を見て、小さく震えだす。

「え……? 予備……?」
「どうかしましたか?」

霧がにこやかに言う。
笑顔だ。
悪いとは微塵も思っていないのだろう。
流石にこれはマズいと判断して、絆は雪を玄関に置いて、命と霧の間に割って入った。
そして命のことを助け起こして、少し語気を強くする。

「霧、口が過ぎる。この子は君の先輩だ。予備なんかじゃない。何回でも言うぞ、仲間なんだから、仲良くしよう。これは命令だ」

流石に「命令」という単語には反応して、霧は途端に緊張したような顔つきになった。
そして少し顔をしかめて命を見てから、絆に戸惑った表情を向けた。

「喧嘩をするつもりはありませんでした。気に障ったなら、ごめんなさい」

素直に命に対して頭を下げる。
しかし命は、まだ理解が追いついていないのか、絆にピッタリと寄り添って、霧を異物を見るかのような目で見ていた。
初めてのケースだ。
霧はおそらく生まれながらにして、自分を特別で、優秀なバーリェであり、他の子とは違うと思い込んでいる。
実際そうなのだから性質が悪い。
医師達がそう言い聞かせたとは考えがたかった。
利点がない。
つまり、生成された時点で、彼女はそういう確固とした「自我」を持っていたことになる。
空恐ろしい。
科学の産物であれ、それは果たして人間が踏み込んでいい領域なのか。
絆はそれが分からなくなり、一瞬口をつぐんだ。
しかしその沈黙をどう取ったのか、命は慌てて絆から体を離すと、取り繕ったように笑ってから言った。

「あ……お洗濯もの、片付けなきゃ……」

霧の方を見ないようにしながら、命は落ちている洗濯物を拾い集め始めた。
当の霧は、それを全く気にしていないのか、玄関に走っていくと、立ち尽くしている雪の手を取って引っ張った。

「お姉様、一緒に遊びましょう! ずっと、ずっと楽しみにしてたんです。私何でも出来ます。お姉様の好きな遊びをしましょう!」
「霧ちゃん……命ちゃん達は……」

言いよどんで、しかし雪は口をつぐんでしまった。
命が聞いていることを、察したのだろう。
仲良くはしていても、雪と命の性能には雲泥の差がある。
命が、それに対して強烈なコンプレックスを持っていることを、雪は知っていた。
だから言葉にすることを躊躇ったのだ。
それを不思議そうに見て、霧はラボの中を、既に知っていると言わんばかりに先導して歩き出した。

「モノポリーでもいいですし、バックギャモンでも大丈夫です! 沢山頭のなかでシュミレートしました。お姉様、お強いんでしょう? 楽しみだなー!」

絆は、不覚なことに霧の暴走に対して、何をすることも出来なかった。
そのようなケースに対応するだけの知識がなかったのだ。
命のコンプレックスは分かっていても、霧が持っている「見下す」感情をどう制御したら良いのか、彼には分からなかった。
どうフォローしたらいいのかも分からなかった。
だって、事実なのだ。
彼女が優性種であることは。
絆は奥の部屋に消えていった霧と雪を目で追いながら、小さく震える手で洗濯物を集めている命の前にしゃがみこんだ。
そして、やっとの思いで口を開く。

「その…………何だ。俺も手伝うよ」
「あ…………はい……」
「来たばかりで、勝手が分かってないんだ。大人だろ? 多少今みたいに生意気な口を聴くかもしれないが、理解してやってくれ」
「一緒に……暮らすんですか?」

ためらいながら命がそう言う。
それは、彼女が初めて見せる、躊躇しながらの「拒否」の態度だった。
絆は命から目を離して、洗濯物を抱え上げた。

「……ああ。そうだ」
「雪ちゃんだけじゃ、駄目なんですか?」

小さな声で命がそう言う。
優と文が、寝室に隠れて、扉の隙間からこちらの様子を伺っている。
絆は命の頭に手を置いて、ぎこちなく笑ってみせた。

「別に、一人増えたくらいでどうということはないだろ。誰かの代わりとか、そういうことはないよ。安心しろ」
「…………」

しかし命は、それに答えなかった。
彼女は俯いて絆から洗濯物を受け取ると、パタパタと足音を立てながら、洗濯室に消えてしまった。

――先が思いやられるな。

絆は、居間の方から霧の嬉しそうな嬌声が聞こえてきたのを受けて、小さくため息をついた。

命の作った料理が並べられていた。
美味しそうなにおいが漂っている中、食卓は奇妙な雰囲気に包まれていた。
霧を、明らかに避けるように命、優、文が、いつもの席とは違う反対側の席に固まっている。
雪が絆の隣。
その隣に霧がいる。
霧は、首を傾げて料理を見てから、絆に向けて口を開いた。

「補助栄養食品はないんですか、マスター?」

補助栄養食品とは、バーリェが栄養管理のために摂取するものだ。点滴でもいいし、経口摂取でもいい。
半ゲル状の黄緑色の物体で、絆はあまりそれが好きではなかった。
一度口に入れたことがあるが、味はない。
命がそれを聞いて俯き、所在無さげな視線を彷徨わせる。

――これはまずい。

霧……この子には、何かが欠けている。
集団生活を送る絆のバーリェとして、一番大事な「協調性」がまるでない。
先天性なものではないだろうので、個体差なのだろうが……。
ここまで極端な例も始めて見るが、これから一緒に暮らしていかなければいけない子だ。
無理やりにでも、慣れさせなければならない。

「これから俺と同じように食事をする。毎日命が料理をしてくれるんだ」
「へぇ……そうなんですか」

さして興味もなさそうに言って、霧はスプーンを手に持った。

「じゃ、食べますね!」

元気に言った彼女を、雪がおどおどと制止した。

「霧ちゃん……絆がいただきますを言ってから食べるんだよ……」
「そうなんですか?」

首を傾げてみせる霧。
絆は頷いてから手を合わせて

「いただきます」

と言った。
慌てて雪達がそれに続く。
古い文献からの知識なのだが、こうすると不思議とバーリェの食事作法が良くなる。
理由は、良く分からないが。
霧もそれに続いて、彼女は命が丹精込めて料理したであろうグラタンを、少しだけスプーンにとって口に運んだ。

「しょっぱい……」

途端に顔をしかめて、霧はスプーンを皿の上に置いて、水を口に入れた。
出荷される前まで食事をしたことがないのだから当たり前なのだが、彼女たちは味に対して敏感だ。
だから絆でも分かる程度、相当薄味に作ってある。
しかし優も文も……死んだ愛でさえも、命の料理は第一声「美味しい」と言って食べていた。
何故か霧の口には、どうも合わなかったらしい。
命が益々萎縮して小さくなる。
絆は一つ息をつくと、霧に向かって言った。

「無理はしなくてもいいが、これから毎日食べるんだ。味という感覚に慣れておいたほうがいい」
「分かりました。訓練ですね!」

頷いてスプーンを持ち直す霧。
言葉の端々に無邪気な「悪意」が見て取れる。
明らかに、命達のことを見下している。

――これは、良くない。

しかしどう注意したものか分からない。
絆は、一口食べては水を飲むを繰り返し始めた霧を見てからため息をついた。
そして、チビチビと食欲がなさそうに食べだした命と雪、かっこんでいる優と文を見回す。
グラタンを口に入れてみる。
美味しい。
命の料理の腕は高い。
決して、不味くはない。

「美味いぞ、命」

そう言ってやると、命は初めて、ぎこちない笑顔を絆に向けた。

「さっきも話したと思うが、こっちは霧。今日から一緒に暮らすことになる。みんな仲良くするんだ」

霧を手で示して言うと、彼女は顔も上げずに水差しから水をコップにあけた。
それに戸惑いがちに顔を見合わせた優と文だったが、優が空元気のような声を出して、霧に喋りかけた。

「ね、ゲームは好き? 今日ロールアウトしたの?」
「あなたと私じゃ性能が違うから、一緒に楽しめるゲームはないと思うけど……でもゲームは好き。何でも出来ます。さっきも、雪お姉様と一緒にモノポリーをしたところです。今日、第三研究所からロールアウトしました」
「そ……そうなんだ」

優が顔を引きつらせながら口をつぐむ。
文が彼女の肩を叩き、手話で言葉を伝えた。

『きっと、今日来たばかりだから緊張してるんだよ。すぐに仲良くなれるよ』
「あなた達と仲良くするつもりはなかったのですが……マスターのご命令ですので仲良くします。光栄に思ってくださいね」

ニッコリと笑って霧が言う。
手話を読み取られたことと、投げつけられた言葉の棘に押されて、文も手を止めて黙り込んだ。
絆は深く息をついて、スプーンを皿の上に置いた。

「霧……お前は一言多いな。生まれる前に習わなかったのか? みんな『仲間』だって」
「……?」

きょとんとして霧が沈黙する。
キーワードに反応しない。
今回は霧に対して直接言葉を投げかけた。
おかしい。
まさか……と思い、絆は慌てて聞いた。

「ちょっと待てよ……五大原則は言えるか?」
「五大……原則?」

首を傾げて、霧はその言葉を反芻してから絆を見た。

「さぁ……何ですか?」

それを聞いて、命達が怪訝そうに顔を見合わせる。
雪も不思議そうに霧の方を見た。
それが面白くなかったのか、霧は少し語気を荒くして絆に言った。

「何ですか? 私、何か変なことを言いましたか?」
「……いや、いいんだ。知らないなら。食事を続けよう」

無理やりそう言って話を打ち切り、絆は心の中で歯噛みした。

――この子も番外個体なのか……!

その事実に気付き、頭を抱えたくなったが、無理やりに押し留める。
バーリェならどんな個体でも言えることだ。

一つ、バーリェはトレーナーに服従しなければならない。
二つ、バーリェはトレーナーの命令をいついかなる時でも聞かなければならない。
三つ、自身の命よりもトレーナーの命を優先せよ。
四つ、自らの生死を自らが決めてはならない。
五つ、トレーナーのために死ぬことを、至上の幸福とせよ。

というものだ。
遠まわしに、トレーナーが死ねといえば死ね、という風に定義づけている。
普通、ロールアウトされた個体は、この五つの条項を、一字一句間違わずに言うことができたら、「人格調整完了」として登録される。
しかし、霧はその言葉を……単語さえ知らなかった。
つまり、この子は。
人格調整が完了していない個体だ。
性能だけを重視して、人格の調整に追いつかなかったのか……いや、それはない。
分かっているのだ、エフェッサーは。
分かっていて、霧を絆に預けた。
絆が、番外個体を多く管理しているから。
何とかなると思っているのだ。

――どうする?

