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「ヒトイヌ愛護団体」前編

“ヒトイヌ愛護団体”

何らかの理由で飼育が難しくなったヒトイヌを引き取り、新しい里親に譲り渡す活動をしている非営利団体。
定期的に行う譲渡会では、徹底的に躾けられた状態のヒトイヌが並び、迎えたいと望む人間が大勢押し寄せる。

自分が飼うなら、このような里親募集しているところから引き取りたいと思っていた。
待ちに待った譲渡会。会場に着くと、そこには大きなケージに入ったヒトイヌが一列に並んでいた。
容姿端麗、賢く去勢済み。人気のヒトイヌの前には既に大勢の人だかりができている。
どうしたもんかと見渡すと、一番端っこにポツンと置かれたヒトイヌのケージを見つけた。
他の懐っこい個体に比べ、今にも噛みつきそうな警戒心むき出しの様子が、その子の前に人を寄せつけない理由だと直ぐに理解できた。
ヒトイヌは、ケージに掛けられた布の影に隠れるよう隅っこに座り、なるべく人間と目を合わさないよう緊張した面持ちで外の様子を伺っていた。
今までどんな経験をしたのか。その眼差しからは攻撃性だけでなく、恐怖心、それと、いつでも死んでしまいそうな頼りない命を感じた。
私は引き寄せられるようにその子のケージに歩み寄り、同じ目線になるようしゃがむと声をかけた。

「…私で良かったら、うちに来る?」

ヒトイヌは訝しげな表情で、ただ私をじっと見つめた。
“怖くないよ、私はあなたの味方だから”
この想いをどう伝えていいかわからず、丸腰の私はケージの中に人差し指を差し入れてみた。
すると、ヒトイヌは警戒しながらも、私の指先に鼻を近づけ、クンクン、と匂いを嗅いだ。
そうよ、大丈夫。私はあなたに危害を加えない。
近づいてくれたことに喜び、安堵した次の瞬間、ヒトイヌは私の指先をぺろりと一度舐め上げた。その舌は柔らかく、温かかった。こんな頼りない命に見えるこの子の生に触れ、もはや私には選ばない理由が見つからなかった。

そして、私はこの二十八歳の成犬を、我が家に迎え入れることにした。

「おいで、ここが今日からお前のお家だよ」

私とヒトイヌ。一人と一匹の生活が始まった。
自分のベッドの横にヒトイヌ用の寝床を作ったが、彼は同じ部屋で眠ろうとしなかった。
廊下の冷たいフローリングで夜を過ごし、食事と排泄、入浴の時のみ私の前になんとか姿を見せてくれる程度の距離感をキープしているようだった。
無理強いするつもりはなかった。譲渡会のあの姿を見ているからか、すぐに慣れてくれるとも思っていない。
彼なりのペースで、ここを自分のうちだと思えるまで自由に過ごせばいいと思っていた。
元気のない背中を見るたび心が微かに痛んだが、とにかく私は見守ることに徹した。

ある日、いつものように目を覚ますと、ベッドの横に作った寝床でヒトイヌが丸くなり眠っていた。
私は固まった身体を伸ばし始めた途中だったが思わず息を止め、彼を起こしてしまわないよう静かに体勢を戻した。
こんな近距離でスヤスヤと眠る彼の姿は初めてだった。なんて愛おしいのだろう。
勇気を出して歩み寄ってくれたことに胸を打たれ、私はその日中、仕事が手につかなかった。

以降、彼は私と同じ部屋で過ごす時間が増えていった。
テレビを見ている時間も、仕事をしている時間も。
何をすることなく、私の近くで静かに存在し続けてくれた。
愛想を振りまくことはない、芸をすることもない。そんな人気の高いヒトイヌとは異なるが、私はそれで十分だった。当たり前のように振る舞うが、毎日毎日少しずつ彼なりに歩み寄ってくれていることが、私にとってはこれ以上ない幸せだった。

彼は、外へ散歩に行くのを嫌がった。
ヒトイヌは施設にいる間に、完璧なイヌへと躾けられるため、基本的には散歩も毎日の日課となるはずだった。

「散歩行こっか」

この言葉だけで、身体に埋め込まれた尻尾が左右に揺れるヒトイヌの動画を沢山見た。
だけどうちの子は私を見つめるだけで、一つも表情を変えずにそっぽを向き、その場から動こうとしない。
個性、だろうか。まぁ、散歩が嫌いなイヌも、、いるしな。私はそう思い、彼と散歩する夢はいつかの機会に、と一旦諦めることにした。

私にとって彼との生活は、まさに充実そのものだった。
私の作った料理の味付け前をイヌ皿に取り分け、同じ部屋で一緒に食べた。
彼は与えた分を一瞬で平らげてしまい、まだ食べ始めたばかりの私の皿を見つめる。
私はだめな飼い主。こうなると、一人で食べることなんてできない。

「仕方ないなぁ、本当はだめなんだよ? 人間の味付けは濃いんだから」

魚の煮付けを箸で一口大に切り分け、私の手のひらに置く。ヒトイヌを見つめると、少し飼い主らしいポーズをしてみる。

「…待てだよ?」

ヒトイヌは一瞬驚いたような顔で私を見たが、すぐさま手のひらの魚に視線を戻し、言いつけどおり“待て”を守った。

(あら、できるんじゃん)

芸を教えたことはなかったため、“待て”という言葉を理解していたことに驚いた。
まぁそうか、譲渡会で出るイヌは施設で一通り躾けられているはず、教わってて当然か。

「…ふふ、いいこだね。ごめんね、はい、いいよ。よし。食べな」

手のひらをヒトイヌに差し出す。
彼はがっつくことなく、ゆっくり顔を近づけると、ハグ、ハグ…と一口ずつきれいに食べていく。
あんな凶暴に見えた子だけど、乱暴なことなんて一つもない。穏やかな毎日、こうして日々が続いていく幸福を、彼の頭部を見つめながら噛みしめる。

すると急に、私の手の上に生暖かい感触を感じた。
驚き確認すると、ヒトイヌが私の手のひらを舐め続けていた。
魚がなくなり、まだ食べ足りないのかな。

「まだ食べる? ほら、あげるからちょっと待って」

彼に伝えても、舐めることを一向にやめようとしない。

「ちょっと…くすぐったいって、やめなさい」

少しだけ強い口調で注意をすると、ヒトイヌはピタっと舐めるのをやめ、そのまま自分の寝床に戻ってしまった。

「もうご飯いいの? お腹いっぱいになったの?」

ふてくされてしまったのか、私の問いかけに反応はなく、彼はそのまま背を向け眠ってしまった。

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