見出し画像

「ヒトイヌ愛護団体」後編

その日の夜だった。
私は普段、一度眠ってしまえば朝まで起きることはない。しかし、なぜかその日は目を覚ました。
ベッドの下で眠っているはずのヒトイヌに視線を落とすと、なにやら彼は起きているようだった。
私に背を向け人間のように座り、ソワソワと揺れているように見えた。

「……どうしたの? 眠れないの?」

暗闇の中、寝ぼけ眼で目を凝らし、彼に声をかける。
ヒトイヌは私の声にビクリと反応し、そのまま固まってしまった。
どこか調子でも悪いのか? 私は急いでベッドから起き出すと、彼の前に回りこみ姿を確認する。
すると、私の愛したヒトイヌの彼は、人間の男のように、膨張した自らのペニスを手のひらで握っていた。

「え……なに…?」

思いもしない光景に、私は気が動転した。だって、ヒトイヌは人間だった頃の記憶を消されているはずだった。
脳を直接弄られ、人の言葉もわからない、生殖行為も動物そのものに改造されてから、人間の元にペットとして渡されるようになっている。
それなのに、今目の前にいる彼は人間の男そのもの。
信じ難い現実に、私は思わず声をあげた。

「きゃぁ……」
「だめ、叫ばないで、ごめんなさい」

私が叫び出すその瞬間、彼は二本足で立ち上がり、今まで性器を握っていた手で私の口を押さえた。
鼻腔に広がる生臭いそれは、私の嫌いな男の臭いがした。
人の男が同じ部屋にいることに、私は今にも卒倒しそうだった。手に入れたヒトイヌとの幸せな生活は木端微塵に砕け散り、全身に力が入らない。

「……ごめんなさい、嫌わないでください」

彼は今にも倒れこみそうな私の肩を力強く支え、切実に訴えた。
けど、その時の私にはあまりに衝撃が強く、彼に返す言葉が見つけられなかった。

翌朝目を覚ますと、彼はいつも通り床の上に作られた寝床で丸くなっていた。
昨夜の出来事が嘘みたい。私が見た悪夢かと思えてくる。
でもあれは事実。彼は人の言葉も喋れるし、手を使ったマスターベーションもする。

愛したはずのヒトイヌ。姿かたちは変わらない。
それなのに、私は彼とどう接していいかわからなくなった。そして、彼の存在を無視し始めた。

彼はそれ以降も部屋の中を四つん這いで歩き、ご飯はイヌ皿に口をつけ食べ続けた。排泄も今まで通りペットシートの上でしたし、今まで以上にイヌらしかったと思う。
その全てを知っていたが、私は彼を一切見ていないフリをし続けた。
困惑していた。人の男と接するのが苦手な私が、人の記憶が残るヒトイヌモドキと生活すること。いつ人間の男が顔を出すのか。イヌであるそれのどこまでが偽りなのか。愛したはずのヒトイヌ。何も変わらない彼を愛し続けることに踏み出せない自分の愚かさ。

そうして、二人の関係に正解が見つけられずにいたある日、我が家にヒトイヌ愛護団体施設の人が訪ねてきた。

「大変申し訳ございませんでした」

スーツを着た大人たち数人が、私に対して頭を下げ謝罪をする。あまりに唐突なことで、私はなんの事かさっぱりわからなかった。

「…え? なんですか、急に…」
「こちらにいるヒトイヌに欠陥があると連絡が入り、引き取りにまいりました」
「え……?」

彼のことだ。何でわかったの?
困惑し立ち尽くす私の背後から、彼が二本足で歩き姿を現した。

「僕です」

彼はもう少しもイヌの素振りを見せず、ただそこにいるのは人間の男だった。

「なんで…」
「優しくしてくれたのに、嫌な気持ちにさせてごめんなさい。もう大丈夫なので、今までありがとうございました」

裸体のまま首輪をつけ、二足歩行で施設の人側に歩みを進める。大人たちは私に何度も頭を下げると、ヒトイヌの手を引き、我が家のドアは閉まった。

私は一言も喋ることができなかった。
最後、彼が私に言葉をかけてくれたのに。謝罪も感謝も伝えてくれたのに。意気地無しな私は、彼に何も言ってあげられなかった。
彼を愛し、かけがえのない二人の時間を過ごしたことは、ゆるぎない事実なのに。私は、一度心を引いてくれた彼をまた、傷つけてしまった。

閉まったドアの前、私は崩れ落ち泣いた。
引き止めなかったこと、彼の全てを受け入れなかったことを後悔した。彼は何も悪くない。自分を責めても変わらない現実。戻ってこない日々を理解し、とめどなく泣いた。

それから、私はヒトイヌ愛護団体に何度も問い合わせをした。彼を引き取りたいことを伝え、今の彼の状況を聞いても答えはひとつ。

「ヒトイヌに関して個別にお答えできることはございません」

私は途方に暮れた。
引き取られた欠陥のあるヒトイヌがその後どうなるのか。そんなこと、公式ホームページには記載などあるわけなく、美しい芝の上、飼い主と笑顔でボール遊びをするヒトイヌの写真が悲しかった。

ヒトイヌたちは、人間だった記憶を消すため、脳に電気を通し処置を行うと聞いたことがある。
これをすると、人間だった時の全ての記憶を無くせるらしい。この技術のおかげで、ヒトイヌが存在できているといっても過言では無い。

もし、もし彼が、その処置を受けたら。
私との生活は全て忘れてしまうだろう。
彼は人だった。いつからそうかはわからないが、少なくとも散歩に行きたがらなかったのもそのせいだと、今ならわかる。

忘れないでほしい。私のことを忘れてほしくない。
今彼が施設の中にいるのか、いるとしたらどんな部屋で、どんな寝床で過ごしているのか。
欠陥ヒトイヌへの躾がどれほどにきついものなのか。
考えれば考えるほど、私の胸は後悔で締め付けられる。

そして私は譲渡会に行く事にした。
あの団体が開催する、彼と出会った譲渡会。
彼と離れて以来、一度も欠かしたことはない。
会場に足を踏み入れる時、彼を初めて目にした時のことを毎回思い出す。
まだ彼には会えていない。譲渡会に出されるかもわからない。譲渡会で再会できた時、彼は私の顔を思い出すことはないだろう。

それでも行く。
張り裂けそうな胸を抱え、彼の姿を探し求めて。

------------------

最後までお読みいただきありがとうございます。

宜しければ、Twitterフォローお願いします。
主に新しい物語、SM、日常をぼやいています^^♥

::::::::::୨୧::::::::::୨୧::::::::::୨୧:::::::::::୨୧::::::::::
■Twitter
https://twitter.com/amanegaanone

::::::::::୨୧::::::::::୨୧::::::::::୨୧:::::::::::୨୧:::::::

サポートいただけたら嬉しいです。 少しでも多くの癖を刺していきたいと思っています。 よろしくお願いします。