頭の中で自問自答する。
この子を、未調整の個体として報告し、廃棄処分にする権利は絆にあった。
それもできる。
できるが……一度固有名称を名づけてしまった個体を、廃棄処分にするのは、絆のトレーナーとしてのプライドが許さなかった。
何より、雪たちに紹介してしまったのだ。
もう、あとには引けない。
嵌められたという表現が一番正しいだろう。
この子は人格的に欠損している。
それも、致命的に。
黙り込んだ絆に、霧が不安そうに聞いた。

「マスター?」
「…………ああ、本当にいいんだ。気にするな。あと、食事は一度手をつけたら残さないように。それが礼儀だ」
「何に対してのですか?」

霧が、純粋な目でそう問いかける。
聞かれたのは初めてのことだったので、絆は思わず言葉に詰まった。
しばらく考えてから、彼は言った。

「神様にだ」
「神……様……?」

首を傾げた霧に、絆は頷いて続けた。

「俺達が日々生きていけるのは神様のおかげだ。食材も、神様が与えてくれるものなんだ。だから、食前には『いただきます』、食後には『ごちそうさま』と挨拶をする。それが決まりだ」

実際は違う。
神様なんてこの世にはいない。
そんなものがいるのなら、死星獣は存在していない。
だが、絆はこう言うことにしていた。
それは、小さい頃自分が聞かされた、遠い昔の記憶だった。
霧は頷くと、残りのグラタンをかっこみはじめた。
味もへったくれもないだろうな……と作った命の気持ちを想像して少しブルーな気持ちになりながら、絆は息をついた。
そしてグラタンをつついている命と、優、そして文に声をかける。

「お前ら、ちょっと話がある。薬を飲んで、片づけが終わったら俺の部屋に来い」
「私も?」

雪が顔を上げて聞く。
絆は少し言いよどんでから、雪の頭を撫でて言った。

「お前は、霧と一緒に遊んでてくれ。好きなことをしてていい」
「…………分かった」
「よろしくな」

戸惑ったような顔をしてから頷いた雪から視線を外し、絆は立ち上がって薬棚に近づいた。
命以外、最近飲む薬が多くなっている。
そこに霧の分も追加だ。
混合でもしたら、大変なことになる。
……この子達は、死ぬまで薬を飲み続けなければならない。
番外個体、とどこかしらに障害がある子を呼んでいるが、「生き物」として障害があるか、と考えれば――全員障害者だ。
難しい。
いつになっても、慣れない。

三十分程して、命と優、そして文が絆の部屋に上がってきていた。
扉を閉めた途端、優が嫌悪感を露にして言った。

「絆、何あの子」
「何って……何がだ?」

バーリェは殆ど他者に対して嫌悪感を発することはない。
トレーナーに対しては無論だし、同族に対しても、争うメリットがないので同様だ。
しかし霧に対しては違うらしい。
確かにそうだ。
彼女は、今まで絆の「家族」になかった「優劣感」という概念を持ち込んでしまった。
理解できる。
面と向かって馬鹿にされて、劣等種だと言われて。
面白い筈がない。

「私は反対だなー……あんなのと一緒に暮らせないよ」

優は、その点圧倒的に正直だった。
絆は椅子に座ったまま優を手招きして呼び寄せると、その頭を軽く叩いた。

「こら。仲間をそう呼ぶんじゃない」
「でも……」

『仲間』と聞いて、優が黙った。
それを見て、絆は無理やり騙させてしまったことに気がついて、口をつぐんだ。
そして優の頭を撫でてやりながら口を開く。

「……何が嫌なんだ?」
「何かね、変なんだよ。絆は感じないの?」

優に聞かれ、絆は首を捻った。
確かに霧は番外個体……その可能性が高いが、外見や行動は普通と変わらない。
そこで文が進み出て、手話で文字を作った。

『雪ちゃんと同じような……でも、何か違うんです。私たちとも違う。あの子は、本当にバーリェなんですか?』
「本当にって……バーリェに違いはない。人間ではないことは確かだからな」

それは確認している。
事前に詳しく資料を読んでいる。

「バーリェじゃないよ、あんなの」

吐き捨てるように優が言った。
その意味が分からずに、絆はそんな優の姿を見るのは初めてだったので、若干押されながら言った。

「あんなのって……」
「私たちと違う。何か、ロボットみたい」
「ロボット?」
「うぅん、どっちかというとし……」
『お姉ちゃん』

そこで文が、無理やり優の肩を掴んで言葉を止めた。
優がハッとして口をつぐむ。

「ん? 何だ?」

隠し事をしている風の二人に問いかけるが、双子は視線をそらして黙り込んでしまった。
そこで、命がおずおずと口を開いた。

「絆さん、あの子……戦闘で使うんですか?」

問いかけられて、絆はまた言葉に詰まった。
しかし隠してもためにならない、と思い直して、命に対して頷く。

「ああ。そのつもりだ」
「どうして? 私達もまだ出てないのに!」

優が、生まれて初めて絆に「反抗」した。
食って掛かってきた。
ヒステリックにわめいた優に続いて、文までもが手話で訴えてきた。

『順番で言うと私達の番ですよね? どうして今、新しい子を連れてくるんですか?』
「お偉いさん方の決定だ。俺の意思じゃ……」

反射的にそう返しかけて、絆は言葉を無理やりに飲み込んだ。
これでは、まるで自分が仕方なく霧をもらってきたような感じになってしまう。
実際そうなのだが、霧だってバーリェだ。
この子達と変わらない。
絆自身、優劣を決めるつもりは本当になかったし、誰かをひいきするつもりなど毛頭なかった。
ここで、「俺の意思じゃない」と言ってしまったら、霧の立場がなくなってしまう。

「…………お前たちも、すぐに戦闘に出れるよ。霧は、対速攻戦用に創られたバーリェなんだ。お前たちではカバーしきれない事態を担当する」
「私達ではカバーしきれないって、何!」

優が飛び掛らんばかりの勢いで怒鳴った。
青くなっている彼女に向かって、息を吐いてから絆は言った。

「どうした? お前、様子がおかしいぞ。薬をちゃんと飲んだのか?」
「飲んだよ! でもそれは今関係ないよ!」
「いや、重要な問題だ」
「私のことが信用できないの?」

優が喚く。
彼女のこんな姿は見たことがない。
いつもは気配りが出来る優しい子の筈だ。
それゆえに感情が爆発した時の反動が大きいのか……と思い直し、絆は慎重に言葉を選んでから言った。

「分かった、信用しよう。だから落ち着くんだ」
「…………」

優は突然肯定されて、バツが悪そうに口をつぐんだ。
そしてもごもごと何かを言おうとして失敗する。

「何だ? 良く聞こえないぞ」

絆が促すと、文が優の手を引いて彼女を黙らせてしまった。
基本的に、絆はバーリェに対して隠し事をしないようにしている。
それは逆もまた然りだ。
だから、彼女達が隠しているであろう事をそのままにしておくつもりはどこにもなかった。

「命、どういうことだ?」

優から視線を離して命に聞く。
突然話題を振られた命は、しゃっくりのような声を上げて、少し迷った後言った。

「……いえ……その……」
「…………」
「あの子……何だか死星獣みたいで……」
「ちょっと命!」

優が口走ってしまった命に食って掛かる。
命は

「だって……」

と言ったきり、下を向いて黙り込んでしまった。

「何だって?」

絆は命の言ったことの意味が分からずに、戸惑いながら彼女達に聞いた。

「霧が、死星獣みたい? 言っている意味がさっぱり分からない」
「だから……あの子から死星獣と同じ臭いが少しするんだよ。何で分からないの?」

優が、冷や汗なのだろうか、いつの間にか汗をかきながら絆に訴えた。

「死星獣の臭い?」
「……ええ。何だかとても臭いんです。どう言い表したらいいのか分からないのですけれど……」

命がポツリと言った。
文が、諦めたように手話でそれに続く。

『タバコの臭いに似ています』
「タバコ?」

どうも要領を得ない。
雪はそんなことを言っていなかった。
いや……。
意図的に「言わなかった」のかもしれない。
優が口走ろうとした時、文が止めたのを見た。
彼女達は躊躇している。
例えば仮に、霧が死星獣と同じ臭いを発しているとするならば。
彼女達が警戒した理由も良く分かる。
バーリェは死星獣を殺すために創られた生体弾丸だ。
自分たちの敵に、無意識の奥で敵意を持ってしまっても、不思議ではない。
こればかりは「慣れろ」とも言えずに、絆は押し黙った。
本部に、確認する必要がある。
これではバーリェを正常運用できない。
文がタバコの臭いと言ったのは、バーリェにとって天敵の臭いだからなのだろう。
無論、絆もタバコは吸わない。
トレーナー全員、少なくともバーリェの前ではタバコは吸えない。
彼女達の気管支に損傷を与えてしまう可能性があるからだ。

「分かった。霧は、今日は俺の部屋で寝かせよう。安心しろ」

絆は自室では寝ないが、一応形式美としてベッドは設置されていた。
霧を、しばらくこの子達から隔離する必要がある。
それを聞いて、三人がホッとしたように顔を見合わせた。
優が息をついてから、一言吐き捨てた。

「ずっとここにいればいいんだよ」
「……そこまで毛嫌いすることはないだろう。まだ来たばかりなんだ。お前だって、来た頃は我侭だったぞ」

そっと諭すと、しかし優は納得できないのかまた口をつぐんでしまった。
絆は手を叩いて、立ち上がった。

「とりあえずお前達は、今日は寝ろ。もう遅いからな。霧には、俺からも良く言い聞かせておく。分かったな?」

それぞれが戸惑いがちに頷いたのを見て、絆は命の背を押した。

「今日のグラタンは美味かったぞ。自信を持て」

しかしそれには答えず、命ははにかんだようにぎこちなく笑って、絆から視線を離して俯いてしまった。

……やはり人格調整がなされていない。

雪達を寝かせてから、霧を自室に連れてきていくつか質問をしたが、絆はその確信を深めていた。
雪と一緒に寝たがっていた霧だったが、連れてこられたのが絆の部屋だと言うことに気付くと、自分がそれだけ特別扱いされていると思ったのだろう。
散々はしゃいで今に至る。
薬を飲ませてやっと寝せた。
寝息を立てている霧を見下ろして、絆は深く息をついた。

――死星獣の臭いがすると言っていた。

彼女達は嘘をつかない。
隠し事も、基本的にはできないように人格調整がされている。
絆の場合はそのようなことに甘いので、例外はあるが基本的にはそうだ。
嘘ではないのだろう。
それがたとえ、直感から来たものだとしても、無視できない事実だ。
絆はデスクの椅子に腰を下ろして、パソコンのモニターに映し出された、霧の仕様書に視線を落とした。
……だとしたらおそらく、この仕様書は捏造されたものだ。
絆を騙すために。

――足元を見ている。

歯噛みして、速読でもう一度仕様書を読み飛ばす。
やはりどこにも、死星獣のくだりは書いていない。
絆は廊下に出ると、自室のドアを締め、鍵をかけた。
そして雪達が寝ていることを確認し、寝室にも鍵をかける。
唯一隔離された洗濯部屋に入り、椅子に腰を降ろしてから、彼は携帯電話を手に取った。
そして渚の携帯番号を選択し、電話をかける。
しばらくすると、少し緊張した風の渚が応答してきた。

『こんばんは。お疲れ様です、絆執行官』
「お疲れ様です」

業務的な挨拶を済ませてから、絆は押し殺した声で言った。

「……どういうことだ? あの子は番外個体だろう?」

語気を強くして言う。
渚は少し沈黙した後、別室に移動したのか、扉を閉める音をさせてから言った。

『番外個体? どういうことですか?』

逆に聞き返される。
絆は言葉を選んでから彼女に問いかけた。

「言ったままの意味だ。知らなかったとは言わせない。君が、ロールアウトの責任者の筈だ」

そう言うと、渚はまた沈黙した後、断固とした口調で言った。

『ロールアウトは完璧でした。あの子は番外個体ではありません』
「何だと……? 五大原則も言えないバーリェがどこにいるって言うんだ!」

思わず電話口の向こうに向かって怒鳴り声を上げる。
渚は抑揚をなくした声でそれに答えた。

『初期混乱なのではないでしょうか? こちらの調整は完璧でした。本部も了承済みです』
「…………」

――本部も了承済み。

その単語が表す意味は大きかった。
霧は番外個体だ。
間違いない。
つまり本部はその事実を揉み消そうとしている。

――どうして?

彼女が本当に特別なバーリェだからなのだろうか。
まだ、絆が知らないブラックボックスを抱えているゆえに、本部は障害を黙殺しようとしたのではないか。
渚はエフェッサーの一職員だ。
一応ロールアウトの担当官は彼女となっていたが、この電話も傍聴されている可能性は十二分にある。
本当のことを言えない状況にあるのか。
それとも、彼女自身が絆を騙そうとしているのか。
……誰も信用は出来ない。
本来なら、それがこの世界だった筈だ。
絆は歯噛みして、それでも小さく呟かずにはいられなかった。

「……人間のやることじゃない……!」

渚は、少なからずその言葉にショックを受けたらしかった。
彼女はしばらくの間黙っていたが、無理やりに話を切り替えて、淡々と絆に言った。

『…………絆執行官。絃執行官の失踪について、何かご存知なことはありませんか?』
「その……絃が失踪したという話は本当なのか?」
『連絡の取れない状況が七十六時間を超過しました。ラボの中に生体反応はありません。強制捜査に踏み切ることになりました』

トレーナーは、一日ごとに膨大な量のレポートを作成し、本部に送らなければいけない。
そして本部では、その資料を管理してバーリェの生産にいかすのだ。
トレーナーだからといって何でも自由にやれると言うわけではない。
むしろデメリットの方が多い。
その最たる例が、この時間制限だった。
通常トレーナーは、二日間、四十八時間以内にエフェッサー本部に資料を送信しなければいけない。
それはデータ収集の意味もあるが、同時にトレーナーを管理しているエフェッサー側の事情もあってのことだった。
二日間連絡がないと、捜査が入る。
そして三日間を超過すると、強制立ち入りが行われるのだ。
それほどバーリェとは現政府にとって重要な機密物資であり、トレーナーはそれを管理するための重要な役職だ。
一度、絃に預けていた優が勝手にラボの外に出てしまったことがある。
その時は、ごく近くをうろついていて保護されたらしいが、無論本部はその事実も知っている。
たった五分程度の散歩とはいえ、絃と絆の実績により無理やり帳消しにしたほどの大事件だったのだ。
それゆえに、トレーナーはきちんと定時に本部へ連絡を行わなければならない。
絃は、厳密に言うと絆よりも数年前からトレーナーをやっている、いわば先輩に当たる人物だ。
忘れるとは思えない。
それに、安楽死をさせると言っていた桜を連れて消えたとすれば、それは機密物資の盗難に当たる事件に発展する。
二日の時点で捜索は行われたのだろうが、見つからなかったようだ。
その「見つからなかった」と言うのも納得がいかない。
軍警察が動いて、たかが大人の男と半分死んだようなバーリェ一人見つけられないとは考えがたい。
そのような事情で、強制立ち入り捜査に本部は踏み切ったのだろう。
――しかしそれは、「絃が本当に逃げた」とすればの話だ。
絆にはどうしてもそれを信じることが出来なかった。
数少ない、絆の方針の理解者だった。
同じような信念を持って、互いに支えあった仲だった。
一概にはいそうですか、と言えるわけがなかった。
しかし電話口の向こうの声は無常だった。

『形式として、明日絆執行官のラボにも監査が入ります。あくまで形式ですので、気を悪くされませんよう。バーリェちゃん達にも、怖がらないようにと言ってあげてください』
「…………」

本部は少なからず絆を疑っている。
匿っているのではないかと思っているらしい。

「……どうしてそれを前もって俺に言う?」

しかし、絆は疑問に思ったことをそのまま口に出した。
絃を匿っていると思うのなら、予告無しでいきなり強制立ち入りを行ってもいい筈だ。
渚は少し言いよどんだ後、小声で言った。

『本当に、何もご存知ないのですか?』
「何がだ? こっちはその事実にただ驚いてる」
『……ご存知ないのなら、その方がいいと思います。その確認をとらせていただきたかったまでです。他意はありません』

そこで絆は確信した。
この通話は、本部に録音されている。
渚もそれを知っている。
知っていて、携帯電話の番号を絆に渡したのだ。

「……分かりました。時間は?」
『二〇三〇です』
「了解しました」

これ以上この女をつついても、何も出てこない。
それ以前に、こいつは自分に対して、勘繰りを入れるような真似をしてきた。
何も分からないような振りをして。
よくやる。
心の中で軽く笑う。
そうはいくか。
何もかも全部自分達の思い通りになると思うなよ、と言う気持ちを込めて、絆は一言吐き捨てた。

「絃執行官が、一刻も早く見つかることを祈っていますよ。私は」
『…………』
「では」

ブツリと電話を切る。
そのまま絆は、椅子の上で体を丸めて深く息をついた。
クランベを使って油断させようとしてきた本部に対しての憤りもあったし、何より嘘ではないだろう絃の失踪について、訳がわからなくなっていたのも事実だった。
桜を連れて、どこに消えた?
安楽死させると言っていた。
彼なりの諦めの表れだったのだろうが……絆はその言葉を、拒絶してしまった。
絃は、そこでエフェッサーに対する執着というか……拠り所をなくしてしまったのではないか。
しかし見つからないというのが解せない。
軍警察の情報網は半端ではない。
一週間前の、バーリェの生体反応を追尾できるほどだ。
考えられるとしたら……。
スラム。
下層市民がいる場所に身を潜めるしかない。
しかし、その利点が思いつかなかった。

(何だってんだよ……)

髪をガシガシと掻き回して、絆は立ち上がった。
そして寝室まで歩いていき、鍵を開いて全員寝ていることを確認する。
愛がいなくなって、寝室はめっきり寂しくなった。
夜中に突然夢遊病のように起きだす彼女に、睡眠時間を削られていた日が嘘のようだ。
静かなものだ。
このまま、彼女達は眠るように死んでしまってもおかしくはない。
だって、人間ではないのだから。
足取り重く自室の鍵を開けると、ベッドの上で毛布を手繰り寄せ、霧が寝息を立てていた。
眠っている姿は他の子と同じなんだけどな……。
そう思ってため息をつく。
本部が黙殺している以上、霧を管理するしかない。
しかしどうも、優達が言っていた「死星獣の臭いがする」という言葉が気になった。
どういう意味なのだろうか。
しばらく霧の寝顔を見下ろす。
どうすればいいのか、分からなかった。

本部からの監査役員がラボを訪問し、形式的に見て回っているのを、雪をはじめとしたバーリェ達は、どこか怯えた表情で見ていた。
霧だけがケロリとしているが、それはロールアウト直後の個体だからだろう。
バーリェは成長するにつれて、自分が「生き物」ではなく「備品」として扱われていることを、いやがおうにも自覚させられる。
絆は決してそのような扱いはしていなかったが、エフェッサーの本部職員は――渚のような一部例外を除いて――殆どが、バーリェを生き物扱いはしない。
軍人も同様だ。
度重なる検査や手術を受けさせられている雪が、特に怯えを顔に表していた。
絆のラボは、バーリェ達が唯一くつろいで安心することができる、いわば彼女達の「聖域」だ。
そこに土足で踏み込まれて、面白いはずはない。
はずはないが、彼女達に反抗するだけの勇気があるかといえば、そんなものはどこにもなかった。
だから部屋の隅に集まって、小さくなっている。
霧だけが絆の脇に、命令を待つ子犬のようにピタリとくっついていた。
監査役員の一人が、絆に書類を渡してサインを求める。
それに懐の万年筆を取り出してサインしがてら、絆は淡々とした口調で言った。

「一つ疑問があります。質問をいいでしょうか?」
「何だ?」

役員に問い返され、絆は慎重に言葉を選んでから口を開いた。

「……何故一昨日逮捕しなかったのですか? 彼はエフェッサーの本部に出頭していました。連絡が途絶えての強制捜査は分かりますが、みすみす逃がす理由がない」

答えは期待していない。
単に、揺さぶりをかけただけだ。
渚と話している時におかしいとは思っていたのだが、質問はしなかった。
録音されている危険性があったからだ。
それに、その質問の答えは、あらかた想像がついていた。
……絃は、連絡を途絶してから一昨日、つまり丸二日の時点でエフェッサーの本部に、新型バーリェの説明のため訪れていた。
他ならぬ絆と口論したあの日だ。
その時に逮捕するなり何なりしたら良かったのだ。
それを見過ごして、見失ったと騒いでいるのは少し奇妙だ。

――が、その理由はあらかた想像がついた。

絃は、何か手を出してはいけない領域に手を出してしまっていたのではないのだろうか。
例えば、桜の延命のために別の組織と提携する……バーリェの情報を提供する代わりに、などだ。
その場合、即逮捕に踏み切らなかった理由は納得がいく。
泳がせて確証を掴んでから確保というのが、定石な流れだからだ。
問題は、だ。
絃が例えばそうだったとして、逆にそれほどまでの危険を冒してエフェッサーの本部に出頭した理由は何だったのかが分からない。
絆と話すため……だけではないだろう。
何か、他に訳があった筈だ。

――絃が逃げ込んだ場所は、おそらくスラム街。

それ以外には考えられない。
法治国家から外れた場所に桜を連れて行ったと考えるのが妥当だ。
それも、理由が分からなかった。
仮に桜の延命をすることが出来たとしても、どっち道彼女はバーリェだ。
長くともあと一年以内には確実に死ぬ。
それが寿命なのだ。
その一年だけのためだけにこんな危険を冒すのか……?
絆には、正直素直には考えがたいことだったが、同時に心の片隅では理解もしていた。
絃とはそういう男だ。
もしかしたら……そうなのかもしれない。
絆の質問を受けた職員は、少し考えた後

「拘束規定事項第三条七項の事由により、話すことは出来ない」

と返してきた。
予想通りの反応だったので、絆は

「……そうですか」

とだけ返して口をつぐみ、書類を彼に渡した。
もしかしたら……。
もしかしたらだが、エフェッサー本部が何かを隠している可能性もある。
そうだとしたら、絃の失踪でさえも狂言である可能性も捨て切れなかったのだ。
誰も信用は出来ない。
いつの頃からだったか、人を信用する癖がついてしまっていた。
しっかりしなければと思い直し、絆は息をついた。
監査役員を送り出して、絆はピッタリとくっついて来ている霧の手を引いて、ラボに入った。
……考えても分からないものは、仕方がない。
それより今出来ることを、今対処しなければいけないことを片付けるまでだ。

「監査役員は帰ったよ。安心しろ」

四人のバーリェに言うと、雪が開口一番

「良かった……」

と呟いた。
霧から手を離して彼女に近づいて、頭を撫でてやる。

「大丈夫だ。単に、視察のために来ただけだ」

優と文が顔を見合わせて、そしてテレビの方に走っていく。
テレビゲームの途中だったのだ。
それを侮蔑しているかのような目で見下して、霧が近づいてきて雪の手を引いた。

「お姉様、ゲームの続きをしましょう!」
「ちょっと……ごめんね」

しかしそれを、雪がやんわりと拒絶した。
きょとんとした霧に、雪は言いにくそうに口を開いた。

「これから、命ちゃんにお料理を教えてもらう予定なの。良ければ、霧ちゃんも一緒にやる?」

最大限気を遣って言ったであろう雪に、しかし命は戸惑ったような視線を向けた。
優と文も、やかましく音を立てているテレビから目を離してこっちを見ている。
霧は、「何を言い出すのかと思えば……」と言わんばかりに鼻を鳴らすと、馬鹿にしたように言い放った。

「料理ですか? 別にそんな技能があったからといって、戦闘に役に立つわけではないでしょう? パズルゲームやボードゲームで脳の活性化をはかった方が、よっぽど時間の有効活用になります。そんなの役立たずにやらせておけばいいんですよ」

――戦闘に役に立つわけではない。
――役立たず。

命が視線を伏せた。
彼女も、薄々分かってはいたことなのだ。
彼女だけではない。
雪だって、優だって文だって……他ならぬ絆だってそれは分かっていた。
分かっていたが、言わなかったこと。
言ってはいけないことだった。
思わず絆はカッとして霧を怒鳴りつけた。

「お前なんてことを言うんだ!」

――トレーナーに怒鳴られた。

バーリェ達が一瞬で全員緊張し、背筋を伸ばす。
霧も同様だった。
一瞬ポカンとした後、条件反射で背筋を伸ばして緊張しながら、絆に向かって彼女は言った。

「ご……ごめんなさい……」

どもりながら謝ってくる。
おそらくこの子は、何故怒られたのかを分かっていない。
絆は俯いて小さく震えている命に近づき、彼女の脇に立った。
そして霧を強く睨む。

「これ以上命を馬鹿にするのなら、こっちにも考えがある。お前を、戦闘で使わないようにしてもいいんだぞ」
「ど、どうしてですか!」

霧が青くなった。
慌てて問いかけてきた彼女に、絆は言った。

「協調性の問題は、個体差があるからある程度は多目に見ることが出来る。だが、俺の方針は『集団生活』だ。その基本事項にさえ適応できない奴を、信用することは出来ない」
「…………」

唖然としている霧に、絆は一言付け加えた。

「バーリェとトレーナーの関係は、信用で成り立ってる。それは理解できるな?」
「私は……信用していただけないのですか……?」

霧が小さく震えだす。
絆は淡々とそれに答えた。

「今のお前を戦闘に使うわけにはいかない。俺が言った意味を、自分でも良く考えてみろ」
「私は……!」

霧は自分の胸を手でさして声を張り上げた。

「私はここにいる誰よりも安定した性能を発揮することが出来ます! 効率的に戦闘を行うことが出来ます! 私は優秀なんです!」
「黙れ!」

絆に再度怒鳴られて、霧がビクッとして萎縮した。

「何を言い出すかと思えば……一度も戦闘に出たことがないお前が、『効率的に戦闘が出来る』……? 馬鹿も休み休み言え……」

絆の脳裏に、笑いながら死んだバーリェの姿がフラッシュバックする。
愛の顔が、目の裏に焼きついて浮き上がる。
完全に頭に血が昇った。

「いいか、お前達が戦闘に出るっていうのは、そんなに生易しい話じゃないんだ! 遊び感覚で良く知りもしないことを主張するな! お前、今まで何人が死んだと……」

そこで絆は言葉を止めた。
雪が霧を庇うように間に割って入ったのだった。
優も文も、命も目を丸くして硬直し、激昂した絆を見ている。
彼のそのような姿を見たことがなかったのだ。
雪は絆に向かって首を振ると、静かに口を開いた。

「泣いてるよ……やめよう?」

霧は両手で顔を覆って涙を流していた。
やがて大声を上げて泣きじゃくり始める。
絆は言葉を飲み込むと、足音高く雪と霧の脇を横切って、自室に繋がる階段を登り始めた。
おかしい。
バーリェに対してこんなに感情的になったのは、雪が薬を飲まなかった時以来だ。
脳裏に愛の最後の言葉がフラッシュバックする。

――楽しかった、なぁ。

自室に入り、デスクの椅子に腰を下ろす。
そして絆は、浮かんできた愛の顔を振り払うように、両手をデスクに叩き付けた。
しばらく歯を強く噛んで、動悸を沈めようと努力する。
数分経ち、ものすごい量の汗を垂れ流しながら、絆は背もたれに体を預けて天井を見上げた。
まだ霧は泣いている。
耳障りな泣き声だ。
そう感じる自分自身に戦慄し、愕然とする。
もしかしたら。
適応できていないのは霧ではなく。

――俺、自身なのかもしれない。

そう思ってしまった。

絆に怒鳴られた日から、霧はめっきり喋らなくなってしまった。
彼のことがよほど怖いらしく、雪の隣にピッタリと寄り添っている。
時折チラチラと様子を伺うような視線を寄越してくることはあっても、自分から近づいてくることはなかった。
対して雪の体調も安定しなかった。
頻繁に咳をするようになり、食事をしてもすぐ吐いてしまう状態が数日続いていた。
当の彼女には、絆はかなり迷ったが、補助栄養食品の点滴を打つことにした。
今も、点滴台を転がしながら生活している。
他の三人も、絆が怒鳴る姿を見てよほど萎縮したのか、あまり騒がなくなってしまった。
どこか、ラボの中の空気が淀んでいるような気がする。
絆はソファーに腰を下ろし、コーヒーを飲みながら息をついた。
軽率なことをした。
トレーナーとして、一番基本的なことを忘れていた。
どんな時でも、トレーナーは淡白であらねばならない。
バーリェが死んだ時もそうなのだ。
霧に対して怒鳴ったことで、他の子達にも不信感を与えてしまった。
一日二日でそれは拭い去れるものではない。
絆が飲み干したコーヒーカップを手にとって、命がおずおずと、小声で口を開いた。

「おかわり、飲みますか?」
「……ああ」

頷いて、絆は今日本部に送信した報告書のコピーに視線を落とした。
霧によるバーリェ達の精神異常と、運用問題について詳細に書いたのだが、いまだに返事がない。
それに苛立ってもいた。
命がバリスタからコーヒーをとって、絆の前に置く。
そして彼女は、少し離れたソファーに腰を下ろした。
しばらくの間、命は離れた場所でゲームをしている優と文、そして雪と霧を見ていたが、やがて絆にそっと言った。

「愛ちゃんのことですか?」

絆は報告書から視線を離し、命を見た。

「……何がだ?」
「いえ……最近、絆さんは変わったと思いまして……」

命は言いにくそうにそう言って、口をつぐんでしまった。
絆は報告書を閉じてソファーに放り、そして命に言った。

「別にいつも通りだろう」
「あはは……そうですね」

力なく笑って命が俯く。
絆は雪達が聞いていないことを横目で確認してから、命に静かに言った。

「何回でも言うが……お前は役立たずなんかじゃない。俺が保障する。もっと胸を張れ。そんな態度だから馬鹿にされるんだ」
「……そうですね……」

命が空元気のように息を整えて顔を上げる。

「でも……私は。やっぱり馬鹿にされていたんでしょうか?」

しかし彼女がポツリと呟いた問いに、絆は一瞬沈黙した。
口が滑ってしまった。
言わなくてもいいことを付け加えてしまった。
命は顔の前で手を振ると、黙り込んだ絆に気を遣ったのか、慌てて言った。

「いえ、変なことを聞いてしまいましたね」
「…………」
「でも私、確かに戦闘ができません」

笑顔だった。
でもそれは、どこか寂しそうな自分の居場所を見つけられない、細々とした笑みだった。

「雪ちゃんの代役をすることもできませんし、ましてや陽月王を動かすことさえも出来ませんでした。私、確かに役立たずなのかもしれません」
「……他人と自分を比較するな。お前にはお前の、やるべきことがある筈だ」

絆が押し殺した声で言うと、命は視線をそらして

「そうですね……」

と呟いた。
しばらく沈黙して、命はそっと聞いた。

「絆さん、次に死星獣が出たら……どうするんですか?」
「…………」

考えていなかったことだったので沈黙してしまう。
少し考えて、絆は言った。

「分からない。その場に合わせて対処するだけだ。それ以前に、俺達に役目が回ってこない可能性も高いからな」

嘘だった。
高確率で、次に死星獣が出たら絆には霧を使うようにという指令が下る。
彼女のテストをしたいのだ、本部は。

「そうですね……そうですよね」

頷いて、命は立ち上がった。

「それじゃ私、後片付けがありますので……」

その時だった。
霧の話を黙って聞いていた雪が、突然激しく咳をし始めた。
次いで、絆が慌てて立ち上がったその目に、ゴボッ、と血の塊のようなものを吐き出した雪の姿が映る。

「雪!」

青くなって彼女に駆け寄る。
どうしたらいいのか分からないのだろう、硬直している霧から雪を引き剥がして、彼女の脈を測る。
不安定だ。
雪は

「だ……だいじょう…………」

大丈夫、と言おうとして失敗した。
また激しく咳き込み、今度は絆の服に激しく吐血する。
吐血、と一言で言うが、バーリェのそれは人間と同様に、いやそれ以上に危険な症状だ。
内臓のどこかが損傷している可能性が高い。

「命! 本部に電話だ。緊急ラインを使え、急げ!」
「お姉様……? お姉様……」

霧がわななきながら声を張り上げた。

「お姉様、しっかりしてください! お姉様!」
「命まだか!」

色をなくして、すがりつこうとする霧を手で押しとどめ、絆は怒鳴った。
命が壁のインターホンから本部の緊急ラインに通話して、絆の方を見る。

「繋がりました!」
「ヘリを呼べ! 車じゃ間に合わん!」
「わ、分かりました!」

頷いて命が上ずった声で用件を伝える。
雪はぼんやりとした濁った目を絆の方に向けると、その頬に手を伸ばして、掠れた声で言った。

「大丈夫…………じゃないみたい…………」
「気をしっかり持て! 大丈夫だ。すぐに病院に連れてってやる!」

絆が大声を上げる。
優と文も色をなして近づいてきていた。
雪は

「……ごめん、なさ……」

と一言だけ言うと、力なく首を垂れた。
その半開きになった口から、血が糸を引いて流れる。
絆は血の気が引いて、雪を強く抱きしめた。
まだ心臓は動いている。
間に合う。

「くそ、まだか! まだなのか!」

命に怒鳴っても仕方ないと思いながら、声を荒げる。
命は半泣きになって、震える手を口元に当てて首を振った。
分からないと言いたいらしい。
雪の限界は、とっくの昔に過ぎている。
無理な臓器移植で、その命をながらえさせていたに過ぎない。
その限界が訪れただけのこと。
そう、思うことは出来なかった。
しばらくして小型の軍用ヘリコプターが、ラボの屋上に着地した振動が建物を揺らした。

「俺は雪を連れて行く。命、ホットラインはずっと繋いでおけ!」
「わ……分かりました!」
「私も行きます! 連れてってください!」

霧が声を張り上げた。

「勝手にしろ!」

絆はそう怒鳴ると、雪の点滴をむしりとり、彼女を抱えて屋上に向かって走り出した。
それに慌てて霧が続く。

――死なせはしない。

絶対に。
絆はそう心の中で何度も反芻し、唇を強く噛んだ。

手術室の前で、絆は背中を丸めて椅子に座り込んでいた。
その隣では、霧が顔を伏せて椅子の上で小さくなっている。
すでに、雪が倒れてから数時間が経過していた。
これまで、霧とは一言も喋っていない。
しばらくして渚がヒールのかかとを鳴らしながらこちらに歩いてきた。
そして手に持っていた温かいコーヒーのカップを絆に差し出す。

「どうぞ。落ち着きます」

それを受け取り、絆は深く息をついた。
黒い水面に、憔悴した自分の顔が映っている。
渚はもう片方の手に持っていたココアを霧に渡し、また口を開いた。

「……あの子の寿命は、もう超過しているのではないのですか?」

絆は弾かれたように顔を上げた。
そして押し殺した声で渚に言う。

「あんたに何が分かる……!」
「何も分かりません。ですから、私はあの子が可哀相だと思います」

珍しくはっきりと渚が言った。

「可哀相……?」

霧もポカンとして渚を見ていた。
絆は一瞬躊躇した後、声を低くして彼女に言った。

「意味が分からない。可哀相だって?」
「はい。あの子はもう十分に『役目』を終えました。そろそろ楽にしてあげてもいいのではないでしょうか?」
「あんたの口に出す問題じゃない……! あの子のトレーナーは俺だ。俺の方針に口を出さないでもらいたい」
「絆執行官。それは……あなたのエゴではないですか?」

渚に静かにそう言われ、絆は口をつぐんだ。

――エゴ?

エゴだって?
雪を生かそうとしているのは、単なる絆のエゴで。
死なせてやることが優しさだと、この女は言うのか?

「殺すことは……」

絆の脳裏に絃の姿がフラッシュバックする。

「殺すことは救うことじゃないぞ!」

思わず大声を上げる。
渚は口をつぐんで視線を伏せた。

「絆執行官、あなたは愛ちゃんというバーリェが死んだ時から、挙動がおかしい点が見られます」

小さな声でそう言われ、絆は過密間ばかりの勢いで彼女に言った。

「おかしい? 俺がおかしいだって?」
「…………」
「おかしいのはお前らだろう!」

また豹変した絆の様子に、霧が完全に怯えて小さくなる。

「本部は、あなたの監査役として私を任命しました。私はあなたのことを監査しています」

渚が言ったことを聞いて、絆は口をつぐんだ。
薄々感じてはいたことだった。
渚が妙に絡んでくると思っていたのだ。
愛が死んでから、確かに絆の挙動はおかしくなった。
前に見られないくらい感情的になったし、何より戦闘を、バーリェの死を恐れるようになっていたと自分でも思う。
本部もそれを察知していたらしい。
渚は黙り込んだ絆に言った。

「今のあなたは、トレーナーとして不適任だと私は思います。少し、距離を置いた方がいいのではないですか?」

言葉を返すことが出来なかった。
絆は手元のコーヒーの水面をじっと見つめた。
霧に適応できなかったのは、彼女が悪いのではなく絆自身だ。
渚の言うとおりだった。

「俺は……」

彼が口を開いた時だった。
コツ、コツという早足で歩く足音が聞こえてきて、絆たちは長い廊下の向こうに視線を向けた。
女性職員を二人引き連れた本部局長、駈が、腰に手を回して足早に歩いてくるところだった。
座ったままの絆の前に止まって、彼はサングラスを指先でクイッ、と上げて言った。

「絆執行官、出撃だ」
「え……」

思わず問い返してしまった彼に、駈は無常に続けた。

「サナカンダに新しい死星獣が出現した。既に本部のトレーナーは出撃が完了している。新しい個体だ。そのバーリェを使用することを命令する」

言われた霧がビクッとして小さくなる。
駈はポカンとしている絆に再度言った。

「どうした? 出撃だ。準備をしろ、絆執行官。それと、今回はヒトガタAAD七○一号、陽月王に新しいシステムを組み込んである。君のバーリェをもう一体、ラボから搬送する。G67でいいな?」
「……デュアルコアですか?」

絆が我に返り、押し殺した声で聞く。
デュアルコア。
事前に資料を渡されて読んでいたが、実装されるとは思っていなかった。
バーリェを二体使用して、AADを動かすシステムだ。
今まで以上に安定した出力と操作が見込める。
だが……G67とは、命のことだった。

「G67は、陽月王の稼動領域に達していませんが……」

絆がそう言うと、駈は淡々とそれに返した。

「君はS93(霧)を甘く見ているな。問題ない。今回はS93とG67を使用せよ。元老院からの命令だ」

そう言えば黙るとでも思っているのだろうか。
絆はコーヒーを床にぶちまけ、椅子を蹴立てて立ち上がると駈の胸倉を掴み上げた。
そしてそのまま、彼を壁に叩きつけて、スーツを捻り上げる。
女性職員二人と渚が、小さく声を上げて硬直する。
霧も同様だった。
サングラスの奥の瞳を淡々と光らせ、駈は静かに聞いた。

「何をする?」
「あんた達は……あんた達はおかしい。こんなの人間がやることじゃない。そこまでして生き延びたいのか! そこまでしてあんた達は、自分達さえ良ければそれでいいってのか!」
「おかしいのは君の方だろう、絆執行官」

駈はそう言って、絆の手を掴んで脇にはらった。
スーツのしわを直して、彼は荒く息をしてこちらを睨んでいる絆に、淡白に言った。

「ともかく戦闘だ。無論今回も、君は現場に行ってくれるんだろうな? 陽月王は三人乗りのシートに改装されている。安心したまえ」

駈はくるりと背中を向けると、絆に向かってひらひらと手を振った。

「今回もいい戦果を期待している。頑張って我々の命を守ってくれたまえ」

時間はなかった。
陽月王のコクピットに、有無を言わさずと言った感じで詰め込まれる。
まるで、絆が現場に直接出向くのが当たり前であるかのように。
隣に霧が座り、陽月王を乗せたトレーラーが動き出したところで、彼女はおずおずと口を開いた。

「マスター……?」
「…………」

絆はそれに答えなかった。
両手で頭を抱えて、背中を丸めていた。
頭がこんがらがって、訳が分からなくなっていた。
雪が。
雪が死んでしまうかもしれない。
この戦闘をしている間に。
それは絆にとって、今の彼にとって、とても「恐ろしい」ことだった。
それに、この戦闘で霧と命が死亡する確率は、非常に高い。
また俺は。
俺は、殺さなければならないのか。
それ以前に、俺は生きて帰れるのか。
そう、有体に言えば。
絆は、怖かった。
死ぬのが。
そして、目の前で死んでしまうのが。
手の届かないところで死んでしまうのが。
ただ、ひたすらに怖かったのだ。
震えて汗を垂れ流している絆を見て、霧は少し躊躇したが、そっと手を伸ばして、雪がいつもするように彼の手を掴んで、自分の両手で包み込んだ。
そしてぎこちなく微笑んで、言う。

「大丈夫です。マスターのことは、私が絶対に守ります」
「…………」

絆は憔悴した目を彼女に向けた。

「だから、安心して私を使ってください。私を、安心して殺してください。そのことで私は、マスターを恨んだり、天国で悪く言ったりはしません」
「天、国……?」

言葉を噛み締めるように繰り返す。

「天国だって……?」
「はい。私たちバーリェは、死んだら天国に行けます。雪お姉様が教えてくださいました」

霧はそう言ってまた微笑むと、絆の手を、自分の胸にそっとつけた。

「それって、とても素敵なことだと私は思うんです」
「素敵……? どうして?」
「だって、天国ではみんな、同じ存在になれるんです。人間もバーリェも、みんな同じ。均等な命として扱われるんです。だから、天国で私は、マスターがいつか、幸せにこの世を旅立って、そしていらっしゃるまで、ゆっくりとお待ちしていようと思うんです」
「…………」
「だから、その時まで……その時まででいいですから……」
「…………」
「私を、好きになってくださいますか?」

絆は絶句していた。
霧の口からそんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかった。
まさかロールアウトから数日の個体が、ここまで自分を想っているとは考えがたかった。
それに、天国。
そんなものの存在を、今更信じたことはなかったのだ。
それを雪が教えたということも、絆に重大なショックを与えていた。
天国なんて、ない。
神様なんて、いないんだ。
そう言い聞かせようとして、言葉を発することが出来ずに失敗する。
絆の脳裏に、死んだ愛の姿がまたフラッシュバックする。
絆は、いつの間にか泣いていた。
片手で目を覆い、彼は強く歯を噛み閉めた。

――言いたくなかった。

そんなことは、絶対に言いたくなかった。
他のトレーナーと、エフェッサーと同じにはなりたくなかったから。
だから、絶対に言いたくはなかった。
でも……。
彼は、小さく呟くように言った。

「俺は……………………」

言いたくない。
そんなことは、もう言いたくないんだ。
でも……。
俺は、トレーナーで。
だから。
…………だから。

「お前のことは、大好きだよ……」

言ってしまった。
――言ってしまった。
絆は小さく震えながら、大粒の涙を零した。
ガチガチと歯が震えた。
震えている絆を、別の意味でとったのだろう、霧がそっと抱き寄せる。

「大丈夫です。マスターは絶対に死にません。何故なら、私がいるからです」
「…………」
「大丈夫です…………」

段々と、心細そうに霧の声が、尻つぼみに消えていく。
霧は強く唇を噛んで、背中を丸めた絆の体をそっと撫でた。
そこで、陽月王のハッチが開いて、技師と、白衣を着せられて連れられた命が入ってくる。
命は、絆の様子を見て一瞬言葉を失った後、慌てて駆け寄ってきた。

「どうしたんですか! 絆さん!」
「…………」

絆は答えることが出来なかった。
技師が無理やりに命を、絆と霧の後ろのシートに座らせて、彼女の体にも霧と同じように点滴やチューブを差し込んでいく。

「ちょっと待ってください! 絆さんの様子がおかしいです!」

バーリェは備品だ。
備品がどう喚こうが、その声を聞く者はいない。
もがく命は両腕、両足をシートに固定されて、身動きが取れないようにされてしまった。
両手で操縦桿を握るように指示されて、命は必死に技師に訴えた。

「降ろしてください! 絆さんは戦える状態ではありません!」
「点検、異常なし」
「全ての設定をニュートラルへ。ハッチ閉まります」

機械的な音がして、陽月王のハッチが閉まった。

「絆さん、しっかりしてください! ここを……」
「黙りなさい!」

そこで霧が大声を上げた。
彼女は、ワインレッドの妙な色に変色を始めた瞳で命を睨むと、押し殺した声で言った。

「私達はバーリェです! マスターを守らなければいけません。速やかに死星獣を倒して、帰還します!」
『その通りだ。顔を上げたまえ、絆執行官』

プツリと音がして、駈の顔がモニターに表示される。
絆は歯を強く噛みながら、操縦桿を握った。
手がガクガクと震えている。

『今から陽月王をサナカンダに、高速エアラインで緊急搬送する。既に現場のAADが、トップファイブも含めて二十五機やられた。敵は最終的な防衛ラインを突破。こちら、エフェッサーの本部に向かって侵攻している』
「ここに……向かって?」
『そうだ。これからデュアルコアシステムの簡易的な説明を開始する。起動実験を兼ねた重要な戦闘だ。気を抜くな』

絆の問いに完結に答えて、駈は続けた。

『基本的なエネルギーラインはS93(霧)が担当する。G67(命)、お前は陽月王の補助操縦と予備電源を担当することになる』

ガコン、と陽月王が揺れて、トレーラーが浮き上がる。
サナカンダはここから高速エアラインで三十分もかからない場所だ。
近い。
……近すぎる。
ここに向かって侵攻しているというのも気になった。
しかしその時の絆には、それを追求する余裕も、心の隙間もなかった。
名前を呼ばれた霧と命が緊張する。
霧が

「分かりました……!」

と押し殺した声で言って、目を閉じて意識を集中させた。

『エネルギー抽出ノラインを九十七倍デオーバー。全テノシステムヲ起動シマス。ジャンクション。オールグリーン』

……九十七倍?
絆は弾かれたように顔を上げて、機械音声が示した数値を、思わず計器で確認した。
雪よりも強い。
そして安定している。

「ね、大丈夫です……」

少し苦しそうに言って、霧がニコッと笑う。

『起動はクリアしたようだな。詳細の説明に移る』

唖然としている絆をよそに、駈は淡々と事務的な操作説明を行っていった。
やがてまたガコン、とトレーラーが振動して、陽月王の入っているボックスの入り口が開く。
……駈の話など、ほんの少ししか頭に入っていなかった。
手が震えて仕方がない。
怖い。
降りたい。
帰りたい。
頭の中を、パニックに陥った少女のような思考が駆け巡る。

『では、健闘を祈る』

プツリと音がして駈の通信が切れる。
次いで画面に渚の顔が表示された。

『死星獣は十一時の方角、F477地区を侵攻中です。軍は撤退しました。残存しているAADと共に叩いてください』
「…………」
『絆執行官?』

様子がおかしい彼に気付いたのか、慌てて渚が問いかける。

『返答してください。戦闘は既に開始されています! 重力量子指数増大、指向性流動波観測! 敵に陽月王が捕捉されました!』
「…………」
『絆執行官!』

絆は答えなかった。
いや、答えることが出来なかった。
震えを、歯を強く噛むことで抑えるだけで精一杯だったのだ。

「マスター、行きます」
「絆さん……」

霧がそう言って意識をまた集中させる。

『全ての設定をパーンクテンション。行動指数、レディ。視界確保、レディ。全武装のロックを解除』

――何だって?
全武装のロックを解除と、機械音声が今言った。
陽月王にはブラックボックスがある。
愛が死んだ際に使った武装などがそれだ。
詳細はエフェッサーは語ろうとしなかったことで、いくら追求しても分からなかった。
試そうとしたが、雪の起動エネルギーでも全武装ロックの解除は出来なかったのだ。
それをいともたやすく行った霧のエネルギー。
図抜けすぎている。

「う……動かします」

そこで、命が緊張した声でそう言って、操縦桿を押した。
陽月王のキャタピラが回転し、鈍重な機械兵器は、アスファルトの地面を抉りながら市街地に飛び出した。
そしてそのまま、近くのビルに肩から衝突する。
ものすごい音と衝撃がして、まるでレゴブロックの玩具のようにビルが崩れ落ちた。
一瞬でガレキの山になったそこに、陽月王が膝をつく。
もうもうと立ち込める砂煙の中、霧が怒鳴った。

「何をしてるの! ちゃんと操縦しなさい、G67!」
「ご……ごめんなさい!」

命が半泣きで言って、操縦桿をまた押し込む。
彼女の脳波に感応して、陽月王は体勢を立て直すと、今度は低速で前に進み始めた。
既に市民の避難は完了しているようだった。
人気のない街。
停まっている車や信号機を薙ぎ倒しながら、やっとのことで陽月王は前に進む。

「く……っ、私が操縦できてれば……!」

霧が苦しそうに息をしながら歯噛みする。
命がそこで、小さく叫び声を上げた。
慌てて絆も顔を上げる。

『攻撃が来ます。回避してください!』

渚の声と同時に、何かが飛んでくるのが見えた。
そこで、命の体がビクッ、と動いた。
途端、陽月王のキャタピラが高速で回転し、それはダンッ、と地面を蹴ると、アスファルトを砕き散らしながら飛び上がった。
シートに固定されている命が、反射的に「避けよう」とした行動を、そのまま純粋に陽月王がなぞったのだ。
そのまま陽月王は、補助ブースターを点火させてバランサーを起動させながら、綺麗に二回連続で宙転した。
その、今まで彼らがいた場所に何かが突き刺さり、次いで凄まじい爆炎を上げた。
柱型の炎が噴き上がり、雲まで抜ける。
三つ。
命が本能的に避けなければ、死んでいた。
その単純な事実に思わずゾッとする。
命は息を切らして大粒の汗を流しながら、何度も頷いた。

「分かりました! 動かせます。私、戦えます!」
「話してる暇があったら攻撃して!」

霧が怒鳴る。

「ロングレンジのエンクトラル砲を使用します!」

命は、頼りない声を張り上げた。
彼女達には、生まれつき戦闘プログラムがセットされている。
その記憶が鮮明に浮かび上がり、命の脳波を制御する。
陽月王が背負っていたバックパックから、何段階かに分かれた熱砲が競りあがり、前面に展開した。

「敵を視認しました!」

命が叫び声のように言う。
顔を上げた絆は、戦慄した。
ニンゲン。
そう見えた。
もうもうと立ち込める熱気と砂煙の向こう側に、全高二十メートルはあるだろうか。
白いスベスベとした体表の「何か」が、背中を丸めて立っていた。
四肢があった。
のっぺらぼうの頭があった。
指が五本。
足の指も五本。
ズズ……とその足を持ち上げて、「それ」はビルを踏み潰しながら前に体を進めた。
踏みつけた部分が、一瞬で塵になって消えた。
足から周囲十メートルほどが、すり鉢型の塵になって霧散していく。
顔面にあたる場所には、口の部分にポッカリと穴が開いていた。
そこから見えるのは向こう側ではなく。
「何も」なかった。
虚無だった。
光も何も存在していない。
黒ではない。
虚無だ。
そこが一瞬だけカメラのフラッシュのように光り、唾のようなものが、陽月王に向かって吹き飛ばされた。

「は……発射します!」

半分泣きながら命が甲高い声を上げる。
途端、陽月王の砲身から、凄まじい量の「黒い」エネルギーが発射された。
それに当たったビルが、シュッ、と気の抜けた音を立てて、綺麗に円形に「消滅」する。

――消滅した。

まるで、死星獣のブラックホール粒子のように。
そしてヒトガタ死星獣の発射した唾に打ち当たると、空中で球形の爆炎を上げた。
また命が陽月王の脚で地面を蹴り、宙転して死星獣から距離をとる。
目を焼く光。
そして、通信計器の異常。
先ほどから渚の通信が、ノイズ混じりで全く聞こえない。
それは、周囲にブラックホール粒子が広がったことを示唆しており。
ブラックホール粒子が広がったということは。
陽月王は、死星獣の攻撃を「防いで」、そして「破壊した」ということになる。
死星獣の体は、バーリェの生体エネルギーで中和が可能だ。
しかし今回は、中和して消滅させたのではない。
破壊したのだ。
その違いが持つ重要性に絆は気がつき、生唾を飲み込んだ。

「ブラックホール粒子を……発射した……?」

呟く。
相殺したのだ。
敵の発したブラックホール干渉空間と、同じ力で。
そしてビルの不自然な消え方も、その確信を深めるには十分過ぎるものだった。
陽月王は、死星獣と同じブラックホール粒子を発射した。
霧のエネルギーを。
……それはつまり、彼女のエネルギーはブラックホール粒子を含んでいるのと同意義であり。
彼女が、「死星獣の臭いをさせていた」理由でもあることに、絆は気がついたのだ。
おそらく霧には、雪と絆が破壊した死星獣の体細胞から、何らかの組織が使われている。
つまり、雪と死星獣の融合体。
それが霧なのだ。

「お前ら……お前ら!」

絆は操縦桿を手で叩いた。

「くそ……! くそ!」

人のやることじゃない。
こんなの、人がやることじゃない。
しかしバーリェ二人は、絆の怒号に反応するより早く、陽月王の制御と操縦に意識を集中した。
ヒトガタ死星獣が手を伸ばし、周囲を飛び回っていたトップファイブの戦闘機型AADを無造作に掴む。
バーリェが乗っている。
それをボンッ、と小さく爆炎を立てて握りつぶし、白い巨人はまた足を踏み出した。

「迫撃戦で一気に勝負をつけるわよ!」
「分かってます!」

命が霧に怒鳴り返し、二度、三度とロングレンジ砲を発射する。
また死星獣が唾を吐き、空中でブラックホール粒子同士がぶつかって、大爆発を起こした。
キャタピラを回転させながら陽月王が後退する。

「本部、応答してください! 迫撃戦用のブレードを射出してください!」

霧がマイクに向かって声を張り上げる。
しかし、周囲に充満しているブラックホール粒子のせいで、通信が阻害されて通じない。
ノイズしか返ってこないことに歯噛みした霧に、命は

「け、肩部ブレードを展開します! 迫撃ですね! 行ける!」

と怒鳴って、陽月王の肩からブレードを抜き放った。
それは何段階かに競りあがると、瞬く間に長さ五メートルほどの長大なブレードに変化した。
黒い粒子を刃の周りにまとわりつかせながら、陽月王がヒトガタ死星獣に向かって、高速でキャタピラを回転させる。
次の瞬間、背負っているブースターのエンジンが点火して、機械兵器は凄まじい速度で前方に向かって吹き飛んだ。
そのGに耐え切れずに、絆と霧が小さく悲鳴を上げる。
命は、しかし目を妙な色に輝かせながら叫んだ。

「殺せる……! 私は殺せる! 私が、私がやるんだ! 私があの化け物を、殺すんだ!」

訳の分からない叫び声を上げながら、命が操縦桿を千切らんばかりに強く握り締める。
陽月王が、まさに目にも留まらないスピードで腕を振り、ヒトガタ死星獣の足の間を駆け抜けた。
次いで、死星獣の両足が、膝部分から両断されて爆発した。
ブースターを逆噴射させてその爆炎に飛び込み、陽月王は、すり鉢型に変化した地面を蹴った。
鈍重な機体が、十数メートルも宙に浮いた。

「あああああああ!」

命が振り絞るような声を上げて、陽月王のブレードを突き出した。
ヒトガタ死星獣の口の穴にブレードが突き刺さり、そのままブースターの噴射力で、陽月王は肩から相手にぶつかった。
凄まじい衝撃が絆達を襲う。

「あは……あはははははは!」

命が笑った。
どこか正気を失った目で、彼女は甲高い声で笑った。

「死ねえええ!」

ドズンッ、と死星獣に馬乗りになった姿勢で陽月王が着地する。
命は炎を噴き上げている死星獣の口からブレードを抜き放つと、相手の体のいたるところに、ところ構わず突き刺し始めた。

「死ね! 死ね! 死ね! 死ねええ!」

絆が初めて見る、命の感情が爆発した瞬間だった。
圧倒的な恐怖と、一割の狂気。
無理やりに気を失いそうな自分を奮い立たせ、無理やりに自分を押し殺し、感情と恐怖の間にせめぎあい。
結果。
命は狂った。

「うわああああああ!」

絶叫して、命は死星獣の首を陽月王の手で掴んだ。
そしてギリギリと締め上げはじめる。

「死ねええええ!」
『ゲゲ………………ゴ………………』

そこで、死星獣が喋った。
それは、締め上げられて出たただの音だったのかもしれない。
ただ、それは絆の耳に、断末魔の叫び声のように聞こえ。
彼は、思わず立ち上がると、操縦桿を握っている命に覆いかぶさった。

「やめろ! もういいやめろ!」
『ゲ………………ゴ………………』

死星獣の腕が、力を失ってパタリと倒れる。
そしてそれは消えずに。
ただの、物言わぬ躯と化した。

「うわあああ! うあああああ!」

ブンブンと首を振り叫び声を上げている命を強く抱きしめ、絆は必死に叫んだ。

「やめるんだ! もう死んだよ、怖い奴は死んだ! お前がやったんだ、大丈夫だ。もう大丈夫だから! だから……!」

慌てて命を拘束しているバンドを緩めて、彼女を抱き上げる。
命は絆にしがみつくと、堰が切れたように大声で泣き喚き始めた。

「大丈夫だ命! 帰ろう、帰ろう俺達の家に……一緒に帰ろう!」
「もうやだ……もうやだよお……やだあ……私殺しちゃった、殺しちゃったあ……」

命が上ずった声で呟く。
そこで、霧が苦しそうに

「マスター!」

と怒鳴った。
ハッとして絆が顔を上げる。
しかし、命の反応の方が早かった。

彼女の方が、早かった。

命は泣きながら絆を突き飛ばした。
コクピットの中を転がって、絆が倒れる。
その目に、死星獣の死骸から浮き上がってきた正方体が映った。

――コア。

そう思った時には、もう遅かった。
コアはキュル、と音を立てて針のような形状になると、何の加速もなく、コクピットめがけて吹き飛んできた。
そして。
コクピットのハッチをやすやすと突き破り、今まで絆がいた場所を性格に貫いて、陽月王を串刺しにした。

「あ……」

小さく呟く。
命が。

――いなくなっていた。

「マスター! 離れてください!」

霧が絶叫して、陽月王のコクピット側部についていたスイッチを覆うガラスを叩き割った。
そしてボタンを手で叩きつける。
――緊急回避用の、補助ブースターの点火装置だった。
陽月王の補助ブースターが点火して、鈍重な機体が後ろに吹き飛んだ。
絆は必死に、今まで命が座っていた席によじ登ると、地面を転がった陽月王の操縦桿を握った。
そして計器を操作して、機体のバランサーを安定させる。
地面を滑った陽月王のロングレンジ砲を最大出力に上げ、絆はまたこちらに向けて吹き飛んできたコアに向けて、霧のエネルギーを放った。
ジュッ、という音がしてコアが消滅する。
次いで。
霧が血を吐いた。

『エネルギーライン不安定。蓄電源に切り替えます』

痙攣している霧に、這うように近づいて、絆は彼女を抱き寄せた。

「霧……?」
「マス……ター。無事ですか……?」

霧がニッコリと微笑む。
絆は微笑み返そうとして失敗し。
動きが止まった陽月王の中で、コクピットを見回した。
半径二メートルほどの範囲で、円形に陽月王の胸部が消え去っている。
少しでも。
命が絆を突き飛ばすのが少しでも遅れていたら。
死んでいた。
体が震えた。
絆は強く霧を抱きしめて、そして歯を強く噛んだ。
目を、潰れんばかりに閉じ絞る。
バキッ、と音がして奥歯が割れた。

「…………命が……命がぁ……」

情けない声が出た。
霧が、そっと絆の背中に、血に塗れた手を回す。

「死んだ………………」

気がついた時、絆は病院のベッドの上にいた。
仰向けに寝かされていて、体には毛布がかかっている。
動こうとして腕に違和感を感じる。
両腕に点滴がいくつも突き刺さっていた。
体中がだるい。
熱が出ているのか、意識が朦朧としていた。
奥歯が痛い。
何か詰め物がされているらしい。

「目が覚めましたか? まだ麻酔が効いていると思います。足の骨が折れています。動かない方がいいです」

そこでそっと声を掛けられ、絆は視線を横に向けた。
椅子に、渚が腰掛けていた。
赤い目のクランベは、リンゴをナイフで剥き始めながら、絆に言った。

「あなたは丸一日眠り続けていました。ご安心ください。あなたのバーリェは、生き残っている子は全てこちらできちんと保護しています」
「生き……残った……?」

繰り返して、絆はくぐもった声で問いかけた。

「命は……? 霧は、雪は…………?」
「…………」

渚は一瞬黙ると、息を飲み込んでから口を開いた。

「霧ちゃんは無事です。雪ちゃんも、先ほどやっと調整が完了しました。二人とも臓器の交換をしましたが、意識がはっきりしています。でも、雪ちゃんはあと一週間は集中治療室を出れないと思います」
「………………」

絆は長い間沈黙していた。
そして、やっと、奥歯から湧き上がってきた血を飲み込んで言った。

「命は……?」

良く思い出せなかった。
死星獣を殺したと思ったら。
コアが変形して。
そして、命に突き飛ばされて。
あとは無我夢中で。
――思い出すことを、したくなかった。

「…………」

渚は、何とも言えない陰鬱とした表情で絆を見下ろした。
そして息を吸って、小さく言う。

「……死にました。遺体は確認されていませんが、陽月王のデータから推測するに、死星獣の発するブラックホール粒子を真正面から受け止めて、消滅したと思われます」
「消滅……?」

絆は、渚が止めようとするのも構わず上半身を、無理やりに起こした。

「消滅……? 意味が分からない。消滅ってどういうことだ……?」
「…………」
「死んだのか? ……跡形も残らずに?」
「……そうです」
「命が死んだ……? 俺を、庇って?」
「無理に思い出さないほうがいいです。落ち着いてください」
「命は! 俺を守って死んだのか!」
「…………」

掴みかかられて、渚が体を強張らせる。
点滴台が凄まじい音を立てて倒れた。
肩をつかまれて、しかし視線をそらして渚は口を開いた。

「そうです。あなたを庇って、命ちゃんは死にました。私は……立派だと思います」
「…………」

絶句して、絆は渚の肩から手を下ろした。
床に転がった剥きかけのリンゴが、夕陽を反射して光っていた。

「せめてあなたが弔ってあげてください。そうじゃないと、あの子はきっと浮かばれない。あなたがしっかりしないと、あの子に失礼です」
「…………」

渚の言葉の意味が、良く分からなかった。
分からなかったが、絆は、自分自身の心が、何かナイフのようなものでズタズタに切り裂かれていることを感じていた。
胸の奥が痛い。
頭の中が痛い。
死ぬ間際の、命の泣き顔がフラッシュバックした。
声にならない叫び声を上げて、両手で頭を抱える。

――命。

命が、死んだ。
分かっていたことじゃないか。
目の前で、見ていたじゃないか。
なのにどうして理解できなかった、俺は。
どうして理解してやることが出来ない?
どうして、心の底から彼女を褒めてやることが出来ない?

――出来ない。

出来ない!
そんなこと、俺には出来ない。
絆はわななきながら、自分の両手を見つめた。
死星獣を絞め殺そうとした命の顔がまた脳裏をよぎる。
辛かっただろう。
苦しかっただろう。
嫌だったろう。
嫌で、嫌で仕方がなかっただろう。
虫を殺すのも躊躇う子だった。
料理が得意で、家事が得意で。
絆の代わりに全部を担当してくれていた子だった。
優しい子だった。
その子に、自分は何をさせた?
目の前でただ震えているだけで、声をかけてやることも出来ないで。
自分は……俺は、何をしたんだ?
俺は……。

――俺は。

「最低だ……俺…………」

髪の毛を両手で掴む。

「俺、最低だよ…………」

嗚咽を漏らして、小さくかすれた声で呟く。

「もう俺は戦えない…………無理だ。俺にはもう出来ない……出来ないよ……」

かすれた声を無理やりに搾り出す。
渚は床に落ちたリンゴを拾って、しばらくそれを見つめた後、流しの上にコトリと置いた。

「元老院はあなたに勲一等を授与することを発表しました。残念ながら、あなたはもう、戦闘から遠ざかることは出来ません」

その残酷な死刑判決に、絆は憔悴した目を上げて彼女を見た。

「勲…………一等…………?」
「はい。そうです」
「命が死んだんだぞ! 俺のバーリェが死んだんだ! お前らおかしいよ! 勲章なんていらない、いらない! 命を返せ! お前ら、勲章寄越すんなら命を返せ!」
「……既に死んでしまった子を蘇らせることは、無理です。冷静になってください。それに、良く考えてみてください。私達が、命ちゃんを育てたんじゃありません」
「…………」
「あなたが育てたんです」

渚の端的な言葉は、深く絆の、傷だらけの心を抉った。
その通りだった。
命を育てたのは他ならぬ絆自身。
いや、他のバーリェを育てているのも、絆だ。
何故育てているか。
戦闘で使うため。
使って、殺すために育てている。
それがトレーナー。
それが、俺だ。
……絆は脱力して、ぼんやりと窓の外に目をやった。

――灰色の空。灰色の雲。灰色の町並み。

光化学スモッグに覆われた空は、青空を映すことはない。
作り物の緑、作り物の町並み。
作られて整備された道路。
そこを歩く人々の波。
何一つとして、整備されていないものは存在していない。
それが自然だと考えれば、きっとそうなのだろう。
それが当たり前だと考えれば、何もかもが当たり前になるのだろう。
作られた命。
作られた存在。
そして、作られた仕事。
自分はその中の歯車の一つに過ぎず。
その「悪」の一端を担っているに過ぎず。
それでも生きてしまっているのが、自分なのだ。
作り物の世界の中で。
作られた仕事をして、作られて敷かれたレールの上をなぞって歩いて。
勲章を授与されて。
生きていって「しまっている」のが、自分なのだ。
その事実に気がついた途端、絆の体から力が抜けた。
渚は点滴台を持ち上げて元に戻し、絆の手に針を差し込みなおしてから、服の乱れを直して椅子に腰掛けた。
そして、新しいリンゴを剥き始める。
シャリシャリという音が聞こえる。
……どこか、遠くで。
絆は、命がよく作ってくれたように、綺麗なウサギ型に切られたリンゴを受け取って、ぼんやりと視線を落とした。
黙ってそれを小さくかじる。
それを飲み込んだ絆の目に、一瞬躊躇した後、携帯型映像端末を取り出した渚の姿が映る。

「今、とても言いにくいことなのですが、私の責務ですのでお伝えします」

ピッ、とボタンを押すと、白い壁に映像が投影された。
そこには、どこかの記者会見のようにテーブル前の椅子に腰掛けた一人の男が映っていた。
画像は荒いが、すぐに分かった。
隣に髪が長いバーリェが、静かに座っている。
桜と、絃だった。

「三時間前に、絃『元』執行官が、全世界に対してこのような声明を発表しました」

またボタンを押すと、静止していた映像が動き出す。
どこかノイズがかった声で、映像の中の絃は言った。

『我々「新世界連合」は、本日三〇五〇に、「人間諸君」に対して宣戦布告を行う』
「…………何……だって?」

唖然とした絆を前に、絃は続けた。

『暴虐を貪り、陰惨とした世界を創り上げた人間。この狂った世界を創り上げた人間諸君を、我々新世界連合は、この度粛清することを決めた。それは我らの大義のためであり、人間諸君に、生命は平等であると知らしめるためで、正義の行動である』
「…………」
『ついては、バリトンのエフェッサー本部に対して、我々は先日、保有する「死星獣」で攻撃を行った』

絃がそう言って、手元のプロジェクターを操作する。
そこには、絆が……いや、命が殺したヒトガタ死星獣が映し出されていた。
格納庫のような場所が映し出されている。
一体だけではない。
数十体のヒトガタ死星獣の姿があった。

『攻撃は失敗に終わったが、引き続き諸悪の根源であるエフェッサーの本部、支部に対する攻撃を続けていく予定だ。この予定は、エフェッサーが全滅するまで覆ることはない。そして同時に、エフェッサーを全滅させた後、人間諸君の残存者たちを皆殺しにするための布石である』

絃はプロジェクターの電源を切って、静かに続けた。

『繰り返す。この死星獣は、我らの保有する「戦力」である。そしてこの死星獣による攻撃は、我々が人間諸君に対して行う「天誅」であることを念頭においていただきたい。男、女、老人、子供、人間は皆同罪だ。等しく死んでいただくことと、我らは決めた』

絃は絆が見たことがない程に暗い笑みを発して、続けた。

『我々はエフェッサー諸君、人間諸君に対して何ら要求はない。ただ一つだけあるとすれば、「速やかに死んでいただきたい」ということだけである。これは最後通告であり、同時に宣戦布告の言葉とする。以上だ』

ブツリ、と音を立てて映像が切れる。
呆然としている絆に、携帯端末をポケットにしまいながら、渚が言った。

「全国の衛星放送をジャックして、二分三十秒の間、強制放送されました。絃元執行官と考えて間違いはないという結論に、エフェッサーは達しました」
「何で……」

絆はかすれて消えそうな声で呟いた。

「絃……? 何でだ……」
「敵対勢力は、新世界連合と名乗っていること以外は何も分かっていません。しかし、コクピットへの死星獣による正確な攻撃や、エフェッサー本部を目指して侵攻してきたことから、この勢力と、あのヒトガタ死星獣は無関係ではないという可能性が高いです」
「…………」
「エフェッサーと軍は、スラム地区がその本拠地と考え、無差別に叩くことを計画しています」

弾かれたように絆は顔を上げた。

「スラムを……攻撃するっていうのか?」
「はい。あの数のヒトガタ死星獣は、我々人類にとって究極の脅威となります。先に破壊する必要があります」

渚は、真っ直ぐに絆を見て言った。

「あなたには、体調が回復し次第、その攻撃に参加していただきます。これは軍、および元老院の最終決定であり、あなたに拒否権はありません。私からも、お願いします……」

渚は、僅かに震える唇を隠すように、頭を深く下げた。

「私達の身を……守ってください」

>第4話に続く

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